2008年06月25日

勝手に仏像紹介 その3

ども、ケンユウです。今回も、勝手に仏像紹介させていただいちゃいます。

今回ご紹介させていただく仏像は、京都市左京区黒谷にあります金戒光明寺の、「五劫思惟阿弥陀如来」です。
金戒光明寺は、浄土宗の開祖、法然上人が初めて草庵を結ばれたことを由来とした、由緒あるお寺で、御本尊は「阿弥陀如来坐像」です。さらに、遣唐使・吉備真備が彫ったとされる、「吉備観音」と呼ばれる重文指定された千手観音像や、運慶作と伝えられている、獅子に乗られた「文殊菩薩像」もご安置してあり、仏像好きにとっては、たまらないお寺であります。

しかし、そんな堂々たる仏さまがおられるこの金戒光明寺で、私がそれ以上にそそられたのが、そう、この「五劫思惟阿弥陀如来」なのです。

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ただ、この「五劫思惟阿弥陀如来」、他の仏像とは違い、お堂の中にはご安置されておりません。ではどこにあるのか、と申しますと、境内の脇にあります、墓地、その階段脇に、墓石に混ざって、ひっそりとおられるんです。
石像なだけに、下手をすると、墓石にまぎれて、気付かないんじゃないかと思うほど。

しかし、そのお姿には、実にインパクトがあります。
写真が当にそのお姿なのですが、阿弥陀様のヘアースタイルがえらいことに!そう、アフロになっているんです!
なんで髪型がこんなドえらいことになっているのか、ということなのですが、
阿弥陀様がまだ仏となられる前、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)というお名前であったころ、仏となることを志され、どんな仏になりたいか、ということを考えられました。
そして、すべての衆生を救いたい!と思われ、そのためにはどうしたらよいを考え続けられて、その時間が五劫(※)という、とんでもない長い時間で、その間、一度も剃髪せずに坐禅し、思惟され続けたため、このような髪形になったと言われております。
パっと見た感じ、実にユーモラスなお姿なのですが、
この伸び放題の髪の毛に、それだけの長い長い時間、私たちのためにご苦労されたのだ、というメッセージが込められているんですね。

そして、この「五劫思惟阿弥陀如来」ですが、モデルとなった仏像が実はありまして、それは奈良の大仏で有名な東大寺の勧進所と、東大寺近くの五劫院というお寺におられるそうです。私はまだこちらの方はお目にかかったことがないので、機会あれば是非お参りしたいところなのですが、奈良のこの二体の阿弥陀様、勧進所の方は秘仏、五劫院は事前の申し込みが必要と、少々敷居が高くなっておりますので、もう少し気軽に「五劫思惟阿弥陀如来」に会いたいな、と思われる方には、金戒光明寺をお勧めしますよ。


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2008年05月11日

勝手に仏像紹介 その2

ども、ケンユウです。今月も勝手に仏像紹介やっちゃいましょう。
前回は、京都の石峰寺の「五百羅漢」を紹介しましたが、初っ端にしては、ちょっと変則的な仏像でしたね。ですので、今回はストレートに行きたいと思います。

で、今回紹介させていただくのは、同じく京都は東山、九条よりも少し北にあります、即成院(そくじょういん)というお寺にあります、阿弥陀(あみだ)如来座像と、二十五菩薩(ぼさつ)像の紹介です。
このお寺は、那須与一のゆかりのお寺としても知られているのですが、それ以上に、仏像が素晴らしいのです。

御本尊は、阿弥陀如来(あみだにょらい)という仏様が座禅を組まれたお姿の木造の仏像で、その両脇に、観音(かんのん)菩薩と勢至(せいし)菩薩をはじめとした何と25体もの菩薩さん達の仏像(※)が、一堂に会しておられます。
メインは中央におられる阿弥陀様の仏像で、凛とした佇まいが素晴らしいのですが、ここではやはり、その25体の菩薩さんたちの姿に目が行ってしまいます。
なんせ、25体の菩薩さん達の仏像がそろっているのは、日本でこのお寺だけらしいですし、25体もの仏像が、まるでクラスの卒業写真を撮るときのように整列した様は、圧倒的です。いや、菩薩さんたちは、それぞれに楽器を持っていたり、歌を唄っているかのような姿をされておるので、極楽オーケストラ、と言ったほうがいいかもしれません。
今にも極楽浄土の妙なる音楽が聞こえてきそうな、そんな雰囲気です。

