2008年05月25日

農日記②種苗植え編

第一段階「土作り」が終わったら、今度は第二段階「苗・種植え」です。

まずは、家の近くの種苗屋さんに行きました。
そこには、ナス・キュウリ・トマトの種やら苗木やらさまざまな種類のものが置いてあります。
ナスだけでも、千両ナス・太助大丸・加茂ナス・米ナス・小ナスと、スーパーではナスという表示しか見たことがなかった私にとって衝撃。この種類によって、味噌をつけたり焼いて食べたら美味と、それぞれ特徴があるそうです。

さらには、スーパーに行けばどんな野菜でも売っていたので、あまり野菜に季節を感じたことがなかったのですが、それぞれの気候に合わせて、植物を植える時期・収穫時期が決まっているのです。農園初心者の私にとっては、どれも勉強です。

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(青キュウリ 赤トマト ピンク・黄色ピーマンの苗です。)


最終的には、枝豆・ズッキーニ・水菜・にんじん・おくら・アスパラ・紫アスパラ・ゴーヤ・ミョウガ・二十日大根・なす・キュウリ・シシトウ・ニガウリ・ミニトマト・トウガラシ・ピーマンと、なんだかんだで、たくさんの種類の種苗を植えました。

土作りをした土地に土盛りをつくり、一苗一苗植えていきます。


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(野菜づくり大図鑑を見ながら悪戦苦闘です)


農園マスターの方に言わせれば、これからは「水やりが大切」と。
朝と晩、乾いた土に水をやります。
しかし、これが初めは楽しかったのですが、毎日となると段々と億劫になります。

そんな時に、雨が降ってくれると雨さん有り難うございます、と思います。
「今日は雨かぁ↓」から「今日は雨かぁ↑」と、恵みの雨に変わるんですから、不思議なものです。

農をすると、自然の厳しさと暖かさが伝わってきます。

2008年04月25日

農日記①土作り編

こんにちは。

四月半ばを過ぎると、日中は半袖を着ている人もみかける陽気。また、我が家の柿の木も真っ裸から少しずつ芽が出てきて、今では緑一緒になりました。いのちの生命力の強さを感じる季節ですね。
 
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私の最近のマイブームは農なんです。

お寺の裏の土地に畑を作り、今まで、スーパーでしか買ったことのなかった果物や野菜を作りはじめたんです。

しかし、これが想像していた以上に、大変です。

農業に何十年と従事されているお師匠さんに聞けば、一番大切なことは土作りと。

ホームセンターに行き、何十キロの堆肥、苦土石灰(酸性の土を中性にするアルカリ性のもの)、肥料を購入。

それらを元の土に混ぜて、さらに一週間寝かせて健康な土壌を作ります。

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教育者であり、お寺の住職さんだった東井義雄の言葉が思い出されました。

下農は雑草をつくり
中農は作物をつくり
上農は土をつくる

まだ、農は始まったばかりですが、人作りにも共通するような言葉ですね。

これから、種うえの季節なので、またご報告させて頂きますね。

2008年01月20日

思い出の一枚

「あけましておめでとうございます」と挨拶を交わしていたと思えば、気がつけばもう1月半ば。時が過ぎるのは早いものですね。

昨年一年を振り返りましても様々なことがありました。その一コマ一コマをカメラ片手に撮り続け、気がつけば何百枚という写真となりパソコンの中で眠っています。カメラがフィルムからデジタルに変わり、一応取っておこうと現像されることもなく日の目を見ることのない写真も多いですが。

その中でも、思い出のある写真が下の一枚。

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これは、静岡県伊東の海岸線沿いを車で走らせていた時のものです。
日が沈みゆく姿に「きれい」だなぁと見とれながら、ついシャッターを押していました。

この写真をみて思い出されるのは、真っ赤に燃えるような夕日の美しさもさることながら、その翌日に友人Nくんより送られてきた一通のメールなのです。

それはこんなメール。

かつて或る僧曰く、
正月に朝日を拝む人は多いけれど、大晦日の夕日を拝む人は少ない。
毎年大晦日の夕日を眺め、
おてんとう様、今年一年ありがとうございました、と感謝する。
そういう事を出来る人は豊かな人生をおくる事が出来るのではないでしょうか。


正月に朝日を拝む人は多いけれど、大晦日の夕日を拝む人は少ない。
まさしく、自分のこと、と。

初日の出を見るために、日本一早く日の出がでてくる千葉県犬吠埼には何度をなく足を運んでいた私。でも、大晦日の夕日に気を留めたことは一度もありませんでした。この言葉、私自身に言われているようで「ハッ」としました。

