会ったことのない長兄。

うちの父親は10人兄弟の9番目として生まれた。

父親の親戚ではおもしろい現象が起こっていて、10番目の義理のお母さんは1番目と同い年だという。
昔は兄弟が多かったのでそういうことは珍しくないのかもしれない。

でも。

今では親子ほど年の離れた兄弟はあまり見かけなくなった。少子化の影響もあるだろう。


そして。

10兄弟のうち8人が今現在生きている。1人♀は3歳、もう1人♂は戦争中に軍事工場の空襲で亡くなっている。

父親は戦後生まれ。

ある時ふと思った。「父親は空襲で亡くなった実の兄のことを知らない。」
そう思ったらすごくさみしい気持ちになった。兄弟の顔を知らないなんて今の自分には考えられないからだ。

一度だけそのことを父親に聞いたことがある。小さく「うん」とうなずいて少し影のある表情をした。

それ以来、その顔も知らない僕からしたら「おじ」の話をしていない。
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現在の私の家族

私の家族は妻と子1人という3人家族という構成ですが、現在は私独り単身で暮らしています。先日妻と大喧嘩して子どもを連れて実家に帰ってしまった…のではなくて、二人目の出産準備の為こどもを連れて里帰りしているためです。
この生活が始まったばかりの頃は、しばらくの間自由の身になれることにちょっとワクワクもしておりましたが、実際は家族のいる暮らしに一度慣れた身には、明かりの消えた家に独り帰るというのは寂しいものですね。
順調にいけば2ヶ月後に新しい家族を連れて帰ってきてくれる予定なので、それまでの辛抱です。

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家族とは、他人の集まり、であるからこそ

家族って、私にとって非常にむずかしいテーマです。

人は、自分で選んだわけではない家族の中に生まれ育ち、多くの人が自分で選んだ家族を持ち、その後また家族の構成が変化していく。

しかし、所詮他人の集まり。
血がつながっているとかつながっていないとかに関わらず、絶対なる他人の集まり。
どこまでいっても、それは事実です。

だからこそ、そこで養わなければならないものがある。
社会性であり、礼儀であり、思いやりであり、感謝であり、我慢であり。
どんな家庭が正解かなんて分からないけれども、自分の居場所はそういったことを学びながら自分で作ろうとしなければなりません。

自分がしてやったことばかり、されたことばかり考え、主張していたのでは、家族のつながりはいびつになっていきます。
言わなくてもわかるだろう、とか、わかってくれて当然だ、何を言っても家族だから許される、というのは単なる甘えであろうと、最近は思うようになりました。

所詮他人であるのによくぞこうして私と家族になってくれたものだ、と思えばこそ、自分のいのちを育んでくれたかけがえのない家族であると、感謝の気持ちが芽生えるのではないでしょうか。

うちには、もうすぐ家族が増えます。
よく、私たちのところへ生まれてくれた、家族になってくれた。そういう思いを持って迎えてあげたいと、心の底から思う今日この頃なのです。


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私の父

テーマは家族・・・
今回は私の父を通して・・・

父は言うなれば趣味人間です。趣味はバレー、剣道、時代劇、様々ありますが、その楽しんでいる時間を邪魔されるのが嫌いなようです。
普通だと言えばそうなりますが、多少度が過ぎたところがあります。
例えば、時代劇の途中でチャンネルを変えてみたりすると豹変ぶりが・・・絵に描いたようです。
よく、悪戯をして怒らせていました。
当然、仕事に於いてもそのこだわりを発揮する所を垣間見たりすることもあるのですが・・・

そんな父との思い出を・・・

私、中学三年の終わりの大事な時期に大失態をしでかしました。

どのようなことかと言いますと
悪友達と昼間に公園で遊んでいました。
すると、その中の一人が「いいちこ」の一升瓶を携えてきたんです。

その時、男を見せるためにどれだけ呑めるか競ったと・・・

案の定、私は泥酔状態で道路と田んぼの間にある溝に頭から落ちてしまいました。

綺麗に体が逆さまに入っていました。さぞカッコ悪い状態だったと思います。

そして、急性アルコール中毒でありましたので救急車のお世話になり、点滴を受けて父の背中に負ぶさられて家路へ・・・

翌朝、眼が覚めると昼でした。

母は涙目で私を見て、父は笑顔で私を気遣ってくれました。

・・・流石にあれだけのことをしたら怒るよりも呆れたのかも・・・

この時私は両親から厳しく叱られるのを覚悟していました。未成年の飲酒です。

ですが、両親の言葉は
母は
「早く学校に行って、先生に昨日の事を謝ってきなさい」
父は
「大丈夫なのか?体を休めなさい」

その父の優しさに戸惑いつつ、すぐさま学校に行きました。母が恐いってこともありますがw

この思い出が私の中で引っかかっていた時期があります。
「なんであの時、叱らなかったのかな」
ということです。特に父がです。余程のことがあれば父の拳が飛ぶのが毎度のことだったからです。
叱られないって妙に恐いんですよね。

