「痛い話」で思い出すのは、昨年末の捻挫です。本当に痛かった。すぐに病院に行けば良かったが、忘年会に行きたかったので、そのまま足を引きずって飲みに行ってしまった。それがより悪化した原因のようです。でも、その話は築地本願寺のテレフォン法話でさせていただきました。ぜひ、お聞き下さい。
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http://www.tsukijihongwanji.jp/tsukiji/howa.html
(これは築地本願寺3分間法話でいろんな話が放送されています)
で改めて、「痛い話」を考えていると、グラグラッと地が揺れました。新潟県中越沖を中心とする震度6強を観測した地震でした。千葉にいた私も震度3の揺れを感じました。報道番組からは、地震により全壊した家屋、行き場を失い避難所で生活せざるを得ない人たち、倒れた電車の姿が伝わってきます。
その中で、全壊になった家屋から助け出される女性の姿が映し出されていました。
「大丈夫ですか」という消防員のかけ声、「痛いよ」「助けてくれ」という家屋に体をはさまれている女性の叫び声がします。緊迫した状況であります。そんな中「がんばれ」というそばにいた消防団員の声が聞こえてきた。その消防団員は自分は何もできずに、助けたいという一心で出てきた言葉なのでしょう。
そのシーンは、私に3年前の新潟大地震の時のある被災者の方の言葉を思い起こさせました。
それは、新潟のおばあさんの「地震にあったことは災難だったけれど、人の優しさに出会うことができてうれしかった」という言葉です。
人類が万物の霊長といったところで、長い地球の歴史に比べれば、ほんの少しの歴史であります。私たち人類が地球を間借りしているといってもいいかもしれない。そのため、地球の変動=災害に悩まされてきたのが、人類の歴史でかもしれません。災害を経験するたびに嘆き、喪失感が生まれてきます。
でも、その経験を通してみえてくる世界もあるのです。そこに目を向けていき、大切なものを感じ取っていくのが人類の智慧なのかもしれません。痛みや苦しみがあると「なんでケガをしてしまったのか」とその事実ばかりに目がいってしますが、ちょっと離れてみると、そこに大切なものが落ちているかもしれません。そんなことを、新潟のおばあちゃんが教えてくれました。
今回の震災被害が少しでも早く復興することを願うばかりであります。