また、御本尊の阿弥陀如来の脇におられる、観音・勢至の両菩薩だけは、正座をして合掌されているお姿なのですが、これもまた珍しい姿ではないかな、と思います。

しかも、この即成院の素晴らしい点は、その阿弥陀様と二十五菩薩の、目の前まで行って、30cmの距離で仏像を拝見できる、という点です。
多くのお寺では、なかなか仏様の近くまで行ってお姿を拝見することはできず、遠くから見て、「ああ、もっと近くで見たいなあ」と思ったり、単眼鏡なんかを使って見たりするのですが、そんなやきもきする必要はありません。
間近で仏様たちに対するのと、遠くからお姿を拝見させていただくのとでは、感動も違いますしね。
ぜひ一度、間近で仏像をご覧になってみてください。虜になること、間違いなしです。
残念ながら写真はないのですが、即成院のサイトには写真もありますので、そちらもチェックしてみてくださいね。

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2008年01月13日

photo is a pleasure

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ども、ケンユウです。今年もメリシャカ。
さて、今回のテーマは「写真」との事。
もうご存知の方もおられるかもしれないですけど、私は写真撮るの結構好きで、去年はついに念願のデジタル一眼レフカメラも買ってしまいました。
まだそんなに写真撮れていないのが残念なんですけど、今年はそのカメラを持って、いろんな写真を撮ってみたいな、と思っております。

とは言え、写真が楽しくなったのはここ2年ぐらいの事で、カメラを持つようになったのも、ここ4年ぐらいでしょうか。
ちょうどデジカメが安くなりだした頃、1台目を買ったんですけど、その頃はまだそれほどデジカメで写真を撮る事は少なく、ちょっとした思い出を残すために写真を撮るような感じでした。
それが、だんだんいろんな写真を撮るのが楽しいな、と感じてきたのは、インドやイギリスを旅行したのが大きいかもしれません。普段見ている日本の風景とは全く違う景色を見て、感動したり、面白いなと思ったり、それが一つのきっかけだったように思います。
その後日本にも、実は面白いもの、感動する風景があるじゃないか、とカメラでよく写真を撮るようになっていきました。
そして、カメラを持っていると、それまで気にも留めなかったような物に目が行ったり、見え方が変わったり、不思議と敏感になれる気がします。
カメラを持つ事で、いろんな出遇いがある。それが、楽しみの一つなのかもしれません。
しかし、メリシャカには写真の好きな方がたくさんおられて、皆さんいい写真を撮られるんですよ。それを見てると、ああ、いい目をしているなあ、といつも感心しきりです。
が、それもまた面白いんですよね。他の人の撮った写真を通して、いろんな景色を見たり、その人の視点を味わう事ができて。
最近は、私もしてますけど、ネットで撮った写真を公開できたりしますから、いろんな人の撮る写真を簡単に見れるようになってます。それも、写真を撮るためのいい刺激になっているような気がします。

と、だんだん話がまとまらなくなってきましたけど、これからも、楽しく写真を撮っていきたいものです。

2007年10月04日

importance of important

もう何年前になるか、まだ私が大学にいる頃、とある哲学の講義を聴講してました。
その頃は別に、哲学や宗教に興味があったわけじゃないのですが、単位が取りやすいとの評判の授業だったので取ったのですが、ハイデガー哲学の講義で、わかりやすく、なかなか面白いもので、哲学や宗教に興味を持つ一つのきっかけになった授業でした。

