2007年11月16日

家族の痕跡は日常の中に

家族とは集団生活の最小単位というふうに定義され、法的には家族法、相続法等様々な規定に縛られている。行政上、司法上のものだ。家族にもいろいろな形態が存在するが、日々において実感できうる家族は日常の中でしか存在しないと思う。

数ヶ月前、友人の母が亡くなられた。
友人が記憶にない位幼い頃に父が他界し、小学生の時母も病に倒れ、亡くなられるまでずっと入院して闘病生活を送られていた。
母の入院後友人とその姉は里親のもとで育ち、結婚し、子供にも恵まれ新たな家族を持った。友人にとって元々の家族というのはどんな存在だったのかは、時折断片を語るものの、それ以上聞くのは、はばかっていたのでわからない。

用があってメールを送ったところ、母亡きあと心体とも落ち着いたから、これから一人で昔家族で住んでたところを写真を撮り歩きに行くという返事が用件に添えられて来た。数十年前に両親とも存命で、父亡き後も元気だった母と姉と家族として住んでいた場所、つまり生まれてから家族という「日常」が存在していた地区に行き、その痕跡を探して写真を撮ってまわるのだ。
以前、里親の元に行くまで辛い時期を過ごした場所でもあると吐き捨てるように言った友人の顔が一瞬よみがえる。

後日そういえば…とその時の様子を聞いてみた。景色は時代が流れずいぶん様変わりしていたという。前述メールに、二人とも別れの時以降忙しくて涙を流す暇もなかったと、苦笑いマーク付きでよこした友人だったが、うっすらとした痕跡をおさめた写真を姉と見ながら、急に悲しくなって二人で泣いたのだと他人事のように笑って教えてくれた。

幸いにも私にとって一番身近な家族は生きている。そして家族が存在していた、或いは生きている痕跡は色濃く日常の至るところにある。友人は幼い頃に複雑な思いで住んでいた場所にそんな日常の痕跡を求めにいった。うっすらとした痕跡しか写っていないはずの写真を見て、何故友人と姉は急に悲しくなったのだろうか。
そんな事を考えながら私の日常の中にある色濃い家族の痕跡を撮ってみた ―

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2007年11月01日

マジック事件

テーマ「家族」からは少しそれてしまいますが、中学校時代の思い出を少し書かせてもらいます。


ぼくが通っていた中学校は、男子は坊主頭でした。
髪は自宅で母親に刈ってもらっていました。
ある時、いつものように、洗面所へ新聞紙を引き鏡に向かい、うしろから母親がはじめの一刈目を入れた直後、

「あぁ・・」

という声が聞こえ、手がピタリと止まりました。

「どうしたん?」

と聞いても返事がありません。手で触ってみると、

一部分髪がない!

バリカンには3ミリ、6ミリ、9ミリというふうに、切り替え式のキャップを付けて頭を刈ります。
そうです。母はキャップを付け忘れて頭を刈ってしまったのでした。左寄りの後頭部からつむじあたりまで肌がむき出しになっていて、後頭部のみ、逆モヒカンのような状態。

あまりのショックに、ぼくは泣きました。
母も泣きました。

少し落ち着いてから、どうしたら違和感なく学校に行けるかということをふたりで考えました。
一つ目の案は「包帯を巻く」でした。
頭をぶつけて仮我をしたということにして、包帯をグルグル巻きにすれば、後頭部の恥部を隠すことができます。ただ、それにはひとつ問題があって、目立ち過ぎるということでした。頭に包帯を巻いて学校へ行ったとして、みんなのリアクションを想像してみると、当時のぼくにとって耐えられるものではありませんでした。包帯案は却下です。

次に考えたのが、「マジック案」。
肌をむき出しになっている部分は白く、他は髪で真っ黒です。白い部分を黒く塗ればなんとかごまかせるのではないか。それが母とふたりで考えに考え抜いて出した案でした。
早速マジックを塗ってみると、これが予想以上に他と溶け込み、これならなんとかなるかもと、母とぼくは少し元気を取り戻しました。
とは言っても、ばれた時のことを考えると、やはり学校へは行きたくありません。そんなぼくの心を父は察していたのか、自転車通学のぼくのあとを車でついてきました。もう逃げ場はありません。マジックを信じて学校へ行くのみです。

