2008年02月29日

バングラデシュ①

世界地図って頭の中に入ってます?パッと「この国はどこにある?」と聞かれて思いつかないことってありません??

ではバングラデシュはどうですか?

ちなみにバングラデシュの位置はこちら


先日、メリシャカメンバーのタツヤ氏も含め、10人でバングラデシュに行って来ました。
今回はチッタゴン丘陵地帯(CHT)についてです。

まず、バングラデシュの中でもどこ?・・・だと思うので位置から確認。
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カグラチョリ、ランガマティ、バンドルボンという三つの県からなる地域で、ミャンマー・インドに囲まれたとこを指します。


ではそこで何が起きているのか。


「少数民族のジュマの人たちが迫害を受けている。」


そのジュマの人々は、1971年にバングラデシュとしてパキスタンから独立した前後から特に政府との関係が悪化。

そして1979年以降、ジュマの人たちの地域にベンガル人の入植者たちが住み始め、さらに関係が悪化。

そんなこんなでもともと住んでいたジュマの人たちが迫害を受けている構図が続いてきた。

詳しくはNGOジュマ・ネットを参考に。

歴史的背景はめっちゃ複雑。僕自身も資料に目を通しましたけど、単純に○○VS△△みたいな図式だけでは語れない、ものっすごい複雑でした。
もともとこの地域ではベンガル人(人口の90%以上を占める。見た目はインド人的なかんじと言ったら分かりやすいかな。)とは異なるモンゴロイド系の民族(東南アジアや日本に近いかんじ。)の人々が多く住んでいて、しかもその方々の多くは仏教徒。
そのモンゴロイド系の人々は13の民族に分かれているが、共通点として焼畑農業を主に行っているので、現地の言葉で焼畑を指す「ジュマ」・・・総称として「ジュマの人々」という言い方をしていました。

で、その迫害は対人間だけではなく、対建物にも及ぶ。仏教寺院はその格好のターゲットである。

破壊された寺院は再建されることなく、しばらく放置されることになる。政府やNGOなどから破壊された民家には補助が出るが、寺院にはない。そのためだ。
そこで破壊された寺院を仏教NGOネットワークと東京ブディストクラブの援助により再建し、落慶法要(寺院が完成した時に行う法要)が行われた。
寺院破壊についての詳細は、襲撃やレイプなどの報告含め仏教NGOネットワーク(BNN)を参考に。

その法要に自分たちも僧侶として参加させていただいた。それが今回バングラデシュに行った一番の目的である。
現地につくと、500人は軽く越えるほどの方々がすでに待ち構えていた。入り口の門のだいぶ前から、道の両端にずらーっとならんで迎えてくれた。

これがその時に集まった現地の方々。奥のテントまで人がぎっしり。
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その時、日本からの僧侶が何人か落慶法要に際して、法話をしていたが僕もさせていただいた。
急に話せ!って言われたから、思いつき(と言ったら失礼かな・・・)でだいたいこんなことをお話させていただいた。

「本当の痛みを知っている人は、相手を同じように傷つけるのではなく、相手に優しくなれると思うのです。慈悲のココロとは相手に対して慈しみをもって接することでしょう。
ホトケ様の慈悲は、私たちでは想像もつかないほどの大きく偉大なるもので、到底私たちがそこにたどり着くのは難しい。でも、そのココロを少しでも学ばせていただきたいですね。」

それは、襲撃を直接見ていない自分が言うのもおこがましいとは思った。でも!それは平和を願う仏教徒としては一緒ではないかな。悲しみに寄り添う、そういう気持ちが大切なんだろうなーっと思ってさ。


よくよく考えてみたら、慈悲という原語は古代インドの言葉で、「友情」と「呻き」という意味を併せ持つ言葉である。呻くほどの悲しみを知ることは、苦しみを知ることであり、誰に対しても友愛の精神で接する。
ジュマの出来事は慈悲の真の意味を見つめなおすきっかけとなった。


