2006年12月02日

親バカ

テステス。マイクテス。ども、トクモリです。
はじめて書き込みます。お手柔らかに。

最近の出来事といえば・・・。

1 犬を飼いはじめた事。
2 膝が痛い事。
3 ロボ宙&DAUのPVを作ってる事。
4 盆踊りの教材ビデオを作ってる事。
5 友達の結婚式のスライドショーを作ってる事。

この中で1番の出来事といえば
やはり、我が家に子犬が来た事でしょうか。
飼い主歴2ヶ月。
こんなに僕がかわいがるなんて思ってもみませんでした。
気づいた時は、既に赤ちゃん言葉になってました。

携帯の充電器を噛みちぎられようとも、
iPodのケーブルを噛みちぎられようとも、
楽しみにしていた、晩ご飯の唐揚げを盗み食いされようとも、
新品の財布をクチャクチャに噛まれようとも、
あぁ~めっちゃカワイイ!

全てにおいて世界で1番なヤツです。

うぅ~ん。これが俗にいう親バカってやつなのかな?

2006年11月28日

落花生とニキビの関係は?

タツヤです。

自己紹介をさせていただきます。

落花生の名産地・千葉県でお坊さん。そして、アーユスというNGO団体のスタッフをしております。

ちなみに、落花生を食べ過ぎるとニキビができるとよく言われますが、これは全くの嘘で、医学的にも否定されてるそうです。

そんな落花生と共に育った私は、現在29歳。
同世代の方は、ご存じかと思いますが、
中学・高校時代には尾崎豊さんの歌を聴きながら、
ゲームセンターでピンボールをうちながら「生きるってどういうこと?」と漠然と悩み。

そして、大学時代には、「仏教≒死」というイメージを拭いきれずに「仏教なんてダサイ」なんて生意気なことをいいながら、法律の専門家をめざしておりました。

そんな時に出会った言葉が、お釈迦様の言葉。
天上天下唯我独尊 → 生きているってすばらしい(スーパー意訳)
という言葉でした。

2500年前に、恥じることもなく、真っ正面から生きることを見つめていたのです。
まじ、やばいです! (ちょっと古いかな?)
拍子抜けした思いになったのを今でも覚えております。
そんなこんなで、お釈迦様ファンになりました。

メリシャカが運営されているのも、そんな仏の教えの魅力の虜になった人たちの集まりであろうと、想像します。

だからこそ、広大なブッダworldの魅力をご紹介できればと思います。

最後に、アーユス仏教国際協力ネットワークのご紹介をさせていただきます。

アーユスとは、「NGOのためのNGO」を旗印とした仏教者によって創設されたNGO団体です。

仏さまの教え「縁起」 --すべてのいのちはつながり、生かし生かされあっている-- を理念とし、
貧困・飢餓・難民・紛争などのさまざまな諸問題も私たちとは無関係ではないと、
現地の人々と手を携えて、共に学びあいながら活動している団体を支援しているNGOです。
そして、その現場の声を日本に伝える啓発活動もともに行っております。

2006年11月25日

友引?大安?

ケンショウです。改めて自己紹介をさせていただきます。
広島県三原市出身で、県外の人に広島のどこですか?との質問には、尾道の方ですと最近答えます。
広島から出て早9年目、初めて会う方々と出身の話になるとき広島の三原ですと答えると「あ~北の方ですね」との返答がかなり多い。皆さん三次市(みよしし)と間違えてるんだな~とのやりとりを何回もしました。三原市はあまり知られてないようなので、最近は尾道の方ですと答えると、「あ~」となんとなく場所を理解してくれます。

さてさて、私事ですが昨年結婚して、ちょうど1年が経ちました。入籍日は11月11日です。物忘れの激しい僕でも覚えられるとの配慮から11/11が入籍日になりました。
6月10日の結婚式にはメリシャカメンバーのとしさん、チスイくん、れんさん、タツヤさんにも来て頂きとても楽しいひとときを過ごすことができました。
その結婚披露宴でホテルの担当者と打ち合わせを何回もしましたが、そこでのやりとり。

僕たちの披露宴担当の方が、「そうですね~ お日にち 仏滅でないのでご安心を」と。
そこで僕たち、「仏滅でもまったく問題ありませんので」と言うと正直びっくりされたのが印象に残ってます。
さて、よく世間では結婚式は大安に、法事や葬儀は友引を避けないと、とよく聞きますね。
日の六曜といいますが、そのことについて少し書かせて頂きます。

