2006年10月06日

僕とmacとメリシャカ

メリシャカメンバーのToshiさんがpodcast受賞でmac製品もらったようだ…。
羨ましいなあ〜…僕はMacBook Proがほしいんですけど(笑)。

という訳で、
僕も久しぶりに知人に貸していた元相棒 imac G4が帰ってきたので、
macの楽しさを述べることにしよう。


mac人生の始まりは学生の時。
それまで使っていたwin98はどうしてもなじめなかった。
(win派の知人に聴くとwin98が一番良かったらしい)

OSがどーのこーのとか全然わからんのに使って、
ある日パソ屋でみつけた真っ白い固まり。

『これはパソコンか?』…衝撃でした。

店頭でイジったら、マウスに右クリックがない!…爆。
動きがアニメーション的で見やすい!
この頃は、OS Xが出たばかりでした…
多分classic状態のみなら買ってないと思う。
これは余計なものがなくてイイと安易な思いで
速攻貯金はたいてimac G4 17inch買う。

その後思った事は、
”パソコン”は理系さんのジャンルだったんだと思った(今さら)。
macは直感的でアナログ的。なのに最先端!?
winとの共有?…共有ってなんですか?

という恐ろしく知識に乏しい状態の中、
不思議な”縁”でmacと出会う事ができた。

AppleのHPにしろ、無駄がなくシンプルで言葉が強烈!

また仏教もそうかもしれません。
仏教って歴史は古いもんだけど、直感的で言葉が強烈!
仏教が難しいと思うのは、頭で考えるからであって、
普通は理解できるものじゃないですよね。
これを仏教では不可思議と言われる。

思議(しぎ)…思いはかること。
仏教は、思議できない世界なんです。

でも頭で考えちゃう所が人間ってな生き物です。

それにしても、
オープンソースの派生する世界は仏教の派生する世界によく似ている。
それでいて、それぞれが深い。

うわ…パソコン病だ…。

メリシャカ。

2006年09月23日

彼の岸

お彼岸ですね!お彼岸といえば日本独自の伝統的な仏教行事。どうやら聖徳太子さんの時代から行われているようです。これは今ポストエイオスさんのHPから調べてきたことです!

お寺参りしたり、お墓参りをしたりして、亡きご先祖様を通して、私自身が手を合わせられる大切な行事ですね。

そもそも彼岸とは、彼の岸と書きます。つまりお浄土のことです。
年に2回のお彼岸にはちょうど太陽が真東から昇り、真西に沈んでいきます。
そして一年で一番夕焼けが綺麗な季節といわれています。
仏教では、あの真西に沈んでいく夕日の彼方に、仏さまの作られたお浄土という世界があると説かれています。
仏教をよく聞かれていた人は、自分にとって大切な亡き方は、あの夕日の彼方のお浄土に生まれられたのだと、自然と手を合わされていたのです。
そして、自分もこの命精一杯生きて尽きた時、仏さまに救われてあのお浄土に生まれ、また大切な人にお会いできると喜ばれるのです。

今日はお彼岸の中日。秋分の日。
お墓参りがなんらかの事情があってできない方、忙しくてお寺参りができない方ももしかしたらおられるかもしれません。
でも、夕方西の空を見て、手を合わせることはできると思うのです。そして暫し大切な亡き人との大切な思い出を心に描く。尊い時間の過ごし方であると思います。

うちのお寺では、今日お彼岸の会を開きます。メリシャカメンバーの舞蹴さんが、お説教をしてくださいますよ。

その時お参りされる方に、うちのお寺ではオハギで御持て成しするのですが、このオハギは手作りです。
昨夜、家族5人がかりで作りました。

オハギを作っているといきなり、なぜか父親が昔話を始めて、昔近所にあった「野ツボ」というのに、ヒデボウという友達が落ちたという話を始めました(笑)本当にやめて欲しいと思いました(笑)

彼の岸の反対は、此方(こちら)の岸、つまり此岸です。僕らの住む娑婆世界です。
野ツボの話を聞いて大爆笑する僕ら家族は娑婆世界の住人であるなと思いました。
理由は下品だから。

(参照)POSTEIOS お彼岸に御供えするのは

2006年08月07日

OBON!

みなさんお久しぶりです。
善巧寺『お寺座LIVE vol.1』では、おまけびとで演奏させてもらい温かいご声援をいただいたことです。
「人は誰しも15分間のカリスマになれる」とかのアンディウォーホールは言いましたが、それを僕たちは体現したと言えましょう。
あの時、僕らは我ながら光っていました!(主に額とか)

で、今はもう本当に普通の人です。普通のぼやーっとしたただの坊主です。

しかし、そうボンヤリもできないんですよね。
そう。

今、まさに、お盆の季節!

日本では一年を通して最もメジャーな仏教行事の一つじゃないですか!メリシャカの出番ですよ!