日が流れて、私は大学へと進学しました。途中、アパートの更新が切れて別のアパートへ移りました。
その時父に引っ越しを手伝って貰いました。
その最中での父との会話の中でのことです。
私は父に「成績が良くなく、要領も良くなくて色々迷惑かけて申し訳ない」と言いました。
遠方から遥々、息子のために嫌味の一つも言わずに来てくれた父にポロっともれた言葉でした。
普段はその欠片すら思ってない私なのに・・・
父は
「家族皆が無事で、元気で、笑顔、それがワシにとって一番嬉しいことなんだ。何か困ったことがあればすぐ跳んで行くよ」
この時私は・・・正直に言えば、(カッコつけやがって)と真摯に受け止めてはいませんでした。
どちらかというとその言葉に当たり前さを覚え、
「何か、あったらまた頼むわ!」(私)

失礼千万な私なのです。。。親の気持ちを踏みにじって生きてきたって気がします。

ですが、こう振り返って見ると(あぁ〜、愛されているな私)って思ってしまいます。

よく、父に勝ちたい、父に勝ちたいと常日頃思ってたりするんです。
ですが、他では勝ったと思う点は沢山ありますけど、父の家族への思いには勝てません。

「親の心、子知らず」という言葉がありますが、今もその父の思いを量ることは息子の私には大き過ぎて量れません。
知ろうとしても経験から理解出来ないことがあるし、存命ですから、衝突もあるし・・・努力は今後もします。

いつになるのか分からないですが、親の立場になったら、父のようでありたいとこの頃、妙に思うんです。
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本願寺LIVE 2007 「他力本願で行こう!」




ども、ケンユウです。
去る8月31日、東京築地本願寺で行なわれました、本願寺LIVE「他力本願へ行こう!」へ行ってまいりました。
今年で3回目となるこのイベント、私も初めてで、念願叶って、ようやく参加する事ができました。
しかも、なんとスタッフでお手伝いをお願いしたい、というありがたいお誘いも受けまして、会場の準備から、手伝い半分、見学半分な感じでイベントに関わらせていただきましたので、そのレポを、ちょっと書かせていただこうかな、と思います。

実は私、浄土真宗本願寺派の僧侶でありながら、築地本願寺に行きますのも、これが初めて。まずはインド風の、到底日本のお寺とは思えない建物に驚きます。
今回は、前回には無かった試みも行なわれ、会場となる本堂の外、境内地にて、フードコートが設けられ、fooduaryさんの美味しいカレーが、外で食べられるようになっておりました。
それに伴って、プロジェクターも用意され、外からもLIVEや、法話の様子が見れるようなスペースも準備され、
さらには、特設テントでは、春風亭一之輔さんによる落語、彼岸寺の人気コーナー「仏像ア・ラ・モード」でもお馴染みの「仏像ガール」こといっきゅーさんによる仏像トーク、そして本願寺派布教使の久掘智成さんのご法話が聞けるようになっており、音楽LIVE以外でも、老若男女、誰でもが楽しめる、大変充実した内容になっておりました。
特に、「仏像ガール」いっきゅーさんの仏像トークはかなりの人気で、
椅子席は満員、立ち見が出るほどの盛況振りでした。

お次はメイン会場となる、築地本願寺のご本堂。
本堂の中心、阿弥陀仏の前に、ステージが設けられ、本堂の真ん中は、絨毯がしかれ、床に座ってLIVEや法話を体験できるスペースとなっており、その両サイドには椅子があり、ゆったりと座って、LIVEを楽しめるようになっております。

そのステージ、17時の開場とともに、もうこのイベントではお馴染みとなりました、サワサキヨシヒロ!さんによるDJ。温泉大好きのサワサキさんだけあって、その音楽もまた、温泉を想起させる、ゆったりと心地良いもので、イベント開始前のドキドキワクワクを、じわじわと暖めてくれます。
そしていよいよ、イベントのスタート!
まず登場したのが、な、なんと、猫ひろし!
まさか仏様の前で猫ひろしを生で見れるとは思いませんでしたが、
あのテレビで見るパフォーマンスが、生で見ると、当社比1.5倍の楽しさで、
スタッフとして参加しているにも関わらず、声を出して笑っていました。
あれだけのネタを、ほぼインターバル無しで連発できるのは、笑いを通り越して、感心してしまいます。
でも、リハ前に、真剣な顔でネタ帖を見ていたのは、ここだけのヒミツ(笑)
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