日の六曜は先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六種があります。中国が起源で発案は定かではないそうですが、勝負事を占いで表したのが始まりのようです(仏教では釈迦が占いを禁じています)。なかでも友引は「相打ち友引き勝負なし」と引き分けという意味でした。
その六曜は、日本には14世紀頃に伝来しました。しかし、いつの間にか本来の意味とはかけ離れて今日の日本では、先にあげた「結婚式は大安に、法事や葬儀は友引を避けないと」と一般的に使われるようになった。
しかし親鸞聖人は、ご自身の和讃で「日の吉凶を選ぶことはよくない」と説かれています。

今日の日本ではどうでしょうか?テレビをつけると、なんとかセラピストとかなんとかさんが希望をもたす意見も言いますが、不安をかき立てることを言ってるのをよく目にしますね。
親鸞聖人は占いやまじないに頼る人生は、自分自身を見失う大変悲しいことであるとおっしゃられています。
浄土真宗のみ教えは、阿弥陀如来さまの光明に照らされている私たちが、自分自身の欲の深さに気づかされ、目覚めさせていただける教えであります。
占いやまじないには一切左右されない力強い人生を歩むことができるのものです。

話は戻りますが、披露宴の担当の方は仏前結婚式を見たことがないというので、早速築地本願寺の結婚式を見に来て感動して帰っていかれました。

2006年11月19日

長文注意!

ども。
いつもあーでもないこーでもないと、ダラダラ長文書いていることでおなじみの、ケンユウです。
とりあえず、そんなたいした人間ではありませぬが、ちょっと自己紹介をば。
私ケンユウは、石川のとあるお寺の長男として生まれましたが、
若い頃は、「仏教なんて抹香臭いことやってられるかー!」
と、仏教とは全然関係の無い大学へ行き、ところがそこで哲学にちょっと触れたことで、あれ?仏教って、実はスゴクね?と言う事に気づき、その後2年とちょっと、京都で仏教のさわりを学び、なんだかんだで実家の寺に帰り、僧侶としての生活を始めてもう2年が経ち、いつの間にやら27歳になりました。
ただ今激しく結婚相手を募集中です。

そんなことはさておき、
今現在は、自坊での法務を手伝うかたわら、京都時代に「彼岸寺」という仏教サイトを運営するまつけい氏に出遇ったことをきっかけに、そのサイトであれこれ書かせてもらうようになったのですが、
その中で、このメリシャカのメンバーにも出遇い、こうしてここでもあれこれと書かせていただくことになったわけです。
いやあ、ホント縁とか、人の繋がりというものは、不思議なものだな、と思います。

で、最近、このメリシャカのメンバーと、ちょっと話をする機会がありまして、はて、どうして自分はあれやこれやと偉そうに文章を書くようになったのか?ということを考え直してみたのですが、
一つは、あ、自分は仏教が好きなんだな、ということ、
そしてもう一つは、仏教という素晴らしい教えを、より多くの人に、知ってもらいたいな、という想いがあったことを思い出しました。

仏教は、人が生きるための教えです。
ただ、私達が普通に生活する中では、大切な事だけど、なかなか気づかない事、見えない事があります。
仏教は、それを私たちに教え、気づかせてくれる、そういう一面があるものだと思います。
そんな仏教的な物の見方、考え方というものを、あれこれと書く中で、皆さんにもちょっとずつ触れてもらい、「ん、仏教って、意外といいもんだね!」と思っていただけるようなればありがたいな、と思います。

このメリシャカのメンバーは、本当にいろんなタイプの人たちが集まっています。
みんなそれぞれに個性を持ってますが、きっとみんな仏教の輪を、楽しさをもっと広げていきたい、という想いは共通してるんだろうな、と思います。
そんな素晴らしいメンバーに、私も負けないよう、私にできることをやっていきたいものです。
ま、理屈っぽくなったり、現実味の無い、理想論を振り回すような事を書いたりして、「五月蝿い奴やなぁ」なんて思われたりすることもあるかと思いますが、
実際はそんな理想的なことを実践できているような者ではなく、結構テキトーな人間です。
そんなテキトー人間が、理想と現実の狭間でバタバタともがいていやがる、という風に、ちょっと面白半分の温かい目で見守っていただければ幸いですので、今後とも、皆さま一つヨシナに。

