「痛い」といえば、骨折したことも痛かったし、自転車に乗っていて車に軽くはねられた事もありますし、親知らずも痛かったですねぇ・・・。
肉体的な痛みではない「痛い」だと、運転中、不注意で前の車にぶつかってしまった事や、ついこの間、高速道路で、追い越し車線をずーっと走っていたら、それが違反で、覆面パトカーに捕まった事、などでしょうか。
あとは、失恋というものも精神的にかなり「痛い」経験ですね。
でも、自分がいろんな怪我や失敗や失恋した事以上に「痛かった」事は、自分の言葉や行いによって、好きな人の心を深く傷つけてしまった事、そしてその事に気付けなかったこと、傷つけたことに気付いても、その人の気持ちをしっかり受け止められなかったこと、かもしれません。
自分としては、その時、相手のことをちゃんと愛していた、と思いますし、大事にしていたつもりでした。ですから、もちろん傷つける気なんてサラサラ無かったですし、傷つけている、と知っても、自分では大事にしているつもりでいたので、それを信じたくなかったし、相手の気持ちを理解することはできませんでした。
しかし、そう言う自分の想いは結局独りよがりな「つもり」でしかなく、相手の受け取り方や、感じ方、考え方というのに大きなギャップがあって、相手からすれば、私が大事に想っている「つもり」でいても、それが感じられなかったのでしょうし、私には傷つける「つもり」はなかったとしても、たくさん傷ついていたのです。
なのに、その自分と相手の違いを認めることなく、自分は大事に想っているのだから、と自分の想いばかり押し付け、相手の気持ちというものを理解しようとしなかった。これもまた、相手を傷つける事になったのだと思います。
もちろん、人と人は違うものだし、相手の気持ち、感じているものを100%理解する、ということは、不可能かもしれません。でも、違うからと言って、相手の気持ちに寄り添っていくことが出来ずに、相手を傷つけ続けたことは、今でも悔やまれるし、考えると、心が痛みます。
私は、別れた後になって、好きな相手のことを傷つける、ということの「痛さ」というものに気付いたわけですが、本当は、その「痛み」に、一緒にいる時に気付くべきだったし、それ以上に、自分のしたことで相手が傷ついているということ、そして相手の気持ちというものをよく考え、受け止めていかねばならなかったのだと思います。
自分のしたことを正当化するつもりではありませんが、どれだけ好きな相手であっても、恋愛をして一緒にいる中で、傷つけてしまう事って、きっとあると思います。
もちろん、一番大切なのは、そうならないように相手に思い遣りを持って接することなんですけど、どれだけ好きで、思い遣っているつもりでも、感覚に違いがある以上、気持ちのすれ違いや、思慮が足りずに、傷つき、傷つけられる事もあるでしょう。
だからこそ、自分の想いばかりに目をやって、自分を正当化するのではなくて、相手の気持ちをしっかり考え、受け止めようとする事が、相手の痛みを知るためにも、負わせてしまった傷を癒すためにも、大切になってくるのでしょうね。
まあ、私が今感じる痛みなんかよりも、その時の相手はもっと傷ついて、心の痛い思いをしていたでしょうから、本当はこんな事言えた義理ではないのでしょうし、今更こんなことを言っても、相手が傷ついた事を帳消しに出来るわけではありません。
こうして後悔している事すらも、もしかしたら、単なる自己満足や自己愛から来る、独りよがりなものに過ぎないのかもしれないですけど、ね。。。