次回はタツヤ氏がバングラデシュについて書いてくれる!・・・に違いない。お楽しみに。

2007年11月22日

インド⑤


半年以上かかってやっとインドシリーズ最終回です。
前回はこちら
前々回はこちら
前々々回はこちら
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それはインド旅行の最終日。
デリーの国立博物館にいった時の事である。そこには本物の仏舎利(お釈迦さまの遺骨)が展示してある。
はっきりいって博物館はパリのルーブル美術館に匹敵するほど広く(言い過ぎか!?)、一日では回りきるのは困難な場所である。

時間もないので、いくつか見るポイントをしぼって行くことにした。
そう、仏舎利。それだけ見ればいいや。それくらいの気持ちだった。

ヘアピンカーブのようにクネクネした道順をぐいぐい進むこと数分、目の前には待ちに待った仏舎利!

一緒にいた仲間たちは、いい写真ポイントを見つけようとカメラ越しで仏舎利を見ている。

・・・。

カメラを持って行っていない不良旅行者である僕は「へぇ」って感じで見つめていた。
仏舎利とともに目に飛び込んできたのは、タイの僧侶。
仏舎利の前で数人が座り、一心不乱にお経を称えている。

自分も日本のとある宗派の僧侶。
お経を称えているタイ人も僧侶。

この違いは何なんだろう。

仏舎利を観光の一つとして見ている日本人僧侶。
仏舎利を帰依する仏教の尊前とみるタイ人僧侶。

恥ずかしくなってきた。自分も僧侶の端くれである。観光かもしれないが、ただの興味本位だけで来た状態の自分にガツンと思い知らされた出来事であった。

写真はその時にお経称えているタイ人グループの1人に頼まれて写したもの。(目隠しはタイの方ではないので深い意味はないけど入れてみました。)またしても写真頼まれたよ。
タイ語のTシャツ着てたのもあってタイ語で話しかけられたのか!?ホンマよー東南アジア系に間違われる。まぁいいけど。

そんなこんなで怒涛の10日間インド旅行でしたとさ。

2007年07月24日

インド④

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キッスィがインド旅行で訪れた場所を紹介する第四弾!忘れた頃に更新です。(笑)
前回はこちら
前々回はこちら
前々々回はこちら

今回はサンチー。
マディヤ・プラデーシュ州の州都ボパールから北へ67㎞、サンチーは前回までのナーガルジュナコンダ・アジャンタ・エローラに比べるとだいぶ北に位置します。
そのサンチーには何があるのかというと・・・アショカ王が建てた現存する最古の仏塔があって、それがほぼ完全な形で残っています。

アショカ王(紀元前268年~232年)について簡単に説明しますと・・・。
マウリヤ朝の三番目の王として即位した人でインドを初めて統一。でも、めちゃめちゃ残酷な性格で、暴虐王と呼ばれていた。
インド東部のカリンガ王国を征服した際に数十万人の犠牲者を出して、その悲惨な状況を目のあたりにしたアショカ王は深く後悔し、仏教に帰依、武力政策を放棄したという。
その後の王は仏教を厚く保護した。仏典の編集事業を行ない、インド中に8万以上の仏塔を建てさせた。サンチーもその事業の一環であった。


サンチーは仏塔が建設された紀元前3世紀頃から仏教信仰の場になっていきました。広大なデカン高原の大地を見渡すことの出来るこの丘は瞑想など修行のためには理想的な場所であったようです。
紀元後11世紀までこの地は栄えるけれども、インド仏教の衰退とともに訪れる人々の足も遠のき廃墟になった・・・13世紀にイスラム軍の侵攻により、インドの仏教は滅亡していまいます。
うーん、なんとももったいないことですねぇ。19世紀に発見されて、現在では世界遺産にも登録されています。

サンチーには三つの仏塔が残っていますが、その中で一番大きな仏塔が第1塔で、その東西南北にある門には様々な彫刻がほどこされており、釈尊の誕生・成道(悟りをひらく)・説法などの様子がたくさんの動物と共に見ることができます。
紙芝居のように場面によって描かれていて、順番に見ていくと1つの説話になっていきます。

ここもナーガルジュナのようにすごーくすごーく田舎で周りにはなーんにもありません。お店も少し歩いても見つからないくらいです。
インドの昔ながらの風景と人柄に触れることができる、インドらしい土地といえるでしょう。
あちこち観光するのではなく、のーんびりしたい、ボーっとしたいのであれば是非オススメの土地です。

これでみなさんもインドに行ってみたくなりました??