で、その講義の中で「隠しの技法」という言葉が出てきたのですが、まあ内容としては、人間は、本当に大切な物は、無くしてから気づく、無くさないと気づかない、という言葉だったと記憶してます。
例えば、健康な時は健康の重要さ、ありがたさには気づず、健康を失った状態、つまり病気になった時に気づくし、命の真の大切さは、その命が失われかねない状態になって初めて気づく、ということです。
しかし、病になった後や、命の危機に陥って、健康や命の大切さに気づいても遅いから、大事な物の重要性にはなかなか気づけないことを前もって自覚しておいて、大事な物の重要性を見落とすな、と、そう言う内容だったかと思います。
これを聞いたとき、なるほど、と思いまして、今でも覚えているのですが、「家族」というものも、それに当てはまるんじゃないかな、と思います。

今私は、実家で、父と母、祖父と祖母と一緒に暮らしていて、弟二人は実家から離れて暮らしています。
で、親や祖父母と一緒に暮らしてると、四六時中一緒にいるもんだから、いることが当たり前になるし、何かにつけてあーだこーだ言われたりして、家族は大切であるはずなんですが、その大切さを、つい忘れちゃうんですよね。
当たり前に思いすぎて、家族と言う関係に甘えて、優しくできず、思いやりの心を持って接する事ができなくなっちゃう。
気に入らない事があると、ついつい辛く当たってしまったり。
るるさんが書いてることと重なるんですけど、家族だからと言って、何でも許されるわけじゃないんですよね。
一番身近にいる人だからこそ、当たり前などではない、かけがえの無い存在として、大切に、思いやりを持って接していきたいものです。
「親孝行したい時に親は無し」という言葉があるように、家族を無くしてからその大切さに気づいても遅いですから、ね。

とは言え、家族に優しくしたり、感謝の気持ちを伝えたりするのって、気恥ずかしくて、なかなかできないんですよね・・・
ですので、ちょっとこの場をお借りしまして・・・


父母へ。
グータラで、いつもワガママばかり言ってる至らぬ息子で、スイマセン。
ホントはもういいかげん、しっかりしないといけないんですが、心配ばかりかけてしまって。
これからはもう少し、お寺のことも考えていきたいので、いろいろとご指導、よろしくお願いします。
それと、いつもありがとう。


・・・
やっぱりちょっと恥ずかしいなあ(笑)

2007年07月12日

傷つけた痛み

「痛い」といえば、骨折したことも痛かったし、自転車に乗っていて車に軽くはねられた事もありますし、親知らずも痛かったですねぇ・・・。
肉体的な痛みではない「痛い」だと、運転中、不注意で前の車にぶつかってしまった事や、ついこの間、高速道路で、追い越し車線をずーっと走っていたら、それが違反で、覆面パトカーに捕まった事、などでしょうか。
あとは、失恋というものも精神的にかなり「痛い」経験ですね。

でも、自分がいろんな怪我や失敗や失恋した事以上に「痛かった」事は、自分の言葉や行いによって、好きな人の心を深く傷つけてしまった事、そしてその事に気付けなかったこと、傷つけたことに気付いても、その人の気持ちをしっかり受け止められなかったこと、かもしれません。
自分としては、その時、相手のことをちゃんと愛していた、と思いますし、大事にしていたつもりでした。ですから、もちろん傷つける気なんてサラサラ無かったですし、傷つけている、と知っても、自分では大事にしているつもりでいたので、それを信じたくなかったし、相手の気持ちを理解することはできませんでした。

しかし、そう言う自分の想いは結局独りよがりな「つもり」でしかなく、相手の受け取り方や、感じ方、考え方というのに大きなギャップがあって、相手からすれば、私が大事に想っている「つもり」でいても、それが感じられなかったのでしょうし、私には傷つける「つもり」はなかったとしても、たくさん傷ついていたのです。
なのに、その自分と相手の違いを認めることなく、自分は大事に想っているのだから、と自分の想いばかり押し付け、相手の気持ちというものを理解しようとしなかった。これもまた、相手を傷つける事になったのだと思います。
もちろん、人と人は違うものだし、相手の気持ち、感じているものを100%理解する、ということは、不可能かもしれません。でも、違うからと言って、相手の気持ちに寄り添っていくことが出来ずに、相手を傷つけ続けたことは、今でも悔やまれるし、考えると、心が痛みます。

