2008年04月29日

異国、長崎。

今日初めてハウステンボスに行ってきました。もう今年で30歳になりますが、ず〜と長崎に住み続けて行った事がありませんでした。というのも、行く人みんな『おもしろくねえ!』…と言う。

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2008年02月06日

メリシャ会議とサスペンス軍艦島

先日、京都の牛タン屋でメリシャ会議。固まっていなかったテーマや方向性を話し合う。ネットというものはスゴく便利だが、顔の見えないトコにやっぱり不安を覚えるのはしょうがないことなのかもしれない。でもたまにこうしてこのサイトのメンバーと会えば、なんかホッとするし、情報入手の場だったりして、スゴくこの一瞬はヤル気を感じさせられる。一泊の京都旅だったが、やっぱ京都という場所には何かがある。学生時代を終えて実家に帰っても、たまに京都時代の友達と遊んでいた頃なんかは、京都に行くだけでスゴい落ち着くモンだった。だけど、最近京都に行くのとなんか違う。多分、歳を取ったせいのもあるかもしれないし、ビジネスホテルに泊まるのも普通になった。だけど、なんか違うこの感じがとても心地良い。結局、この会議の日はホテルに戻ったのが午前三時過ぎ。みんなあまり飲まずに話ばかりしていた。メリシャカって熱意のあるところから始まったのは事実なんだけど、実際みんなマイペース。ゆっくりと進化していくメリシャカだからこそ、このメンバーと出会えて良かったような気がする。
これからは、play buddhism !

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2007年10月24日

2200年家族で宇宙の旅

小学校の頃、授業で家族というものは最も身近な社会集団だと学んだ。
私の場合、家族は旅行のイメージしかない。幼少の頃から親と遊んだ記憶があまりないのか、まともな家族とのコミュニケーションといえば旅行だった。親が忙しいということもあったのだろうが、せいぜい年に一度あるかないかの一泊二日の旅行程度だったと思う。親からすれば義務的なものだったのかもしれないが、その点では家族は小さな社会集団なのだろうと思う。

よく映画の中や海外の著名人などが『ブラザー』とか『ファミリー』とかいう言葉を使うのを目にするが、『世界はみな兄弟』『ミナサンカゾクデズ』的なニュアンスがイマイチ理解できない。なんか嘘くさい。ただ心の狭い私には理解できないだけなのだろうが、思うに、国や歴史や文化や芸術といった違うものの境界線をはずすことではなくて、それそのままで認め合うことこそ求められるべきものなんだろう。だから『音楽に国境はない』という人間ほど嘘くさいものはない。ジャンルがあるからこそ認め合う世界があるのであって、別にそこに境界線を引かない訳ではないハズだ。

話はそれたが、テーマは家族だ(笑)。最近ふと思う。映画『2001年宇宙の旅』でいうならば、猿の集団が”知恵”を持ち始めるような時代からどれだけ人間は進化したのだろうか。2001年はもう過ぎてしまったが、2007年になっても人間は昔のままからそうたいして進化はしてないように思われる。子があれば親もあり偶然にも必然に家族がある。

そこには社会がある。単純だけど私にとっては大きな世界。

2200年頃には宇宙に行けるかなあ?

2007年08月08日

夢と現実。

痛い話と言えばボクは夢。昔から決してカラダは丈夫な方ではないけれど、いつも骨折の一歩手前。ある意味頑丈なカラダですが、なぜか決まって一番痛い思いするのが夢。一年に一度は必ず夢がある。

それはこうだ。幼少の頃通っていた幼稚園の別棟は二階が入り口で、一階まで階段がある。しばらくその場所には行ってないが確実に二十段はあると思う階段をいつも上からジョンプして一気に一階まで降りようとするのだ。常にハラハラドキドキでジャンプして地面が迫る瞬間にガクっと起きて目を覚ます。毎回このパターンだ。