年末、大掃除をしていると引き出しの奥から古ぼけたフィルムカメラが出てきました。

何年前でしょうか?デジタルカメラが発売されました。それまで使っていたそのフィルムカメラはポイッと机の奥の方へ追いやられていたのです。それ以来、デジタルカメラを常時持ち歩く日々。フィルムカメラは、誰にも気にされずに、何年間も置いてきぼりになっていたのです。

でも、いま思います。

フィルムカメラのように一枚一枚無駄に出来ないと、一枚一枚大切にシャッターを押すように、1日1日を大切に感謝の中に暮らしていきたいなと、古ぼけたフィルムカメラが教えてくれているようです。

今日も一日、ありがとうございます。


2007年10月20日

家族喧嘩

「家族」という言葉を聞くと、何かホッコリしますね。私が家族といって思い出すことはテレビドラマです。「うちの子に限って」「一つ屋根の下」など家族を舞台にしたドラマを思い出すと当時のシーンが蘇り、懐かしさがこみ上げてきます。

しかし、ホッコリするだけが家族ではありません。というのも先日、私事ですが、我が家で兄弟げんかが勃発しました。「この野郎」「アホ」という言葉が乱れ飛びます。お酒が入っていたため、さらに加速して誰も止められません。我が家は、祖母・父・母・姉・弟と私の6人住まい。姉33歳、弟28歳、そして真ん中に私30歳です。世間で言えば大人です。そんな30歳代の兄弟げんかを終えて思ったこと、それは「けんかもいいなぁ」ということです。

けんかが勃発するには、何かしらの原因があります。だいたいは自分の考えと違う「なんでやねん」という憤りから始まります。「あなたはそう考えるんだ」という相手への思いやりからけんかはあまり生まれません。けんかの原因にはその人の主義・主張が見え隠れします(いい悪いは別として)。

教育カウンセラーの富田富士也氏は、1960年代以降生まれの人は偏差値世代といいます。物事を合理的に判断する、自分にとって損か得かという損得勘定で生きる世代です。必然的に損になることにはなるべく避けて通ることになります。実際私も偏差値世代まっただ中、けんかほど無意味なことはないんです。なぜなら、けんかをして得をすることはないからです。

でも、今回けんかっていいなぁと思いました。人と人がぶつかり合うと、そこに見えない絆が生まれます。人間という字は、人と人の間と書くように、たくさんの人と出会うのが人生です。その一つ一つの出会いや別れ、時にはぶつかりあることもありますが、それが人間を成長させてくれるんだなぁと実感しました。でも、けんかはしない方がいいですね。

2007年07月17日

おばあちゃんの智慧袋

「痛い話」で思い出すのは、昨年末の捻挫です。本当に痛かった。すぐに病院に行けば良かったが、忘年会に行きたかったので、そのまま足を引きずって飲みに行ってしまった。それがより悪化した原因のようです。でも、その話は築地本願寺のテレフォン法話でさせていただきました。ぜひ、お聞き下さい。
 ↓  ↓
http://www.tsukijihongwanji.jp/tsukiji/howa.html
(これは築地本願寺3分間法話でいろんな話が放送されています)


で改めて、「痛い話」を考えていると、グラグラッと地が揺れました。新潟県中越沖を中心とする震度6強を観測した地震でした。千葉にいた私も震度3の揺れを感じました。報道番組からは、地震により全壊した家屋、行き場を失い避難所で生活せざるを得ない人たち、倒れた電車の姿が伝わってきます。


その中で、全壊になった家屋から助け出される女性の姿が映し出されていました。
「大丈夫ですか」という消防員のかけ声、「痛いよ」「助けてくれ」という家屋に体をはさまれている女性の叫び声がします。緊迫した状況であります。そんな中「がんばれ」というそばにいた消防団員の声が聞こえてきた。その消防団員は自分は何もできずに、助けたいという一心で出てきた言葉なのでしょう。


そのシーンは、私に3年前の新潟大地震の時のある被災者の方の言葉を思い起こさせました。
それは、新潟のおばあさんの「地震にあったことは災難だったけれど、人の優しさに出会うことができてうれしかった」という言葉です。


人類が万物の霊長といったところで、長い地球の歴史に比べれば、ほんの少しの歴史であります。私たち人類が地球を間借りしているといってもいいかもしれない。そのため、地球の変動=災害に悩まされてきたのが、人類の歴史でかもしれません。災害を経験するたびに嘆き、喪失感が生まれてきます。


でも、その経験を通してみえてくる世界もあるのです。そこに目を向けていき、大切なものを感じ取っていくのが人類の智慧なのかもしれません。痛みや苦しみがあると「なんでケガをしてしまったのか」とその事実ばかりに目がいってしますが、ちょっと離れてみると、そこに大切なものが落ちているかもしれません。そんなことを、新潟のおばあちゃんが教えてくれました。


今回の震災被害が少しでも早く復興することを願うばかりであります。

2007年05月23日

最後の一食

「この世であと最後に一食しか食べられないとしたら、何を食べたいか」こんな質問を友人からうけました。

皆様は何を想像なされますか?

