アッと驚くインド旅行記

インドに旅をする際に、まず注意を受けることがある。
それは、現地の水を飲んではいけないこと。
もし、水を飲んでしまうとお腹の調子が・・・。
水が×なので、氷も×、生野菜も×、油断をして歯磨きの時に水道の水を使っても×である。

インドの旅先でのこと。
夜みんなでお酒を飲んでいた、インドではインドビール(キングフィッシャー)やウォッカをよく飲む。先輩のお酒のサーブをしていた私。先輩が飲むお酒を変えるというので、洗面所にてコップを洗い、新しい飲み物を注いだ。すると、翌日先輩は寝込んでしまった。
なぜか?
答えはコップを洗った時、水が少し残っていたのである(スイマセン)。
それだけでも、敏感な人は体調を崩してしまう。

外務省のホームページにも、インドでは水はボトルの水を注文するようにしてください、との注意書きが。

インドの水を飲むと、体調を崩すということの原因について、インドの水は硬質であるが、水質にはそんなに問題はないと聞いたことがあった。改めて、その原因を調べてみるとネット(インドでの暮らし インドの水道編)に詳細に説明されていた。

インドに限らず大陸国の水道は硬水が多く、水分中に鉱物質が含まれていることが多い。
そのため、シャワーの小さな穴などにこの鉱物質がこびりついて詰まることがある。ホテルによってはシャワーの噴出し口(数十個の小さな穴)の半分以上が目詰まりして、水が出てこないこともある。コップを水道水で洗って乾かすと、コップの内側に白い粉がうっすらと付着していたりする。バスタブに水を溜めると鉄分を含んだ赤い水(鉄管の錆?)が出ることも度々である。日本の地形のように、海と山が接近している場合は、降った雨が急傾斜の川をさっと流れ、長く留まることなく海に注ぐので、川の水も比較的きれいである。しかし、大陸では川の傾斜がゆるく、流れているのかいないのか、よく分からない程にゆったりとしているので、水も汚れ易い。「流れる水は清し」と言われるが、その逆は「留まる水は不潔」である。従って、インドでも殆んどの地方で、水道水は煮沸しなければ飲めない。ウッカリ生水を飲めば、即、下痢をする。ホテルのバーでも、ウイスキーの水割りには注意してミネラルウオーターを使うが、ウッカリ入れてもらった氷が実は水道水で作られており、これが原因で下痢をすると言ったこともあり、なかなか油断はできない。

つまり、インドの大陸の地形によって水は硬質となり、慣れない日本人の身体には合わないとのこと。

インドに旅をするときはペットボトルを購入して下さい。
時には、新品のペットボトルと思い購入したキャップが開いているものもありますのでご注意を。

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おはようございますの意味

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「おはようございます」

当たり前に使っている挨拶の言葉である。

先日、お店にいくと、店員さんから「おはようございます」と挨拶をされた。
が、なぜかエッと、ちょっと待てよと違和感を感じた。
というのは、店員が相手(私)の顔を見ておらず、その言葉に感情がこもっていなかったからである。

先日、TVで放映されていた養老先生の言葉が思い出された。
それは、授業での一こまでのこと。先生が、透明な水の入ったグラスを持ちながら、これに赤色の液体を一滴まぜます。グラスの水の色が変わらず透明なままなのかわかるかと問うと、生徒たちはポカーンとしていた。
ある学生が、それは当たり前のことではありませんかと答えた。
そのことは何にでもいえることと、挨拶の言葉でも何気なく当たり前に使っているが、「なぜだろう?」と思うことが大切だというお話だったような。

そういわれてみれば、私たちは、生まれた時から挨拶として「おはよう」を使っている。
そういえば、どんな意味があるのか、考えたことがなかった。

ちょっと調べてみました。
「おはよう」は、漢字で書けば「お早う」となる。
「おはよう」の語源は、語源由来辞典によると「お早く○○ですね」などの「お早く」である。
この「お早く」が転じて、「おはよう」になった。
「お早くから仕事大変ですね」「お早くからいらっしゃていましたね」・・・
相手への敬意を表すことばだそうだ。

だから、「おはよう」は朝だけの挨拶だけではない。
夜のお仕事や芸能界での挨拶が夜でも「おはよう」というのは理にかなっているのだ。

朝の挨拶を英語で言えばGOOD MORNING。
これは、時間の区切りを表す言葉である。
「いただきます」「もったいない」などの日本語は英語では表現できないという。
まさしく「おはよう」もしかりで、その一言の中に相手を思い遣る心が詰まっているのだ。

