2008年06月11日

思い通りにはならんのだよ、人生は

生老病死、思い通りにいかないのが人生である。
人生は苦だ、とお釈迦様が説かれたわけだが。

たった6ヶ月の赤ちゃんも、日々思い通りにならない人生を生きているんだな、と思う。
要求がうまく伝わらない。
自分の身体がうまく動かせない。
おなかはすくし、お尻は気持ち悪いし、抱っこされたいし。

でも“苦”と同時に、喜びも与えられるからこそ、様々な感情やコミュニケーション能力がつくんだろうとも思う。

人はどうやって、そういう“欲”と“知恵”との折り合いをつけていくんだろう。
それを導くのは親の役目だなぁ。

しかし、親も人なので、子ども以上に思い通りにならない日々なのである。
ダンナにいらいらしても、子どもの世話にため息をついても、無理にでも笑顔やら優しい言葉を作り出したりするわけで。
母親は、気楽に一緒に昼寝をしているわけではないのであるよ。

しかしどっちにしても、何事も思い通りになるわけじゃないってことは事実だな。
それをうまく整理したり克服したり、回避したり解決したり。
そういう知恵を養えたらいいなぁ。
親子ともども。

2008年05月06日

複雑な子育てで母は強くなるね

情報がいっぱいの世の中・・・
子育てにもたくさんの情報があふれ、たくさんのグッズがあふれ、たくさんのアドバイスがあふれ、そしてたくさんのおせっかい。。。笑。

何が正しいのか、誰が正しいのか、どれを信じたらいいのか本当にわからなくなります。


『子育てハッピーアドバイス』と言う本が売れているそうで、この著者は浄土真宗にも深い造詣のあるお医者さんなので、この本を購入してみました。

分かりやすい言葉と、かわいいイラストで、シンプルで大事なことがたくさん書いてありました。
とっても面白くて、ほっと力の抜ける本でしたよ。
でも、一番最後に書いてあったことが一番大事であり、同時に危険でもあるなー。って思いました。

「自分は自分と割り切ること」ということ、とあったんです。
どの情報が正しいかは、自分で判断するしかなくて、子どもの様子をみて、親が判断していくこと。
よその子と比較して焦ったり不安になったりしないこと。
おせっかいにふりまわされて、わが子を見失わないこと。
私は私、と考えること。

大事なことだなーと思うけど、同時に、母親がかたくなになったり、ひとりよがりになったり、子どもを所有物としてみてしまう危険性も生んでしまうのかなぁ・・・

凝り固まったりせず、柔軟に情報を取り入れつつ、周りの声に惑わされない子育て、なんて、はぁぁ~~・・・難しいです。

でもね、やはり思います。
知らず知らず・・・母は強くなるもんだ。

2008年04月10日

2周年のご挨拶

子育て真っ最中のるるです。

今まで全然知らなかった世界が毎日やってきます。
毎朝毎朝、昨日も見たおもちゃを飽きもせず大喜びして、楽しくてたまらないって感じでにこにこ笑う息子。
いのち毎日新しい~♪て感じなんだろうな~。

「母」「親」という種類の気持ちがわかるようになり、これまでひとに偉そうなことを言っていた自分を恥ずかしくも思うこのごろ。

ホント思うんですけど、知らない世界に対して批判とかしちゃダメだな。
やってみなけりゃ分からないことが、たくさんある。
自分が正しいと思ってやってること、となりの人も正しいと思って違うことをする。
どっちが正しいかなんて、本当はわからないはずなのに、私こそが正しいと思って勝手に腹が立つんだな。

・・・なーんて聖徳太子が1300年も前に言ってることですけどね。

親ばかは、自分だけじゃない。
隣の人も親ばかだ。
他人の親ばかを尊重できる親ばかでありたいなー。


メリシャカは2周年。
ゆっくりとした成長を見守る親の気持ちで、今後ともご愛顧よろしくお願いします。

2007年09月21日

家族とは、他人の集まり、であるからこそ

家族って、私にとって非常にむずかしいテーマです。

人は、自分で選んだわけではない家族の中に生まれ育ち、多くの人が自分で選んだ家族を持ち、その後また家族の構成が変化していく。

しかし、所詮他人の集まり。
血がつながっているとかつながっていないとかに関わらず、絶対なる他人の集まり。
どこまでいっても、それは事実です。

だからこそ、そこで養わなければならないものがある。
社会性であり、礼儀であり、思いやりであり、感謝であり、我慢であり。
どんな家庭が正解かなんて分からないけれども、自分の居場所はそういったことを学びながら自分で作ろうとしなければなりません。

