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花の御寺

またまた近畿漫遊記をどうぞ。

先日、所用で京都へ行ったついでに、ちょっと…いや、思いっきり足を延ばして奈良県桜井市に行く。
特急・普通電車を乗り継いで1時間半、向かった先は、真言宗豊山派の総本山にして、西国観音霊場第八番の寺。

花の御寺 長谷寺

緑豊かな山の中腹に、満開の桜の木に囲まれた伽藍がある。
その光景は「花の御寺」という名に相応しく、参拝者の目を和ませ、心を潤すものだった。

私は平安時代の貴族文化が大好きで、小学生のころから『源氏物語』や『枕草子』、『更級日記』などを読むような渋い子供だった。
(ちなみに、今その反動がきたらしく、しょうもない本ばっかりを読むダメな大人になってしまった…)
それらの古典文学に共通して登場するのが、この長谷寺。
つまり、歴史は物凄く古いということになる。

寺伝によると、朱鳥元年(686年)、道明上人が天武天皇ために「銅版法華説相図」をこの地に安置したことに始まり、のち神亀四年(727年)に、徳道上人が聖武天皇の勅願によって本尊・十一面観音菩薩を祀って開山したとある。

その長谷寺が古典文学に登場するのは、飛鳥時代に伝来し、奈良時代には非常に流行していた観音信仰が大きな要因。
観音信仰は、平安時代中期以降に新たに流行しだした浄土信仰と合わさって、もともと現世利益的な信仰だったものに、浄土往生に関わる菩薩への信仰という要素が加わっていったことから、観音菩薩像が祀られている長谷寺への参拝は、貴族に限らず武士や庶民にまで、古くから広く浸透していたらしい。

そのご本尊・十一面観音菩薩にお会いするためには、登廊(屋根付き階段)をひたすら昇らなくてはならない。
その段数399段 (←数えた)…なんとなく、あと1段欲しくなった。

本堂内に入り、高さ約10メートルの十一面観音の立像を見上げる。
右手に通常の観音像にはない鍚杖あるのは、地蔵菩薩が鍚杖を持っているのと同じで、自ら人の世で救済を続け歩く姿を彫り出したものだからだそうだ。
そう言われて見てみると、表情から滲み出る慈悲深さが倍増して見えてくる。

そもそも観音とは【観自在菩薩(観世音菩薩)】のこと。
サンスクリット語で「アヴァローキテーシュバラ」といって、広い視野でものを「観る」という語と、「自由」「自在」という語の合成でできている。

自由自在にものごとを観る。
自由自在に衆生を救う。

観音にはそんな意味がある。
そして、観音はすでに悟りを得ているにも関わらず、仏とならずに、生きとし生けるものを救うために働き続ける菩薩でもある。

十一面観音はその名のとおり、十一の顔を持つ。
それは菩薩の顔、怒りの顔、牙を出す顔、仏の顔と様々。
生きとし生けるものに対応して、その人に合わせた表情で救いの手を伸ばす。

そのうち、普段は絶対拝見することのできない後頭部にある顔が、どんな表情をしているか、ご存知だろうか?

答え…大爆笑(←ホント)

【暴悪大笑面】と言われている。
手を合わせつつ、目の前の大きな観音様が振り返ってくれることを、秘かに期待した。

本堂の正面には清水寺のような舞台がある。
そこからの桜を見下ろす絶景に息を飲む…次は秋に来たいものだと、再訪を誓った。

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2006.4.26-
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