ビニール傘
- 2009年11月29日(日) 文:tatsuya
- 仏声人語
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雨の日にプラットフォームを見渡すと、そういえば多くの若者がビニール傘を持っている。そういう私もビニール傘。普通の傘よりビニール傘を持っている人が多くなった。
先日、あるテレビ番組でビニール傘の制作秘話が放送されていた。
【ビニール傘誕生秘話】
そんな人気商品を発明した会社は、台東区にあるホワイトローズという老舗の傘屋。
昭和20年代に使われていた傘の生地は木綿製。そのため、色落ちがしやすかった。そんな時、目をつけたのは進駐軍が持ち込んだビニール製のテーブルクロス。これを傘にかければ傘はぬれないと発明されたのが傘カバー。それが、たちまち人気商品。現在のビニール傘の誕生である。
中日新聞によると、
現在、日本は世界一の傘消費大国。
国内で1年間作られる傘はなんと1億3000万本。そのうち、90%がビニール傘だという。
それとともに悲しい現実も。
JRの落とし物としても多いのもビニール傘。
平成20年度、警視庁には届いた落とし物リスト(約253万件)
1位 かさ (38万本)
2位 財布類 (23万個)
3位 携帯電話 (11万台)
ビニール傘は、雨が降っていれば大切。だが、雨がやめば、知らぬ間に忘れられてしまう。さらに、低価格であるため・・・
番組の中で、製造元の方が「ビニール傘を発明したことに責任を感じる」とおっしゃっていた。これだけ忘れられ、捨てられてしまう傘のことを思ってのこと。
私たちの生活は便利になりさまざまなものを手に入れた。が、それと共に大切なものをなくしてしまった。
キャンドルナイト@博多。
- 2009年11月25日(水) 文:キッスィ
- シャカレポ
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また周りで「結婚決まった」と。結婚の勢いは止まりません。ここでボクがストッパーになろうかと思うくらいですわ。
9月に地元の先輩僧侶の披露宴に出席しました。
よくテーブルに名前書いてあって、その名札の裏にコメント書いてあるじゃないですか。
「今日は来てくれてありがとう。近いからちょこちょこ遊びに来てくださいね」みたいに、来てくれたことへの感謝とか当人同士が分かる話題が書いてあったりするのが普通です。
その時の名札の裏には、
「特に何もありません」
ん?????????これだけ?
それから披露宴始まるまでボクのテーブルではこの名札のコメントで持ち切りですよ。他の人のを見たら、フツーにいいコメントばっかりやないですか!
次の日にその先輩に会ったので聞いてみました。いや、クレームつけてみました。
「あ〜あれ!自分でも書きながらめっちゃ笑ったもん」
いやいや。そうではなくて・・・。相変わらずいじられっぱなしのキッスィです。
これから本題です。

11月22日、博多にある友人のお寺で「キャンドルナイト」というイベントがあったので、行ってきました。
このお寺の副住職はカンボジアへの援助活動をしているNGOに関わっていらっしゃる。それに賛同した仲間が集まって、みんなで作り上げているイベントでした。
何といっても協賛の多さ。普通のお寺で行うイベントではありえないほどのお店が協力していて、副住職の活動の幅を感じさせてくれる。
奄美島唄の朝崎郁恵さん、シタールのヨシダダイキチさん、スチールパンの町田良夫さん、三味線・お囃子の新原恭子さんの4人がコラボしたライブで、本堂の雰囲気と奄美の島唄がマッチして幻想的な雰囲気に包まれた空間でした。
その様子がこれ。

