古代インドでは歴史を記録し残していく文化はなかったという。それは輪廻転生(りんねてんしょう)という、人は生まれ変わり死に変わりしていく世界観に基ずく。いのちはループされるもので、今の世は仮の宿だから、それをわざわざ書き残す必要性はなかったと。線ではなく、円で見る世界観。
ここが直線的に人生を見る西洋人との大きな違いで、理解されにくくもあり、また最も興味の惹かれるとこでもあるようだ。ぼくも西洋文化が色濃い時代に育っているので、はじめは輪廻転生に対して拒否反応があったが、いつからかその見方が大きく変わってきた(テレビなどの胡散臭い前世云々話は勘弁願いますが)。生まれ変わり死に変わりしていくという人生観の中には、すべてのいのちに繋がりがある。
映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の中にこんな話があった。
チベットの高僧ダライラマが、仲良くなった西洋人にプライベート映画館建設を依頼された時、その働き手となったチベット僧が、土からミミズが大量に出てきて工事を中止。それに戸惑う西洋人に対してチベット僧の述べた理由が「このミミズはもしかしたら、あなたのお母さんの生まれ変わりかもしれませんよ」と。なんて壮大な人生観!と思う。
一方で、その無限ループを超えていかれたのがおシャカさま。
さて、そんな思想がベースとなる国インドだから、古い歴史的事実はあまり残されておらず、おシャカさま当時のこともいろいろな説がある。後の人たちがその偉大さを伝えるために残した物語や故事は、事実に重きを置くのならどれも信用性に欠けるのかもしれない。でも、物語や故事に含まれる意味にこそ、人の感性に訴えかけ心打たれるものだろう。
美しい絵画や風景、心打たれる音楽に出会ったとき、皆さんは、なぜその絵画や風景が美しいのか、なぜその音楽が琴線を震わすのか、理由を考えるでしょうか?絵や写真を見た瞬間「ああ、美しい」と思うでしょうし、音を聞いて「素敵なメロディーだ」と思うわけです。しかしその後に、あの絵はあの色の配色が心理的に訴える効果がある、だとか、あの音楽に感動するのは、f分の1の揺らぎがあるからだ、なんてことを思ったりするでしょうか?まあ芸術や音楽の分野に精通する方でしたら、そういうことを考えることもあるでしょうけれども、そうではない人はあまりそこまで考えないと思います。美しい、あるいはすばらしいなどと感動するその心が大切なんだと思います。
(彼岸寺How to go,how to live ケンユウさんの記事より)
事実や科学的モノの見方は、知的欲求は満たされるかもしれないが、感性に訴えかける感動はあまりないと思う。そんな気持ちでおシャカさまの生涯を改めて見直してみたい。
