お寺座ライブvol.3
- 2008年07月27日(日) 文:
- シャカレポ
- -
今年で3回目となるお寺座ライブの告知です!
■日時:2008年9月20日(土)開演pm6:00(開場:pm5:30)
*当日は午後5時より受付を開始致します。
■場所:富山県黒部市宇奈月町浦山497「白雪山善巧寺」本堂
■会費:2,500円(ワンドリンク)【事前申し込み制】(詳しくは下に記述)
【公式サイト】http://www.zengyou.net/oteraza/
「お寺は文化の発信地」をキーワードにはじまった音楽会も今回で3回目となります。
出演は、ジャズ・ブルース・ムード歌謡などをオリジナルで歌いこなす個性派シンガーソングライター小島麻由美さん。独自の世界を切り開き熱烈なファンを魅了し続ける吟遊詩人七尾旅人さん。小島さんと七尾さんは共に富山初ライブとなります。また、当イベントの皮切りで"お寺×アンビエント"の絶妙な異空間を作り出したDJ&電子音楽家のサワサキヨシヒロ!さんは、"東京パノラママンボボーイズ"の初期メンバーでもある大御所サックスプレイヤーテディ熊谷さんを率いて、温泉的ラウンジ&アンビエント音楽を体現する新プロジェクト"Naturally Gushing"として、2回目の登場です。そして、今回は音楽のみに留まらず、任天堂や『ぼくはガス、ポッ』(Gラインとやま)のCMでもお馴染みの女の子ダンサー、ストロングマシン2号さんが登場します。
この個性派揃いの出演者とお寺が溶け合う空間を、どうぞお見逃しなく!
■出演:
−小島麻由美
−七尾旅人
−サワサキヨシヒロ!
−テディ熊谷
−ストロングマシン2号
−読経隊 他
【チケットの申し込み方法】
公式サイトの申し込みフォーム、もしくはメールより、お申込み人数分の「お名前(ふりがな)」と代表者の電話番号をご記入の上、ご連絡お願い致します。当日受付にてお名前を確認させてもらった時点で会費をいただくという方式です。
■問い合わせ先:
【メール】oteraza3@zengyou.net
【申し込みフォームリンク】公式サイトの申し込みフォーム
■主催:お寺座実行委員会
■日時:2008年9月20日(土)開演pm6:00(開場:pm5:30)
*当日は午後5時より受付を開始致します。
■場所:富山県黒部市宇奈月町浦山497「白雪山善巧寺」本堂
■会費:2,500円(ワンドリンク)【事前申し込み制】(詳しくは下に記述)
【公式サイト】http://www.zengyou.net/oteraza/
「お寺は文化の発信地」をキーワードにはじまった音楽会も今回で3回目となります。
出演は、ジャズ・ブルース・ムード歌謡などをオリジナルで歌いこなす個性派シンガーソングライター小島麻由美さん。独自の世界を切り開き熱烈なファンを魅了し続ける吟遊詩人七尾旅人さん。小島さんと七尾さんは共に富山初ライブとなります。また、当イベントの皮切りで"お寺×アンビエント"の絶妙な異空間を作り出したDJ&電子音楽家のサワサキヨシヒロ!さんは、"東京パノラママンボボーイズ"の初期メンバーでもある大御所サックスプレイヤーテディ熊谷さんを率いて、温泉的ラウンジ&アンビエント音楽を体現する新プロジェクト"Naturally Gushing"として、2回目の登場です。そして、今回は音楽のみに留まらず、任天堂や『ぼくはガス、ポッ』(Gラインとやま)のCMでもお馴染みの女の子ダンサー、ストロングマシン2号さんが登場します。
この個性派揃いの出演者とお寺が溶け合う空間を、どうぞお見逃しなく!
■出演:
−小島麻由美
−七尾旅人
−サワサキヨシヒロ!