そしてキャンドルナイトというタイトルのとおり、竹を本堂の太い柱の周辺に配置して、揺らいだ火が幻想的な雰囲気を盛りたててました。

インテリアコーディネーターによる本堂のステージ周辺のレイアウト。
おしゃれな花屋さんによるフラワーアレンジメント。
元バリスタの方によるコーヒーブースと居酒屋によるドリンクバー。
それだけではなく、いろんな業界の方が参加されている。
ここまでくるには数日ではなく、今までの積み重ねがこんなにも網目状に広がっていくんだろうなーと思った。
このイベントのコンセプトは「unite」。まさに網目状になったつながりが1つに結合して相乗効果を生み出していた。
詳細はこちらへ。告知をすればよかったんだけど、報告になってしまった・・・。行きたかった方!来年どうぞ。
うたううあ / UA
- 2009年11月21日(土) 文:とし
- 子供と一緒に聴きたい音楽
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こどもにとって一番安らぐ音は、どんな名曲やヒットソングよりも、まず親の声でしょう。親の声を聞きながら子は育つ。仏の心は親心というように、子のことを誰よりも大切に想っている親の声こそ、心の奥底に届くものだと思います。そう思うと、音楽も、ただ聞くだけではなく、親が歌えたほうがよりこどもに伝わるはずです。うちの子はまだ言葉を話せないので一緒に歌うことが出来ませんが、それでも、ぼくが歌っていると、体を揺らしたり、「アーアー」と声を発することがあります。
傲慢な不安
- 2009年11月17日(火) 文:sakulla
- 仏声人語
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sakullaの出産記録・エピソード5。
NICUは新生児集中治療室を意味する。
出生直後、もしくは出生してから退院までの間に、なんらかの深刻な問題が生じている赤ちゃんが運び込まれる場所。
私の場合、初産だったことから万が一のことを考え、近くの大学病院に定期健診・分娩予約をしていたのだが、結果万が一が起こり、赤ちゃんは病院内のNICUに即入院することができた。
しかし、個人病院やNICUがない病院での出産で問題があった場合には、赤ちゃんだけが他の病院へと緊急搬送されることになる。
NICUへの面会は両親と祖父母に限られている。
赤ちゃんの兄弟はもちろん、その他の親戚・友人の入室は禁止。
そして祖父母もまた、赤ちゃんのそばに近寄ることは禁止されており、ガラスを隔てた廊下から、窓越しの対面のみを1日1時間の間だけ許されている。
すべては免疫力のほとんどない赤ちゃんへの感染を防ぐためだ。
その代わり、両親の面会は24時間いつでも許可されている。
病院が家から車で5分程度の距離にあることもあり、毎日昼過ぎに面会に通っていたが、急に不安になって、深夜0時を回ってから会いにいったこともあった。
面会名簿を見ると、ある赤ちゃんの父親が出勤前の朝7時に毎日来ていたのが印象的だった。
指輪・時計などの貴金属はすべて外し、消毒液で肘まで入念に洗って滅菌水で流し、マスクをしてようやくNICU内に入ることができる。
室内は静かなイメージだったが、そうではない。
赤ちゃんの鳴き声や機器のアラームで、BGMに流れているオルゴールのメロディがよく聞こえないほど騒がしいときもあった。
人間の臓器で最後にできるのは肺。
それゆえ未熟児の多くは自発呼吸が微弱で、人工呼吸器の助けを借りなければ呼吸ができない。
人工呼吸器のリズムに自発呼吸を合わせることで、体内の酸素量を満たしていく。
だが身動きして呼吸が乱れると、リズムがズレて酸素量が不足してしまい、アラームが鳴る。
自力で同調できないと、供給する酸素を増やしながら看護師が強制的に同調させる。
看護師が装置のボタンを押すと大量の空気が体内に送り込まれるため、小さな身体が大きく揺れる…その光景を毎日祈る気持ちで見続けていた。
人工呼吸器の他にも、心拍数や血圧を表示するモニターなど、保育器は様々な機器とつながっていて、その全てが赤ちゃんの命を支えている。
全国的に見ても、NICUは不足しており、病床もまた不足しているのは明白な現実。
だが、病床を増やすといっても、保育器だけを増やせば解決するわけではないことを、未熟児を産んで初めて知った。
限られたスペースには限られた電源しかなく、限られた機器しか設置することができない。
何より、小さな命を診ることのできる医師と看護師が圧倒的に不足している。
医師たちの忙しさは、こちらが心配するほどで、そこには新生児医療の現実があった。
退院の目処はだいたい出産予定日前後。
何事もなく家に帰れるケースもあれば、自発呼吸がうまくできないで在宅酸素になるケース、看護師に代わり親が薬を飲ませ続けるケース、その他リハビリが必要な場合は通院するケースもある。
一度退院すると、その後すぐ入院することになっても二度とNICUに入ることはできない。
その逆に、退院することができなければ、ずっとNICU内で入院し続けることになる。
我々がお世話になったNICUには、4・5歳の子供がいた。
身動きもせず眠ったままの子供、歩行器で歩き回る子供、固形物を食べられずチューブで栄養を注入される子供。
最初にその光景を見たとき、赤ちゃんしかいないはずの場所に子供がいることが理解できなかった。
そして、理解した瞬間に思った。
「ああなったら、どうしよう」
他人事ではないがゆえに生じる不安な思いは、他人事であるがゆえに相手の心を切り裂いていることに気がつかない。
今、こうして書いていられるのも、「ああならなかったから」に他ならないという傲慢さがあるということは確かな事実。
慢心もまた煩悩…これは戒めの記録だ。
僧侶×twitter
- 2009年11月14日(土) 文:kenyou
- 仏声人語
- comments(0)

