占いの裏側
こんにちは。
こっちにも進出してきました。るるです。
なんか、、ヤフーって最近占いに力入れてる?
いろんなやつが出てますね。
私は占いって必要ないと思ってます。
字画も、風水も、四柱推命とかそういうのも。
でも、興味があります。
それは、「なぜその判断になるのか」と「人はなぜそれを信じるか」に興味があるからです。
学問として気になるのかな。
実際、動物占いがはやった時には、「なんで当たってるんだろう?」って真剣に考えたこともあります。
ちなみにチーターかなんかでしたが。
統計学とか心理学として説明がつくのであれば、それは信用に足りるかもしれません。血液型なんかは、統計の最たるものかなと思います。風水も基本的には建築学かなんかでしたね。
占ってほしいと思う時。
それは、人が「迷っている」時です。
誰かに、何かに、背中を押してほしいのです。
道しるべがほしいのです。
必ず見てしまう目覚ましテレビの占い。雑誌の占いコーナー。
そのつもりはなくても、ついつい目が行くんですよね。
つまり古代から占いが必要であった理由は、人が迷う存在だからってことなんですね。
「四十にして不惑」と孔子はのたまったそうですが、まず難しいことです。
だって、人生は80年、90年と誰もが思う現代。
人生の半分で、迷わないなんてありえない。
というより、いくつになったって迷わない人間は稀有でしょうね。
人は必ず迷う。惑う。
「私は今、迷っている」
まず、それを自覚することが大切なのではないでしょうか。
そして自分が何に迷っているか、それに耳を傾ける。
それがはっきり分かったら、自分で道を選び、自分で判断し、その道を歩むことができるでしょう。
何かに、誰かに責任を回避したり転嫁したりすることなく。
何者かもわからないものに身をゆだねたりすることもなく。
また、占いを言い訳にするのは筋違いです。
字画が悪かったからだ、運勢が悪かったからだという逃げ道にしてしまっては、何の解決にもならない。
自分の願いや、自分への願いに思いをはせる。
今日やるべきことは何か。
自分はどう生きたいのか。
他人にどうあってほしいのか。
そのために、必要なことは何か。
それが、力強く生きるということではないか、と思う今日この頃です。
こっちにも進出してきました。るるです。
なんか、、ヤフーって最近占いに力入れてる?
いろんなやつが出てますね。
私は占いって必要ないと思ってます。
字画も、風水も、四柱推命とかそういうのも。
でも、興味があります。
それは、「なぜその判断になるのか」と「人はなぜそれを信じるか」に興味があるからです。
学問として気になるのかな。
実際、動物占いがはやった時には、「なんで当たってるんだろう?」って真剣に考えたこともあります。
ちなみにチーターかなんかでしたが。
統計学とか心理学として説明がつくのであれば、それは信用に足りるかもしれません。血液型なんかは、統計の最たるものかなと思います。風水も基本的には建築学かなんかでしたね。
占ってほしいと思う時。
それは、人が「迷っている」時です。
誰かに、何かに、背中を押してほしいのです。
道しるべがほしいのです。
必ず見てしまう目覚ましテレビの占い。雑誌の占いコーナー。
そのつもりはなくても、ついつい目が行くんですよね。
つまり古代から占いが必要であった理由は、人が迷う存在だからってことなんですね。
「四十にして不惑」と孔子はのたまったそうですが、まず難しいことです。
だって、人生は80年、90年と誰もが思う現代。
人生の半分で、迷わないなんてありえない。
というより、いくつになったって迷わない人間は稀有でしょうね。
人は必ず迷う。惑う。
「私は今、迷っている」
まず、それを自覚することが大切なのではないでしょうか。
そして自分が何に迷っているか、それに耳を傾ける。
それがはっきり分かったら、自分で道を選び、自分で判断し、その道を歩むことができるでしょう。
何かに、誰かに責任を回避したり転嫁したりすることなく。
何者かもわからないものに身をゆだねたりすることもなく。
また、占いを言い訳にするのは筋違いです。
字画が悪かったからだ、運勢が悪かったからだという逃げ道にしてしまっては、何の解決にもならない。
自分の願いや、自分への願いに思いをはせる。
今日やるべきことは何か。
自分はどう生きたいのか。
他人にどうあってほしいのか。
そのために、必要なことは何か。
それが、力強く生きるということではないか、と思う今日この頃です。
東京@他力本願で行こう!