そうそう、堅苦しいものだけじゃなくて、
楽しい音楽なんかも、ちょっとずつ紹介させていただこうと思ってますので、そちらもヨロシクです。

あ、また長いな、コレ・・・。

2006年11月18日

初登場

こんにちは。メリシャカ初登場のおまけびとのカワシマと申します。
現在30歳の僧侶です。岐阜県のお寺の次男として生まれ、子どもの頃から「まあ兄貴がいるから自分にはお寺は関係ねえや」と思いながらずっとすごして来ました。
しかし21歳の時に「得度だけは行っておけ」と父親から言われ渋々頭を丸めて参加した得度習礼に、その後の私を大きく変える出会いがありました。休憩時間に大槻ケンヂの話をしていた青年、名前はチスイ君という。この人物こそ私の長年探し求めていたパートナーに間違いないと思い「僕と宅録バンドを組まないかい?」と即スカウトしました。おまけびとのはじまりです。それから現在までの8年間に、アルバムを3枚作り、今年のお寺座ライブでは遂にプロの人の前座で演奏させてもらいました。ライブハウスでバンド編成のライブもできて、結成当時はただの夢だったことが現実になってきています。

メリシャカにはチスイ君の誘いで参加させてもらいました。音楽担当させてもらっていますが、まだ1曲つくっただけです。Shaka musicにも一曲載せてもらっていますが、他のしんがさんや児玉さんのレベルが高くて同列に並べてもらって恐縮しております。

いろんな得意技をもったメリシャカメンバーのなかで自分のできることで少しでも貢献していきたいと思います。よろしくお願いします

2006年11月16日

俺にシームレスな環境を。

antena.jpg

長崎も寒くなってまいりましたよ。
まだまだ気合いの素足ですが…(寒う〜)。

今回リニューアルということで、バトンタッチ方式に変わったんだっけ…。最近買ったカメラなんかもちゃっかり使っちゃったりして(^^)。

今日パソコンSHOPに久しぶり行ってきました(ウソ…本当は3日に1回くらい行ってる…笑)。このご時世に、外に出てもパソコンが必要な病気にかかってしまいまして、どうしてもノートPC用モバイル機器が欲しくなったんです。最近、性格が明るくなったと言われるのに…^^。

PCはmac、ケータイはau主義な手前、auのmac対応の不憫さに最終境地はWILLCOMへ…。

SHOP到着。腹が減っていたのでマックに行こうと思ったのだが、ここはガマンのパソ優先へ。早速店員に話して即契約に。なにやらサッサと決めてしまいたいのか店員は、これでもか…と説明を省きやがる。忙しいのか、俺がソッチ系(どっち系?)だと思ったかは分からないが…。

悩むところはサービスの完全使いホーダイか、月25時間使いホーダイか?…値段も何千円か違うし、フルに使う訳でないので月25時間のサービスに決定。あ〜後で後悔しそう…。

shinki_yugata.jpgあ〜帰る頃には夕方になってらあ。

長崎は今年の台風以来、ほとんど雨は降らないし、深刻な塩害もあった。来年のビワは貴重かもしれない。決して特別おいしいという訳ではないが、貴重な中に大切な何かを感じる。

人間と同じかなあ。

2006年11月15日

Here comes the 門外漢

ヤーマン。
と言うことでまわってきました。
僧侶ではないけど、ただ単に坊主頭なだけなのに、髪のある僧侶いるとこっちが僧侶ッぽいと言われるGuerreroです。
平日休みが多いので、ぶらぶらしてると存在が怪しまれるのですが、ちゃんと仕事して、税金と保険払って社会参加してます。
どうぞよろしく。
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メリシャカには、趣味で写真を撮ってることから、写真素材を提供するという形で、このメリシャカのメンバーである、幼馴染みのとし(普段絶対使わない呼び名!気持ち悪い!!)から誘われました。

としのお寺には門徒会館というものがありまして、そこには年齢性別趣味嗜好無関係に人が集まり、夜な夜な馬鹿な話、時に真面目な話をするんですが、そこにいるうちに、すっかりお寺業界のお話も詳しくなりまして…(笑)週刊誌風に言うとちょっとした「事情通」って言う奴ですね。「お寺さん」の知り合いも多数出来ました。

