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【第1回】おシャカさまとその時代

 みなさんこんにちは。今回からインターネット上で仏教入門講座『おシャカさまは何を教えられたのか』をはじめることになりました相馬と申します。どうぞよろしくお願いいたします。なお、おシャカさまの生涯については、ゆっくりとご説明している余裕はありません。どうぞ個人個人でお調べくださるよう。質問は、できるだけお受けしたいと考えています。編集者による要領にしたがってご質問ください。


おシャカさまとは
 おシャカさまの生没年代は、おおよそ紀元前6~5世紀と考えて満足しなければなりません。研究書等にはいろんな年代が記されていますが、それらはすべて推定によっていて、絶対的なものはありません。また、インド古代史をひもとけば、アーリア人という白人種のインドへの侵入・定着や農耕文化の推進、あるいは、ヴェーダ(アーリア人の宗教・哲学の基本聖典)等のいわゆるインド文化の構築といったことが述べられ、その後に仏教の創始が語られます。よって、おシャカさまはアーリア人種であろうと思うでありましょう。けれども、アーリア人たちの文化とおシャカさまの国のそれとでは大分性格が違うので、そう簡単には、おシャカさまをアーリア人であったとは断定できません。

12-51.jpg 稲作文化を有していたこと、専制君主によらず代表による合議制で国の運営がなされていたことなどが理由でしょうか、一時、「おシャカさまモンゴル人種説」が唱えられたこともありました。私たちと同じような蒙古斑があったとすれば、余計に親しみやすいことだとも思いましたが、今度は、いわゆる八頭身で鼻筋通ったかっこよいお姿が失われてしまいます。ずんぐりむっくりの、どうにも風采が上がらないおシャカさまになってしまう(失礼)とも感じたものです。
*仏陀立像(2~3世紀・ガンダーラ地方出土/ニューデリー国立博物館)

 使用言語も、しかとはわかっておりません。梵語・サンスクリット語がそうではないのかとおっしゃる方もありましょう。しかし、これは雅語・文語(文章語)ですから、おシャカさまがこれを用いて教化活動をしたわけはありません。やむなく、古代マガダ語などと仮によんだりしていますが、アショーカ王がマガダ地方の石柱等に記録した言語に近いものを想定してこう述べているだけで、この名に相応した言語の実体が確かめられているわけではないのです。何しろおシャカさまは一つも書物を残しませんでした。教えは記憶によって長らく伝えられ、文字に写されたのは、早くて紀元前1世紀末です。少なく見積もっても6・7代の弟子たちの間は、仏教は口伝(クデン)で伝えられたのです。ですから、現存経典に用いられている言語は、おシャカさまの使用言語とはあまり関係がないのです。

 おシャカさまについてはこうしたわからないことだらけなのです。にもかかわらず、仏教がこれまで連綿と伝えられてきて、現代人の精神生活に大きな影響を与えている、そのことの凄さを考えて欲しい、と訴えておきたいと思います。おシャカさまによって創始された教えが現代でもなお大きな力を持ち、私たちの文化を裨益(ヒエキ)している、そしてこのインタ-ネットの時代にも通用している。これは驚くべきことでありましょう。


文化的・社会的な状況
 思想も社会の状況と無縁ではなく、仏教が、経済的には貨幣経済の進展期に興ったことを忘れることはできません。当時のインドと西方世界との貿易によって商品の流通が一般化し、貨幣による取引が常態化したころのインドにおシャカさまは登場しました。いわゆる商人、あるいは資本家的な人物が仏典に出ることはよく知られています。カースト制度などの身分的な制約よりも、貨幣を有している階層の力の方が重視された時代であったということであります。

 政治的には、都市国家的な小国分立の時代から、専制君主による広領域支配の国家へと統一の時代といってよいでしょう。おシャカさまの釈迦族の国が、隣国のコーサラ国に併合されて滅んでいったことに象徴的に現れています。すなわち弱肉強食の時代です。