twitterというネットサービスが最近流行っておるようですが、皆さんは御存じですか?
140字以内でボソッと、思ったこと感じたことを「つぶやく」サイトで、最近では人口も増えてきて、有名人やアーティストも使用していたりと、盛り上がりを見せております。
私も6月くらいからぼんやり使い始めているのですが、最近は、お坊さんでもtwitterを使っている人がちらほらと見られ、なかなかに面白いものです。
先日も、彼岸寺のイケ僧こと松下弓月さんと、「輪廻」についてや、「他力」ということについてtwitterを使って話し合い、理解を深めるなどしてみました。
ブログやSNSなどよりも気軽にコミュニケーションもとれるので、情報発信や情報交換などのスピードも速く、非常に便利です。
特にお坊さんと気軽にコミュニケーションをとれる場と言うのは、これまではなかなかなかったと思いますが、このtwitterを使えば、もっともっと気軽に、お坊さんといろんな人が触れ合える、そういう風にも使えるかもしれません。
まあ、私の場合は普段ホントどうでもいいことばかりつぶやいておりますので、全くの期待外れかもしれませんが、もし気になる方がおられたら一緒につぶやきましょう〜!
メリシャカのアカウントもありますので、是非チェックしてみて下さい!
メリシャカLIVE2009に向けて
- 2009年11月10日(火) 文:チスイ
- メリシャカナイツ
- comments(0)
いよいよ来月12月26日には、メリシャカLIVE2009が開催されます。
それに向けて思うところを書いていきたいと思います。
今回のLIVEはこちらの予想を上回る反響があって、一週間で用意していたチケットの予約が完売してしまいました。
北は北海道、南は鹿児島から参戦して下さる方も!本当に有難いことです。
しかし、まだ予約されていない方もご安心ください!現在席を追加する予定です!!
今月26日にメリシャカLIVE2009公式サイトにて、再開しますのでサイトチェックをよろしくお願いします!
○向井秀徳アコースティック&エレクトリック
僕自身NUMBERGIRL時代から大ファンで、向井さんの詩には仏教の言葉が出てくるなと思っていました。僧侶としてもその仏教語の選びが興味深いなと。「NUM-AMI-DABUTZ」という曲など、そのまま「南無阿弥陀仏」浄土宗・浄土真宗のカナメ、お念仏そのものですからね。
また印象深い詩に「繰り返される諸行無常、よみがえる性的衝動」というものがあります。
NUMBERGIRLからZAZENBOYSに変わり、向井さんの音楽は変化し、ZAZENBOYSもまたメンバーの変遷があり、音楽的にも変化し進化(深化?)し続けられています。
しかし、ナンバガ時代もZAZENBOYSのどの時期にも、向井さんの中の一貫して変わらないものの一つに、この「繰り返される諸行無常、よみがえる性的衝動」というリリックがあるのです。移ろい変わりゆく世の中において、その根底に流れているものに耳を傾けることの大切さを感じます。「移ろい変わりゆく」ことこそ常なのです。
メリシャカLIVE第一回に向井さんをお呼びするできることになって本当に楽しみでなりません。向井さんの音楽と仏教の教えのお話「法話」がどのような化学反応を起こすのだろうか!?
不思議な御縁でもとジョビジョバで今僧侶、今回MCを担当される木下明水さんも向井さんとお会いされたことがあるそうです。
また、法話を担当する2名の僧侶は、まだ発表していませんがどちらもロッカーです(笑)ロックをするお坊さんです。その内の一名はなんとNUMBERGIRLがまだ福岡のライブハウスに出る前に活躍していたバンドのギタリストなのだそうです!
様々な繋がり、御縁も感じられるメリシャカLIVE2009。
11月26日午前9時からチケット追加予約、まだの方は是非メールしてみて下さい!!