しかし仏法に関しては全くもって無知です。最近ヘルマンヘッセのシッダールタという本を読んでお釈迦さんのことを知ったり、浄土真宗は阿弥陀如来で、親鸞さんは比叡山から下りて…云々と言うことも最近知りました。それもたまたま読んでた本でです。お寺に出入りしているくせにですよ。

そんな私がこのメリシャカでの位置というものは一体何なのか疑問に思われますよね?ま、上にも書きましたが写真素材の提供ということで参加してるって、おい!1枚しか使われてないじゃん…


今、いろんな意味でちょうど時代が変わっていると思っています。現代史に名を残す時代でしょう。なんせ何千年続いた紙の文化からデジタルメディアの時代に。また、それも日々変化を止みません。お経がモニターに映される時代が来ているのかもしれません。フラッシュ阿弥陀経とか。
仏法の歴史もまた時代と共に変化してきてますよね。今の時代は仏法にとっても間違いなく変化を強いられる時代でしょう。歴史年表に記される位の。(教えの中身は不変ですが)

そんな中で、このメリシャカは「変化」の一つと感じています。これからどんな形でメリシャカと関わっていくのか自分自身わかりません。なんせ私の写真素材は一枚しか使われてないですから(笑)ま、それはいいとして、こんな時代だからこそ出来るスタイルというのがあるはず。その中にどんな形であれ、関われることが楽しみでもあります。門外漢の興味本位な視点で参加しますが、どうぞよろしく。

あ、そうだ、ちゃんと写真撮るんで、素材に使ってやって下さいよぉ~

2006年11月11日

すきたちもん

みなさんこんにちは。
お寺の職務について8年ほどのトシです。
どの職業も10年は経験しないとモノにならんと言いますが、ホントに10年でいいのかと不安になってきました。惰性で過ごす10年と1日1日を大切にした10年では雲泥の差があるのでしょうね。

さてさて、

ぼくの住む富山県は昔から保守的とよく言われています。
その一旦を小学校の頃によく使っていた言葉から紹介してみましょう。

すきたつ

という言葉があります。

あいつすきたっとるじゃ」とか、「お前すきたつなま!
という使われ方がします。

これは「調子に乗る」とか「格好つける」のようなニュアンスがあって、
ようするに、「あいつ調子に乗ってるよ」「お前格好つけるなよ」という意味になります。
これは人と違ったことは嫌われるという村意識からくる言葉でしょう。
格好をつけることが嫌われるということは、「格好をつけない」という美意識が生まれます。
格好つけないように気を付けた格好つけ
が富山スタイルと言えるのかもしれません。

これは「出る杭は打つ」的な考え方になってきますが、最近これに関して思うのは、
打たれて引っ込むぐらいの杭は、元々それほど出る杭ではなかったのかなと。
打たれても打たれても「出る杭は出てくる」ように思います。
むしろ、杭は打たれれば打たれるほど強くなると考えるようになりました。

え~、何が言いたいのかと言えば、特に何もないんですけど、
富山というか、田舎全般が、「世界の中の日本」のように感じることがあるので、
少し想うところを書かせてもらいました。


次のメンバーコラムは、同県出身の同級生で、メリシャカに素材提供をしてもらおうと引きずり込んだGuerreroくんです。よろしくー。(すきたつなよ)

2006年11月10日

はじめまして。

どうも、れんと申します。
いまいち使い方が分からず、遅くなってしまい申し訳ないです。

まずは自己紹介から・・・
私は現在27歳の僧侶であります。
普段は京都の西本願寺で事務職員をしております。
私の場合、母の実家がお寺でして、家は一般家庭でしたので
まさか、自分がお寺の世界に踏み込むなど思ってなかったんですが、
いろいろありまして(長くなるので…)お寺の世界に入りました。

最近思うのは、お寺つながりの友達や知り合いの人たちといると
安心しきってしまうこと。
同じ空間の中にいるような、落ち着く感じ。
でも、一歩外に出てみれば、お寺とか仏教とかそんなものに
興味すらない友達もいる。
そんな人達に出会うと、まだまだやなあ、って実感してしまいます。
すごい閉鎖的なとこにいるんやなあ、って。
でも、どうにかして伝えたいって思い、模索してるところです。

2006年11月07日

5番目、舞蹴です!