今年もきました!
これぞお寺イベントの大本命。
日本建築界の祖、伊藤忠太氏作の築地本願寺で、
強力なラインナップにお寺ならではの法話と法要。
これを覩ずして寺イベントを語るなかれ。
みんなで、築地本願寺へ遊びにいこう!!
日時:2006年9月2日(土)16:30開場・開演、21:00終了予定
会場:築地本願寺本堂・講堂
出演者:
−エマーソン北村
−ジム・オルーク
−古内東子
−向井秀徳(アコースティック&エレクトリック)
−ロマンポルシェ
−サワサキヨシヒロ!
入場料:無料(事前に入場券配布)
主催:浄土真宗本願寺派、本願寺宗務首都圏センター
公式サイト:http://hongwanji-shutoken.net/tariki/
これぞお寺イベントの大本命。
日本建築界の祖、伊藤忠太氏作の築地本願寺で、
強力なラインナップにお寺ならではの法話と法要。
これを覩ずして寺イベントを語るなかれ。
みんなで、築地本願寺へ遊びにいこう!!
日時:2006年9月2日(土)16:30開場・開演、21:00終了予定
会場:築地本願寺本堂・講堂
出演者:
−エマーソン北村
−ジム・オルーク
−古内東子
−向井秀徳(アコースティック&エレクトリック)
−ロマンポルシェ
−サワサキヨシヒロ!
入場料:無料(事前に入場券配布)
主催:浄土真宗本願寺派、本願寺宗務首都圏センター
公式サイト:http://hongwanji-shutoken.net/tariki/
Satisfaction / INO hidefumi

「フェンダーローズに愛された男」
それがINO hidehumi(猪野秀史)というミュージシャンにつけられた異名。
その異名の通り、彼はその美しい音色を奏でる鍵盤楽器を巧みに操り、極上のメロディーを紡ぎだす。
この「Satisfaction」という1枚のアルバムは、そんなINO hidefumiのファーストアルバム。
全編に渡り、ボーカルは一切無い、インストゥルメンタルもの。
音の構成も、フェンダーローズというキーボードと、ベース、ドラムスと、実にシンプル。
ところがところが、このフェンダーローズの音色が素晴らしい。
角の無い、丸みを帯びた、なんとも耳触りの優しく柔らかい音色。
そして美しく柔らかい音の中にも、ボーカルよりも雄弁に訴えかけてくる力強さのようなものも感じさせる。
そしてそのフェンダーローズの美しいメロディーをしっかりと支える、グルーヴ感満点のベースと、軽快で時にひねりの効いたドラムス。
シンプルな構成ながら、さまざまに彩られる曲たちは、一様にジャズの雰囲気を漂わせるのだけれど、それだけではない、何かがある。
時にメロウに、時にポップに。
オススメの曲は?
と聞かれると困るほどに、本当にどの曲もそれぞれに美しく素晴らしい。
きっと、このキラキラとした曲たちが流れている空間は、それが例えいつもの自分の部屋であっても、普段とは違う時間と空間を味わえるはず。
たまにはこういう音楽とともに、一人でお酒を飲む、なんてのも素敵かもしれません。
OBON!
みなさんお久しぶりです。
善巧寺『お寺座LIVE vol.1』では、おまけびとで演奏させてもらい温かいご声援をいただいたことです。
「人は誰しも15分間のカリスマになれる」とかのアンディウォーホールは言いましたが、それを僕たちは体現したと言えましょう。
あの時、僕らは我ながら光っていました!(主に額とか)
で、今はもう本当に普通の人です。普通のぼやーっとしたただの坊主です。
しかし、そうボンヤリもできないんですよね。
そう。
今、まさに、お盆の季節!
日本では一年を通して最もメジャーな仏教行事の一つじゃないですか!メリシャカの出番ですよ!
レッツゴー!盆参り!レッツゴー!盆参り!(参照*おまけびと『LOVE尊者』より「盆参りの唄」)
とお盆参りに車や自転車や原付で、東奔西走するおぼうさんを町でみかけた方も多いはず。
皆さんのお宅にもお坊さんは参って来られましたか?
