ともだち。
不思議ですね、ともだちってさ。
人間の成長の過程で、仲間を求め社会性を身につけていく時期があります。
ここで、たいていの人は「お友達のみんなと仲良くしなさい」と教えられる。
でも、やっぱりキライな子や、どうも話が合わない子とかが出てきて、
ほとんどのオトナが教えてくれない感情を経験することになる。
友達とけんかして、ちょっとだけ要領よくふるまえる子はオトナに怒られずに、
ちょっと要領が悪かった子はオトナの目にとまる。
そして、ものすごく理不尽にしかられちゃったりするんだ。
そんな私は意地悪な子なのかしら、って悩んだり。
どうしてあいつは僕をいじめるんだ、って怒ったり。
オトナって勝手だ、と漠然と感じたり。
仲良くしなさいって言われたって、キライなものはキライだし、合わないものは合わない。
それは、子どもでもオトナでも同じ。
仏様でもないかぎり、全ての人を平等に思うことなんて、絶対にできないのだ。
大事なのは、どうしてキライだとか思うのかってこと。
ねたみ、そねみ、やきもち・・・そういう自分の気持ちを見つめることができるか?
そして、それが何に起因しているか、見極めることができるか?
オトナは、「仲良くしなさい」や「いじめてはいけません」ではなく「なぜキライだと思うのか考えなさい」と教えるべきではないのかな?
自分の中の気持ちを見つめる、その手助けをしなければならないのではないかな?
幼い頃から、考える力を養ってほしいなぁ。
お寺には、学校や家庭で教えないことがありますよ。
それを手伝ってくれる、厳しくてやさしいまなざしがありますよ。
数知れない人々がいるこの世界で、自分の人生に関わった「ともだち」という存在。
これって、ものすごい縁だと思う。
単なるクラスメイトだったり、幼馴染だったり、何となく気が合う子だったり、いろいろあるけど、
通過していくだけの縁に囲まれた人生の中で、価値観を共有して笑い合って相談ごととかして、
琴線に触れる何かがあって、いつまでも大事に思っていられる存在。
いったい、何分の何の確率で出遇えたんだろう。
稀有なことだ。
だから、大事なのだ。
何気なく縁が切れてしまった友達もいる。
もう二度と会えないかもしれない。
でもそんなこと、あの時は思わなかったよね。
理不尽なオトナの仲間入りをするようになって、初めて分かる。
「お友達を大事にしなさい」っていう、その意味が。
今、私の周りにいる「ともだち」に、遠くはなれて暮らす「ともだち」に、
出遇わせてくれた縁に、最大限の感謝を。
次、kawashimaさん、よろしくです!