なぜこんな夢を見るのかはわからないが、いつも何かに挑戦したいのか?それとも自分のビビリを試しているのか。仏教には、如幻夢という言葉がある。この世は夢まぼろしの如しと言う訳だ。しかし人間ってヤツは、夢と現実を区別する。本当にそうだろうか。夢がどういうシステムで見るのかは個人的な憶測に過ぎないが(専門家の方、間違ってたスイマセン)、現実の見るもの・感じるものすべての認識って脳が判断するハズだ。一方で、夢も脳が判断する。こんなこと考えてたら、じゃあ夢と現実ってどんな違いがあるのかサッパリ分からんようになってくる。

現実ってなんなんでしょ。だったら如幻夢なんだろう。とはいっても現実現実だと思っちゃう所に自分の”現実”があるのかもしれない。多分、それが現実で如幻夢ね。

2007年06月08日

おいしいとウマいは違う

特撮ヒーロー助教授のshinkiです。
皆さんは食事をする時に『おいしい』と『ウマい』を使い分けてますか?
私は、厳しく使い分けてます。

国語辞典によると
・おいしい
 →(1)物の味が良い。(2)都合が良い。利益になる。好ましい。
・うまい
 →(1)飲食物の味が良い。(2)技術・技量などがすぐれている。etc…

とあります。
つまり、どちらも食べ物の味に対して良い表現であることには変わりはないのですが、
『うまい』の方は明らかに『飲食物』とあります。
これを個人的に噛み砕くと…
・おいしい
 →雰囲気も含めた表現。
・うまい
 →舌のみで味わう表現。

と解釈できます。つまり山に行って『空気がおいしいよね〜』といいますが、『空気がうまいよね〜』とはあまり言わないハズです。

実は、私は食事の味にはめっぽうウルサいのですが、その理由はやはり『いただきます』のこころだと思います。『いただきます』の意味は、『いのちをいただきます』…つまり私の糧となることに感謝の意をこめる言葉です。
しかしこれは、食べる側の言葉であって、作り手(料理を作る人)ももちろん”いのち”に対して感謝しながら作る必要があって当然だという思いがあります。言わば、人の”いのち”の一部となるものを作る訳ですから、命がけで作れよ!的なものがあって当然だと思う。

命がけで料理作れば、マズい料理なんて出来る訳がない…
だって料理って人間に与えられた能力の1つですから。でも家庭で毎日料理を作る人にとってみれば、出来が良い時もあれば、そうでない時もある。『作る側に身になってみろ!』って言われそうなので一応断りを入れますが、決してそのようにマズいものを作ること自体を問題にしてるのではなくて、なんとなく作り手の気持ちって”いのち”に対してないがしろにされてきたんじゃないかって思うんですよね。

だからたまには、料理人は作る前に『いただきます』を。

合掌

2007年04月08日

ショッカーは我にあり

shinkiです。

本日、メリシャカ一周年記念ですよ。
メリシャカ仏教講座も本日からスタートです。
すばらしくシャカさんと、メンバーと、これを見てくれる皆さんのおかげ。
みなさんありがとう。

ん〜もうこのサイトが活動はじめて一年ですか…。
なんかもう5年くらいやってるような気がします。
最近、あまり参加してないけど、一年目の一発目コラムいかしてもらいやす!

『ショッカーは我にあり』。

とは初代仮面ライダー"藤原弘、"さんの言葉です。
まあ、俺が語るのは仮面ライダーくらいなもんで…。

数年前、姪っ子を車に乗せて運転していたときのことでした。
俺『仮面ライダー主題歌集聴かせてやるゾ。』
姪『え〜!聴きたい聴きたい!』

というのも、普通小さい女のコというのは、あまり仮面ライダーが好きでないのに、
この子はめずらしく好きらしい。
そんでもって、ここぞとばかりにCDをカーオーディオにブチ込んだのでした。
そして『仮面ライダー龍騎』の主題歌が流れていた時のことです。

姪『この歌好かん!(嫌い)』
オレ『なんで?』
姪『だって龍騎おもしろーなかったもん。友達もおもしろーなかったって言いよった。』
オレ『おもしろかったたい。』
姪『だって仲間同士で戦うとやもん。訳わからん。』
オレ『そこが醍醐味たい。』
姪『なんで?』