私は、別れた後になって、好きな相手のことを傷つける、ということの「痛さ」というものに気付いたわけですが、本当は、その「痛み」に、一緒にいる時に気付くべきだったし、それ以上に、自分のしたことで相手が傷ついているということ、そして相手の気持ちというものをよく考え、受け止めていかねばならなかったのだと思います。

自分のしたことを正当化するつもりではありませんが、どれだけ好きな相手であっても、恋愛をして一緒にいる中で、傷つけてしまう事って、きっとあると思います。
もちろん、一番大切なのは、そうならないように相手に思い遣りを持って接することなんですけど、どれだけ好きで、思い遣っているつもりでも、感覚に違いがある以上、気持ちのすれ違いや、思慮が足りずに、傷つき、傷つけられる事もあるでしょう。
だからこそ、自分の想いばかりに目をやって、自分を正当化するのではなくて、相手の気持ちをしっかり考え、受け止めようとする事が、相手の痛みを知るためにも、負わせてしまった傷を癒すためにも、大切になってくるのでしょうね。


まあ、私が今感じる痛みなんかよりも、その時の相手はもっと傷ついて、心の痛い思いをしていたでしょうから、本当はこんな事言えた義理ではないのでしょうし、今更こんなことを言っても、相手が傷ついた事を帳消しに出来るわけではありません。
こうして後悔している事すらも、もしかしたら、単なる自己満足や自己愛から来る、独りよがりなものに過ぎないのかもしれないですけど、ね。。。

2007年05月10日

珍味

今回のコラムは、「おいしい話」と言う事ですが、
物を食べる事、味わう事、ということについては一度「シャカ斬り」の方で、「Gourmet」というコラムを書かせていただきました。
そこで書いた事を掻い摘まみますと、「おいしい」と感じる感覚は、純粋に味覚だけで味を判断しているのではなく、食材や調理法などの情報、そして人それぞれの経験を踏まえて、頭で判断していることもあり、実に曖昧で、怪しい感覚であって、にもかかわらず、下手に知識ばっかりを増やしてグルメを気取ると、おいしい食事であっても、なにかと難癖をつけたくなったりと、純粋に食べる事の喜びを味わえなくなってしまう。それよりも、食べると言うことは、命をいただくことであるのだから、食べる事自体に感謝しつつ、変に知識などに振り回されずに、素直においしいと喜べることが大切だ、と言うような事を書きました。

が、まあ、今回はそのことはさておき、折角の機会ですので、私がおいしいと思うものについて書きましょう。
私は北陸は石川県に住んでおりまして、北陸と言えば、魚介類がおいしいことで有名かと思います。確かに、地物のお魚は、季節によって様々にあり、新鮮でおいしいです。
冬になればカニやブリ、夏になればサザエやウニも採れますし、この時期は、ワカメなんかもおいしい時期です。
新鮮ですから、お刺身はもちろん、焼いても煮ても、おいしいものばかりです。

が、私が個人的に好きなのは、そんな魚介類の中でも、「珍味」と呼ばれる系統の食べ物。例えば、ナマコの卵巣を加工した「クチコ」、ナマコの内蔵を使った塩辛「コノワタ」、イカなどの塩辛、鯖をぬか漬した保存食「ヘシコ」などは、どれもなんとも言えずおいしいものだと思います。
その中でも、特に私が好きなのは、「イカの黒作り」と「ヘシコ」。「イカの黒作り」は、イカ墨を使った塩辛で、見た目は真っ黒で少々グロく、ちょっと生臭味があるけど、ゆずの皮が入っているものは、絶品!日本酒にも、焼酎にも、もちろんご飯にも合いますですよ。
そして「ヘシコ」は、薄く切ってそのままでお酒のアテになるし、炙ってお茶漬けにするのもまた最高に美味です。個人的には「ヘシコ」、賞味期限切れたほうが、熟成されるのか、旨味が増していて好きです。
ああ、想像しただけで、涎が・・・

