幼少時代の僕はほんとに好き嫌いが激しい子どもでした。(今でもねぎは大の苦手ですが・・・)
そんな子どもだったので、母が栄養を考えて出してくれる食事は、ほとんどといっていいほど食べることが出来ませんでした。
家族ですし屋に行っても、注文するのは卵、いか、卵、いか・・・そのくらいしか食するものがありませんでした。おかげで、栄養が偏りすぎたせいか色んな病気にかかっていたことを思い出します。
幼稚園の時、給食が嫌で嫌でたまらなく、嫌なら家に帰ろうと判断し幼稚園を抜け出して、本当に家に帰ってきた記憶があります。
毎回帰るわけにもいかず、仕方なく給食を食べていましたが、嫌いな食材が出てくると机の下から遠くへ投げていました。
それほど好き嫌いが激しい子どもでした。
そんな時代から何十年経過した今では、さすがに(ねぎ以外は)出された食事は美味しく頂いています。
考えてみますと私たち人間というのは、自分勝手な生き物です。
日頃おいしく頂く牛肉も、人間においしく食べられるために牛として生まれてきたわけではありません。
私たちは、生き物を品物のように扱う世の中に対して、別の角度からいのちをとらえ直すことが必要ではないでしょうか。
仏教では、五戒といって人間がしてはならない五つの戒めがあり、その一つに不殺生戒があります。自分自身が生きることを願うならば、同時に他のいのちもまた保証しなければなりません。
しかし現実には、他のいのちを食べずには生きることができない私たちがいます。
「いただきます」とは、有難い、申し訳ないといろんな気持ちが込められている言葉です。
他のいのちを奪わないと生きられない私たちだけれども、感謝の気持ちを持って頂くことにより、いのちを粗末にしてはいけないという方向に広げていくことができるのではないでしょうか。
そんなことを思うと、簡単に好き嫌いなんて言えなくなります。
ねぎも有難く調理法を変えて頂こうと思います。


コメント (1)
こんばんは。
ひょんな事から訪問しました。
宜しければお教えください。
食べる事に限らず、私達は毎日数億の命を葬りながら生きています。体に進入してくる細菌、ウィルスなどの事です。
宗教家の方はこれをどう捉えているのでしょう?
投稿者: 関 | 2007年07月11日 22:22
日時: 2007年07月11日 22:22