自分がしてやったことばかり、されたことばかり考え、主張していたのでは、家族のつながりはいびつになっていきます。
言わなくてもわかるだろう、とか、わかってくれて当然だ、何を言っても家族だから許される、というのは単なる甘えであろうと、最近は思うようになりました。

所詮他人であるのによくぞこうして私と家族になってくれたものだ、と思えばこそ、自分のいのちを育んでくれたかけがえのない家族であると、感謝の気持ちが芽生えるのではないでしょうか。

うちには、もうすぐ家族が増えます。
よく、私たちのところへ生まれてくれた、家族になってくれた。そういう思いを持って迎えてあげたいと、心の底から思う今日この頃なのです。

2007年07月01日

だから私は恋をする

「心から好きな人ができたら、本当に胸が痛くなるんだよ」

とは私の母の口癖。

幼馴染への初恋や、部活の顧問先生への憧れの気持ちや、初めて付き合ってくれといわれて舞い上がった思い出。
友情と恋愛感情との間に揺れたこと。
自分を再構成するかのような恋、好きと思うだけじゃ続けられない恋の経験もあった。
そのたびに、母は私の思いを見透かしたように言ったものだ。
「心から好きな人ができたら、本当に胸が痛くなるんだよ」

私もお年頃になるにつれ、こんな思いをするなら恋なんてしなければよかったと思ったことだって、あるわけで。
不思議なことにそれが終った頃から、母はその口癖を言わなくなった。
見透かされていたんだろうか。
恐るべし、母。


ただ楽しいだけの、ただときめくだけの恋はもうできないと知ったとき、人は、「本当に胸が痛い」という経験をする。

大事なのは、その痛みをどうするか。
その痛みが何に起因しているかを見つめられるかどうか。
総合的複合的に絡まっている痛みをひとつひとつほぐしていった時、最後に残るのは何だろう。
何を選び、何を捨てるか。
それによって、次の生き方が決まる。「私」の成長がある。

失った温もりや、過去を思い出す痛み。
相手を責めたくなる痛み。
傷つけられたプライドの痛み。
自我が壊れてしまいそうな痛み。
先を憂う痛み。
自分を責める痛み。

何が悪かったんだろうと考え、相手のせいだけにするか。
自分のこととして引き受け、省みるか。
その選択の差が、終った恋を腐らせるか新しい種に変えるかの差だろうと思う。

多分、この世界のたいがいの人は、恋をする。
そこには、教科書では教えてくれない大事な気づきがたくさんたくさん用意してある。

恋をして胸が痛いのは、その気づきが生まれる痛みなんだろうな。

2007年05月02日

笑顔の味

1番幼い頃の思い出の中で、大好きだったメニューがあります。
「手羽先の塩焼き」
「餃子」

これが、何より好きだった。

手羽先の持って食べる部分に、“こども新聞”(広告だと思う)を巻きつけるのが、私と弟の仕事でした。
そして、餃子を包むのも子どもの仕事。
オーソドックスな形だけじゃなく、両端を折りたたんで「かばん」にしたりね~。
おおむね、上手にひだをつけられない子どもたちの作品は、水餃子用でしたが。

このメニューは、たいがい日曜日の献立でした。
なので、父も母も家にいて、早い時間から、みんなで巻き巻きするわけです。
味が好きとか言うよりは、たぶん、いただきますに至るまでの過程が楽しかったんだと思います。
それと、自分が関わって作った、という達成感ね。

父が準備の時間に居間にいて。母もゆったりご飯を作っていて。
けんかばっかりしていた弟とも、仲良く作業ができた。
笑顔のたくさんある、時間だった。

だから、このメニューが本当に、好きだったんだな。


長じるごとに、酒飲みの血を確実に引いていることが次々と発覚していくわけで、

2・3歳時、何が食べたいかと聞かれ「やきにくー」
5・6歳時 スーパーでおねだりするのは、「いとよりの塩焼き・春菊の白和え」
初めて作った料理 「焼き茄子としめじのお吸い物」
10歳時  父が焼いていた、いかの丸焼きを見て、「ポン酢と七味よね」
11歳?夏休みの自由研究 「鶏のさばき方」