チスイさん、熱いのは貴方(チスイ氏)。イケメンかどうかは上の写真でバレちゃいました。

5番目つとめさせて頂きます、舞蹴(マイケル)です。
写真にもあるように普通の東洋人の顔をしています。
イケメンでしょうか?答えなくていいです!

さてさて、「なぜに舞蹴(マイケル)!」この経緯を話させていただきます。

もう九年も経ちますか、もうすぐ10年ということは来年“舞蹴10周年”です。(フクザツ)
1997年に大学(今は無き、龍谷大学短期大学部仏教科)に入るとすぐに部活を始めました。
僕は音楽が大好きで、真っ先に軽音楽部をめざしました。

入部の際、面接がありました。

先輩面接官から突然、

「君、マイケルっぽいねw 明日から“マイケル”ね」
「えっ?」

根拠は何も無いんです。何にも・・・・。顔も声も頭も何処もかしこも・・・マイケル?どこが・・・

この瞬間から、誰も本名で呼んでくれなくなりました。(ひどいなぁw)
ちなみに名付け親である先輩の名は“ジョニー”。他にもソルジャー、ザビエル、アンガスと豊富な呼び名がありました。

よくこの名前で失敗したことがあります。

友人が僕を外人さんの前で紹介する時です。

外人さん、

「マイケル?アナタノドコガ マイケル ナノデスカ?・・・・・ノ~~~~!!!!」

と(お父さんは、絶対に結婚許しませ~ん)と言わんばかりにテーブルをひっくり返す動作っと、なぜか怒られる・・・

実家では、友人から電話があると、

「マイケル君いますか~?」
「はっ?マイケル?」

その時に限って祖母が出る、、、、、(おばぁちゃん、僕、外人さんになっちゃた)←言えるか!

友に本名を名乗った時、友は「マイケルでええやん」・・・って覚えてくれません。

ですが、このマイケルという名前 好きなんです。
(※英語の苦手な僕は、“マイケル”から“舞蹴”へと表記を改めさせてもらっていますが、このことに深い意味はありません。)

一生懸命になってギターを弾いたこと、音楽談義で熱くなったこと。決していい思い出ばかりではないですが、僕の中でなくてはならない大切な名前であります。

同じく、なくてはならないもの。それは、仏教です。ご縁という言葉があるように僕に繋がりを教えてくれました。

“マイケル”の名前が好きになれたのは、“マイケル”と呼んでくれた仲間がいたからです。
もちろん、そのことも仏教が教えてくれたのであります。

現在、お寺の仕事では「どうも~、舞蹴です。」とはよう言えません。音楽の趣味を通して舞蹴と名乗っています。「メリシャカ!」では、少しでも自分の内面を盛り込んでいきたいと考えこのあだ名であります。

“メリシャカ!”はチスイさんが紹介してくださいました。「お釈迦様の誕生日を祝おうよ!」と誘われるままに参加させていただいています。

仏教が広まることはこの上ない喜びであります。
お釈迦様の誕生日、子供が挨拶代わりに「おかぁさ~ん、メリシャカ!」
夜、若いカップルが「君の瞳にメリシャカ!」
行き交う人々が「メリシャカ!」
和むなぁ~。これこそ平和への第一歩ですね。ここ大好き!!

最後に僕、ドス黒くありません。意外とPOPかも!これからも宜しくお願いします!!

2006年11月05日

メリシャカー

メリシャカコラム4番バッター、チスイです。
阪神で言ったら金本ですね!(実際には僕は子どもの頃から毎回補欠だよ!)

おまけびとのボーカルをしています。
因みにギター、ベース、打ち込み他、全般の作業はメリシャカメンバーのkawashimaですよ。
シャカミュージックにおまけびとの曲1つ置いてありますので、聴いてくださいね!

メリシャカが世に出て早、半年が経ちました。
ここに出てむくむくと野望が出てきました。

それは、「モテたい」という一点です。

僕は「おまけびと」というコミカルネガチブなロックをしており、
しかもボーカルなのですが、
実は人生において、一度もモテたという経験がありません。

普通、ロックバンドのボーカルってモテますよね!
銀杏BOYZの峯田しかり、くるりの岸田しかり。
常に女の子たちからモッテモテで、きゃーきゃー言われてますよね。

おまけびとボーカルチスイは、生まれてこの方一度も女の子たちから
「キャーキャー」言われたことのない稀有なボーカリストです!

