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Lohas

「LOHAS(ロハス)」という言葉が最近、雑誌やテレビでよく取り挙げられています。
でも私のように、聞いたことあるけどよく意味がわからない方もおられるかと思います。或いは逆に「LOHAS」な生活をすでに送っている、という方もおられるでしょう。
でもま、一応わからない人のために、まずこの「LOHAS」という言葉について説明させていただきます。

「LOHAS」というのは、
「Lifestyles of Health and Sustainability の頭文字をとった略語で、健康を重視し、持続可能な社会生活を心がける生活スタイル」

ということらしいです、はい。
なんとなく英単語見ればわかりますが、Sustainabilityって単語が難しいですね。
ですので、これも調べましたら
「維持、継続できること、(開発などが)持続可能な(環境を破壊せずに, 現状を維持したまま永久的に継続できる)こと」
ってことらしいです。なるほど。

そしてそういう生活スタイルが、欧米を中心に流行しており、日本でも流行りつつあるとか。
で、じゃあ具体的に「LOHAS」ってどうすることなの?ということなんですが、
スポーツジムやヨガに通い、食生活に気を配り、アートに興味を持つなど自己啓発に努め、社会貢献している企業の製品や環境負荷の低い商品を選択するというような、心と体の健康と地球環境に配慮したライフスタイルが、「LOHAS」ということらしいです。

ふむ、すばらしいですね。
大量生産、大量消費によって便利・豊かさを手に入れた現代、環境汚染、地球温暖化などの問題は、これから一人一人が考えていかねばならない事です。
そして、食に対する意識、無農薬やオーガニックの食品が好まれるようになってきているというのも、いろいろな食べ物に関する問題が多い現代、大切な事なのかもしれません。そして、いろいろな新しい価値観が生まれてきている、というのもすばらしい事かな、と思います。
ともすれば、近頃、バブルのような兆しが見えつつあり、セレブセレブと、高級志向が強い中、お金以外のことに価値を見出せる、ということは素晴らしいことじゃあないでしょうか。
それに、
「LOHAS」の考え方は、発展させていけば、自分のことだけではなく、自分を取り巻く環境やいろんな命の関係性も見ていこう、となるかもしれません。
もしそういうライフスタイルになっていくのであれば、「LOHAS」という生き方は、仏教の考え方にも近いものと言えるような気がします。

え?じゃあなぜ「斬る」必要があるのかって?
ふふ、「斬る」必要が無いと思われるものにも、あえて食って掛かるのがこの「シャカ斬り」のコンセプト・・・え?違う?
いや、まあ実はちょっと気にかかる事がありまして・・・

それは「健康」ということ。
いや、いいんですよ、健康を保つ、ということは大いに。
私も最近運動不足で、ジム行ったりしてでも運動しなきゃなあ、と思ってるくらいですしね。
ただ、健康至上主義になってしまうのが、ちょっと怖いんです。
確かに健康ということは大変すばらしい事です。
できればいつまでも、若く、健康なままでありたい。
だからこそ、ジムに通ったり、ヨガをやったりする人も多いのだと思います。
それ自体は悪い事ではありません。

でも、
ある意味ではそれは、人が必ず経験しなければいけないものである、
「老・病・死」というものを避けていることのような気がするんです。
また暗い事を言うなあ、坊主は、と思われる方もおられるかもしれませんが、
しかし、どんなに今が若く、健康であっても、いつかは年老い、病を得ていきます。それは避けて通る事ができないものです。
でも、健康こそが素晴らしい事!若々しさこそが最高!という考えの下では、病気になる、ということ、年老いていく事ということは、言わば「負け犬」になってしまう、という考えに陥ってしまいかねません。
でもそうではないはずです。
いくら「LOHAS」な生活を送っていても、
いくら健康や若さに気を使っていても、
病になること、年老いていくことは、人として当たり前の事なんですから。

健康である、ということは、
とても大切ですし、ありがたいことです。
ですからそれを維持管理していく、ということは必要な事だと思います。
でも、それと同じくらい、
自分の老・病・死ということを、無視し続けていくのではなく、
しっかり見据えていく事も大切なのではないかな、と思います。