という・・・おおよそ子どもではないような子どもになっていくわけですが。

今も、「父の作ったおでん」と「母の茶碗蒸し」に勝るものはない、と思っているけれども、
笑顔がいちばんつまった「手羽先の塩焼き」と「餃子」は、私にとって特別なおいしい思い出かな、と思います。

2007年03月24日

布施のお話

こんにちは。るるです。
今回のテーマ、私の素敵な友達2人の話から。

R子は、薬剤師。
薬局で働いてます。お客様に親身になって服薬指導や相談に応じている心優しい女の子。
この薬局に、聴覚にハンディのある初老の男性がやってきます。
薬の説明や病気に対する不安などは筆談でのやり取りになります。
だんだん仲良くなってくるにつれて、彼女の中に「この人と筆談せずにスムースに会話できるようになりたいな」と思う気持ちが芽生えてきて、去年から手話の勉強を始めるようになりました。
でも、本当に、通じるだろうか?と不安を抱えたまま、一度も披露することはありませんでした。

けど、とうとう“その日”が来たのです。
その男性が、薬局にやってきました。
いつもと違うのは、なにやらかわいい箱を持っていること。
彼は、R子のほうにやってきて、その箱を手渡します。
「いつもお世話になってます。お薬のことを分かりやすく書いて説明してくれてありがとう。これは気持ちばかりですがどうぞ」というメモを添えて、それはチョコレートの箱だったそうです。

R子は、ここだ!と思いました。
そして、ゆっくり手話をはじめたのです。
『とても嬉しいです。ありがとう。○○さんも(病気の治療を)頑張って!』

すると。
びっくりした表情の男性。『君、手話の勉強をしてるの?』
R子『はい。少しだけ』
きちんと、会話になってるではありませんか。
変に緊張していっぱいいっぱいなR子。
それでも嬉しそうな彼の表情は、とても印象深いものになりました。


M美はナース。
いつも明るくってしっかりもので、一緒にいると元気をもらえる、笑顔の素敵な女の子。
こんな話を聞かせてくれました。
彼女の病院に、お坊さんが入院してきたそうです。
「なんかね、本当に笑顔が素敵なの。別に何かあるわけじゃないのに、本当に和む笑顔なんよ~。
笑顔だけで、人を癒せるってすごい~って思って。仏教っていいなぁって思わされたんだよ」

このお坊さん、決して法を説いたり説法をしたりしたわけじゃない。
ただ、入院中に自分のいのちを見つめられ、とらわれのない心・感謝の心で日日すごしておられたんじゃないだろうか。
それが、多くの患者さんを抱えて多忙なナースの心に響くほどの仏の笑顔としてあらわれたんだと思う。
それを感じるM美の感性があってのことなんだろうけど、仏縁って確かにあるなぁ、と思ったんですね。


仏教には布施というものがあって、財を施す財施(ざいせ)・法を説く法施(ほうせ)・そして、所有するものがなくてもできる無財(むざい)の七施があります。

無財の七施とは、まわりの人にやさしい目で接する眼施(げんせ)、柔和な顔・にこやかな姿で相手に接する和顔施(わげんせ)、他の人にやさしい言葉で接する言辞施(ごんじせ)、自身を正しくして人に礼をつくす身施(しんせ)、思いやりのある態度で相手に接する心施(しんせ)、座席を他の人にゆずって喜ぶ床座施(しょうざせ)、自分の部屋や家庭を他の人にも温かい場所にしてゆく房舎施(ぼうしゃせ)とされています。

R子の手話も、入院したお坊さんの笑顔も、M美の感性もこの無財の七施にあたるなぁ、と思ったのでした。
私はどうだろう?
今、まさに問われているんですよね。

2007年02月10日

オトナのともだち  by るる

ともだち。

不思議ですね、ともだちってさ。
人間の成長の過程で、仲間を求め社会性を身につけていく時期があります。
ここで、たいていの人は「お友達のみんなと仲良くしなさい」と教えられる。
でも、やっぱりキライな子や、どうも話が合わない子とかが出てきて、
ほとんどのオトナが教えてくれない感情を経験することになる。
友達とけんかして、ちょっとだけ要領よくふるまえる子はオトナに怒られずに、
ちょっと要領が悪かった子はオトナの目にとまる。
そして、ものすごく理不尽にしかられちゃったりするんだ。

そんな私は意地悪な子なのかしら、って悩んだり。
どうしてあいつは僕をいじめるんだ、って怒ったり。
オトナって勝手だ、と漠然と感じたり。
仲良くしなさいって言われたって、キライなものはキライだし、合わないものは合わない。
それは、子どもでもオトナでも同じ。
仏様でもないかぎり、全ての人を平等に思うことなんて、絶対にできないのだ。

大事なのは、どうしてキライだとか思うのかってこと。
ねたみ、そねみ、やきもち・・・そういう自分の気持ちを見つめることができるか?
そして、それが何に起因しているか、見極めることができるか?