まあしかし、おいしいと感じる感覚は人それぞれですし、上に挙げたのは、あくまで私がおいしいと感じるもの。
魚介類がダメな人もおられるでしょうし、珍味系の食べ物は、好き嫌いが分かれるところでしょう。
ですから無理に食べろ、おいしいと言え、とは申しません。
でもでも、今までこれらの食べ物が嫌いだった人も、なんとなくイメージで食わず嫌いだった人も、騙されたと思って、一口食べてみてください。
味覚って結構変わりますし、食べてみて、不味いと思えばもう食べなければいいですし、おいしいと感じれば、それは一つ、大きな喜びの発見ですしね。
ですから嫌いと思っていたものでも、今一度食べてみる価値はあると思います。

知識や経験、見た目や好き嫌いという「とわられ」や先入観から離れる事。おいしく物をいただくための秘訣は、そこにこそあるのかも、しれません。

2007年03月31日

マタ

ども、ケンユウです。
今回は、「ちょっといい話」というコラムのようですが、いざ、考えてみると、ありそうなようでなかなかないものですねえ。

で、一つ思い出したのが、ウチで昔飼っていた、猫の事です。
まだ私が小学生くらいの時に、ウチで「マタ」という猫を飼っていました。
その猫は、もともと野良で、ウチのじいちゃんがお参りに行っている途中で、えらくなついて擦り寄って来たらしく、ウチに連れ帰ってきました。
ところがその当時、既にウチでは1匹猫を買っていましたので、その猫と仲良くできるかとか、2匹飼えるかどうかを、家族で話し合い、結局飼えないかもしれない、ということになって、かわいそうでしたが、その猫を、もといた場所に連れて行くことになりました。
ところが明くる朝、なんと、その猫が、ウチまで戻ってきてるんです。
じいちゃんは、車でお参りに行っていて、ウチから3kmほど離れたところからその猫を連れてきて、またそこまで車で一度戻しに行ったのに、一晩かけて、3kmの道を歩いてウチまでやって来たんです。
それにはさすがに家族一同驚いて、一度は捨ててしまったけれど、自分の力でお寺まで戻ってきた、これはお寺に縁のある猫だ、ということで飼う事にしました。
「マタ」という名前は、その一度捨てたにも関わらず、また戻ってきた猫だから、というのが由来です。

で、幸い、ウチで元々飼っていた猫はメスで、マタはオスで、意外と仲良くなりましたし、
マタは愛想が良いと言うか、人懐こい猫でしたので、最初は飼えるかどうか、と心配しましたが、すぐにウチにもなじみ、みんなに可愛がられました。
でも、元は野良猫でしたので、外に遊びに行くのが好きで、夜になっては外でケンカして、朝になると怪我をして帰ってくるような事もよくありました。

そしてそれが悪かったようで、いつしか他の猫から病気をもらい、かさぶたが沢山できるような病気にかかってしまいました。
まあもともと、若い猫ではなかったのもあるのかな、とは思いますが、家に来て3年程たったころ、病気もあってだんだん体が痩せて、弱々しくなっていきました。

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2007年02月16日

繋がることの不思議

ども、ケンユウです。

えーっと、今回のテーマは「友達」ということで、皆さん書かれてますが、このテーマで回りだして、「友達」ってなんだ?ってことを初めて考えてみたかもしれません。
それくらい、友達と言うのが、当たり前の存在と言うか、周りにいて当然のように思っていたのだと思います。
でも、よくよく考えてみると、大学の時の友達は、主に関西より西にいる人が多いし、お坊さんの友達は、それこそ全国に散らばっていて、今実際に気軽に会ったり、くだらない話や、腹を割って話ができる友達、というのは、結局自分の住んでいるところの友達だけ、なんですよね。
そう思うと、いて当たり前の友達のはずなのに、なかなか会えないでいる、というのは、ちょっと寂しい事です。
でも、普段なかなか会えなくても、会えば話が弾むし、久しぶりに会って懐かしいはずなのに、なぜかそれを感じなかったりと、友達と言うのは、離れていても、どこか繋がる部分のある人たちなのかもしれません。