−テディ熊谷
−ストロングマシン2号
−読経隊 他
【チケットの申し込み方法】
公式サイトの申し込みフォーム、もしくはメールより、お申込み人数分の「お名前(ふりがな)」と代表者の電話番号をご記入の上、ご連絡お願い致します。当日受付にてお名前を確認させてもらった時点で会費をいただくという方式です。
■問い合わせ先:
【メール】oteraza3@zengyou.net
【申し込みフォームリンク】公式サイトの申し込みフォーム
■主催:お寺座実行委員会
愚かと言うこと
最近、ガソリン高いですよね。それに伴ってか、物価も上昇し、生活は苦しくなる一方。毎日暑いのに、クーラー節約したりしなくちゃいけないし、地方に住んでおりますと、都市に比べ、年々生活環境が悪くなっていっているという印象も否めません。一体政治家や官僚は何をやっているんだ、日本はこの先どうなるんだ、なんて、思わない日はないくらいです。
と、こういうのを「愚痴」と言います。上に書いたように、不平不満を言うことを、愚痴をこぼす、と言ますよね。皆さんも、日々、いろんな愚痴をこぼされているのではないかな、と思います。
ところが、仏教で「愚痴」と言うと、一般的に使われる意味とは、少々意味が異なってまいります。
漢字を良く見て考えてもらえば、なんとなくわかるかと思うのですが、「愚」という字が使われている通り、愚かである、と言う意味です。「痴」という文字も、「おろか」という意味のある語ですので、「愚痴」と言うのは、愚かさを表す言葉と考えればよいかと思います。
では、「愚か」とはどういう意味か、と言うことですが、最近テレビでは、「おバカタレント」なるもので賑わっておるようですが、一般的に愚かと言うと、知識・教養のない者を指す言葉かな、と思います。
しかし、仏教では「愚か」というと、これまた少々趣が異なりまして、真理に疎い、真実に暗い、と言う意味になり、単純に知識がない、と言う意味ではありません。
では今度は、真実に疎いとは?と言うことになるかと思いますが、一言で言えば、物事の本当のあり方を知らない、ということです。物事の本当のあり方を知らないとどうなるかと申しますと、いろんな誤解をし、それによって苦しみが生れ、不平不満の意味の愚痴が出てくるということになります。
では物事の本当のあり方とは、いったいどういうことか、なんですが…
それはちょっと長くなるので、詳しくは書きません(笑)
ここからは、仏教的に愚かということを、なるべくわかりやすく考えてみたいと思います。
あ、少々長いので、ご注意をば。
と、こういうのを「愚痴」と言います。上に書いたように、不平不満を言うことを、愚痴をこぼす、と言ますよね。皆さんも、日々、いろんな愚痴をこぼされているのではないかな、と思います。
ところが、仏教で「愚痴」と言うと、一般的に使われる意味とは、少々意味が異なってまいります。
漢字を良く見て考えてもらえば、なんとなくわかるかと思うのですが、「愚」という字が使われている通り、愚かである、と言う意味です。「痴」という文字も、「おろか」という意味のある語ですので、「愚痴」と言うのは、愚かさを表す言葉と考えればよいかと思います。
では、「愚か」とはどういう意味か、と言うことですが、最近テレビでは、「おバカタレント」なるもので賑わっておるようですが、一般的に愚かと言うと、知識・教養のない者を指す言葉かな、と思います。
しかし、仏教では「愚か」というと、これまた少々趣が異なりまして、真理に疎い、真実に暗い、と言う意味になり、単純に知識がない、と言う意味ではありません。
では今度は、真実に疎いとは?と言うことになるかと思いますが、一言で言えば、物事の本当のあり方を知らない、ということです。物事の本当のあり方を知らないとどうなるかと申しますと、いろんな誤解をし、それによって苦しみが生れ、不平不満の意味の愚痴が出てくるということになります。
では物事の本当のあり方とは、いったいどういうことか、なんですが…
それはちょっと長くなるので、詳しくは書きません(笑)
ここからは、仏教的に愚かということを、なるべくわかりやすく考えてみたいと思います。
あ、少々長いので、ご注意をば。
勝手に仏像紹介 その4
ども、ケンユウです。仏像紹介も4回目。いつまで続くかわかりませんが、今回も勝手に書かせていただきます。
さて、今回ご紹介するのは、京都上京区、北野天満宮よりちょっと東へ行った住宅街の中にひっそりとあります、千本釈迦堂こと、大報恩寺の仏像です。
このお寺、御本尊は「釈迦如来坐像」なのですが、これは秘仏のため、普段は残念ながら拝見することができません。
ただ、このお寺、収蔵庫である霊宝館が、ものすごいことになっております。
拝観料を払い、奥にある霊宝館の重い扉を開けますと、歴史を感じる匂いとともに、圧倒的な光景が広がります。
特に目を引くのが、「釈迦十大弟子立像」と「六観音像」と呼ばれる、総計16体もの仏像たち。
「釈迦十大弟子像」は、お釈迦様の代表的な十人のお弟子さん(※)達の像なのですが、鎌倉時代の有名仏師、快慶の作によるもので、非常に繊細かつ写実的な造りで、血管や骨、筋などが、皮膚から浮き上がっている様は、まるで、人をそのまま木造にしたかのようなリアルさ。当然、十人が十人、表情やポーズが異なっており、いくら眺めていても、飽きることがありません。