それに向けて思うところを書いていきたいと思います。
今回のLIVEはこちらの予想を上回る反響があって、一週間で用意していたチケットの予約が完売してしまいました。
北は北海道、南は鹿児島から参戦して下さる方も!本当に有難いことです。
しかし、まだ予約されていない方もご安心ください!現在席を追加する予定です!!
今月26日にメリシャカLIVE2009公式サイトにて、再開しますのでサイトチェックをよろしくお願いします!
○向井秀徳アコースティック&エレクトリック
僕自身NUMBERGIRL時代から大ファンで、向井さんの詩には仏教の言葉が出てくるなと思っていました。僧侶としてもその仏教語の選びが興味深いなと。「NUM-AMI-DABUTZ」という曲など、そのまま「南無阿弥陀仏」浄土宗・浄土真宗のカナメ、お念仏そのものですからね。
また印象深い詩に「繰り返される諸行無常、よみがえる性的衝動」というものがあります。
NUMBERGIRLからZAZENBOYSに変わり、向井さんの音楽は変化し、ZAZENBOYSもまたメンバーの変遷があり、音楽的にも変化し進化(深化?)し続けられています。
しかし、ナンバガ時代もZAZENBOYSのどの時期にも、向井さんの中の一貫して変わらないものの一つに、この「繰り返される諸行無常、よみがえる性的衝動」というリリックがあるのです。移ろい変わりゆく世の中において、その根底に流れているものに耳を傾けることの大切さを感じます。「移ろい変わりゆく」ことこそ常なのです。
メリシャカLIVE第一回に向井さんをお呼びするできることになって本当に楽しみでなりません。向井さんの音楽と仏教の教えのお話「法話」がどのような化学反応を起こすのだろうか!?
不思議な御縁でもとジョビジョバで今僧侶、今回MCを担当される木下明水さんも向井さんとお会いされたことがあるそうです。
また、法話を担当する2名の僧侶は、まだ発表していませんがどちらもロッカーです(笑)ロックをするお坊さんです。その内の一名はなんとNUMBERGIRLがまだ福岡のライブハウスに出る前に活躍していたバンドのギタリストなのだそうです!
様々な繋がり、御縁も感じられるメリシャカLIVE2009。
11月26日午前9時からチケット追加予約、まだの方は是非メールしてみて下さい!!