それと、最近よく思うのが、人と繋がりを持てる、出遇うことの不思議さ、でしょうか。
実はこのメリシャカに集っているメンバーは、当初私は全く知り合いがいなくて、たまたま『彼岸寺』というサイトで駄文を書いているところから、としさんと出遇い、そこから輪が一気に広まったように思います。
それまでは、年齢も住む場所も違って、全く関係、繋がりの無かった人たちですので、出遇うことなどなかったかもしれない人たちのはずなのに、今こうして出遇い、いろんなことを語り、メリシャカという1つの事を共有できているというのは、本当に不思議な事だし、有り難いことだな、と感じます。
まあ、最近は特に、SNSなど、ネット上のコミュニティを介して、出遇うはずも無かった人と繋がりを持ちやすくなった時代、なのかもしれません。
それでも、必ずしもそこで「友達」と呼べる人と出遇うことができるとは限らないわけですから、やはり「友達」と呼べる人と繋がり合えるというのは、当たり前の事などではなくて、ものすごく不思議な事、喜ぶべきことだな、と感じます。
いろんな「友達」との出遇いがあって、今の自分がいるわけでもありますしね。

遠く離れてしまって、なかなか会えない友達もたくさんいますが、いろんな友達に出遇えた、と言う不思議さに感謝しつつ、その繋がりを大切にする意味でも、今年はできるだけ多くの友達に会いに行けたらいいなあ、なんて思ってます。
もちろん、新しい出遇いもね。
その時は皆様、よろしく、です。

2006年12月16日

しましまにしまっしま

ども、ケンユウです。
なんかぁ、今回は方言でコラムを書いてみまっしま、って言われたしぃ、ちょっと書いてみようと思うんやけどぉ、石川の方言って、実はあんまりよくわかってないげんて。
んなダラ(※註1)な事あるかいやっ、て思うかもしれんげんけどぉ、なんか、広島とか京都とか、方言の強いところに住んどった事もあったさけぇ、ちょっとわすれてしもたんやって。
けどぉ、よく思うのがぁ、これは福井に近い加賀の方だけなんかもしれんのやけどぉ、ちょっと言葉の終わりが揺れるような気がすんげん。
ほしてぇ、命令形とぉ、疑問系の語尾にもちょっと特徴があると思うんや。
疑問系は、語尾に「け」をつける事が多くて、「今何してるの?」は「今なんしとん(が)け?」とか、「これは安いんですか?」なら、「これ安いんけ?」となる感じかなあ。
命令形は、最後に「ま」をつける事が多くてぇ、「書け」なら「書けま」とか、「行け」なら「行けま」とか。ほんで、たぶん他の県の人が聞いたらビックリすると思うのが、「しねま」って言葉じゃないかなあ、と思うわ。
よくお母さんが子どもに向かって、「はよしねま」とか言うんやけどぉ、これ別に「早く死ね」って言うとんじゃなくて、「早くしなさい」って意味なんやわ。ちょっとまぎらわしいさけ、加賀のほうに来た時に「はよしねま」とか言われても、ビックリせんといてや。
あとよく使われるのが、「○○したら?」って言うのを、「○○しまっし」って言うんやけど、
それ使ったちょっと面白い言葉があって、「しましまにしまっしま」っていうのがあるんやわ。まああんまり使う事無い言葉やけど、「縞々にしたらいいんじゃない」くらいの意味になるんかな。

方言についてはこのくらいにしてぇ、石川県についてちょっと書くわ。
石川って言うとぉ、すぐ思いつくのが金沢やと思うんや。兼六園もあるしぃ、最近21世紀美術館って言う理屈な(※註2)形した美術館もできたさけ、全国的にも有名やし。
でも他にもいいとこもあって、能登のほうも海も山もキレイやし、加賀のほうには温泉もいくつかあるし、いっぺん金沢以外のところにも来てみねいね。

特にウチの町は、山中温泉って言うて、加賀のほうにある温泉町なんやけど、自然豊かで、山がきれいやし、特に秋の紅葉とか、深緑の頃、鶴仙渓って言う川沿いの遊歩道とか、てんぽに(※註3)きれいになるさけ、いっぺん来てみて、温泉浸かってゆっくりしていきねーね。

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※註
1:「アホ、馬鹿」の意。
2:「物事や仕組みがうまく出来ている」の意。
3:「すごく、とても、超」などの意。
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ふう、使い慣れん方言を文章にするのは難しいなあ。間違っていたら、石川の皆さんごめんなさい。
最後に我が町情報を。