そしてもう一つのメインが、六体の観音さまの像。観音さまは、観音菩薩あるいは観世音菩薩と呼ばれる菩薩さまで、慈悲の菩薩とも言われ、非常に日本では人気があり、全国各地に観音様の像が見ることができます。
そんな中でも、この千本釈迦堂の観音様のすごいのが、六種の観音像がある、ということ。この観音様、TPOに合わせて、変化(へんげ)、と言うことを行い、人の持つ苦しみに応じて姿を変え現れる、と言われており、聖(しょう)観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝(じゅんてい)観音の、六つの姿を現します。
その六種の観音像が、一堂に揃っている、というのは、なかなか見られるものではなく、しかも、繊細で、流麗で、それでいて、静かな迫力があり、六体の観音像の前に立つと、ゾゾッと鳥肌が立つような感覚に襲われること請け合いです。
特に、如意輪観音は、あぐら座りから、右ひざを立て、そこに肘を立てて、頬杖をついており、無表情な顔立ちながらも、どこか艶めかしささえ感じる女性的美しさを持っています。しかも、手が四本と言う、異形の姿でありながら、異様さを全く感じさせないバランス感は、まさに匠のなせる技。
個人的に、この千本釈迦堂の「六観音像」は、これまで見てきた仏像の中でも、トップ3に入る素晴らしい仏像だと思います。
霊宝館には、他にも重文クラスの仏像が安置してありますので、それは、是非行かれてみて、素晴らしさを確認してみてください。
京都の街の中心部からはちょっと離れており、行きにくいところにあるかもしれませんが、足を延ばす価値は十分にあるかと思いますよ。
さて、今回ご紹介するのは、京都上京区、北野天満宮よりちょっと東へ行った住宅街の中にひっそりとあります、千本釈迦堂こと、大報恩寺の仏像です。
このお寺、御本尊は「釈迦如来坐像」なのですが、これは秘仏のため、普段は残念ながら拝見することができません。
ただ、このお寺、収蔵庫である霊宝館が、ものすごいことになっております。
拝観料を払い、奥にある霊宝館の重い扉を開けますと、歴史を感じる匂いとともに、圧倒的な光景が広がります。
特に目を引くのが、「釈迦十大弟子立像」と「六観音像」と呼ばれる、総計16体もの仏像たち。
「釈迦十大弟子像」は、お釈迦様の代表的な十人のお弟子さん(※)達の像なのですが、鎌倉時代の有名仏師、快慶の作によるもので、非常に繊細かつ写実的な造りで、血管や骨、筋などが、皮膚から浮き上がっている様は、まるで、人をそのまま木造にしたかのようなリアルさ。当然、十人が十人、表情やポーズが異なっており、いくら眺めていても、飽きることがありません。
そしてもう一つのメインが、六体の観音さまの像。観音さまは、観音菩薩あるいは観世音菩薩と呼ばれる菩薩さまで、慈悲の菩薩とも言われ、非常に日本では人気があり、全国各地に観音様の像が見ることができます。
そんな中でも、この千本釈迦堂の観音様のすごいのが、六種の観音像がある、ということ。この観音様、TPOに合わせて、変化(へんげ)、と言うことを行い、人の持つ苦しみに応じて姿を変え現れる、と言われており、聖(しょう)観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝(じゅんてい)観音の、六つの姿を現します。
その六種の観音像が、一堂に揃っている、というのは、なかなか見られるものではなく、しかも、繊細で、流麗で、それでいて、静かな迫力があり、六体の観音像の前に立つと、ゾゾッと鳥肌が立つような感覚に襲われること請け合いです。
特に、如意輪観音は、あぐら座りから、右ひざを立て、そこに肘を立てて、頬杖をついており、無表情な顔立ちながらも、どこか艶めかしささえ感じる女性的美しさを持っています。しかも、手が四本と言う、異形の姿でありながら、異様さを全く感じさせないバランス感は、まさに匠のなせる技。
個人的に、この千本釈迦堂の「六観音像」は、これまで見てきた仏像の中でも、トップ3に入る素晴らしい仏像だと思います。
霊宝館には、他にも重文クラスの仏像が安置してありますので、それは、是非行かれてみて、素晴らしさを確認してみてください。
京都の街の中心部からはちょっと離れており、行きにくいところにあるかもしれませんが、足を延ばす価値は十分にあるかと思いますよ。
あなたに
たったひとり、世界にたったひとりでいいから、「あなたが必要だ」って言ってほしい。
じゃなかったら、さびしくて不安で、いたたまれない。
この世に生きている証、自分の根っこ、生きる喜び…
たったひとりのひとことでいいのに。
君が必要だ、って誰かに言ってほしい。
そうすれば、もっと肩の力を抜ける。
もっと素直になれる。
どんなに知識を身につけても、やりがいのある仕事をしていても、いつもどこか満たされない。
そんな外側の私じゃなくて、ありのままの私を必要としてくれる存在を、求めている。
でも…
飛び込むのは怖い。さらけ出すのは怖い。
負けたくないと思うし、馬鹿にされたくないと思う。
自分は特別な存在だと思いたい。
認められたい。
そして、そういう思いを見透かされるのが、怖い。
知識で武装して、経験を糊塗して、その結果、自分の思いが出てこない。
見えるのは、他人のあらばかり…。
大事なことはいつもシンプルなはずなのに。
懐かしい記憶のどこかで覚えたやさしい言葉で表せるはずなのに。
何が違う?どこで間違えた?