…と話は続くのですが、私はその時この小学校低学年の姪に、
人間ってどうするかワカラン生き物やろ?とか、
ムカついたら相手を叩きたくなるやろ?とか、
あれに出て来る仮面ライダーは自分の姿やぞ…と大人げなく教えると、
姪はこう言いました。

『そっか…人間だもんね。』…と。

自分が言った言葉に対して返してくれたことばなんだけど、
人間だもんね…って単純な言葉の重みをすごく感じました。
つまり、以外で純粋な心にしびれた訳ね。

別に人間って悪い生き物だから、
悪くて当然ということではなくて、
その可能性を自分の中に認めた時、
はじめて相手を認めることができるのだろうと思った。

まさに悪の軍団ショッカーは俺の中に有るんだろうな。
認め合う世の中になればちったあ平和になんのかな?
まあ、それができないから精進って言葉があるんだろうね。

まあ、俺の中でのイイ話。

そしてお釈迦サマの教えが世界に伝わるよう願いつつ、メリシャカっ!

2007年03月08日

回るゾウ

♪回るゼ〜回るゼ〜あ〜あ、回るゼ〜





2006年12月28日

じげもん長崎ばい

おそらく大学で地元を離れてから多方言化してしまったshinkiですが、無理矢理使ってみます。
長崎弁というよりも地元の小ヶ倉(こがくら)弁かな。

saraudon.jpg


最近ばり寒かね。

あまりの寒さに12月に入ってから2回もカゼばひいて病院に通いよっとさね。ばってん、そこん病院の姉ちゃんにかわいか人のおっとさね。だいたいカゼで病院に行ったときは点滴ば打ってもらうとけどさー、あん時間のばりたまらんもんねー。

ばってん今年はホントねーいろいろあったばい。生まれて初めて忙しか一年ば過ごしたばい。あーそういえばさっきWILLCOMの姉ちゃんから、早う金ば払えって電話のあったとさね。オイはちゃんとしとっとに、連絡の行き違いってヤツばいね。バリ腹ん立つけんね。どがんなっとっとやー。ちゃんと仕事ばせんばさ。

う〜…お正月まで早うカゼば治さんばね。苦しか…。

ちなみに。写真は”冷凍皿うどん”さね。地元の法事では、ほとんどこいばっかいでっとさね。まあ、出前も多かとばってん…。

あ〜そうそう長崎の宣伝ばせんばね。

長崎はとにかく坂の多か街さね。斜面に平気で家の建っとる。だけん交通の便は悪かし、一向に発展せんとさね。最近は長崎も郊外型の街になりつつあっとけど…。

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2006年11月16日

俺にシームレスな環境を。

antena.jpg

長崎も寒くなってまいりましたよ。
まだまだ気合いの素足ですが…(寒う〜)。

今回リニューアルということで、バトンタッチ方式に変わったんだっけ…。最近買ったカメラなんかもちゃっかり使っちゃったりして(^^)。

今日パソコンSHOPに久しぶり行ってきました(ウソ…本当は3日に1回くらい行ってる…笑)。このご時世に、外に出てもパソコンが必要な病気にかかってしまいまして、どうしてもノートPC用モバイル機器が欲しくなったんです。最近、性格が明るくなったと言われるのに…^^。

PCはmac、ケータイはau主義な手前、auのmac対応の不憫さに最終境地はWILLCOMへ…。

SHOP到着。腹が減っていたのでマックに行こうと思ったのだが、ここはガマンのパソ優先へ。早速店員に話して即契約に。なにやらサッサと決めてしまいたいのか店員は、これでもか…と説明を省きやがる。忙しいのか、俺がソッチ系(どっち系?)だと思ったかは分からないが…。

悩むところはサービスの完全使いホーダイか、月25時間使いホーダイか?…値段も何千円か違うし、フルに使う訳でないので月25時間のサービスに決定。あ〜後で後悔しそう…。

shinki_yugata.jpgあ〜帰る頃には夕方になってらあ。

長崎は今年の台風以来、ほとんど雨は降らないし、深刻な塩害もあった。来年のビワは貴重かもしれない。決して特別おいしいという訳ではないが、貴重な中に大切な何かを感じる。