「LOHAS」ということを、単なる贅沢のオルタナティブや、ファッションとして終わらせるのではなく、
社会や環境ということから、命の関係について考え、
健康を維持していく生活を営む中から、
「老・病・死」ということも我が事として向き合っていけると、
きっとまた「生」ということの新しい価値が見えてくるのだと思います。
なかなか難しいことではありますが。

コメント (4)

ケンユウ:

どうも、門前様、はじめまして。コメント、どうもありがとうございます。
えっと、まずはLOHASの定義についてですが、
これは、LOHASの提唱者が掲げたもので、私が考えたものではありません。
おっしゃる通り、きちんとそこを明確にしなかったのは、ちょっとわかりにくく、誤解を招くものでしたね、ご指摘いただき、ありがとうございます。

そして、この文章は、生活規範について書いたものではありません。
ロハスは、あくまで個々人のライフスタイルです。それは個人の自由なので、その規範が、仏教から見てどうだとか、戒律と比較してどうだとか、ということを、書いたつもりではありません。
ただ、ロハスというライフスタイルが流行していく中で、健康第一主義に陥ってしまう、ということが、少し気がかりだな、と思ったわけであります。
と、申しますのも、私たちの「生」、生きる、ということは、老病死とともにあるわけで、門前さんの言われるとおり、生と老病死は切り離せないものです。
しかし健康第一主義では、健康に生きられることだけが良いものであるとし、老病死は良くないものだと、避けようとする意識が強いように思うのです。
それは、ごく当然のことだと思いますし、生きることをポジティブにとらえているように一見見えます。
しかし、その考え方は、老病死を意識してはいるけれども、避けようという、ネガティブな意識が強い、と思うのです。そうだとすると、本当に生きることにポジティブになれているのか、というと、ちょっと違う気がするのです。ある意味では、生きることの一部である老病死を否定しているわけですから。
生きるということを本当にポジティブにとらえるということは、生と老病死を切り離して考えるのではなく、老病死は生の中にあるものだ、と、それをそのまま受け入れて行く姿勢、或いは、苦しみであるはずの生老病死が、苦でないものに転じられていくところにあるのでしょう。
そして、健康第一主義的な考え方では、健康というところから外れた、病気の人、年老いた人を、負け犬であるかのように見てしまいかねません。でも病気になっていても、老いていても、生きているわけですし、その命は否定されるべきもの、ダメなものと思われるべき物ではないハズです。そして、本当は、死というものも、否定されるべきものではないのでしょう。
そういうことが、健康こそが最も素晴らしいと言う考え方では、欠けて来るのではないかな、と思い、この文章を書いたわけです。

あと、戒律について、ですが、もし詳しくお知りになりたいのであれば、また質問お受けしますが、もしかすると他宗派のお坊さんに聞いたほうが正確かもしれません。
というのも、私たち浄土真宗の僧侶には、厳密に戒律と言うものがありません。他宗派と違い、得度をする時も、授戒、ということはしません。
それは真宗の僧侶は、山に篭り、自らを律していくことでさとりを目指す僧侶ではなく、日常生活を営む中で、阿弥陀さまの教え、つまりは南無阿弥陀仏をいただき、仏とならせていただく命を歩ませていただく在家の僧侶なのです。
戒律も守らないで、なにが僧侶だ、と思われるかもしれませんが、
南無阿弥陀仏に照らされた時、戒律の基本となる五戒さえきちんと守りぬけないのが私の姿だ、と知らされるところに、浄土真宗の教えが生まれてきたのであり、それ故戒律が無いのだと思います。
しかしそれは、好き勝手してもいい、という開き直りからくるのではなくて、戒律も守れない、という自分の姿を親鸞聖人が見つめ抜いていかれたところにある姿勢であり、自分の姿を常に省みながら生きる姿勢だと思います。
とは言え、もちろん、戒律や、それを守る努力というものを否定するのでもありません。戒律を守ることができることは、大変すばらしいことだと思いますし、それを守ろうとする努力や姿勢は、僧侶らしく生きるという意味においては私たちにも必要かもしれません。
しかし、浄土真宗にとっては、戒律を守ることが一番大切なことではなく、戒律を守れない自分の姿を、お念仏を受け取る中で見つめて行く事が大切になってくると思います。かと言って戒律は不要、というわけでもなく、戒律を守る中で、自分の姿が見える、ということもあるでしょうから、お念仏の道へと誘う一つの道と言う位置付けになると思います。
おっしゃる通り、真宗にとっては、南無阿弥陀仏をいただいていくことが、最も重要なのですから。
まあ、それでも、より良く生きる、ということのために、自分を律していこうというような姿勢も、大切にすべきなのかもしれませんけどね。