2007年04月19日

インド③

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なんとか第三弾。前回はこちら。 前々回はこちら。
キッスィがインド旅行で訪れた場所をご紹介するコーナーです。今回はエローラです。

アジャンタとセットの遺跡としてよく聞くけれども、
アジャンタは仏教のみの遺跡なのに対してエローラは仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教の遺跡が連なる遺跡群になっています。
拠点となるオーランガバードからは1時間弱のところにあり(ちなみにアジャンタは2時間以上かかったような気がします)こちらは川沿いではなく、崖っぷちに遺跡がならんでいる形式になっています。
三つの宗教寺院は同時期に造られたのではなく、仏教(7世紀)→ヒンドゥー教(7世紀~8世紀)→ジャイナ教(9世紀)の順の年代で造られているみたいです。やっぱり、その時期に主流となった宗教の寺院を造っていったのでしょうね。

全部で34窟ある寺院の中で一番の見所はヒンドゥー教寺院の第16窟のカイラーサナータ寺院である。「カイラーサの主」という意味で、その主はシヴァ神。西ヒマラヤの高峰カイラー山がシヴァ神の住まいであり、そこが世界の水源地であると信じられているんですって。
写真はこのカイラーサナータ寺院である。これは、1つの岩を彫って作った寺院で、上から前から彫って作られたそうです。

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これってすごいことだと思いません??
だって、現代で考えると図面無いとできないだろうし、上から彫る時もトンガリ帽子のてっぺんを定めた上で彫っていかないといけない訳でしょ。
ちょっとでもずれるとそれは全体が歪んでしまうし、それはそれは慎重な作業だったんでしょうね。
そして1つの石窟を作るのにも100年以上かかると言われていて、一人の人生以上の時間をかけて作られていることになります。それって、ただ作業を受け継がれてきただけではなく、その宗教のココロをも人から人へ受け継がれていったんでしょうね。

人間の持つ時間観のちっぽけさを感じた遺跡でした。
(画像はネット上より転載させていただきました。)

2007年04月11日

インド②

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第2弾ありました!第一弾はこちら
キッスィが訪れた場所を紹介するインドシリーズ。今回はアジャンタです。

アジャンタはエローラとセットでよく聞く遺跡ですが、その二つはすぐ近くにあるわけではありません。アジャンタはオーランガバードの北106キロにあり、エローラはオーランガバードから北西に29キロのところにあります。広いインドの中で言うとまぁ近い部類に入るかもしれません。

そのアジャンタは馬蹄形にカーブしたワーグラ川峡谷に沿って、550メートルほどの間の岩壁に29もの石窟群がある仏教遺跡です。
この遺跡は紀元前2世紀~7世紀の間に造られ、時期によって三つの区分がされています。

1819年にイギリスの将校だったジョン・スミスによって発見されるまでひっそりとたたんずんていました・・・仏教の衰退していたという現実もあるんでしょうね。

一番の見所は第1窟の「蓮華手菩薩」の壁画です。その壁画は日本の法隆寺にある壁画と似ていることで知られていて、それを見比べるとすごい似ているのが分かると思います。(法隆寺の壁画→)
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それにしても、デカン高原のなーんにもない馬蹄形になった川石窟を造ったのでしょうか。その理由が四つあります。
①地質学的理由でアジャンタの花崗岩が適度な硬さで彫りやすかった。
②作業する人や修行僧の飲料水・石を彫るため・仏事のため水が必要だった。
③地理的に瞑想のために静かな環境である。
④交易のための街道から離れすぎず、俗世界との関わりも保たれていた。

あっ馬蹄形なところっていう理由はあまりなかったですね・・・汗。
ただ、その当時から水は生きていくため・宗教的儀式に不可欠なものだったということでしょう。
2000年前から水の価値は変わっていないんですね!!