 こうして社会的に変動の時代がおシャカさまの生きた時代であるととらえますと、その生き方、考え方がよく理解できるでしょう。この変動にともなってヴェーダの権威が揺らぎ、伝統的なバラモンの教えに対する疑いの気持ちが芽生えてきた。それが、「六師外道(ロクシゲドウ)」と総称される新しい思想家たちの活躍につながるのです。沙門(シャモン)、これはいまでは僧侶の呼び名になっていますが、本来はバラモン(インド教の司祭者階級)に対する新しい思想家・宗教者を指す言葉です。伝統的なインドの考えにとらわれず、新しい観点で人間の生き方を見つめ直した人たちです。

 おシャカさまもこの沙門の中の一人でありました。輪廻をいかに超克するか、祭祀による宗教的な救いが人々の本当の救いにつながるか、こうした問題を真摯に追求していったのです。すなわち、文化的には、社会的な変動の影響を受けて、新しい時代により適合した思想的な営みが積極的に進められていた時代であったといえましょう。

 中国の春秋戦国時代という、各種の新思想が沸騰した「諸子百家」の時代を思います。社会が新秩序を目指して混乱した時代だからこそ、新しい思想・考え方を生み出しえる。仏教はこのような時代に登場したのです。ですから、仏教は体制の維持存続のための緩衝材などではないのです。


キーワード‥‥アーリア人、古代マガダ語、貨幣経済、バラモン教、六師外道、沙門


_____________________________________
<追記>
質疑応答
Q
おシャカさまの使用されていた言語ははっきりと分かっていないのですね。
質問なのですが、ヴェーダってバラモン教の宗教文書のことと聞きました。
ではおシャカさま在世時に文章があったのでしょうか?それともやはり口述だったのでしょうか。もしも文章化されていたとしたら、なぜおシャカさまは仏教を口伝で伝えられ、書物を残されなかったのでしょうか?そこに意図があったのでしょうか?

A
おシャカさま在世時にすでに文章はありました。サンスクリット語というかその古い形でヴェーダ語というか、そういう言語で記された文書です。ヴェーダは、一番古いもので紀元前1000年以前、一番新しいものでも、おシャカさま以前の編集です。なにゆえおシャカさまが書物を残されなかったのか、私はしかとは存じません。

いま私なりに推定すると、こういう格調高い、一般庶民に理解できない言語でしか、書物を著すという文化が育っていなかったということではないでしょうか。人々にわかる言葉で教えを説くべし、というのがおシャカさまの態度ですから、そういう口語での著述は、当時は、あり得なかったのではないでしょうか。


Q
「輪廻をいかに超克するか、祭祀による宗教的な救いが人々の本当の救いにつながるか」という所なのですが、お釈迦さまご自身は輪廻の考え方に否定的なのでしょうか?それともその考え方・思想の上で超えていけと仰られたのでしょうか?

A
輪廻という命のあり方は、インドの伝統にしたがってその事実を承認していると思います。ただ、こういう命は真実の命とは言い難いとして、それを超越した、それに左右されないあり方を目指すよう教えたわけですから、それを肯定したわけではありません。輪廻に左右されない、もはや輪廻しない真実のあり方として涅槃があり、さとりがある。そういう生き方に影響されない永遠の平和、それを求めて生きるべきだし、それこそが本当の救いである。こう考えたと思います。そして、それを得ることは、祭祀などの伝統的なバラモン教の方法では達成できない、と考えていったのでありましょう。


*下のコメント欄にも返答がありますので、そちらもご覧ください。

コメント (11)

チスイ:

第一回目から、本当に色々な気付きがあり、目からウロコがぼろぼろと落ちました。


おシャカさまの使用されていた言語ははっきりと分かっていないのですね。
質問なのですが、ヴェーダってバラモン教の宗教文書のことと聞きました。ではお釈迦様在世時に文章があったのでしょうか?それともやはり口述だったのでしょうか。


もしも文章化されていたとしたら、なぜおシャカさまは仏教を口伝で伝えられ、書物を残されなかったのでしょうか?そこに意図があったのでしょうか?

とし:

「カースト制度などの身分的な制約よりも、貨幣を有している階層の力の方が重視された時代」というのが気になります。おシャカさまの登場に関して、お金が重視された時代ということがより大きな意味を持っているのでしょうか。そのあたりの教授のお考えをもう少しお聞かせください。

るる:

新しい知識にわくわくしています。
さっそく質問ですが、お釈迦様と六師外道の沙門たちとの決定的な違い、その後の社会に一線を画したのはどういった点だったのでしょうか?