私はその時に「鶏の唐揚げ」が頭に浮かびました。それとともに、小学校時代のなつかし話も一緒に思い出しました。

その出来事は、いま大人気の「がばいばぁちゃん」ではないですが、小学校4年生の運動会の時でした。当時私の学校の運動会では、校庭にシートをひいて家族で一緒にご飯を食べる習慣があったのです。いつも大きな弁当箱の中には、鶏の唐揚げがあったのです。当時、おいしいものは最後に食べるタイプだった私は、大好きな唐揚げを最後に食べようと楽しみにしていたのです。

最後の楽しみの前に手を綺麗にしてからと、トイレに行ってから唐揚げを食べようとしたのです。トイレからワクワクしながら戻ってみると、楽しみにしていた唐揚げが1つも残っていなかったのです。

ショックでした。今でもその時の状況は忘れられません。

それ以来、おいしいものは最初に食べるようになりました。それとともに、「鶏の唐揚げ」にして熱い思いを抱くようになったのです。

今回、同じ質問を友人たちにしました。
すると、みんなが一様に、幼少の頃に家族と一緒に食べたカレーライスなど懐かしの味なんですよね。つまり、思い出のつまった味なんです。「最後に何が食べたいか」といわれて、リッチなフランス料理を食べたいという人はいなかったのです。

「贅沢って何なのか」改めて考えさせられました。

本当の贅沢とは、家族や身近な人な気の置けない仲間たちと食べる「一杯のかけそば」ならぬ、その一時のホッコリとした笑顔なのかもしれない。

当たり前すぎて、気づきにくいのですが・・・

2007年04月05日

熱海へ

ケンユウさんから「ちょっといい話」つぎお願いします、とバトンを受け取ってから「はい、分かりました」と言いながら、1泊2日で熱海初島に行ってきました。

といいますのも、学生時代に一緒に過ごした先輩・友人で一緒に「温泉に行こう」と計画していたのです。男4人旅です。

当日は、新幹線の東京駅のホームで集合。
東京から熱海まで新幹線こだま号で1時間。お酒、おつまみ片手に楽しい一時です。
そして、熱海港から船に揺られること25分、宿泊地・熱海初島に到着しました。

初島は、春休み期間中と言うこともあり、家族連れのお客さんでにぎわっておりました。
最上階にある眺めのいい温泉に入り(実際は曇り空でしたが)、おいしい料理(中華料理)を食べて、夜遅くまでみんなでお酒を飲みながら語り明かしました。

・学生時代の思い出話
・それぞれが今どんなことをしているのか
・これからどういう道を歩んでいこうか
・そして、仏教について

と書いてみれば格好いいが、お酒を飲みながら他愛もないことを語り合い。夜2時3時まで続きました。

そんな折り、友人の1人がポツリと言いました。

こうやってみんなで過ごすことっていいなぁ。

みんなうなずきました。そして、こう続きます。

学生時代には当たり前のことで何とも思わなかったけれど・・・

それぞれが違う道を進み、新しい家庭を築き、そんな生活の中で気の置けない仲間達と一緒に過ごす。学生時代には当たり前のことであった。電話をすればいつでも会えた仲間達。そんな友と一緒に過ごせたことに安らぎを覚えた一言です。

忙しい日常の中にいると、足下に咲いている一輪の花に目がとまらない。次から次へとこれをやらねば、あれをやらねば。と追いまくられる現実です。

そんな日常から離れた一時の中で、人と人のつながり、いつも当たり前のように支えてくれている人々の大切さをかみ締めさせていただきました。

なにか「ちょっといい話」というよりは、気持ちのいいお風呂に入って「ちょっと気持ちのいい話」になってしまいました。

でも、熱海の温泉は最高です!