次回は・・・!?
(画像はネット上より転載させていただきました。)

2007年03月20日

インド①

%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%80%E2%91%A0.jpgともだちコラム(キッスィ担当)でちらっと書きましたが、先日インドの仏教遺跡を訪ねてきました。
インドで仏教遺跡というと、お釈迦さまのゆかりの地・・・サールナート(お釈迦さまが初めて説法された場所)、ブッダガヤ(お釈迦さまが悟られた場所)、ルンビニ(お釈迦さまが生まれられた場所)などがまず思い浮かぶのではないでしょうか。その場所はインドでも北部やネパール辺りに集中しています。

だーがしかし、今回はその辺りとは別の場所に行ってきました。お釈迦さまゆかりの場所以外にも仏教遺跡はあるんですよ!!

訪れたインドの仏教遺跡について数回にわたってご紹介してみようと思います。インドの見て感じたことも織り交ぜながらご紹介できれば!!と思います。と言って一回で終ったりして・・・汗。

第1弾は「ナーガルジュナ・コンダ」です。いきなりなんか聞いたことないんだけど??という方もいらっしゃるかもしれません。ここは一般的なガイドブックにはまず載っていない場所です。でも、日本の仏教にとっては重要なとこなんですよ!

2世紀から3世紀にかけて龍樹(ナーガルジュナ)さんという方がいらっしゃいました。その方は大乗仏教の大家で日本では八宗の祖(南都六宗と天台宗・真言宗の八宗)と言われています。つまり、この龍樹さんという方は日本に伝わった仏教の基礎を築いた人とも言える、日本仏教会のいわゆる重鎮です。その龍樹さんが晩年過ごしていたところと伝えられている場所で、コンダは丘という意味らしいです。
ナーガルジュナの地には寺院や仏塔がありましたが、1964年遺跡の場所にダムが建設され、水没してしまいました。現在ダムの中の島に遺跡は移築されています。
その島へは船で約40分、ちょっとしたクルーズ気分です。島に渡ると、近郊からの遠足でしょうか、小学生~中学生と思われるグループを見かけました。我々日本人のグループはほとんどがデジカメを持っているのでその場で画像が確認できます。それがよほど珍しいのでしょう。我先に覗き込んできます。
「これが私?」「意外とオレかっこいいじゃん」とか言ったかどうかは分からないけれども、覗き込む表情は感動そのものでした。

島には仏塔や僧院跡があります。仏塔は割と完全な状態で残っていましたが、僧院跡はホントに跡という感じでした。日本で建物を建設する時に基礎をつくりますよね。その時に部屋の大きさに基礎が四角く区切ってあります。そんな状態でした。

そんなナーガルジュナ・コンダ。デカン高原の中心都市のハイデラバードから南東約150キロのところにあります。はっきり言ってすごい田舎で、町というよりはちょっとした集落といった感じです。
もし行かれるなら、空路でハイデラバードまで行き、そこからバスなどの車を使わないと行けません。そして遺跡がある島には1日2便の船を利用するしかありませんのでそれに間に合うようにしないといけません。
「インド時間」の流れている中で1日2便のために移動する・・・個人で日帰りは難しいかもしれないです。