舞蹴:

駄文失礼いたします。

「輪廻をいかに超克するか、祭祀による宗教的な救いが人々の本当の救いにつながるか」
という所なのですが、

お釈迦さまご自身は輪廻の考え方に否定的なのでしょうか?
それともその考え方・思想の上で超えていけと仰られたのでしょうか?

最近、その辺りがずっと気になっています。よく分かりません。
宜しくお願いいたします。

merry-shaka:

チスイさま
文章末に追記しました。

souma:

としさま

私が申し上げたかったことは、社会的身分・カーストが重視されて、何よりもこの区別が重視されるというのは、紀元前2世紀以後の、マヌ法典などが力を持つようになってからで、おシャカさまの時代には、経済的な力を有するものがより重視されたということです。最初期の仏典には、バラモンが、経済的な力を有するならば、シュードラの前にてもひざまづく、という記述が残っています。

souma:

るるさま

輪廻を超克して、解脱を目ざすという点では共通でしょうから、解脱のための方法論、あるいは解脱(さとり)の内容、すなわち教説の内容こそが大きな相違点であったと思います。あるいは「出世間」という視点で、涅槃の世界を主張したことかもしれません。この具体的な中身については、次回以後の私の話で語ることだと思います。

merry-shaka:

舞蹴さま
文章末に追記しました。

kenyou:

相馬先生始めまして、ケンユウと申します。
遅ればせながら一つ質問させていただきます。
おシャカ様の時代、バラモンの教えに対する新しい教えがいくつも芽生えてきた、とありますが、おシャカ様、そして当時の仏教教団は、そのような仏教とは異なる新しい思想と、どのように接して、というか、対応していたのでしょうか?
中国の「諸子百家」の時代もそうですが、現代も、それ以上に多種多様な教えや宗教があります。そのような仏教とは異なる他の教えを持って生きる人たちと接する時に、私たちが、仏教者として、どのように関わるべきであるのか、ということの参考にさせていただきたいなと思いますので、よろしくお願いいたします。

souma:

ケンユウさま

残念ながら、バラモン教に対する批判は、おシャカさまの教えの中に見られますが、
それ以外の諸思想への対応は、明確ではありません。したがって、「私たちが、仏教
者として、どのように関わるべきであるのか」といったことに対する参考のためには
何の答えもできません。その後の仏教の歴史と、現代における宗教に対する考えから
演繹して、私たちは独自に考えてゆかなければならないと思います。

 相馬先生の弟弟子のマイコン坊主です。なぜ書物にしなかったのか‥‥ということに、兄弟子の説明に補足いたします。
 まず、おシャカさまは修行によっておさとりを得ようとされたわけです。しばしば「体得」するという言葉を、昔の先生方もおっしゃっています。つまり、頭で考えることを二義的なことだとしておられるわけです。
 さらに、おシャカまは相手に応じてお話をされておられます。つまり、人によってお話が変わっているわけです。相馬先生のようにマジメな人には、もっとュックリやりなさい、と言われたでしょうし、ボクのように横着な人間には、もっとシッカリやりなさい、と言われたでしょう。
 だから、相手によって言葉が変わってくるので、お書物に残すように、一般に説くということはあまりなかったのです。だから、個人個人が自分が言われたことを後で集めたのであって、大衆に一括して説くということはあまりなかったから、お書物にはならなかったということです。
 さらに言うなら、言葉は二義的なこと、というのが仏教に通じて言われます。言葉は、あくまでも月を指す指のようなもので、月そのものではないのです。その意味で、言葉への扱いがどうしても二義的なことになっています。
 きっと後で、龍樹菩薩のところで相馬先生が詳しく説明してくださると思います。

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ここは、仏教サイト「メリシャカ!」の1周年特別企画、インターネット仏教入門講座のページです。
2007年4月8日 START!

記事は新しい順に並んでいます。初めての方はこちらからどうぞ。
◆第1回テキスト
「おシャカさまとその時代」

◆第2回テキスト
「おシャカさまの教えの基本」

◆第3回テキスト
「おシャカさまの教えた修行道」

◆第4回テキスト
「アビダルマ仏教の追求」


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