レッツゴー!盆参り!レッツゴー!盆参り!(参照*おまけびと『LOVE尊者』より「盆参りの唄」)

とお盆参りに車や自転車や原付で、東奔西走するおぼうさんを町でみかけた方も多いはず。

皆さんのお宅にもお坊さんは参って来られましたか?
うちにはお仏壇がないと言われる方もおられますし、お盆参りをされない地域、宗派もあると思います。

せっかくお盆ですので、せめてこの日くらいはお仏壇に手を合わせたり、お寺に参ったり、お墓に参ったりして、ココロ静かにお参りすることが大切だと思います。

先日あるお寺のご住職さんが僕に言われました。「最近はお寺の境内にあるお墓に、墓参りをされるんだけど、そのまま帰られて、お寺に寄られないから寂しい」と。
逆に言うと都会から久しぶりに田舎に帰省され人たちが、お墓参りとともにお寺に寄ってくださるのは、お寺からしたら本当に嬉しいことなのです。

そして、お盆は本来、今は亡きご先祖様を偲び、それをご縁として、自分自身が仏法と出会う日です。
ご先祖さんの供養(尊敬)することは大切ですが、それだけで終わることなく、自分自身がほとけさまのお話を聞いたり、静かに自身を振り返ることが大切でしょう。そのことをきっとご先祖様も喜ばれていると思うのです。

お墓参りの後にはできたら住職さんを尋ねて少しお話などされてみてはいかがでしょうか?
お盆の由来を聴いてみたり。
良い夏の日の思い出になるかもしれません。

お寺の門は、開いています!

***
暫らく冬眠していたかにみえた(?)メリシャカブログの方もぼつぼつと、強力なコラムがアップされてきて楽しいです!

2006年07月27日

お寺でイベント

ここ10年ほどの間にお寺で音楽会や落語会などのイベントが盛んに行われるようになった。
うちのお寺では昭和53年に父と繋がりのあった永六輔氏を迎え「野休み落語会」がはじまった。落語はお坊さんのお説教がルーツだから、これはある意味「落語家の里帰り」。当時、お寺の本堂で落語を聞くというのはとても斬新なものだったと思う。お寺は法事と葬式の場所、という先入観に一石を投じていた。

はじめの頃は父が前説として、お説教を担当していた。それが5年ほど経った頃からお寺代表のあいさつに変わっていた。この会はあくまで永六輔氏が主導を握る会だった。永さんはお寺の息子だからお寺に対する理解はある。しかし、あくまでそこを離れた方。こちらの想いとかけ離れたことも軽く口にされる。父が往生してからは、女将として母があいさつをするようになった。しばらくして、落語会は終わった。理由はゲストの高齢化となっているが、本当の理由はなんだったのか。父のドキュメントを撮った番組で永さんがこんなことを言われていた。「お坊さんがいなくなった」。永さんは父との強い繋がりの中でこの会をやっていた。坊主がいなけりゃお寺じゃない。この言葉はぼくに強く突き刺さった。永さんと対等に渡り合える坊主がいなければこの会は成立しない。確かにその通りだと思う。

お寺でイベントをやる理由はそれぞれだろう。法要の記念イベントとしての余興、イメージ改革、人に集まって欲しい、これを縁に他の行事にも是非ご参加を、などなど。どんなイベントを行うにしても、坊主と出演者は対等でなければならないと思う。そうでなければ、ただの場所貸し。ちょっと変わった場所でこんなことが?!なんてものはすぐに飽きる。そこに集まる人たちはあくまでその出演者を覩に来ている。それとお寺の仏事は全くの別物。現に落語会に来てくださったお客さんがうちの他の行事にも顔を出したかというと、20年以上やってそんな人はひとりもいない。そんな下心を持つぐらいならやらないほうがよいだろう。

お寺から提供できるものはなにか。それは仏教しかない。法話とお経がなければお寺じゃない。たまには余興的にゲストをお招きするのも色を付けてもらえるのでよいかもしれないが、お寺主導でイベントを行うなら、法話とお経は欠かせない。それをいかに提供していくかが問題。幸いにアーティストは時代の一歩先をいき世の中に対して一言モノを言いたい人たちであったり、基本的には平和を求めている。このアクセクとした時代に嫌気をさし、テレビなんてクソくらえという想いを持った人もたくさんいるだろう。それぞれに方向は違うが、そのあたりで通じるものがある。ぼくら坊主は仏教で世界は変わると思っている。アーティストはアートで世界は変わるという信念が少なからずあるだろう。一般的には、両者とも社会のオマケのように受け取られているが、その両者がうまく手を取り合えた時、仏教ルネサンスになるかもしれない。

メリシャカでなにか事を起こす時は坊主が前面に出るでしょう。別にぼくらが出たがりというわけではありません。だってその都度懺悔させられるし、基本的にみんな恥ずかしがりです。でも、あえて坊主が世に出ていかなければならない時代突入だと感じています。このまま時代の流れのままにいけば仏教・お寺は影すら消えてしまいそうですから。ぼくらの背景はあくまで仏さまという信念のもと、踏ん張って前に出ますよ!

と、誇大妄想を描きつつ、なんか楽しいことをやりたいな、と思う今日この頃です。

2006年06月12日

祝!