ダムに映る夕陽と同じ夕陽を龍樹菩薩も見ていたのだろうなぁ…考え深いです。


一つ気になることをガイドさんからお聞きしました。。
インドはヒンズー教徒が大多数を占めていて、そのヒンズー教徒に対してカースト制は存在するものだと教科書には書いてあったと記憶しています。
ガイドさんはイスラム教徒の方でしたが、イスラム社会にもカースト制度があり、イスラム教徒でも同じカーストでないと結婚できないそうです。そのような現実に目を背けてはいけないな、と思いました。
私は仏教徒だから、カースト制度は関係ない。それではいけないと思うんです。正直、カースト制度には賛成しかねます。それにより階級・貧富の差を作りその中で毎日の生活が成り立っている訳ですから。
お釈迦さまはそのカースト制度を打ち破ろうと平等思想を打ち出していこうとしたのです!
インドに行って教科書に載ってないことを知ることができて一つ勉強になりました。

今回はこのあたりで・・・。

2006年09月06日

ハワイ②

ALOHA!キッスィです。

今回は前回に引き続きハワイに関するお話です。前回はお寺はメンバー制になっているということ、お経は漢字、ローマ字、英訳の三つがあり、実際に読経する時はローマ字を見ながら漢字の読みで行うということを書きました。
ハワイの寺院、特に浄土真宗の寺院は日系の方々を中心として発展してきました。最近では日系以外の方々も浄土真宗に興味を持たれてお話を聞きに来られたり、講座に参加されています。白人の方や、日系以外の移民の方…フィリピンの方がいらっしゃっていました。


今回はハワイにお寺ができて100年以上経って、いろいろ新しい試みもされています。その中でプロジェクト・ダーナを取り上げたいと思います。
それは日本でも起こっているのと同じ問題が発端になって始まった事業です。

高齢化…それは日本だけに限らず、ハワイでも大きな課題の一つになっています。そこで発足したのが「プロジェクト・ダーナ」です。
この事業は高齢者や身体障害者に対する在宅訪問、電話訪問、介護者に休息の時間を提供する介護者救援、車の便提供(買物・病院・教会・外出等)を行っています。
これらのすべてがボランティア活動で行われているというのだから驚きである。この事業は「ダーナ(布施)」を根本精神とし、単なるボランティアではなく、誰でもできることを精一杯させていただくことがお念仏する者にとっての生き方でなければならない、ということを理念として掲げておられます。

それではこの事業の運営資金はどうなっているのでしょうか??
ハワイ州やホノルル市からの助成金やメンバーさんなどからの寄付で成り立っているとのことです。
もともとはホノルルにあるモイリリ本願寺というお寺が事務所になっていたのですが、そのお寺の近くの住宅を寄付されたことによってそこを事務所として使っています。

大体の仕組みは分かったのですが、そのボランティアの現場はどうなっているのか、というところが気になるところです。
僕自身も実際にそのボランティアの現場に同行させていただくことができたので、伺ったところのことをちょっと紹介します。

ボランティアを依頼されたのは70歳のご婦人で、99歳の寝たきりの母親とホノルルで二人暮らしをしていらっしゃいます。
その母親の介護のための買物に出かけるくらいで、その他は外出がほとんどできない状態だそうです。
2週間に1度プロジェクト・ダーナのお世話になっていて、介護をしているご婦人の話し相手になることがその方の依頼内容です。
知り合いの方からプロジェクト・ダーナのことを聞いたけれども、初めは頼む事を躊躇していらっしゃいました。
というのも、そのご婦人は日系の方ではなく、日本から移り住んだ方で英語はほとんど話せなかったからです。
しかし、プロジェクト・ダーナでは登録しているボランティアの中からそのご婦人に合う日本語が話せる方をペアにするのでその問題は全くありません。

その方は母親の介護やプロジェクト・ダーナについて以下のように話しておられました。

介護ということを最初は甘くみていました。みなさんやっていらっしゃるから、私にもできるだろうと…。
でも、そんな簡単なものではなかった。重労働だし、血のつながった母親だけにストレスも溜まるんです。施設に入れようとも思ったんですけれども、言葉の問題もあってその方がかえってストレスになるんです。
それで私一人で母親の面倒をみているのですが、なんだか心配になることがよくあるんです。精神的に追いつめられる気分になるんです。
そんな時に知ったのがプロジェクト・ダーナなんです。日本語しか話せないから私には無理、と思ってましたけどローズ中村夫人(プロジェクト・ダーナの事務局長の方)にそのことを相談したら
「大丈夫よ!」と言って日本語を話せる方に来ていただけることになってホッとしているんです。感謝ですね。
今では一緒にウクレレを弾いたり、韓国ドラマを見たり、ランチを食べたりしていて、楽しくて来られるのが今では楽しみになっているんですよ。