人間と同じかなあ。

2006年10月06日

僕とmacとメリシャカ

メリシャカメンバーのToshiさんがpodcast受賞でmac製品もらったようだ…。
羨ましいなあ〜…僕はMacBook Proがほしいんですけど(笑)。

という訳で、
僕も久しぶりに知人に貸していた元相棒 imac G4が帰ってきたので、
macの楽しさを述べることにしよう。


mac人生の始まりは学生の時。
それまで使っていたwin98はどうしてもなじめなかった。
(win派の知人に聴くとwin98が一番良かったらしい)

OSがどーのこーのとか全然わからんのに使って、
ある日パソ屋でみつけた真っ白い固まり。

『これはパソコンか?』…衝撃でした。

店頭でイジったら、マウスに右クリックがない!…爆。
動きがアニメーション的で見やすい!
この頃は、OS Xが出たばかりでした…
多分classic状態のみなら買ってないと思う。
これは余計なものがなくてイイと安易な思いで
速攻貯金はたいてimac G4 17inch買う。

その後思った事は、
”パソコン”は理系さんのジャンルだったんだと思った(今さら)。
macは直感的でアナログ的。なのに最先端!?
winとの共有?…共有ってなんですか?

という恐ろしく知識に乏しい状態の中、
不思議な”縁”でmacと出会う事ができた。

AppleのHPにしろ、無駄がなくシンプルで言葉が強烈!

また仏教もそうかもしれません。
仏教って歴史は古いもんだけど、直感的で言葉が強烈!
仏教が難しいと思うのは、頭で考えるからであって、
普通は理解できるものじゃないですよね。
これを仏教では不可思議と言われる。

思議(しぎ)…思いはかること。
仏教は、思議できない世界なんです。

でも頭で考えちゃう所が人間ってな生き物です。

それにしても、
オープンソースの派生する世界は仏教の派生する世界によく似ている。
それでいて、それぞれが深い。

うわ…パソコン病だ…。

メリシャカ。

2006年04月18日

メリシャカに想いをよせる。

よく坊さんが『お寺に少しでも足を運んでもらおうと…』という記事をテレビや新聞で目にする。それはそれで良いでしょ。実際そうなんだから。でも一つ自分が思うのが、何か無理矢理じゃない?って思うんですよね。

よく昔の人は、子供の頃は訳が分からずともお寺に行っていたと言いますが、それは今みたいにゲームがあったり習い事をしてる人が少なかったから?遊ぶ場所がなかったから?
ちょっと違うだろう〜と個人的には思っちゃったりします。ただ”生活の一部”にお寺という通り道があっただけなんじゃないのかなって。だからお寺に足を運ばない人だって、今も昔もいるんだから、そう変わりはないんだと思うんですけどね。

つまり人間は変わってない訳で、変わったのは生活様式。それこそ多趣味、多文化のワールドワイドな異種格闘技戦。それを仏教は盾を用いて弾いてきたのかもしれないな…と思うこの頃。伝統を守るのではなく、保守の方に回っちゃったんだと思いますね。

だからこそ仏教を通り道に無理に置くのではなくて、仏教のある通り道を歩いてもらえば良い。それは一番手軽なのは、音楽だったりするわけで、頭から宗教うんぬんじゃない。
ちなみに自分はロックが好きなのだが、仏教讃歌にはロックというジャンルがない。ゴスペルがうらやましい(笑)。仏教讃歌にロックがあってもいいじゃない。それこそ僕らの世代の生活様式であり、通り道なんだと思うんです。

”メリシャカ”とはそんな想いが通じるムーブメント。(…にできればなあ〜)

何という理由もない。ただアツいだけ(笑)。
メリークリスマスのパクリだが、パクリというだけだ。

なんてコンセプトのはっきりしないものなんだろうと言われるかもしれないが、
コレという”コンセプトの無いという名のコンセプト”であってほしい。

それが私の思う”メリシャカ”。これこそエンターテイメントなんでしょう。

今日のメリシャカ!

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