うちにはお仏壇がないと言われる方もおられますし、お盆参りをされない地域、宗派もあると思います。
せっかくお盆ですので、せめてこの日くらいはお仏壇に手を合わせたり、お寺に参ったり、お墓に参ったりして、ココロ静かにお参りすることが大切だと思います。
先日あるお寺のご住職さんが僕に言われました。「最近はお寺の境内にあるお墓に、墓参りをされるんだけど、そのまま帰られて、お寺に寄られないから寂しい」と。
逆に言うと都会から久しぶりに田舎に帰省され人たちが、お墓参りとともにお寺に寄ってくださるのは、お寺からしたら本当に嬉しいことなのです。
そして、お盆は本来、今は亡きご先祖様を偲び、それをご縁として、自分自身が仏法と出会う日です。
ご先祖さんの供養(尊敬)することは大切ですが、それだけで終わることなく、自分自身がほとけさまのお話を聞いたり、静かに自身を振り返ることが大切でしょう。そのことをきっとご先祖様も喜ばれていると思うのです。
お墓参りの後にはできたら住職さんを尋ねて少しお話などされてみてはいかがでしょうか?
お盆の由来を聴いてみたり。
良い夏の日の思い出になるかもしれません。
お寺の門は、開いています!
***
暫らく冬眠していたかにみえた(?)メリシャカブログの方もぼつぼつと、強力なコラムがアップされてきて楽しいです!
善巧寺『お寺座LIVE vol.1』では、おまけびとで演奏させてもらい温かいご声援をいただいたことです。
「人は誰しも15分間のカリスマになれる」とかのアンディウォーホールは言いましたが、それを僕たちは体現したと言えましょう。
あの時、僕らは我ながら光っていました!(主に額とか)
で、今はもう本当に普通の人です。普通のぼやーっとしたただの坊主です。
しかし、そうボンヤリもできないんですよね。
そう。
今、まさに、お盆の季節!
日本では一年を通して最もメジャーな仏教行事の一つじゃないですか!メリシャカの出番ですよ!
レッツゴー!盆参り!レッツゴー!盆参り!(参照*おまけびと『LOVE尊者』より「盆参りの唄」)
とお盆参りに車や自転車や原付で、東奔西走するおぼうさんを町でみかけた方も多いはず。
皆さんのお宅にもお坊さんは参って来られましたか?
うちにはお仏壇がないと言われる方もおられますし、お盆参りをされない地域、宗派もあると思います。
せっかくお盆ですので、せめてこの日くらいはお仏壇に手を合わせたり、お寺に参ったり、お墓に参ったりして、ココロ静かにお参りすることが大切だと思います。
先日あるお寺のご住職さんが僕に言われました。「最近はお寺の境内にあるお墓に、墓参りをされるんだけど、そのまま帰られて、お寺に寄られないから寂しい」と。
逆に言うと都会から久しぶりに田舎に帰省され人たちが、お墓参りとともにお寺に寄ってくださるのは、お寺からしたら本当に嬉しいことなのです。
そして、お盆は本来、今は亡きご先祖様を偲び、それをご縁として、自分自身が仏法と出会う日です。
ご先祖さんの供養(尊敬)することは大切ですが、それだけで終わることなく、自分自身がほとけさまのお話を聞いたり、静かに自身を振り返ることが大切でしょう。そのことをきっとご先祖様も喜ばれていると思うのです。
お墓参りの後にはできたら住職さんを尋ねて少しお話などされてみてはいかがでしょうか?
お盆の由来を聴いてみたり。
良い夏の日の思い出になるかもしれません。
お寺の門は、開いています!
***
暫らく冬眠していたかにみえた(?)メリシャカブログの方もぼつぼつと、強力なコラムがアップされてきて楽しいです!
もしも、ほかで出遇っていたら・・・?