学校の駐輪場へ自転車を止めて、いよいよ、勝負の時がきました。
ヘルメットを取った瞬間、

「あーー!」

と友達が声を上げました。
(え?そんなはずはない。入念にマジックを塗ったはずなのに・・)

「どうしたがよ?!頭ズルむけやにか!」

予想外のことが起こりました。
なんと、汗でマジックがとれてしまったのでした。
ショックです。とてもショックです。母とぼくの考えに考え抜いた名案はもろくも敗れ去りました。
でも、友達の笑い声がぼくを吹っ切らせてくれたのか、それほど苦痛はなくなりました。「頭ズル向けがなんだ!」という精神状態にまで、友達がもっていってくれたのかもしれません。

教室へ入っていくと、みんながぼくの頭を見にきました。他のクラスからもぼくの頭を見物しに何人もやってきます。そうこうしているうちに、吹っ切ったはずのぼくの心はどんどん弱まっていきます。ついには、先生まで介入してきて、「笑った人は謝りなさい」と言い、数人が微妙な表情でぼくに謝る姿をみて、ついに限界点に達しました。

なんとしてもここから逃げ出す。

お腹が痛いとか風邪気味という理由では、父にこっぴどく怒られてしまいます。
どうしたら家に帰れるか?
ぼくがとった行動は、正常な状態では考えられないことでした。

コンクリートに肘をぶつけて折る。

あまりにも痛々しい話ですが、人はアドレナリンを放出し過ぎると、なんでもやってしまうようです。泣きながら何度もコンクリートに肘をぶつけました。

保健室へ行き事情を話し、家に帰ってすぐに病院へ行きました。
看護婦さんに「頭はどうしたの?」と言われて、キャップを付け忘れて刈ってしまったことを言うと、ぼくに強く同情してくれて、「えらいね」と言われたことをよく覚えています。肘は骨折まではしていなくて、ヒビが入ったということでした。石膏をつけてもらい、帰宅したぼくは、キャップなしで完全に丸刈りにしてもらいました。初めからこうしていればよかったというのは後の祭り、とにかく、身も心もスッキリした状態になって、心新たに翌日から学校へ行ったのでした。


親子ふたりで泣いているシーン、
真剣にマジックを塗っているシーン、
それに満足しているふたり、
泣きながら肘をぶつけているシーン、
翌日、ツルツル頭に石膏をしているシーン
どれをとっても、尋常ではありませんが、この出来事を思い出すたびに家族で笑い転げています。

2007年10月24日

2200年家族で宇宙の旅

小学校の頃、授業で家族というものは最も身近な社会集団だと学んだ。
私の場合、家族は旅行のイメージしかない。幼少の頃から親と遊んだ記憶があまりないのか、まともな家族とのコミュニケーションといえば旅行だった。親が忙しいということもあったのだろうが、せいぜい年に一度あるかないかの一泊二日の旅行程度だったと思う。親からすれば義務的なものだったのかもしれないが、その点では家族は小さな社会集団なのだろうと思う。

よく映画の中や海外の著名人などが『ブラザー』とか『ファミリー』とかいう言葉を使うのを目にするが、『世界はみな兄弟』『ミナサンカゾクデズ』的なニュアンスがイマイチ理解できない。なんか嘘くさい。ただ心の狭い私には理解できないだけなのだろうが、思うに、国や歴史や文化や芸術といった違うものの境界線をはずすことではなくて、それそのままで認め合うことこそ求められるべきものなんだろう。だから『音楽に国境はない』という人間ほど嘘くさいものはない。ジャンルがあるからこそ認め合う世界があるのであって、別にそこに境界線を引かない訳ではないハズだ。

話はそれたが、テーマは家族だ(笑)。最近ふと思う。映画『2001年宇宙の旅』でいうならば、猿の集団が”知恵”を持ち始めるような時代からどれだけ人間は進化したのだろうか。2001年はもう過ぎてしまったが、2007年になっても人間は昔のままからそうたいして進化はしてないように思われる。子があれば親もあり偶然にも必然に家族がある。

そこには社会がある。単純だけど私にとっては大きな世界。

2200年頃には宇宙に行けるかなあ?