別に、文字を斜めにする必要はありませんでしたね。
『仏教恋愛論』執筆している者として恥です。

だがしかし!

メリシャカしてて良かったことが、あるんですよ!

先日京都に行ったら、ある初めてお会いした若いお坊さんから

「え?あなたって、おまけびとのチスイさんですか!メリシャカで見ました!」って言われたんですよ~!

やったー。メリシャカで知名度が上がったよ!一つ夢が叶いしましたよ。あー、これからファンが増えるかも。わくわくしますよ。

ただ、その言葉の後に「意外と素朴なんですね~」みたいなことを言われました・・・。

・・・。

まあ「変な歌詞の割りに結構そぼく」とかって、よく言われるんですけれどね、
しかも、お坊さんがこんなことをブログで書くのもどうかと思いますけれどね(笑)

閑話休題。

おまけびとの戯言は置いておいて、メリシャカメンバーは素敵な個性と、仏教に対する真摯な姿勢を持つ者たちが集っています。(新メンバーも加わって、ますますパワーアップです!)
メンバーの根底にある、仏教を自分自身大切にして縁ある人に広めていきたいという熱い思いは、これから先、面白い流れを生まないかな、生んだら良いなと僕は思います。

お釈迦様が2500年前に彰かにされた道理、仏教という大きな柱を頂いて、お釈迦様の手のひらのうちだから、だからこそ自由に、ポップに、安心して、皆で面白いことをやっていきたいです。
今後ともメリシャカをご贔屓に。

次は舞蹴さん、彼は僕以上に熱く、それでいてドス黒くドメスティックバイオレントなアーティストです。
そんでもってイケメン。

2006年11月04日

3番手は新人です

初めまして。
メリシャカ!リニューアルに伴い、新規参入を果たしましたsakullaと申します。


では、まずは軽く自己紹介などを。


私は神奈川県にある浄土真宗のお寺に、2人姉妹の次女として生まれました。
そう、次女として生まれたハズなんですよ、確か…。
けど気がついたら、いつの間にか跡取り娘になっていました。


これは勉強しなきゃなぁって感じで、関東の仏教系の大学に進学。
そこの仏教学科でせっせと学び始めるも、その大学はうちのお寺の宗派とは違う宗派の学校。
これは宗門の勉強もしなきゃなぁって感じで、東京仏教学院という浄土真宗の夜間学校にも入学。
仏教のダブルスクール状態で両校を卒業しました。
その後もしばらく学生を続けさせて頂き、大学院(修士)で奈良時代の国家と仏教の関係について研究するという、またまた宗門とは離れた分野に没頭する日々を過ごしていました。
そして、フリーター生活を経て、お坊さんになったはいいけど、その時は既に夜学を卒業してから4年近くが経っていて…。
正直、頭がリセットされていたことに危機感を感じ、現在は寺務のかたわら再び東京仏教学院の研究科へ聴講生として通っているという毎日です。


にしても、今まで読む側だったのに、こうして読まれる側になるとは…。
結構テレちゃうもんですが、これも有り難いご縁ですし、本当に光栄なことだと思ってます。


さて、メリシャカ!に参加するときに、自分のプロフィールを書いたんだけど、その項目の中に、「自分にとって仏教は?」っていうのがありました。
そのとき、パッと出てきたのが「目を見開くこと」だったわけです。


よく使われるし、数行前にもある「有り難い」って言葉、これはお釈迦さまが語られた言葉として経典にあるお話から広まったもの。
どんな話かというと。
人間に生まれるということは、100年に一度、海上に頭を出す亀がいて、その頭が大海に浮かぶ板に開いた穴にスポッと入ることより稀で、有り得ないことだっていう話。
ここから「有ることが難しい」=「有り難い」って言葉ができたというわけです。


普段、何にも考えないで「ある」ということが当然だと思って生きている。
それは家族であったり、友人だったり、食べ物だったり、生きていることだったり。
そんな意識することさえ忘れた、数限りない当たり前のなかで、私たちは生活をしているけど。
でもそれは、全然当たり前のことじゃなくって、その全てが、ただ有るだけでも難しいことばかりです。