オトナは、「仲良くしなさい」や「いじめてはいけません」ではなく「なぜキライだと思うのか考えなさい」と教えるべきではないのかな?
自分の中の気持ちを見つめる、その手助けをしなければならないのではないかな?
幼い頃から、考える力を養ってほしいなぁ。
お寺には、学校や家庭で教えないことがありますよ。
それを手伝ってくれる、厳しくてやさしいまなざしがありますよ。

数知れない人々がいるこの世界で、自分の人生に関わった「ともだち」という存在。
これって、ものすごい縁だと思う。
単なるクラスメイトだったり、幼馴染だったり、何となく気が合う子だったり、いろいろあるけど、
通過していくだけの縁に囲まれた人生の中で、価値観を共有して笑い合って相談ごととかして、
琴線に触れる何かがあって、いつまでも大事に思っていられる存在。
いったい、何分の何の確率で出遇えたんだろう。

稀有なことだ。
だから、大事なのだ。

何気なく縁が切れてしまった友達もいる。
もう二度と会えないかもしれない。
でもそんなこと、あの時は思わなかったよね。
理不尽なオトナの仲間入りをするようになって、初めて分かる。
「お友達を大事にしなさい」っていう、その意味が。

今、私の周りにいる「ともだち」に、遠くはなれて暮らす「ともだち」に、
出遇わせてくれた縁に、最大限の感謝を。

次、kawashimaさん、よろしくです!

2006年12月08日

ガジン

方言コラム第三弾は、京都在住佐賀出身のるるたい!
佐賀弁でいくけん、よろしくお願いしまーす。

佐賀県人のことば、ガジンていうけん、覚えとってくんしゃい。

今日は、成道会てゆうて、お釈迦様が悟りば開きなった日さね。
インドのシャカ族の王子シッダルタが、ブッダ(目覚めた人)になられたてゆうこと。

ほんなーーては、めでたか日ばってん、一般には浸透しとらんけんさびしかですねー。
仏教にもいろいろあっばってん、その始まりがお釈迦様てゆとは共通やけん、いろんなお寺で成道会の法要ばお勤めしとんしゃあって思います。

悟り、てむずかしかですね。
現代では、どがんでんわけのわからん使い方もされとるごたっばってん、これぞ世も末たい。

お釈迦様は、12月8日に菩提樹の下で悟りば開きなってしばらく、嬉しくて幸せな気分になられたとばってん、そのあと、この真理は世の人に伝えても伝えきれんとじゃなかか?って悩みなったらしかです。でも、天からいろんな神やら仏やらが降りてきて、ぜひとも伝えんばいかん、伝えてくんしゃいと、諭したなんていうエピソードのあると。

そうして伝えられてきた、仏教。
いろんなひとがいろんなことば言うてきた歴史の結果、こがんたくさんの仏教の宗派が生まれてきたとですね。

でもね、私はたまたま浄土真宗に遇うて、よかったなーと思うとですよ。
悩むことはあっても、迷わんけんね。
生き方に迷うたりせんですむけんね。

迷って迷ってどうしようもなかと思う人に、ぜひとも伝えたか!
仏教には、生きる智慧のあっとよ。
小学生だろうが、おばあちゃんだろうが、同じいのちば生きよっことには変わりなか。
めぐりめぐって、今ここにあるいのち。
大事にして生きたかやん。

思い通りにならん人生ばってん、心豊かに生きたかやん?
そう思う限り、仏教は無関係じゃなかとよ。

一人でも多くの人に、それだけでも伝えていきたかな~と思う今日の日であります。

佐賀弁・・・表記しずらかばい!!声に出して読んでみんしゃい。

そいぎ!(じゃあね)


【我が町】
県名  : 佐賀 
市町名:佐賀市三瀬村(併合されました)
《人口数》
佐賀県:862、968人(平成18年11月30日現在)
佐賀市: 204、471人
有名どころ・キーワード:
佐賀牛・有田焼・吉野ヶ里遺跡・熱気球世界大会・大隈重信
嬉野温泉・武雄温泉