いいや、自分は間違っていないはずだ。
間違いにしてたまるものか。
…そうしてまた、シンプルなやさしい気持ちは埋もれていく…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつの時代も変わらない、孤独という悩みがある。
遠い昔からずっと、そしてまた次の未来にも、苦しみ悩むひとがいる。
その苦しみに目を向けているのが、宗教なんだけど。
メッセージはいつも私たちに開かれ、向けられているんだけど。
そのままの自分を大事にできる智恵や勇気を、与えてくれるのが仏の言葉なんだけど。
どうしたら、届くんだろう。
本当に届いてほしいひとに。
私にとっての、あなたに。
じゃなかったら、さびしくて不安で、いたたまれない。
この世に生きている証、自分の根っこ、生きる喜び…
たったひとりのひとことでいいのに。
君が必要だ、って誰かに言ってほしい。
そうすれば、もっと肩の力を抜ける。
もっと素直になれる。
どんなに知識を身につけても、やりがいのある仕事をしていても、いつもどこか満たされない。
そんな外側の私じゃなくて、ありのままの私を必要としてくれる存在を、求めている。
でも…
飛び込むのは怖い。さらけ出すのは怖い。
負けたくないと思うし、馬鹿にされたくないと思う。
自分は特別な存在だと思いたい。
認められたい。
そして、そういう思いを見透かされるのが、怖い。
知識で武装して、経験を糊塗して、その結果、自分の思いが出てこない。
見えるのは、他人のあらばかり…。
大事なことはいつもシンプルなはずなのに。
懐かしい記憶のどこかで覚えたやさしい言葉で表せるはずなのに。
何が違う?どこで間違えた?
いいや、自分は間違っていないはずだ。
間違いにしてたまるものか。
…そうしてまた、シンプルなやさしい気持ちは埋もれていく…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつの時代も変わらない、孤独という悩みがある。
遠い昔からずっと、そしてまた次の未来にも、苦しみ悩むひとがいる。
その苦しみに目を向けているのが、宗教なんだけど。
メッセージはいつも私たちに開かれ、向けられているんだけど。
そのままの自分を大事にできる智恵や勇気を、与えてくれるのが仏の言葉なんだけど。
どうしたら、届くんだろう。
本当に届いてほしいひとに。
私にとっての、あなたに。
ゴンシキ日記6時間目
- 2008年07月12日(土) 文:
- ゴンシキ日記
- -
5/28
待ちに待たない中間試験。
試験はペーパーテストと実唱テスト。実唱テストの範囲は御文章と正信偈。ペーパーは全く分からない。
でも、過去問ってなぜか出回るんだよね。
なんだかんだ過去問ゲットしていたのでだいたいの傾向は予測できたものの、がらっと変わるかもしれんし。
裏の裏の裏を読む・・・要はちゃんと勉強しろってことなんやね。
実唱は緊張しまくりで待つこと一時間。なんせ100人が受けるので試験会場が4つあっても一時間以上待つ人もいるほど。
4人1組になって会場に入ると・・・講義してくださってる先生方が4人鎮座。いつもの和やかな表情は微塵も感じられない。
横に眼をやると、MDの録音機!