お久しぶりです。るるです。
ずいぶん間があいてしましましたが、こんな恋愛論でも待っていてくれるありがたい方々の声援を受けまして、復活いたします。
最後までおつきあいくださいませ。
男の子から、彼女を泣かせてしまった、と相談を受けました。
どうして?と聞くとこういう答えが。
付き合って間もない頃。
デートの時間は、何より最優先で、逢いたくて逢いたくて。
ただ見つめあって、出逢った頃の話を何度も何度も繰り返す。
あの時、あんなことがあったよね、あの時どう思ってたの?
そういえば、あの時どうしてあんな風にしたの?
オレのどこが好き?
私のどこが好き?
なぁんて。他愛もない話をどれだけしても、それは全部が甘いささやき。
周りのことなんて何も見えなくて、ただそばにいるだけで幸せ。
そんな時の出来事だったのです。
彼女は、いつもの甘い言葉の続きでこう口にしました。
「ねぇ、わたし、どこであなたに出逢っても、必ず好きになったと思う」
彼女が期待した言葉は、おそらく「オレもそう思うよ」でしょう。
しかし、彼はお寺に生まれた子でした。
だから、当然のようにこう答えたのでした。
「いや、そもそもこれ以外だったら逢ってないし、恋愛してないと思うよ」
それを聞いた彼女は泣いてしまった、というのです。
私は、その時の彼のあわてふためいた姿を思い浮かべて、気の毒やらおかしいやら。
彼には、彼女がなぜ泣くのかがわからなかったのでしょう。
そう彼は、真実を口にしただけ。
私たちの出遇いには、「もしも」はないのです。
人智を超えた、不可思議としか言いようのない縁に導かれて、ひとつひとつの縁があり、出遇いがあるのです。
だからこそ、この出遇いがどれほど大切で、どれほど輝いているか。
ここで、こうして出遇って、しかも気持ちの通じ合ったふたりだからこそ、尊いのです。
だからこそ、お互いの気持ちを思いあい、助け合い、一緒の時間を過ごすことが幸せなのです。
考えてみてください。
私たちは生まれてこの方、どれだけのひとと出遇ったでしょうか。
数え切れないほどの出遇いがあり、いろんな関係性があり、名前や顔さえ覚えていない人のほうが多いのに、
そんな中で、家族でもない人と友達になり、そして恋をする。
それは、とてもとてもはかりしれないご縁ではないでしょうか。
そこから学ぶべきことは山ほどあるはず。
大切にしなければならないことは山ほどあるはず。
変わらないものはありません。
その人との恋も、必ず終わりがあります。
どういう形であれ、ね。
自分の思い通りにいかないからと言って、泣いている暇も、怒っている暇もないのです。
そんな無駄なことに時間を費やさず、そこから何を学べるかを考えた方がいい。
恋愛状態にあるとき、私たちはお互いが向かい合っている感じがします。
でも、そこから相手だけを見つめて、前に進んでみてください。
そう、それでは「正面衝突」です。
でも、お互いが手をつなぎ、同じ方向を向いていたらどうでしょう。
絶対にぶつかることはありませんよね。
有難いことに、親鸞聖人は誰よりもそのことを実践された方です。
最愛の妻と共に仏道を歩まれ、その姿を後世にお示しくださいました。
互いを菩薩と尊敬しあい、同じ方向を向いて生きられた、まさに理想の夫婦です。
思い通りにならない人生だからこそ、この出遇いを大事にしたいものです。
例の彼は、その後、うまくフォローをしたのか、失敗したのか・・・。
今は、違う女の子と付き合っているみたいですがね。笑。
では、このへんで。るるでした。
ずいぶん間があいてしましましたが、こんな恋愛論でも待っていてくれるありがたい方々の声援を受けまして、復活いたします。
最後までおつきあいくださいませ。
男の子から、彼女を泣かせてしまった、と相談を受けました。
どうして?と聞くとこういう答えが。
付き合って間もない頃。
デートの時間は、何より最優先で、逢いたくて逢いたくて。
ただ見つめあって、出逢った頃の話を何度も何度も繰り返す。
あの時、あんなことがあったよね、あの時どう思ってたの?
そういえば、あの時どうしてあんな風にしたの?
オレのどこが好き?
私のどこが好き?