2006年10月31日

僭越ながら~先陣を仰せつかりまして。

リニューアルしました、メリシャカです!
とはいえ、私は何もやってなくって皆様本当にありがとうございまする。

メリシャカをご覧の皆様、こんにちは。
るるです。

改めて、自己紹介なぞを。
1978年佐賀県の小さな寺の長女として生を受けました。
フツウの学生時代を送りました。
自分がお寺の子だという認識はあまりなかったのですが、地域のお祭りに参加できなかった時、初めて“宗教の違い”を感じたことを覚えています。
得度をしたのは、大学卒業後、中央仏教学院という専門学校に通っていた頃の2001年9月です。研修中に9・11テロがあり、これは僧侶として人生を歩もうと決めた私にとって、強烈な印象を残しました。


さて。
僧侶としてという側面の一方で、私は福祉の仕事をしています。
ヨーロッパの福祉が教会から始まったように、日本の福祉は、仏教に端を発しています。
その志には、共通のものがあると思います。
福祉とは、生きることそのものが対象であり、「人生は苦」ということをより多く感じている人から先に、援助を行う。
“社会的弱者”なんていう言い方は少し違うのではないかなぁ、と思うわけです。


誰だって、思い通りにならない現実を抱えながら生きているわけで、それでも生きているって素晴らしい、自分の存在って有難いと思って生きていきたい、幸せに暮らしたい、とこう思っているわけです。
きっとね、これは人間の根源的な想いですよね。
それが何らかの原因で損なわれている時、この実現を手伝う、援助する。これが福祉だと思うのです。

では、お金があって、仕事もあって、住むところもあって、家族も居る。
それで、十分に幸せといえるのか?
きっと、それは違う、と言う方はたくさんいらっしゃるのではないですか?

思い通りにならない人生を、それでも豊かに生きるにはどうしたらいいのか。
時代は、この答えを求めているのではないでしょうか?
福祉は、それに様々なサービスという形で答えます。
しかし、どう生きたらいいか?という、根源的な問いには、答えられません。
これに、答えてきたのが宗教なのです。
お釈迦様がすでに指し示された教えがあります。
親鸞聖人が伝えてくださった教えがあります。


福祉の時代と言われます。
であるならば、それはとりもなおさず「宗教の時代」でもあると、私は思います。

いろんな人が福祉に興味を持って学ぼうとしている。
なら、仏教に興味を持って学ぶ人は増えるんじゃないかな?
そうだ、お寺って学びの場所であるはず。
学びは、楽しいもののはず。
楽しく学べて、つながりあえる、そんなお寺を作っていきたい。
そこにお寺があるから、いろんな人がいて、学びがあって、助け合いがあって。
そういうお寺になれたらいい。

メリシャカ!は、私のそんな思いを叶えてくれようとしています。
そういうメリシャカ!を今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!


先陣ということで、ちと張り切って書きました。笑。


今日のメリシャカ!

最近のコメント

sakulla on 明日の自分へ: ありがとうございます
tatsuya on 昨日のあなたへ(Re:明日の自分へ): これはナイス写真です
kenyou on 明日の自分へ: ご結婚おめでとうござ
tamon on 降りてくる友情: かつて私は真実という
るる on 複雑な子育てで母は強くなるね: 一万年堂出版のトシさ
トシ on 複雑な子育てで母は強くなるね: るる様 はじめまし
キッスィ。 on ゴンシキ日記 3時間目: >daidoさん。
daido on ゴンシキ日記 3時間目: ゴンシキって、よく聞
キッスィ。 on ゴンシキ日記 1時間目: >ケンショウさん。
ケンショウ on ゴンシキ日記 1時間目: ご苦労様です。 勤式

アーカイブ

メリシャカ特別企画

このブログについて

メリシャカサイトには複数のブログ(上部メニュー)とフラッシュコンテンツ(最上部メニュー)があります。その中で、トップページとなる「普及委員会」では、メンバーコラムや近況報告等を記していきます。

   *ヒトコトどうぞ。
2006.4.8-累積:
本日: / 昨日:

★mixiメリシャカコミュティ


このブログ(トップページ)のRSS
Powered by
Movable Type 3.33-ja copyright(c)2006 merry-shaka.com