それで緊張しない理由はどこにもない。
淡々と「はいキッスィさん○○の△丁(頁のこと)を読んでください」
「あ、△丁ですね。えっとえっと(汗)。あ、ここだ。は、はい」
背中から汗が落ちるのを久々に感じた。この場から消えたい。いや消してくれ〜(泣)
満足には程遠いものは言うまでもない。ゴンシキって奥が深いんだなーと再実感。
ペーパーの方がまだましかも。
ペーパーの点数が悪いと再テストもあるってさ。ひぇ〜。
ここいらで、日記とは離れて。
今まで文章だけでどんなとこで勉強しているのか伝わらなかったかもしれないので、今回は写真をUP。
まず1枚目。研修のメイン会場。
ここに100人以上が正座をしてお経を称えたり、講義を受けるところ。講義の時は長椅子を並べることもアリ。
100人が真っ黒な衣で座ってるとある意味こわいね。
知らなかったら近づかないかも(笑)
ここは一般寺院にある本堂を再現したもの。それぞれのお寺に戻っても同様なことができるように本堂を再現しているんだと思う・・・確か。
ただ、ここのは正直一般寺院よりは大きな造りになっていて、これだけの本堂があるお寺はかなり規模の大きいところやろうなぁ。
基本的なことを学んで、それぞれのお寺ではその基本に則って規模に合わせた作法をしていけばいいのである!!
2枚目。講義が始まる30分以上前のヒトコマ。
登校してる人もほとんどいない会場で朝練ならぬ朝勉している面々。
ホンマ頭下がるわ。
同じ格好しているのに勉強しているのと、カメラ持ってうろうろしている僧侶。
僕なんてお晨朝の当番だったからこの時間にいたけど、この面々は自主的に勉強。
なんだーこの違いは。
ちなみに、ペーパーの再試験は免れました。はっきり言って再試験だと思ってたからびっくりやわ。
待ちに待たない中間試験。
試験はペーパーテストと実唱テスト。実唱テストの範囲は御文章と正信偈。ペーパーは全く分からない。
でも、過去問ってなぜか出回るんだよね。
なんだかんだ過去問ゲットしていたのでだいたいの傾向は予測できたものの、がらっと変わるかもしれんし。
裏の裏の裏を読む・・・要はちゃんと勉強しろってことなんやね。
実唱は緊張しまくりで待つこと一時間。なんせ100人が受けるので試験会場が4つあっても一時間以上待つ人もいるほど。
4人1組になって会場に入ると・・・講義してくださってる先生方が4人鎮座。いつもの和やかな表情は微塵も感じられない。
横に眼をやると、MDの録音機!
それで緊張しない理由はどこにもない。
淡々と「はいキッスィさん○○の△丁(頁のこと)を読んでください」
「あ、△丁ですね。えっとえっと(汗)。あ、ここだ。は、はい」
背中から汗が落ちるのを久々に感じた。この場から消えたい。いや消してくれ〜(泣)
満足には程遠いものは言うまでもない。ゴンシキって奥が深いんだなーと再実感。
ペーパーの方がまだましかも。
ペーパーの点数が悪いと再テストもあるってさ。ひぇ〜。
ここいらで、日記とは離れて。
今まで文章だけでどんなとこで勉強しているのか伝わらなかったかもしれないので、今回は写真をUP。
まず1枚目。研修のメイン会場。
ここに100人以上が正座をしてお経を称えたり、講義を受けるところ。講義の時は長椅子を並べることもアリ。
100人が真っ黒な衣で座ってるとある意味こわいね。
知らなかったら近づかないかも(笑)
ここは一般寺院にある本堂を再現したもの。それぞれのお寺に戻っても同様なことができるように本堂を再現しているんだと思う・・・確か。
ただ、ここのは正直一般寺院よりは大きな造りになっていて、これだけの本堂があるお寺はかなり規模の大きいところやろうなぁ。
基本的なことを学んで、それぞれのお寺ではその基本に則って規模に合わせた作法をしていけばいいのである!!
2枚目。講義が始まる30分以上前のヒトコマ。
登校してる人もほとんどいない会場で朝練ならぬ朝勉している面々。
ホンマ頭下がるわ。
同じ格好しているのに勉強しているのと、カメラ持ってうろうろしている僧侶。
僕なんてお晨朝の当番だったからこの時間にいたけど、この面々は自主的に勉強。
なんだーこの違いは。
ちなみに、ペーパーの再試験は免れました。はっきり言って再試験だと思ってたからびっくりやわ。
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