なぁんて。他愛もない話をどれだけしても、それは全部が甘いささやき。
周りのことなんて何も見えなくて、ただそばにいるだけで幸せ。
そんな時の出来事だったのです。
彼女は、いつもの甘い言葉の続きでこう口にしました。
「ねぇ、わたし、どこであなたに出逢っても、必ず好きになったと思う」
彼女が期待した言葉は、おそらく「オレもそう思うよ」でしょう。
しかし、彼はお寺に生まれた子でした。
だから、当然のようにこう答えたのでした。
「いや、そもそもこれ以外だったら逢ってないし、恋愛してないと思うよ」
それを聞いた彼女は泣いてしまった、というのです。
私は、その時の彼のあわてふためいた姿を思い浮かべて、気の毒やらおかしいやら。
彼には、彼女がなぜ泣くのかがわからなかったのでしょう。
そう彼は、真実を口にしただけ。
私たちの出遇いには、「もしも」はないのです。
人智を超えた、不可思議としか言いようのない縁に導かれて、ひとつひとつの縁があり、出遇いがあるのです。
だからこそ、この出遇いがどれほど大切で、どれほど輝いているか。
ここで、こうして出遇って、しかも気持ちの通じ合ったふたりだからこそ、尊いのです。
だからこそ、お互いの気持ちを思いあい、助け合い、一緒の時間を過ごすことが幸せなのです。
考えてみてください。
私たちは生まれてこの方、どれだけのひとと出遇ったでしょうか。
数え切れないほどの出遇いがあり、いろんな関係性があり、名前や顔さえ覚えていない人のほうが多いのに、
そんな中で、家族でもない人と友達になり、そして恋をする。
それは、とてもとてもはかりしれないご縁ではないでしょうか。
そこから学ぶべきことは山ほどあるはず。
大切にしなければならないことは山ほどあるはず。
変わらないものはありません。
その人との恋も、必ず終わりがあります。
どういう形であれ、ね。
自分の思い通りにいかないからと言って、泣いている暇も、怒っている暇もないのです。
そんな無駄なことに時間を費やさず、そこから何を学べるかを考えた方がいい。
恋愛状態にあるとき、私たちはお互いが向かい合っている感じがします。
でも、そこから相手だけを見つめて、前に進んでみてください。
そう、それでは「正面衝突」です。
でも、お互いが手をつなぎ、同じ方向を向いていたらどうでしょう。
絶対にぶつかることはありませんよね。
有難いことに、親鸞聖人は誰よりもそのことを実践された方です。
最愛の妻と共に仏道を歩まれ、その姿を後世にお示しくださいました。
互いを菩薩と尊敬しあい、同じ方向を向いて生きられた、まさに理想の夫婦です。
思い通りにならない人生だからこそ、この出遇いを大事にしたいものです。
例の彼は、その後、うまくフォローをしたのか、失敗したのか・・・。
今は、違う女の子と付き合っているみたいですがね。笑。
では、このへんで。るるでした。
お寺座LIVE
平成18年7月17日、富山は宇奈月にあります、白雪山善巧寺さんというお寺にて、「お寺座」というイベントがありました。
このメリシャカのメンバーであり、このお寺の住職さん、雪山さん、という方の主催のイベントで、
『パリのオペラ座よろしく「お寺座」は、「お寺は文化の発信地」をキーワードに、お寺・仏教を身近に感じてほしいという願いのもと、趣旨に賛同してくださるアーティスト方と共につくりあげる舞台』
というコンセプトの元、
お寺の本堂を舞台に、阿弥陀さまをバックにして、様々なライブが行われました。
で、それに参加してきたわけですが、
いやはや、すごかったですね。
何が?って、いろいろなんですが、
まず目を引くのが出演者。
登場順に感想とともにいきますと・・・
まずはメリシャカのメンバーのチスイさん、カワシマさん二人からなる「おまけびと」というお坊さんユニット。カワシマさんのギターに合わせチスイさんが歌います。
コミカルでネガティブな詩のなかに、どこかグッと引き込まれるものがあります。
それはどこか仏教的なものを感じさせるからかも、しれません。
メロディーもエモく、どこか懐かしい感じ。
ステキなキャラで、会場を沸かせ、お坊さんに対するイメージに一石を投じてくださいました。