本当に楽しそうな表情でご婦人が話されているのがとても印象的でした。
日本でもそのような高齢化に対応した活動をされているところはたくさんあると思います。しかし、自分自身がこのような活動に出会ったのはハワイが最初でした。
日本とハワイでは介護制度や保険の制度が異なっているために、この活動がそのままボランティアとして日本で行うことができるかどうかははっきりとは言えません。
けれども、この活動はしてあげているではなく、させていただくという精神で行われていることに注目すべきではないでしょうか。
それに対して返ってくる喜びがあり、それによってこちらも喜ぶことができる…人間と人間との関わりあいの大切さも教えてもらったような感じがしました。

草の根運動のように始まったこのプロジェクト・ダーナ。その局長のローズ中村夫人は1993年にカーター元大統領夫人が創設した「ローザリン・カーター介護賞」
の第1回受賞の栄光に輝いた。今ではハワイだけではなく、本土にも広がっています。そして、これは浄土真宗の寺院から発信したものであるが今は宗派を超えて活動の場を広げているとのことです。


最後に…とある方から言われた印象的な言葉がありました。それを一緒に行った仲間が詩にしていましたのでそれを紹介して締めくくりにしたいと思います。

「We are Japanese.」

NWで関西国際空港に到着
日本人しかいなくて
日本人が日本語を話してた

今まで不思議に思えなかった
日本という国に生まれ育ち
日本語という言語を使う日本人が日本という国に住んでること
なんていうか
日本人という人種がこの国の大半を占めていて
ただなんとなく
日本人として日本に住んでいること

マウイ島である人に言われた

「あなた達は何を根拠に日本人だと言えるのですか?」

ボクはこの言葉を聞いた時
ボーガンで撃たれたかのように
胸に痛みを覚えたんだ

「あなた達は自分が日本人だと自信をもって言えますか?」

日本人という人種だから・・日本人なのか?
日本語を話すから・・日本人なのか?
ハワイにはボク達と同じ人種のアメリカ人が大勢いて
日本語を話せるアメリカ人がいて
祖父から祖母から受け継いだ日本の文化を守り抜いてる
アメリカ人が存在する
ボク達よりよっぽど日本人なのでは?

何を誇れる?
何をもって日本人だと言える?

何を誇れる?
何を誇れるんだい?

We are Japanese.

[Words:DIDO]
*NW=ノースウエスト航空
*Special Thanks!=Rev. Daien Soga

2006年08月18日

ハワイ①

ALOHA!キッスィです。

今年は梅雨が長かったですねぇ。でも、僕自身梅雨の終盤を経験していないのです。
実は…7月の半ばから後半にかけてハワイに行ってきました。
最近は便利ですね。ハワイにいても日本のTVが見れるし、インターネットで日本の情報がリアルタイムに
見れるし、時々日本にいるような感覚にさえなる時がありました。

皆さんはハワイと言ったらどんなことを想像します??
やっぱりワイキキのビーチとダイアモンドヘッドでしょうか。

ハワイと言ってもいくつかの島から成り立っています。皆さんがよく訪れるワイキキはオアフ島です。
他にもマウイ島やハワイ島(通称ビッグアイランドと現地の方は呼んでいます。ハワイ諸島の中でも一番大きな島だからでしょう)、カウアイ島などがあり、それぞれの島によって表情が異なっています。
例えば・・・僕が訪れた島はオアフ島、マウイ島、ハワイ島ですが、オアフ島は空気がカラッとしていて夕方や朝は涼しいくらいですし、マウイ島は風が割と強いのが特長です。ハワイ島は何と言ってもキラウエア火山が有名でそのほかにも高い山があり、地球上の気候区分のほとんどがハワイ島にあるくらいだそうです。