●県名: 石川
●市町名:加賀市山中温泉
●人口:石川県 1,172,404人(11月現在)
   加賀市 75,912人(10月現在)
●有名どころ・キーワード
 日本酒・海産物・米・山中塗・九谷焼・輪島塗・兼六園・21世紀美術館・西田幾多郎記 念哲学館など
 温泉(山中温泉・山代温泉・片山津温泉・粟津温泉など)

山中温泉に限って言えば、
温泉と、山中塗、古九谷焼、日本酒(獅子の里)、娘娘饅頭(にゃあにゃあまんじゅう)などが有名です。
だいぶ前の昼ドラ「はるちゃん」の舞台となった旅館、「翠明」もあります。
山中温泉のHPはコチラ↓
http://www.yamanaka-spa.or.jp/index3.html

2006年11月19日

長文注意!

ども。
いつもあーでもないこーでもないと、ダラダラ長文書いていることでおなじみの、ケンユウです。
とりあえず、そんなたいした人間ではありませぬが、ちょっと自己紹介をば。
私ケンユウは、石川のとあるお寺の長男として生まれましたが、
若い頃は、「仏教なんて抹香臭いことやってられるかー!」
と、仏教とは全然関係の無い大学へ行き、ところがそこで哲学にちょっと触れたことで、あれ?仏教って、実はスゴクね?と言う事に気づき、その後2年とちょっと、京都で仏教のさわりを学び、なんだかんだで実家の寺に帰り、僧侶としての生活を始めてもう2年が経ち、いつの間にやら27歳になりました。
ただ今激しく結婚相手を募集中です。

そんなことはさておき、
今現在は、自坊での法務を手伝うかたわら、京都時代に「彼岸寺」という仏教サイトを運営するまつけい氏に出遇ったことをきっかけに、そのサイトであれこれ書かせてもらうようになったのですが、
その中で、このメリシャカのメンバーにも出遇い、こうしてここでもあれこれと書かせていただくことになったわけです。
いやあ、ホント縁とか、人の繋がりというものは、不思議なものだな、と思います。

で、最近、このメリシャカのメンバーと、ちょっと話をする機会がありまして、はて、どうして自分はあれやこれやと偉そうに文章を書くようになったのか?ということを考え直してみたのですが、
一つは、あ、自分は仏教が好きなんだな、ということ、
そしてもう一つは、仏教という素晴らしい教えを、より多くの人に、知ってもらいたいな、という想いがあったことを思い出しました。

仏教は、人が生きるための教えです。
ただ、私達が普通に生活する中では、大切な事だけど、なかなか気づかない事、見えない事があります。
仏教は、それを私たちに教え、気づかせてくれる、そういう一面があるものだと思います。
そんな仏教的な物の見方、考え方というものを、あれこれと書く中で、皆さんにもちょっとずつ触れてもらい、「ん、仏教って、意外といいもんだね!」と思っていただけるようなればありがたいな、と思います。

このメリシャカのメンバーは、本当にいろんなタイプの人たちが集まっています。
みんなそれぞれに個性を持ってますが、きっとみんな仏教の輪を、楽しさをもっと広げていきたい、という想いは共通してるんだろうな、と思います。
そんな素晴らしいメンバーに、私も負けないよう、私にできることをやっていきたいものです。
ま、理屈っぽくなったり、現実味の無い、理想論を振り回すような事を書いたりして、「五月蝿い奴やなぁ」なんて思われたりすることもあるかと思いますが、
実際はそんな理想的なことを実践できているような者ではなく、結構テキトーな人間です。
そんなテキトー人間が、理想と現実の狭間でバタバタともがいていやがる、という風に、ちょっと面白半分の温かい目で見守っていただければ幸いですので、今後とも、皆さま一つヨシナに。

そうそう、堅苦しいものだけじゃなくて、
楽しい音楽なんかも、ちょっとずつ紹介させていただこうと思ってますので、そちらもヨロシクです。

あ、また長いな、コレ・・・。

今日のメリシャカ!

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