感謝の花束

外見が似てると言われたことはない。

けれど。
偏頭痛もちなところも、腰痛や肩こりがひどく、サロンパスが手離せないところも、貧血症のところも。

似なくてもいいじゃないかと思うところは、嫌になるほどソックリで…。
そういう意味で、遺伝子を疑うことはない。

私はその不調を、つい口にしてしまうけど。
私など、比べ物にならないくらいの不調を抱えながら。
本当の辛さを隠しては、大したことはないからと、小さな不調だけを口にしてカモフラージュしてやり過ごす。

だから、「大丈夫よ」と何でもないような顔に安心して。
その奥にある苦しみに、思いを傾けることができない自分の至らなさを、後になって悔やんでしまう。

痛みを抱え、絶望を抱え、心身のバランスが崩れかけた危うさを抱えながら、生きている人がいる。

普通に暮らしているように見える人が、全員健康とは限らないということを。
いつもいつも、その姿が教えてくれている。

思い通りにならない身体で、思い通りにならないなりに生きることを受け入れたその人の目に映る世界が、優しいものであったかは分からない。
それでも、その視界には失った健康の他にも大切なものが映っていて、その中に私も含まれていたらいいなと、思ったりもした。

たぶん私は、どんな娘でありたいかと問われたら。
その人に「生んでよかった」と、思ってもらえる娘でありたいと答えるだろう。

そんな、言葉に尽くし難い感謝の思いを、年に一度、花に託してしまえたらいいのだけれど。
カーネーションの嫌いなその人には、届きそうにもないようだから。
どうせ届かないなら、ここで言ってしまっても、いいだろう。

「お母さん、生きててくれて、ありがとう」

2007年10月20日

家族喧嘩

「家族」という言葉を聞くと、何かホッコリしますね。私が家族といって思い出すことはテレビドラマです。「うちの子に限って」「一つ屋根の下」など家族を舞台にしたドラマを思い出すと当時のシーンが蘇り、懐かしさがこみ上げてきます。

しかし、ホッコリするだけが家族ではありません。というのも先日、私事ですが、我が家で兄弟げんかが勃発しました。「この野郎」「アホ」という言葉が乱れ飛びます。お酒が入っていたため、さらに加速して誰も止められません。我が家は、祖母・父・母・姉・弟と私の6人住まい。姉33歳、弟28歳、そして真ん中に私30歳です。世間で言えば大人です。そんな30歳代の兄弟げんかを終えて思ったこと、それは「けんかもいいなぁ」ということです。

けんかが勃発するには、何かしらの原因があります。だいたいは自分の考えと違う「なんでやねん」という憤りから始まります。「あなたはそう考えるんだ」という相手への思いやりからけんかはあまり生まれません。けんかの原因にはその人の主義・主張が見え隠れします(いい悪いは別として)。

教育カウンセラーの富田富士也氏は、1960年代以降生まれの人は偏差値世代といいます。物事を合理的に判断する、自分にとって損か得かという損得勘定で生きる世代です。必然的に損になることにはなるべく避けて通ることになります。実際私も偏差値世代まっただ中、けんかほど無意味なことはないんです。なぜなら、けんかをして得をすることはないからです。

でも、今回けんかっていいなぁと思いました。人と人がぶつかり合うと、そこに見えない絆が生まれます。人間という字は、人と人の間と書くように、たくさんの人と出会うのが人生です。その一つ一つの出会いや別れ、時にはぶつかりあることもありますが、それが人間を成長させてくれるんだなぁと実感しました。でも、けんかはしない方がいいですね。