2007年02月26日

友達100人できるかな

「ともだち」っていい響きですよね。
何か安心します。

「ともだち」といって、まず思い出す歌は「友達100人出来るかな」
子どもの頃みんなと大きな声で希望一杯で歌ったなぁ。

最近の歌でいえば、やはりケツメイシの「トモダチ」
↓ 
http://musicfinder.yahoo.co.jp/shop/p/53/66701/Y013984
(「トモダチ」の歌詞)

懐かしのトモダチが集まった時の定番曲です。

でも、同じ時間を共有し、一緒の空間をともにするのがトモダチかな。
離ればなれになっても、つながっていることってありますもんね。


今、テレビをみていると「テレビ初公開絶対聞きたい講演会」という番組でヤンキー先生こと、義家弘介先生が

友達とは楽しみことを一緒に過ごす人ではなく、

本当の友達とは、苦しみを分かち合うことができる人。

と言っていた。

本当に苦しい時悲しい時って、「人の絆」って実感しますね。

2006年12月23日

マツモトキヨシ行くっぺ!

どおもどおも、千葉県松戸市在住タツヤです。

「方言」魅力的な言葉ですが、私の住んでいる町は、江戸川を挟んで東京の隣に位置するため、東京のベッドタウン。
そのため、地域の言葉はあまりなく、基本的に東京弁(一般的に標準語)です。
千葉浦安にあるディズニーランドが東京ディズニーランドといわれるように、東京よりの傾向が強いです。

でも、千葉と言えば、まちゃまちゃ・木更津キャッツアイなど、独特なイントネーションを思い出させくれます。

千葉の方言の重要なポイントは、「ぺ」の使い方です。
【千葉県市原市HPより】

1、推量の「ぺ」
A:あんやろ うちに いっかな?
B:いるっぺぇ。

2、同意、同情の「ぺ」「ぺ」の次に「や」を付けると同意、 同情の意味に。
A:おめえに みやげ買ってきたぞ
B:そりゃ たけぇかったぺや

3、勧誘の「べ」
「ぺ」がにごると「べ」になり、さらに長く「べー」と使うと意思、勧誘の意味に。
A:サンプラザで映画を見るべー(映画を見よう)
B:そうすんべー(そうしよう)

というように、語尾の使い方で意味あいが変わっぺ。
まるで、古典の授業のようだが、昔の人たちが言葉を大切にしていたのがわかるっぺ。

ここで、千葉といえば、
ボビーバレンタイン監督の千葉ロッテマリーンズ。
ジェフユナイテッド市原・千葉。
八街産落花生。
でなんといっても、映画寅さんや、小説「野菊の墓」の舞台となった矢切の渡し。

このご時世、乗船料 大人 100円 で、情緒たっぷりの柴又・松戸間を手こぎ舟で運んでくれっぺ。

さらに、松戸市はマツモトキヨシ発祥の地。

千葉に来たら、マツモトキヨシで買い物するべ。

2006年11月28日

落花生とニキビの関係は?

タツヤです。

自己紹介をさせていただきます。

落花生の名産地・千葉県でお坊さん。そして、アーユスというNGO団体のスタッフをしております。

ちなみに、落花生を食べ過ぎるとニキビができるとよく言われますが、これは全くの嘘で、医学的にも否定されてるそうです。

そんな落花生と共に育った私は、現在29歳。
同世代の方は、ご存じかと思いますが、
中学・高校時代には尾崎豊さんの歌を聴きながら、
ゲームセンターでピンボールをうちながら「生きるってどういうこと?」と漠然と悩み。

そして、大学時代には、「仏教≒死」というイメージを拭いきれずに「仏教なんてダサイ」なんて生意気なことをいいながら、法律の専門家をめざしておりました。

そんな時に出会った言葉が、お釈迦様の言葉。
天上天下唯我独尊 → 生きているってすばらしい(スーパー意訳)
という言葉でした。

2500年前に、恥じることもなく、真っ正面から生きることを見つめていたのです。
まじ、やばいです! (ちょっと古いかな?)
拍子抜けした思いになったのを今でも覚えております。
そんなこんなで、お釈迦様ファンになりました。

メリシャカが運営されているのも、そんな仏の教えの魅力の虜になった人たちの集まりであろうと、想像します。

だからこそ、広大なブッダworldの魅力をご紹介できればと思います。

最後に、アーユス仏教国際協力ネットワークのご紹介をさせていただきます。

アーユスとは、「NGOのためのNGO」を旗印とした仏教者によって創設されたNGO団体です。

仏さまの教え「縁起」 --すべてのいのちはつながり、生かし生かされあっている-- を理念とし、
貧困・飢餓・難民・紛争などのさまざまな諸問題も私たちとは無関係ではないと、
現地の人々と手を携えて、共に学びあいながら活動している団体を支援しているNGOです。
そして、その現場の声を日本に伝える啓発活動もともに行っております。

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