お次はサワサキヨシヒロ!さんという、様々な機器(よくわかりませんが・・・)を使って、電子音楽を奏でる方。
サワサキさんは温泉大好きらしく、温泉をテーマ?にしたアンビエントな、不思議でゆるい音楽を楽しませてくださいました。
確かに、そのパフォーマンスも、機械が奏でる音でありながら、浮遊感や温かみを感じる音楽で、
目を瞑ればふわ〜っと心地よくなってきます。
まさに温泉を音楽にした、そんな感じの音楽だったように思います。
その次は、曽我部恵一さん。
そう、あの、曽我部さん、ですよ。驚きです。
先月富山大学にて、曽我部BANDのライブを見たのですが、それとは違い、今回は一人で弾き語りでした。
それがまた、ゆったり、時には激しく、それでいて優しく温かいライブで、
会場と一体になって、手拍子したり、声を出して歌ったり、それこそ老若男女みんなが楽しめる、そんなライブでした。
どの曲も素晴らしかったのですが、
個人的には、サワサキさんのリクエストで歌ってくれた「サマー・ソルジャー」という曲や、
曽我部さんが娘さんに対して歌った歌、「おとなになんかならないで」という曲にやられました。
最後には、
サワサキさんとの珍しいセッションもあり、最後まで楽しませていただいてしまいました。
そして忘れてはならないのが、この転換の時に行われた、
メリシャカのメンバーでもあり、このお寺座ライブが行われた善巧寺の住職、雪山さんのご法話。
お寺でイベントするわけですから、ここが実は一番重要なところ。
普段法話、というものをおそらく聴くことの少ない若い人も、真剣に聞き入っていたようでした。きっと若い人たちも、仏教に全く興味が無いわけじゃなくて、ただ、仏教に触れる機会が少なかったり、とっつきにくかったりするだけで、こういう若い人が気楽に仏教に触れることができる機会、というのがもっと必要なのかもしれません。
そして、最後の登場は、
弘雄介さんという、インドやアジアの様々な楽器を駆使される方の演奏でした。
この方がまたすごい方で、シタールの世界的奏者ラヴィ・シャンカールの日本人唯一のお弟子さんで、
インド音楽演奏家・教授として活躍され、他にも様々に活動されておられる方だそうです。
そのパフォーマンスも、
シタールで曲を演奏する、というだけでなく、
ステージに所狭しと並べられた様々な弦楽器や打楽器を駆使し、時に激しく、
時に叙情的に、しかもそれを完全に即興で演奏されました。
その姿も音楽も、本当に情熱的で、どこか岡本太郎さんの芸術を感じさせるような、そんな素晴らしい演奏でした。
そして、最後にその弘さんの演奏にあわせ、
僧侶6人が「阿弥陀経」のお勤めをしました。
私もその末席に加えていただいたのですが、
仄暗いお内陣の中、弘さんの奏でる音楽に合わせて読経していますと、
いつもと違う雰囲気で、こちら側もとても心地かったです。
お客さんも、お経に結構興味を持ってくださた方もおられたようで、ちょっと、うれしかったです。
と、まあ出演者の紹介と、
イベントの内容をあわせて書きましたが、
本当に素晴らしいライブで、来てくださったお客さんも、普段お寺にあまり来ない若い人を中心に、たくさん来てくださって、とても素敵なイベントだった、と思います。
新しいお寺のありかた、というものを考える上で、
お寺で、誰もが気楽に仏教に触れる一つの機会として、こういうイベントが行われることはたいへん良いことだと思いますし、
東京だけではなく、地方でもどんどんとこうした動きを起こしていきたいものです。
お寺座公式サイト
このメリシャカのメンバーであり、このお寺の住職さん、雪山さん、という方の主催のイベントで、
『パリのオペラ座よろしく「お寺座」は、「お寺は文化の発信地」をキーワードに、お寺・仏教を身近に感じてほしいという願いのもと、趣旨に賛同してくださるアーティスト方と共につくりあげる舞台』
というコンセプトの元、
お寺の本堂を舞台に、阿弥陀さまをバックにして、様々なライブが行われました。
で、それに参加してきたわけですが、
いやはや、すごかったですね。
何が?って、いろいろなんですが、
まず目を引くのが出演者。
登場順に感想とともにいきますと・・・