人間に限らず、この世界に生を受けたものは、ただ有ることだけでも難しい存在。
それは生のないモノだって同じこと。
なぜなら、全てが想像するなんてできないほどの、無数のつながりによって、ようやく存在することができているから。
このつながりとはご縁のことです。
そのご縁の一つ一つも、当たり前にあるもんじゃない。
そのうちの一つでも欠けたら、それは存在しえなかったかもしれないし。
そして私も、いなかったかもしれないってくら大切なものです。
そんなつながりに、私は支えられて生かされてる。


「あって当然」のものなんて何一つない。


有り難いことを、有り難いと思わず、当然と思って生きてきた自分の姿を、目を反らさずに見ること。
有り難いことを、有り難いと、そのままを見ること。
こういうことが、私にとっては「目を見開くこと」って表現になったわけです。
当たり前のことが当たり前じゃないことに気づいたとき、感謝という思いが生まれるんだと思うから。
そして、そのことに一人一人に気づかせてくれるのが、仏教いう宗教の姿なんだと思うのです。


大事なことは、そういうことに、1人では気づけないということ。
仏法に出遇い、いろんな人と、いろんなことに出会い、そういうご縁に触れることで、見えなかったことや見ようとしなかったことが見えてくるんじゃないかな。


メリシャカ!に、そして皆さんに、出遇い難くして出遇えたご縁に感謝して…メリシャカ!!


…とかなんとか書いてはみたものの…こんなんでイイんですかね?
何はともあれ、今後ともヨロシクお願いしまーす。


2006年11月02日

二番目はキッスィです!

どもども!二番目の登場キッスィです。みなさんいかがお過ごしでしょうか?
自己紹介ですか・・・なんせ話下手なのでうまくできるかどうかわかりませんが、させていただきます!

山口県にあるお寺の長男として生まれるものの、大学はお寺とは全く関係のない静岡の大学へ。
大学3回生から4回生にかけて就職活動をし内定ゲットするも、卒業する直前に内定辞退し、メリシャカメンバーのるるさんも行った中央仏教学院に入学。
これまた卒業間際に社会で働きたいと思い、語学学校の受付事務として数年働く。
でも、お寺のことを思い出し、本願寺の中にある研修機関にてしばらく勉強したあと、もっと浄土真宗を勉強したいと思い、龍谷大学の大学院に入学。そして現在に至っています。
今現在は大学院、実家のお寺の手伝い、関西の知り合いのお寺のお手伝いをしながら京都に住んでいます。

趣味は…なんかお見合いみたいやなぁ…海外旅行、ダイビング、エレクトーン演奏
海外旅行は特に大好きで今までに27カ国訪問しました。海外旅行をしていて思うのは、それぞれの国の文化は宗教が深く影響しているということ。食文化は特に顕著で、インドでは神聖な動物である牛は食べないし、イスラム教の国では穢れた動物であるとされる豚(ハムや豚骨のスープも含め)は食べません。
日本人の自分から見ると、牛や豚を食べない代わりに羊や鶏肉のような他の肉類を食べていて、食べ物との付き合い方をうまくやっているなぁと感心しました。
ただ、当事国の人々にしたら心底その宗教の教えに従うことがなかったら、食べないということを実行することはないと思うのです。
それをしっかり守って生きている・・・それはその宗教が表面的に存在するのではなく、人々の心の中にまで行き届いているという姿の象徴なんでしょうね。

これを見た方々にぜひオススメする旅行先はカンボジアのアンコールワットです。旅行先であまり観光スポットに行くことはあまりない僕がここはよかった!!と言える場所です。
アンコール・ワットとはどんなところ!?
アンコール・ワットとは、カンボジアの言葉で「寺院の都」を意味し、クメール王国における宗教施設の集大成といえる大寺院。12世紀前半にスールヤヴァルマン2世により創建されたヒンズー教寺院で、ヒンズー教三大神の中のヴィシュヌ神が安置されていたが、その後仏教国になり、ヴィシュヌ神→仏像に置き換えられる。

その景色は圧巻です。今まで日本で生活してきた自分が小さく思えるそんな空間がそこにはありました。
そのアンコール・ワットの塔に登ることができるので、急な階段をよじ登っていくと、緑のカーペットの中にまたまたひろーい空間に点在する遺跡が見えます。

その見るものすべてが飲み込まれるくらいの景色。ふと下方に目をやるとその塔に伸びる道。
その一筋の道には両脇に地雷の犠牲になった方々が物乞いしてる。数ヶ月前に偶然みたNHKスペシャルを思い出す。
地雷の犠牲になった人は一つの地域に集められ、政府からの保護はほとんどない。
生活するためには物乞いするしかなく、そのためにバイクタクシーでアンコール・ワットへ毎日向かう。
そこで得たお金のほとんどはバイクタクシーの代金で消えてしまうが、収入としてな無いよりはましという現実。