長くなりましたが、至らぬところをご指摘いただき、ありがとうございました。
おかげさまで私も勉強させていただきました。

門前:

『スポーツジムやヨガに通い、食生活に気を配り、アートに興味を持つなど自己啓発に努め、社会貢献している企業の製品や環境負荷の低い商品を選択するというような、心と体の健康と地球環境に配慮したライフスタイルが、「LOHAS」ということらしいです』
←って誰の定義ですか?この定義の根拠(例・「○○新聞より」とか)もしくはロハスを提唱した人の定義を明らかにして語ってくれた方がよかった。文中の定義が、ケンユウさんの決めた定義ならそうとはっきりしないと、ロハスや仏教の生活観?に関して、読む人が勘違いする危険性を感じました。メリ釈迦は、軽い冗句(仏教めいた冗句)のHPならそれでいいのしょうが・・・ロハスが仮に生活規範的なものとすれば、仏教の生活規範は戒律であるとしか言いようが無いと思われます(私のような素人には)ロハスの規範と戒律を比較するのであれば話がわかるようなきがしたけど・・・老病死もしくは生老病死とは漢字は四つでもひとつと見るのが仏教だと以前に聞いたことがあります。またおなじように生と死を分断してみないといい、しかしながら生と死を分断してみるのがボンブの姿だとも聞きました。しかし本文章を見る限りでは、生死を貫いてかたられている文章というよりは、死ということだけを強調してある様に感じられました。健康志向の人は、死ぬことや、病になることが今のままでは避けれないことを自覚した上で健康を消費しているわけだから。かならずしも意識に老病死が無いわけではないと思います。しかし「生老病死」を受容して生きているとも思えませんが・・・真宗的に言えば『宿善』でしょうか?娑婆の善悪(生老病死の固定的イメージ)を受容というより転ぜられるというこころを頂く、そこがあれば、ロハスであろうとメリシャカでなくても良いように思います。真宗はロハスでもなく
メリシャカでもなく南無阿弥陀仏だそうですから。いずれも受容されるのでしょうけどね・・・今度戒律について教えてください、機会あれば、坊さんは250戒あるらしいですけど・・・ひとつでもね、宜しくお願い致します。

kenyou:

どうも、jantouさん初めまして。コメント、ありがとうございます。
えーっと、LOHASについてですが、お気を悪くされてしまったら、申し訳ありません。
私はLOHAS自体を否定してるんじゃあなかったんですが、
そういう風にも取れてしまう文章ですよね。
私にもLOHASについて勉強不足の面があったと思いますし。
でも、もしLOHASという生活スタイルが、ファッションとしてのもので終わらずに、
自分自身の健康の維持、ということを通して、「老・病・死」ということも、決してそれは負け犬になってしまうということではなく、自分自身が生きるということの上に極々当たり前にあるもの=持続には限界があるものだ、ということを見つめ、それをどう受け止めていくのか、ということも考えていけたら、もっと良いのではないのかな、と思ったわけです。
LOHASという生活スタイルが、そこまで見つめていくものであるならば、私はそれは素晴らしい生き方であると思います。

私も生意気な意見を述べましたが、
よろしければ今後ともメリシャカをよろしくお願いいたします。

jantou:

現在LOHASをメインテーマに掲げている会社で勤務しています。
聞き捨てならない!と思い投稿しました・・。
確かにLOHASという単語が一人歩きしているのは実情ですが、言葉の意味をよく理解している人たちもいます。流行に乗って使っているだけではないことを知っていただきたい。
「持続可能な」とあるように、「老・病・死」に対しても、持続可能な→持続不可能なこともある、と理解しているはずです。
うちの会社はヨガスタジオを主に活動していますが、ヨガとは自分と向き合い自分を見つめるものです。当然ヨガしてる人は自分の内面や、もちろん自分の老いや体力の衰えも見つめています。無視しているわけではないのでご理解いただければと思います。
ちょっと愚痴りすぎましたが、生意気に意見させていただきました。メリシャカサイト画期的でおもしろいので今後も拝見させていただきます。

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