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恋という病

『仏教恋愛論』をご覧の皆さん、こちらでは初めまして!チスイと申します。
ステキで温かいるるさんの文章を読まれて、今後を期待されている方が多いと思います。
いきなりむさくるしいのが出てきてスミマセン、、
るるさんの文章を読んでいると自分もどうしても仏教恋愛論が書きたくなりました!

それ程彼女の恋愛論は読ませました!前回の文章なんて、自分に思う所があり、泣きそうになりましたヨ!(苦笑)

知人・友人から「ちょ・・お前が恋愛語るな!」と突込みが入るであろうチスイではありますが、これからちょくちょく顔を出させていただきます。よろしくお願いします。


vol.3では「恋愛」を仏教ではどのように捉えられているのか考えてみたいと思います。もちろんお経に「恋愛」という字は出てこないのですが。

まず、仏教では僕たち一人残らず皆、煩悩を抱えている存在であると説かれています。
じゃあ煩悩って一体なに?って問われて、おしゃかさまは『三毒の煩悩』というものに大まかに分けられて説明されます。


『三毒の煩悩』とは、以下のものです。

○貪欲【とんよく】(むさぼりの心)

○瞋恚【しんに】(いかりの心)

○愚痴【ぐち】(ねたむ心・おろかさ)

そしてそして、その貪欲(むさぼりの心)の中に、詳しくは5つの欲があります。

●食欲

●財欲

●色欲

●名誉欲

●睡眠欲

3番目に『色欲』が出てきます。これがすなわち、男女の欲のことです。

たとえば町に出たら、可愛い女の子(石原さとみちゃん似)に目が奪われてしまう。
ステキな出逢いがないかと、どんよくに友だちに「えっと、確か前にご飯おごった貸しあったよね!貸しあるよねー。今度友だち紹介してなっ!」と言う。

全部チスイに限りなく近い誰かさんのことなんですけど、つまりそれが仏教で言うところの『色欲』だと思います(笑)

例えば、好きな人ができたとしても、その人が自分を好きになってくれる確証はないんです。
恋をしたら苦しいことが多い。恋煩いって言いますよね!
つまりこれも『煩悩』な訳です。

好きな子と交わした会話に一喜一憂して、夜眠れなかったり。
求めても求めても好きな人となかなか一緒になれず苦しんだり。
(結構それが恋愛の良さだとも言えるけどね)

たとえお互いに好きになれたとしても、その満足はいつまでも続かないかもしれないですよ。
相手を思う余り独占欲が働いて、すれ違ったり、嫉妬したり、重く思ったり、傷つけてしまったり、、
それは仏教で言う『執着』でしょう。

結局お互いの気持ちがすれ違い、どうしようもなくなって、別れてしまったりする。
失恋の痛みは骨折の比じゃないですよね!いつまでもいつまでも胸の深くで疼くものだと思います。

そして仏教の根本思想は「人生は苦」であるということ。
自分の思い通りにはならないのが苦です。
自分の思い通りにならないことを、思い通りにしたいから、そこに苦しみが生まれるんです。
でもそれって恋愛そのものじゃないですかね?

としたら、恋愛は「苦」であり、「欲」であり、「煩悩」、「執着」であると言えます。
仏教ではあまり誉められたもではないのかもしれません。
なぜなら、身を煩わせたり心を煩わせたりして、そのことばっかり悩んで、落ち着いて仏法を聞くことや、仏道修行が出来ないからです。
だから仏教では欲は否定されるもので、そこには性愛や恋愛も含まれるのです。

それでも僕たちは恋をしていく。恋はするのではなく落ちるものともいいますしね。
もしも「恋」が自分を煩わせる病であるならば、しかしそれはこの世で一番美しい病かもしれない。

なーんて青臭いことを言ってしまいましたが、愛する人と共に仏道を歩んでいく道も仏教にはある訳です。

僕たちに一番身近な大問題「恋愛」を、仏教と絡めて見つめると面白いのではないかと思い、僕は仏教恋愛論が書きたいのです。

コメント (6)

kaka:

仏教恋愛論、大学に入った時からの永遠のテーマです。
さすがに、卒論では書けませんですが・・・
しかし、私は、今大学のときからの長いお付き合いの末、結婚しました。
結婚は≠恋愛ではありませんが、彼と子どもたちと、彼の家族と、大切な毎日を過ごしています。
命ある限り、人には煩悩がある・・・
しかし、愛は究極の幸せだと思います。
僧侶ですが、マザーテレサさんの言葉・・・いつも胸の中で唱えます。
ここでは、書けませんが。。では

kuro:

今、恋してます。59歳。相手6年前に離婚した人、つまり元妻です。偶然が重なり3日前に再会、現在進行形です。互いに独身状態(この歳では当然?)この歳でこんな苦しい思いをするとは思いませんでした。死ぬ事も考えました。6年前の思い、6年間の空白。欲の意味がこの欄を見て良くわかりましたが、恋の旧漢字の意味で少し安心しました。色欲は制御できますが、やはり心の奥にある猜疑心あたりが一番の問題のようです。(お互い)愛はお互い解っていますがし、色欲に暴走しないのは大人の分別か?信じて欲しいと言う言葉を信じるののか?疑問をもつのがさらに怖いが、信じなければ前に進めない。「死が二人を別つ事の無い愛が、仏教の愛」安心しました。憎しみはほとんど究極まで行きました。これからは究極の愛を目指します。良い教えをありがとうございました。

ちすい:

sakullaさん、はじめまして!
普及委員会で「メリシャカ!」って言ってくださってどうも有難うです(笑)

「死が二人を別つことのない道が仏教の愛」

それこそが究極の愛と言えるでしょうね。そしてまたそこに仏教の意義があると思います。

いずれ恋愛論でも書こうと思うのですが、どんなに好きな人とでも僕らはいつか離れなければならない(愛別離苦)。
しかし、仏教は浄土に生まれる教えです。憎しみ合い愛し合いした人とお浄土でまた会うことが出来る。それは仏教で説かれていることです。

ステキな視点を有難うございました!

sakulla:

初めまして。sakullaと申します。
報われない恋をするたびに、人生の苦しみを味わいますね。
けれど、死が二人を別つことのない道が仏教の愛なのかなって考えると、この苦しみも受け入れることができそうな気がします。

ちすい:

madelineさん、はじめまして!面白く読んでくださりマジ嬉しいですよ。これからもなるだけ面白いものを書こうと思います。よろしくお願いしますね!

>私=100%煩悩
そうなんです!madelineさんもしかして仏教勉強されてる方ですか?(笑)
ほんと、仰るとおり、、悲しいかな、振り返ってみると煩悩100%が我が身なんですよね。
仏教の教えに照らされて気付かされることなんですよね。

madeline:

はじめまして チスイさんの恋愛論も全然面白いです!
読ませていただいで 私ったらなんて
「煩悩の塊」なんだ・・・
私=100%煩悩と言ってもいいかもしれない・・
反省。

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2006.4.26-
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