まずはメリシャカのメンバーのチスイさん、カワシマさん二人からなる「おまけびと」というお坊さんユニット。カワシマさんのギターに合わせチスイさんが歌います。
コミカルでネガティブな詩のなかに、どこかグッと引き込まれるものがあります。
それはどこか仏教的なものを感じさせるからかも、しれません。
メロディーもエモく、どこか懐かしい感じ。
ステキなキャラで、会場を沸かせ、お坊さんに対するイメージに一石を投じてくださいました。
お次はサワサキヨシヒロ!さんという、様々な機器(よくわかりませんが・・・)を使って、電子音楽を奏でる方。
サワサキさんは温泉大好きらしく、温泉をテーマ?にしたアンビエントな、不思議でゆるい音楽を楽しませてくださいました。
確かに、そのパフォーマンスも、機械が奏でる音でありながら、浮遊感や温かみを感じる音楽で、
目を瞑ればふわ〜っと心地よくなってきます。
まさに温泉を音楽にした、そんな感じの音楽だったように思います。
その次は、曽我部恵一さん。
そう、あの、曽我部さん、ですよ。驚きです。
先月富山大学にて、曽我部BANDのライブを見たのですが、それとは違い、今回は一人で弾き語りでした。
それがまた、ゆったり、時には激しく、それでいて優しく温かいライブで、
会場と一体になって、手拍子したり、声を出して歌ったり、それこそ老若男女みんなが楽しめる、そんなライブでした。
どの曲も素晴らしかったのですが、
個人的には、サワサキさんのリクエストで歌ってくれた「サマー・ソルジャー」という曲や、
曽我部さんが娘さんに対して歌った歌、「おとなになんかならないで」という曲にやられました。
最後には、
サワサキさんとの珍しいセッションもあり、最後まで楽しませていただいてしまいました。
そして忘れてはならないのが、この転換の時に行われた、
メリシャカのメンバーでもあり、このお寺座ライブが行われた善巧寺の住職、雪山さんのご法話。
お寺でイベントするわけですから、ここが実は一番重要なところ。
普段法話、というものをおそらく聴くことの少ない若い人も、真剣に聞き入っていたようでした。きっと若い人たちも、仏教に全く興味が無いわけじゃなくて、ただ、仏教に触れる機会が少なかったり、とっつきにくかったりするだけで、こういう若い人が気楽に仏教に触れることができる機会、というのがもっと必要なのかもしれません。
そして、最後の登場は、
弘雄介さんという、インドやアジアの様々な楽器を駆使される方の演奏でした。
この方がまたすごい方で、シタールの世界的奏者ラヴィ・シャンカールの日本人唯一のお弟子さんで、
インド音楽演奏家・教授として活躍され、他にも様々に活動されておられる方だそうです。
そのパフォーマンスも、
シタールで曲を演奏する、というだけでなく、
ステージに所狭しと並べられた様々な弦楽器や打楽器を駆使し、時に激しく、
時に叙情的に、しかもそれを完全に即興で演奏されました。
その姿も音楽も、本当に情熱的で、どこか岡本太郎さんの芸術を感じさせるような、そんな素晴らしい演奏でした。
そして、最後にその弘さんの演奏にあわせ、
僧侶6人が「阿弥陀経」のお勤めをしました。
私もその末席に加えていただいたのですが、
仄暗いお内陣の中、弘さんの奏でる音楽に合わせて読経していますと、
いつもと違う雰囲気で、こちら側もとても心地かったです。
お客さんも、お経に結構興味を持ってくださた方もおられたようで、ちょっと、うれしかったです。
と、まあ出演者の紹介と、
イベントの内容をあわせて書きましたが、
本当に素晴らしいライブで、来てくださったお客さんも、普段お寺にあまり来ない若い人を中心に、たくさん来てくださって、とても素敵なイベントだった、と思います。
新しいお寺のありかた、というものを考える上で、
お寺で、誰もが気楽に仏教に触れる一つの機会として、こういうイベントが行われることはたいへん良いことだと思いますし、
東京だけではなく、地方でもどんどんとこうした動きを起こしていきたいものです。
お寺座公式サイト
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