2007年10月04日

importance of important

もう何年前になるか、まだ私が大学にいる頃、とある哲学の講義を聴講してました。
その頃は別に、哲学や宗教に興味があったわけじゃないのですが、単位が取りやすいとの評判の授業だったので取ったのですが、ハイデガー哲学の講義で、わかりやすく、なかなか面白いもので、哲学や宗教に興味を持つ一つのきっかけになった授業でした。

で、その講義の中で「隠しの技法」という言葉が出てきたのですが、まあ内容としては、人間は、本当に大切な物は、無くしてから気づく、無くさないと気づかない、という言葉だったと記憶してます。
例えば、健康な時は健康の重要さ、ありがたさには気づず、健康を失った状態、つまり病気になった時に気づくし、命の真の大切さは、その命が失われかねない状態になって初めて気づく、ということです。
しかし、病になった後や、命の危機に陥って、健康や命の大切さに気づいても遅いから、大事な物の重要性にはなかなか気づけないことを前もって自覚しておいて、大事な物の重要性を見落とすな、と、そう言う内容だったかと思います。
これを聞いたとき、なるほど、と思いまして、今でも覚えているのですが、「家族」というものも、それに当てはまるんじゃないかな、と思います。

今私は、実家で、父と母、祖父と祖母と一緒に暮らしていて、弟二人は実家から離れて暮らしています。
で、親や祖父母と一緒に暮らしてると、四六時中一緒にいるもんだから、いることが当たり前になるし、何かにつけてあーだこーだ言われたりして、家族は大切であるはずなんですが、その大切さを、つい忘れちゃうんですよね。
当たり前に思いすぎて、家族と言う関係に甘えて、優しくできず、思いやりの心を持って接する事ができなくなっちゃう。
気に入らない事があると、ついつい辛く当たってしまったり。
るるさんが書いてることと重なるんですけど、家族だからと言って、何でも許されるわけじゃないんですよね。
一番身近にいる人だからこそ、当たり前などではない、かけがえの無い存在として、大切に、思いやりを持って接していきたいものです。
「親孝行したい時に親は無し」という言葉があるように、家族を無くしてからその大切さに気づいても遅いですから、ね。

とは言え、家族に優しくしたり、感謝の気持ちを伝えたりするのって、気恥ずかしくて、なかなかできないんですよね・・・
ですので、ちょっとこの場をお借りしまして・・・


父母へ。
グータラで、いつもワガママばかり言ってる至らぬ息子で、スイマセン。
ホントはもういいかげん、しっかりしないといけないんですが、心配ばかりかけてしまって。
これからはもう少し、お寺のことも考えていきたいので、いろいろとご指導、よろしくお願いします。
それと、いつもありがとう。


・・・
やっぱりちょっと恥ずかしいなあ(笑)

2007年09月29日

会ったことのない長兄。

うちの父親は10人兄弟の9番目として生まれた。

父親の親戚ではおもしろい現象が起こっていて、10番目の義理のお母さんは1番目と同い年だという。
昔は兄弟が多かったのでそういうことは珍しくないのかもしれない。

でも。

今では親子ほど年の離れた兄弟はあまり見かけなくなった。少子化の影響もあるだろう。


そして。

10兄弟のうち8人が今現在生きている。1人♀は3歳、もう1人♂は戦争中に軍事工場の空襲で亡くなっている。

父親は戦後生まれ。

ある時ふと思った。「父親は空襲で亡くなった実の兄のことを知らない。」
そう思ったらすごくさみしい気持ちになった。兄弟の顔を知らないなんて今の自分には考えられないからだ。

一度だけそのことを父親に聞いたことがある。小さく「うん」とうなずいて少し影のある表情をした。

それ以来、その顔も知らない僕からしたら「おじ」の話をしていない。

2007年09月26日

現在の私の家族

私の家族は妻と子1人という3人家族という構成ですが、現在は私独り単身で暮らしています。先日妻と大喧嘩して子どもを連れて実家に帰ってしまった…のではなくて、二人目の出産準備の為こどもを連れて里帰りしているためです。
この生活が始まったばかりの頃は、しばらくの間自由の身になれることにちょっとワクワクもしておりましたが、実際は家族のいる暮らしに一度慣れた身には、明かりの消えた家に独り帰るというのは寂しいものですね。
順調にいけば2ヶ月後に新しい家族を連れて帰ってきてくれる予定なので、それまでの辛抱です。

