恋に落ちると眩暈を起こす友人に会った。
彼女の目に映る世界の、男性の話を聞くのが好き。
彼女は男と女の友情はないという考えの持ち主。
だから男性に会うと、彼女はまず、その男性が自分に気があるかどうかを感じ取る。
自分に気がない男性だったら、興味をまったく示さない。
そして、気がある男性でも、色気がなければ興味はない。
けど気があって、しかも色気があると、彼女は眩暈を起こして、自分が恋に落ちたことを知る。
そして、「私を落とせるなら落としてごらん」と視線を送るという、彼女の伝わり難いアプローチがその瞬間から始まる。
気があるかどうかを、どういうふうに感じ取るのかと尋ねると、
「私は敏感だから、雰囲気で分かる」
彼女はそう断言する。
だが、眩暈を起こした恋が成就したことはないともいう。
それは、私から見たら全て勘違いだとツッコミたくなる話だけど。
彼女にしたら、至極当然の成り行きらしい。
「人は皆、一人ひとり異なった世界を見て、見たものを異なった世間として理解しているはずである。
それでも、誰もが自分の見ているものは他人が見ているものと同じだと思い込んでいる」
なんとなく、『邪魅の雫』という京極夏彦の小説にある一説を思い出した。
男性の何気ない仕草に色気を見るものもいれば、その仕草に不快感を覚えるものもいるように。
見ている対象は同じでも、その対象への意味づけが異なれば、見ている世界も変わるのだろう。
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される」
おシャカさまの残された言葉を集めたとされる『ダンマパダ』の冒頭にもあるように、私の見る世界は私の心によって作り出されたもので、他者の見る世界とは別物だ。
あらゆる現象は、ただ心の現れに過ぎないという思想を、仏教では唯心と言い、それが唯識へと発展する。
だけど、この心もまたコロコロ変わる不確かなものだから絶対的なものじゃないという、とても複雑な考え方をする思想。
このスペースだけじゃ、到底説明できやしないので以下省略。
さっきの小説の一説には続きがある。
「思い込むのみならず、差違を認めない者、差違を生じること怖れている者が殆どである」
友人は、その恋は勘違いであると、私以外から既に何度も指摘されている。
けれど彼女は他者との違いを歯牙にもかけず、恋に落ち続けている。
私には、他者との違いを認め、それでもその違いを恐れず、マイペースに歩く彼女の世界は、とても眩しく魅力的に見えるのだ。
彼女に、色気がある人を芸能人でいうなら誰かと尋ねると、
「テリー伊藤」
彼女はそう断言した。
やっぱり、彼女の見る世界は面白い。
コメント (1)
テリー伊藤さんですかぁ(^-^)いいですね(笑)
たしかにだれが恋愛対象になるかはひとそれぞれですよね。
私は初対面の男性で恋に落ちることはないタイプです。ただし昨日は友だちだと思っていたのに今日その人がめちゃめちゃ眩しく見えることはあります(笑)ちょっとしたことがキッカケで180度世界観は変わるんですね。自分でも予期できないから人生は面白いと思います。
投稿者: tiffany | 2007年07月20日 10:03
日時: 2007年07月20日 10:03