有りのままを写さない写真!?
- 2009年11月06日(金) 文:kensho
- 仏声人語
- comments(0)

kenshoです。
東京も大分肌寒くなってきました。
皆さんいかがお過ごしですか。
学生時代写真のバイト
さて、僕は学生時代、写真を現像・プリントするお店で3年間バイトをしていました。
そのバイトは学生時代の大切な思い出の一つです。
高校生の時から、大学に行ったら写真関係のバイトをしたいと思っていたので、バイト求人雑誌を手に取ると真っ先にその欄を探したものです。

デジタルカメラは少数派な時代
僕がバイトをしていた時期は、丁度10年も前のことなので、デジタルカメラを持っている人はほとんどいませんでした。ですので、大多数の人がいわゆる35mmフィルムカメラを使っている時代で、カメラを持っている人は現像・プリントをしないと見れないので、お店に必ずフィルムを出しにくるわけです。
僕がバイトをしていて思ったことは、写真屋って儲かるなあと正直思っていました。
しかし、この世は無常です。
無常とは、世の中に存在するものは永遠ではないという意味ですが、まさにその通り!時代は変わり今はデジカメ絶世期。シャッター押してすぐに写真が見られる時代です。
デジカメの普及によりプリント出しに行く人が激減でお店にとっては死活問題になりました。

写真は自分を確認するもの
そもそも写真の歴史は、実景の記録であり人物であれば自分を客観的に見られる唯一の媒体であったはずです。
鏡は自分を写しますが自分から逆の容姿でしか確認できないので、本当の姿を写すのは写真で確認するしかありません。
しかし皆さんいかがでしょうか。
デジカメの普及によりいとも簡単に色校正・編集が出来るようになり、コンパクトカメラでも様々な設定が可能で、本当の自分よりも見栄えが良く写真に仕上げることが出来る時代になりました。
まさに、有りのままを写さない写真であり、本当の自分を見られるのは何でしょうね?!
「お得度ですか?」
- 2009年11月02日(月) 文:るる
- 仏声人語
- comments(0)

先日、電車に乗っていると、私が子連れだったものだから席を譲ってくださった方があった。
大きな荷物を持っていた中年女性。
とてもありがたいタイミングだったので、好意に感謝。。
その人は荷物からレジュメを出して、読み始められた。
その本「得度習礼」の冊子だった。
ああ、この方はこれからお得度に行かれるのだな〜と思って、自分のときを懐かしく思い出しもした。
私が得度をして僧籍をいただいたのは平成13年のことである。
携帯も預けなければならず、テレビもなく新聞や週刊誌もない。
俗世間から一切を離れた生活をしなければならないのだが、私のときは例外だった。
9・11事件が起きたのだ。
だから、朝の講話のときだっただろうか。
「異例のことだが」と前置きをして講師の先生が、テロ事件のことを話してくださったのだった。
これから戦争になるかもしれない、こんな世界の始まりのときに僧侶としてどう生きていくか、しっかり考えてほしい。
そういわれた記憶が鮮明である。
ところで、私は当時、違和感を感じていたことがある。
「お得度ですか?」と聞かれて「はい」と言うと、相手はこう言ってくれるのだ。
「それはおめでとうございます」
・・・得度は、めでたいことなんだろうか?
それなりに覚悟を決めて得度を迎えた私にとって、それは必ずしも“めでたいこと”ではなかったので、とっても居心地の悪い思いをしたものである。
でも、今ならこう思う。
得度をするということは、新しく生まれ変わるということだ。
誰かの子どもだったり、誰かの親だったり、どこかの一員であったりというような俗世間のつながりとは全く別の、「仏弟子」という、仏と己のまっすぐな絆で結ばれた新しい生き方をするということだ。
それはやはり、新しい生を受けることであり、生まれ変わるということであるので、だからこその「おめでとう」なのだ。
私が、その心にどんなにちっぽけな決意をしても、大して問題ではなかったのである。
得度を終えたときのすがすがしい気持ちを思い出した。
席を譲ってくださった女性に、「お得度ですか」と声をかけたら驚かれた。
いぶかしげに「はい」と言われたので、「あ、私も7年前に…」と答えた。
そのあと私は、「おめでとうございます」と言いかけたのだが、その方に「それは御苦労さまです」と言われてしまった。
それで、私はおめでとうございます、が言えなくなってしまった。
得度は、御苦労さまなことだろうか…と考えてしまったのだ。苦笑。
それで、「寒くなるようですから、お気をつけて」と言って電車を降りたのだった。
うーん。振り出しに、戻る。である。
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