そのNHKスペシャルで一人のおばちゃんがクローズアップされていた。そのおばちゃんもバイクタクシーで往復する生活。
そのおばちゃんが自分が行った時にもいるではないか!僕で役に立つのならばわずかながらお金を入れよう・・・。

でもちょっと待てよ。たまたまそのおばちゃんはTVで知っているけれど、その両脇にいる同じ状況の人はお金いれないでいいのか?

このことは僕にいろいろなことを投げかけてくれました。
ボランティアとは。
知ってる側面だけで判断する自分。
そして人間が生きるということ。

宗教って自分を見つめるということでもあると思うんです。それを海外旅行を通じて僕に教えてくれました。


ある方がこんなことを言ってました。
「本来、宗教は人の心の中に住むもので、怖いものでもなく、怪しいものでもなく、生きていく上で航海の羅針盤のような存在ではないかと思うんです。
このサイトの中に、皆さんにとっての羅針盤になるヒントが隠されているかもしれません。探してみてはいかがですか?

キッスィの自己紹介はこのくらいで。次回の登場は・・・お楽しみに。

あっ言い忘れてました。ダイビング好きな方いたら国内外問わず情報ください。待ってます!!

2006年10月31日

僭越ながら~先陣を仰せつかりまして。

リニューアルしました、メリシャカです!
とはいえ、私は何もやってなくって皆様本当にありがとうございまする。

メリシャカをご覧の皆様、こんにちは。
るるです。

改めて、自己紹介なぞを。
1978年佐賀県の小さな寺の長女として生を受けました。
フツウの学生時代を送りました。
自分がお寺の子だという認識はあまりなかったのですが、地域のお祭りに参加できなかった時、初めて“宗教の違い”を感じたことを覚えています。
得度をしたのは、大学卒業後、中央仏教学院という専門学校に通っていた頃の2001年9月です。研修中に9・11テロがあり、これは僧侶として人生を歩もうと決めた私にとって、強烈な印象を残しました。


さて。
僧侶としてという側面の一方で、私は福祉の仕事をしています。
ヨーロッパの福祉が教会から始まったように、日本の福祉は、仏教に端を発しています。
その志には、共通のものがあると思います。
福祉とは、生きることそのものが対象であり、「人生は苦」ということをより多く感じている人から先に、援助を行う。
“社会的弱者”なんていう言い方は少し違うのではないかなぁ、と思うわけです。


誰だって、思い通りにならない現実を抱えながら生きているわけで、それでも生きているって素晴らしい、自分の存在って有難いと思って生きていきたい、幸せに暮らしたい、とこう思っているわけです。
きっとね、これは人間の根源的な想いですよね。
それが何らかの原因で損なわれている時、この実現を手伝う、援助する。これが福祉だと思うのです。

では、お金があって、仕事もあって、住むところもあって、家族も居る。
それで、十分に幸せといえるのか?
きっと、それは違う、と言う方はたくさんいらっしゃるのではないですか?

思い通りにならない人生を、それでも豊かに生きるにはどうしたらいいのか。
時代は、この答えを求めているのではないでしょうか?
福祉は、それに様々なサービスという形で答えます。
しかし、どう生きたらいいか?という、根源的な問いには、答えられません。
これに、答えてきたのが宗教なのです。
お釈迦様がすでに指し示された教えがあります。
親鸞聖人が伝えてくださった教えがあります。


福祉の時代と言われます。
であるならば、それはとりもなおさず「宗教の時代」でもあると、私は思います。

いろんな人が福祉に興味を持って学ぼうとしている。
なら、仏教に興味を持って学ぶ人は増えるんじゃないかな?
そうだ、お寺って学びの場所であるはず。
学びは、楽しいもののはず。
楽しく学べて、つながりあえる、そんなお寺を作っていきたい。
そこにお寺があるから、いろんな人がいて、学びがあって、助け合いがあって。
そういうお寺になれたらいい。

メリシャカ!は、私のそんな思いを叶えてくれようとしています。
そういうメリシャカ!を今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!


先陣ということで、ちと張り切って書きました。笑。


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