2007年09月21日

家族とは、他人の集まり、であるからこそ

家族って、私にとって非常にむずかしいテーマです。

人は、自分で選んだわけではない家族の中に生まれ育ち、多くの人が自分で選んだ家族を持ち、その後また家族の構成が変化していく。

しかし、所詮他人の集まり。
血がつながっているとかつながっていないとかに関わらず、絶対なる他人の集まり。
どこまでいっても、それは事実です。

だからこそ、そこで養わなければならないものがある。
社会性であり、礼儀であり、思いやりであり、感謝であり、我慢であり。
どんな家庭が正解かなんて分からないけれども、自分の居場所はそういったことを学びながら自分で作ろうとしなければなりません。

自分がしてやったことばかり、されたことばかり考え、主張していたのでは、家族のつながりはいびつになっていきます。
言わなくてもわかるだろう、とか、わかってくれて当然だ、何を言っても家族だから許される、というのは単なる甘えであろうと、最近は思うようになりました。

所詮他人であるのによくぞこうして私と家族になってくれたものだ、と思えばこそ、自分のいのちを育んでくれたかけがえのない家族であると、感謝の気持ちが芽生えるのではないでしょうか。

うちには、もうすぐ家族が増えます。
よく、私たちのところへ生まれてくれた、家族になってくれた。そういう思いを持って迎えてあげたいと、心の底から思う今日この頃なのです。

2007年09月07日

私の父

テーマは家族・・・
今回は私の父を通して・・・

父は言うなれば趣味人間です。趣味はバレー、剣道、時代劇、様々ありますが、その楽しんでいる時間を邪魔されるのが嫌いなようです。
普通だと言えばそうなりますが、多少度が過ぎたところがあります。
例えば、時代劇の途中でチャンネルを変えてみたりすると豹変ぶりが・・・絵に描いたようです。
よく、悪戯をして怒らせていました。
当然、仕事に於いてもそのこだわりを発揮する所を垣間見たりすることもあるのですが・・・

そんな父との思い出を・・・

私、中学三年の終わりの大事な時期に大失態をしでかしました。

どのようなことかと言いますと
悪友達と昼間に公園で遊んでいました。
すると、その中の一人が「いいちこ」の一升瓶を携えてきたんです。

その時、男を見せるためにどれだけ呑めるか競ったと・・・

案の定、私は泥酔状態で道路と田んぼの間にある溝に頭から落ちてしまいました。

綺麗に体が逆さまに入っていました。さぞカッコ悪い状態だったと思います。

そして、急性アルコール中毒でありましたので救急車のお世話になり、点滴を受けて父の背中に負ぶさられて家路へ・・・

翌朝、眼が覚めると昼でした。

母は涙目で私を見て、父は笑顔で私を気遣ってくれました。

・・・流石にあれだけのことをしたら怒るよりも呆れたのかも・・・

この時私は両親から厳しく叱られるのを覚悟していました。未成年の飲酒です。

ですが、両親の言葉は
母は
「早く学校に行って、先生に昨日の事を謝ってきなさい」
父は
「大丈夫なのか?体を休めなさい」

その父の優しさに戸惑いつつ、すぐさま学校に行きました。母が恐いってこともありますがw

この思い出が私の中で引っかかっていた時期があります。
「なんであの時、叱らなかったのかな」
ということです。特に父がです。余程のことがあれば父の拳が飛ぶのが毎度のことだったからです。
叱られないって妙に恐いんですよね。

