チスイが最近出会い、大変大変お世話になっている岡山のおぼうさん、豪雨さんがメリシャカに寄稿してくれました!
中学校の時の話、ある年度始め、担任の先生がアンケート用紙を配った。
色んな質問があった… その中で
あなたの親友は誰ですか、三人まで書いてください。
1、
2、
3、
というような項目。 他の質問には何となく回答したが、ここだけは答えられなかった。
何でこんな質問をするのだろうか…? と思い、先生に質問すると、緊急時に連絡を取るために親友が分かっていれば、連絡の取りようがあるという。。。
分かったような分からないような答え、
困った。焦った。。。 親友って…
もし、吾輩が親友と思った人が、1~3の項に吾輩の名前を書いてくれなかったとしたならば、それは本当の親友とは言えないではないか。。。
そう思った時に、ナンとも情けないやら、悔しいやら、こんな質問をする先生をのろいもした。。。
挙句、誰の名前を書く勇気もなくて、結局 、1、2、3、の項に三本の線を引いてを埋めた…
そのアンケートのようなものを提出の後、下校。
後味の悪いアンケートだったな~と思いつつ、帰宅のため自転車置き場へ行った。。。 一人の友人が、
友人「おぅ~おつかれー!」
吾輩「お疲れさん~」
友人「豪雨は今日のアンケート、なんて書いた?」
吾輩「…沢山書くところあったけど、、、ナニ?」
友人「親友の名前書くところだよ~」
吾輩「・・・おれ、、、三本、線を引いといたよ~ 親友って書いてたし…」
友人「えぇーッ、なんで、おれの名前書かなかったんだよ!
おれは、おまえの名前を書いたんだぞ!!!」
嬉しかった、涙が出るほど、、、というか、ホントに涙が出た。
はぁ~ 親友ってこういうことだったのか…
こっちから、決めてかかることも、思い込むこともいらない、向こうから親友だ!といってくれるもの。。。
ホントのトモダチなんて… いないさ~
などと嘯いてた自分が恥ずかしくなり、そいつに申し訳なくなってしまって、泣けてきて、その涙を隠すのに必死になっていた。。。
お釈迦サマは仏説無量寿経をお説きくださった。 その中、「友」 「親友」 という言葉が出ている。
「もろもろの庶類のために不請の友となる。群生を荷負してこれを重担とす」
(ボサツは)さまざまな人々のためにすすんで友となり、これらの人々の苦しみを背負い引き受け、導いていく。
「法を聞きてよく忘れず、見て敬い得て大きに慶ばば、すなはちわが善き親友なり」
教を聞いてよく心にとどめ、仏を仰いで信じ喜ぶものこそ、わたしのまことの善き友である。
すること・言うこと・考えること、どれ1つとっても仏さまにほめられるほどのものを持ってはいないこの身、、、
皮一枚の内側にさまざまな思いを秘めて、その思いを人には知られまいと、戦々恐々としていきていた悲しいこの身、、、
仏サマの教えを聞くと、この身がこのまま、お釈迦サマに「わたしの善き親友だよ」とよびかけられているという。
お釈迦サマに親友といわれるには、申し訳なく、あまりにも恥ずかしい私だけれど、ジーンと暖かいものが、胸の奥の方からあふれてくる気がする。。。
この間、この親友が吾輩の結婚式・披露宴に来てくれたので、
二次会で呑みながらこの話を直接したら、全く覚えてないようだった~
それが私には尚のこと嬉しかったのである。
メリシャカ!