メンバーのひとりケンショウくんが結婚しました!

披露宴最後の新郎スピーチが印象的。
「違いを認め合える夫婦に…」
と。かっこいいこと言うなぁ。

メリシャカのほうは、6月下旬にメンバーが京都で集合。
これからのことを話し合うと思うので、その後新たにメリシャカ再出発になるでしょう。

2006年05月23日

おめでとう/ありがとう

ドタバタしていてめちゃくちゃお久しぶりになりました。チスイです。

大分前のことなのですが、5月14日の日曜日は母の日でしたね。
その日僕はある失敗を2つしました。知り合いのお寺の住職継職の法要があったりして忙しかったので、母の日を忘れていたんです。

で、母の日を、母の日に、当の母から知らされたんです。

母は僕に向かって「おばあちゃんのプレゼント買ってくるからね!今日母の日だから!」と言い放ち、家を出ようとします。

僕はシマッタという顔をして、咄嗟に出た言葉が「母の日おめでとう!」でした。

すると母親は腑に落ちない顔をして「あ、ありがとう」と言って祖母のプレゼントを買いに行きました。

夜、京都に下宿する妹から母に電話があったそうです。妹は僕とは違い、きちんと母の日を覚えていました。
そしてこう言ったそうです。
「おかあさん、母の日おめでとう!」と。
そして母は「ありがとう」とやっぱり答えたんです。

母が僕の所へやってきて言いました。

「どうして、うちの子は母の日おめでとうっていうんじゃろう?母の日はおめでとうじゃなくて、ありがとうでしょう。」

その時僕は二つ目の失敗に気付いたのです。
確かにその通りです。母の日とは日ごろ色々お世話になって心配かけている母親に対して感謝する日なのです。「おめでとう!」じゃなくて「ありがとう!」なんだ。

うちでは僕や妹がおめでとうおめでとう言うものだから、逆に母親がありがとうって言っていましたよ。

そう思うと、4月8日おしゃかさまがお生まれになったのも、「おめでとう」とお祝いするのも良いことだけれど、同時に「おしゃかさま、生まれてくださってありがとう」と言うことが、僕たちの側からは大切なのだろう。

「おしゃかさま、僕たちのために、真実のよりどころとなる尊い仏教を説こうと、お生まれになって下さってありがとうございます」と感謝する日。それがメリシャカなのです。

実は今日まで5日間、広島の島でご法話をさせてもらってきました。浄土真宗の宗祖親鸞聖人の誕生日「降誕会(ごうたんえ)」という法要がお勤めになられたからでした。
広島はお念仏が盛んな地です。
その島は過疎ですが、お寺やお説教所にはたくさんの御参りでした。
お参りになられたおじいさんおばあさん、お父さんお母さん、そして子どもたちが皆一緒に「しんらんさま有難う」と報恩感謝のお念仏される姿は大変尊く、胸がじーんと震えたことです。

お誕生日もやっぱり感謝の日なのかもしれないですね。また、こうして感謝できる日っていうのはなんだかすごく素敵な日だと思いませんか?

2006年04月18日

メリシャカに想いをよせる。

よく坊さんが『お寺に少しでも足を運んでもらおうと…』という記事をテレビや新聞で目にする。それはそれで良いでしょ。実際そうなんだから。でも一つ自分が思うのが、何か無理矢理じゃない?って思うんですよね。

よく昔の人は、子供の頃は訳が分からずともお寺に行っていたと言いますが、それは今みたいにゲームがあったり習い事をしてる人が少なかったから?遊ぶ場所がなかったから?
ちょっと違うだろう〜と個人的には思っちゃったりします。ただ”生活の一部”にお寺という通り道があっただけなんじゃないのかなって。だからお寺に足を運ばない人だって、今も昔もいるんだから、そう変わりはないんだと思うんですけどね。

つまり人間は変わってない訳で、変わったのは生活様式。それこそ多趣味、多文化のワールドワイドな異種格闘技戦。それを仏教は盾を用いて弾いてきたのかもしれないな…と思うこの頃。伝統を守るのではなく、保守の方に回っちゃったんだと思いますね。

だからこそ仏教を通り道に無理に置くのではなくて、仏教のある通り道を歩いてもらえば良い。それは一番手軽なのは、音楽だったりするわけで、頭から宗教うんぬんじゃない。
ちなみに自分はロックが好きなのだが、仏教讃歌にはロックというジャンルがない。ゴスペルがうらやましい(笑)。仏教讃歌にロックがあってもいいじゃない。それこそ僕らの世代の生活様式であり、通り道なんだと思うんです。

”メリシャカ”とはそんな想いが通じるムーブメント。(…にできればなあ〜)

何という理由もない。ただアツいだけ(笑)。
メリークリスマスのパクリだが、パクリというだけだ。

なんてコンセプトのはっきりしないものなんだろうと言われるかもしれないが、
コレという”コンセプトの無いという名のコンセプト”であってほしい。

それが私の思う”メリシャカ”。これこそエンターテイメントなんでしょう。

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