日が流れて、私は大学へと進学しました。途中、アパートの更新が切れて別のアパートへ移りました。
その時父に引っ越しを手伝って貰いました。
その最中での父との会話の中でのことです。
私は父に「成績が良くなく、要領も良くなくて色々迷惑かけて申し訳ない」と言いました。
遠方から遥々、息子のために嫌味の一つも言わずに来てくれた父にポロっともれた言葉でした。
普段はその欠片すら思ってない私なのに・・・
父は
「家族皆が無事で、元気で、笑顔、それがワシにとって一番嬉しいことなんだ。何か困ったことがあればすぐ跳んで行くよ」
この時私は・・・正直に言えば、(カッコつけやがって)と真摯に受け止めてはいませんでした。
どちらかというとその言葉に当たり前さを覚え、
「何か、あったらまた頼むわ!」(私)

失礼千万な私なのです。。。親の気持ちを踏みにじって生きてきたって気がします。

ですが、こう振り返って見ると(あぁ~、愛されているな私)って思ってしまいます。

よく、父に勝ちたい、父に勝ちたいと常日頃思ってたりするんです。
ですが、他では勝ったと思う点は沢山ありますけど、父の家族への思いには勝てません。

「親の心、子知らず」という言葉がありますが、今もその父の思いを量ることは息子の私には大き過ぎて量れません。
知ろうとしても経験から理解出来ないことがあるし、存命ですから、衝突もあるし・・・努力は今後もします。

いつになるのか分からないですが、親の立場になったら、父のようでありたいとこの頃、妙に思うんです。

2007年08月30日

わたしのかあちゃん、ばかかあちゃん

リレーコラム、今回のテーマはガツンと正統派「家族」でいきます。
メンバーそれぞれの「家族」に対する様々な想いを聞いてみたいからです。

僕がテーマに「家族」を選んだもう一つの理由は、最近出逢った詩に大変感銘を受けたからです。
その詩を紹介して、コラムとさせていただきます。

わたしのかあちゃん、ばかかあちゃん

 私のかあちゃんは、本当にばかです。いつも失敗ばかりしています。炊事と洗濯を一緒にするから、

煮物の途中でシャツを干そうとしていて、煮物がふきこぼれ、火を止めて走ろうとすると、さおに通しかけたシャツは地面に放りだされます。シャツは泥だらけ。

 そして、煮物の鍋はひっくり返って台無しです。「こんな私で悪かった。 ごめんね、とうちゃん、勘弁な」すると父ちゃんは「ばかだなー」と言って笑います。そういう父ちゃんもバカ父ちゃんです。

 いつかの日曜日、みんなが朝ごはんを食べていると、奥からあわててズボンと洋服を着ながら、カバンを抱えて茶の間を通り抜けていきました。

「ああ、もうだめだ。こりゃ、いかん」とか言って、玄関から飛び出していってしましました。「まただね、しばらくしたら帰ってくるからね」とかあちゃんは落ち着いたもんです。

 すると案の定、父ちゃんは帰ってきて、恥ずかしそうに、「また無駄な努力をしてしまった。日曜日だというのに、ハハハハ・・・」と言い訳を言っています。

 そんなバカ父ちゃんとバカ母ちゃんの間に生まれた私が、利口なはずがありません。ついでに弟もバカです。私のところは、家じゅう皆バカです。

 でも私はそんなバカ母ちゃんが大好きです。世界中の誰よりも一番好きです。私が大きくなったら、うちのバカ母ちゃんのような大人になって、うちのバカ父ちゃんのような男の人と結婚して、子供を生みます。

 そして私のようなバカ姉ちゃんと、弟のようなバカ弟をさずかって、家中バカ一家で、今の私の家のように明るくして、楽しい家族にしたいと思います。

 バカ母ちゃん、そのときまで元気でいてください。

僕はまだ独身ですが、詩の中のバカ姉ちゃんの想いを聞くと結婚したいなと思えてきます。
今まで自分が抱いていた家族に対する理想像がボロボロと崩れ落ちました。
この詩を読んで、家族だからこそ、分かり合えず苦しみ、悩み、ぶつかることの多かった繋がりについて深く考えさせられました。知らないうちに涙が出ていました。
何度読んでも、いつもなぜかぐっときます。


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