観光というイメージが強いハワイですが、日本からの移民の方が多い土地でもあります。
日系の方々ですから、顔は日本にいる私たちと変わらないので思わず日本語で話しかけようとしてしまうほどです。
現在日系の方は三世~四世~五世になり、アメリカ社会で生活していくために日本語よりも英語の方を使っておられます。
なので日本語を話せない方も多く、外国語として日本語を学んでいる若い方もいるくらいでした。
そして、TanakaさんやFujimotoさんのように、名字は日本のものがずっと受け継がれています。
ただ、Fujimotoさんだったら藤本、藤元、富士本、藤基のように表記の可能性がいくつかありますが、どんな漢字なのか分からないという場合もあるそうです。

日本から移民としてハワイに行かれたのは広島や山口からの方が多かったそうです。
その地域は浄土真宗のご門徒の方が多く、移民されると共に浄土真宗の僧侶もハワイに行き、ハワイ各地でお寺を建てていきました。(今現在、浄土真宗以外の日本の仏教寺院も多数あります。)
最初に浄土真宗のお寺が建ったのは1889年…今から117年も前のことです。

今回と次回の二回にわたってハワイのお寺事情について書こうと思います。今回はお寺の仕組みやお経についてです。

ハワイのお寺には開教使(海外で活躍する僧侶)がいるのですが、世襲制ではなく派遣制でお寺に駐在しています。
開教師は日本で専門の研修を受けた僧侶が派遣されてきて、数年単位で異動するという形をとっています。
そして、ご門徒の方々はメンバーと呼ばれていて、お寺での決定事項はメンバーの方の話し合いでなされます。つまり、僧侶よりもメンバーの方々の方に決定権があるということです。
メンバーと言うくらいですから、メンバー制となっていて、各自がどこのお寺に属しているということをはっきりおっしゃいます。
日本の檀家制度が無いに等しい中で、自分は浄土真宗の門徒であるという意思表明をそこに強く感じるのは僕だけでしょうか…。
いくつかのお寺をお邪魔させていただいたのですが、どのお寺も日本の昔ながらの習慣を残していこうという思いがあり、自分たちが忘れかけていた古き良き日本を思い出させてくれました。仏さまのお供えをするのに餅つきをするところもあるとか…。

お寺の中に入ると日本と同じような造りになっています。南の島だなーっと思うのはお供えの花の色です。
赤や青の鮮やかな色とりどりのお花で華やかな雰囲気を醸し出しています。
そのようなお飾りの本堂で読経をしてきました。もちろんお経の本もありますよ。
そのお経の本に驚かされました。普通お経は漢文を読んでいくのが基本です。ではハワイではどうなの??

そうです。ハワイでも漢文の読みで読経していくのです。

帰命無量寿如来・・・きみょうむりょうじゅにょうらい・・・と読んでいくのです。

でも、さっき言ったように日系の方々でも日本語が分かる方は少なくなっています。
その日本語が分からない方のために、漢字にローマ字を振り仮名として書いてあるのです。

Ki Myo Mu Ryo Ju Nyo Rai…

これを見ながら読経していきます。
そしてその意味が英訳にもなっています。…日本にいてもお経の意味って理解するのは難しい事ですけどね…

I take refuge in the Tathagata of Immeasurable Life!(英訳は一つのお経でもいくつかの種類があって、これはその一つです)

ということは、一つのお経に漢字、ローマ字、英訳の三つがあることになります。お経の本に英語って不思議ですがそれがハワイではごく当たり前のことなのです。

なので、仏さまの話も日本語と英語で行われます。正直、英語での話は半分くらいしか理解できなかったですけれど、とても新鮮な経験でした。

次回はハワイで行われている寺院活動について書いてみようと思います。今回はこの辺で。

シャカマップ

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