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持つべきものは…

「自ら其の睫を見る能わず」

友人が訓戒にしている言葉をプレゼントしてくれた。

「100歩先にいる人の髪の毛先まで見ることができる者でも、自分の睫を見ることはできない」

転じて。

「人の欠点は見えやすいけど、自分の欠点は見えにくい」

ということらしい。
らしいというのは、意味まで教えてくれなかったからだ。
調べてみると、中国の法家・韓非の著書『韓非子』の観行篇にあるものだった。

相手の欠点には、それがどんなに些細なものであっても過敏に反応する。
けど、その欠点は、自分の中にある欠点と、同様の場合が多々ある。
自分の外側には眼が届いても、自分の内側には総じて無頓着だ。
その欠点に対する非難は、自分の内側を外側と同じくらい見つめることができれば、自然と自分に向かうのだが…そうはなかなかいかないもんだ。

自分の欠点が見えないということは、必然的に「自分は正しい」という思い込みが、相手に対する評価の根底に潜んでいるような気がする。

自分を棚上げして、相手の欠点を見つけては、鬼の首を取ったかのように非難し、相手を一刀両断してるけど。
本当はその刀の切っ先を、自分に向けるのが仏教の智慧なんじゃないだろうか。
そうして自分の有り様を知ることができる…気づかされるんだと思う。

誰もが皆、自身を棚上げした錆び付いた刀を振り回してる。
そして、自分で自分を斬りつけなくても、自分が誰かを非難するように、私もまた、常に誰かに一刀両断されていることに気づく。

鬼の首を並べる虚しさと、その首の中に自分がいるという苦しみ。

そういうことに気づくことで、相手を思う気持ちとかが、変わることもあるだろう。

なんて、偉そうに書いてるけど、こうして誰かに諌められないと、自分の睫の存在も、鬼の首にも気づけないことに気づかないんだな。
ありがとよ、友人。

コメント (4)

sakulla:

>inuさま

残念! 書いたのは女でした。

コメントありがとうございます。
自分の欠点は、分かっているようで分からないものなんだと思います。
自分が長所と思い込んでいるとこも、人から見れば短所でしかないこともある。
それこそ、見えない睫のようなものです。
けれどその睫も、誰かの目に映る自身の姿を見ようとすれば、形もおぼろげながら見えてくるのでしょう。
そこで、自分のではなく、相手の睫を見るか否かで、斬りとる鬼の首の数が変わってくるのだと思います。
なんて書いてる私自身が、首を並べるプロだから始末が悪いや。

inu:

書いた方は男性でしょうか?
いやぁ、これ本当そう。上の方と同じく、まさにその通りっっ!!
分かってるんですけどね。やっちゃうんです。
で、自分でどぉ~んと沈んじゃう時有ったりして。昨日もしてしまいましたし…。
そうなんだけどさぁ~って。
でも、それ分かってたらいいんじゃないかとも思う。分かってるって事が。
欠点の話も、実は自分の中にあるからこそ相手のそれが浮き立って見えて余計に嫌になったり。
有りますわ~。本当。
対峙する人間は私でなく、私の鏡である。って事なのかなぁ…。
って長くなってスミマセン。

sakulla:

青のりのことは忘れて下さいって書いたでしょっ!(^^;)
書いてる自分の耳が一番痛がってます。

JUN:

まさにその通り!耳が痛いです(--;)
青のりのお話もよかったですよ

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sakulla on 持つべきものは…: >inuさま 残念
inu on 持つべきものは…: 書いた方は男性でしょ
sakulla on 持つべきものは…: 青のりのことは忘れて
JUN on 持つべきものは…: まさにその通り!耳が

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