当たり前に使っている言葉にも調べてみると深い意味がある。
そして、当たり前の日常の中で大切な意味を見失ってしまって過ごしている私を発見した。

改めて、一つ一つの言葉を大切にしてみたいと思う。
そして、言葉の中に込められている願いをたずねてみたい。
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卓越。

ども。ずっと夏が続けばいいと思っているキッスィです。

また結婚式です。いいや、僕ちゃいますよ。「また」ってつけたんですから。
一般的に結婚は一度しかしないので、「また」なんか使いません。

先輩の結婚式です。その数日前、研修で一緒になったんですけど、結婚前最後の飲み会・・・いや懇親会ということで、張り切って飲んでました。泥酔。

来月も友達の結婚式、12月は大学院時代の後輩の結婚式。どんどんまわりが結婚していきます。



人は人。



何度となくこの言葉叫んだことか。

これずっと見てたら顔文字にも見えてきましたよ。ほほ笑んでいるような、案山子のような、そんな顔に見えてくる。


もうね、メリシャカチルドレン以前の問題っすよ。


相変わらず卑屈トークしか出てきません・・・。


で、本題。
今回紹介するのはバングラデシュに行った時に撮ったもので、おばーちゃんの笑顔が素敵!
このおばーちゃん、バングラデシュの少数民族の方で、迫害を受けて難民生活をしていらっしゃる。

今までにいろんなことがあっただろうけど、それを超えた笑顔なのかなーと。

すべてのことを卓越した表情にも見えてくる。



またバングラデシュ行きたい。
というか、このおばーちゃんにまた会いたい。
バングラデシュ
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ドレミでうたおう / VA

メリシャカのサイト開設から3年の間に、子に恵まれたメンバーが一気に増えて、今ではメリシャカチルドレンが5人となりました。うちも今1年と2ヵ月の子がいて子供と戯れる日々を送っています。独身→結婚→出産と、その都度ライフスタイルは変わっていきます。特に、子供との生活がスタートすると、時間の使い方が大きく変わったように思います。(男は女性ほどじゃありませんが)

うちは元々食卓にテレビは置かない家なので、それほどテレビを見る頻度は高くありませんが、子供と一緒にいる時には、ながらのテレビは付けたくないというのが夫婦同意見のため、いっそうテレビを見なくなりました(ひとりでyoutubeはよく見るけど)。その代わりに、音楽はよく流しています。

子供と一緒に聴きたい音楽。

結論から言うと、“負”の感情はとてもうつりやすく親が機嫌よく子供と一緒にいることが最重要だと思っているので、まず親が楽しめたり和めたりする音楽、つまりは親が好きな音楽がよいと思います。その上で、やはりTPOといいますか、時間帯やその時のテンションに合わせてシックリくる音楽を選びたいです。1歳未満ですと、昼間にキャッキャッと遊ぶ時間以外は、子はよく寝ます。その障げになるようなものは好ましくないでしょう。ですから、必然的に和やかで落ち着けるような音楽が好ましいと思います。子守唄のように、親が歌って聞かせられるものもいいですね。一方で、これはぼくのエゴになりますが、感受性を増幅させるような良質な音楽も聴いて欲しいです。

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子の知らぬ親心

bussei


チスイさんの明るい出産報告とは真逆の出産記録も4回目。

未熟児は、正確には【低出生体重児】という。

基本的に出生体重が2500g以下の赤ちゃんを総称していうのだが、その中でも体重によっての区分がある。
私の母子手帳には、【超低出生体重児】と記入されている。
この表現で、私の産んだ赤ちゃんがどれだけ小さかったかを察していただけると有り難い…世の中には我が子の出生体重を言いづらい親もいるということだ。

超低出生体重児が後遺症もなく成長する確率は40%。
私が出産した週数での生存率は60〜70%。
その現実を前に、近親者以外への出産報告ができなかった。

私が赤ちゃんに会えたのは、分娩から3時間が経過した後だった。
誕生と同時にNICUに運ばれ、既に緊急処置が終わっており、保育器ごしの対面となる。
小さな口に人工呼吸器が入れられて、小さな手足には幾つもの点滴の針が射されていた。
無数の管に繋がれて、身動きすらできない痛々しい我が子の姿に、謝るしかできない。
本来なら、この在胎週数で感じなくても良かったはずの痛みを受けさせている申し訳なさに、できることなら、もう一度お腹の中に戻してあげたいと願い、泣いた。

次の日から、面会に行くたびに新たな症状と、その治療法の説明を受け続ける。
点滴は7種類に増え、未熟児貧血のための輸血や黄疸に対処するための光線治療など、次から次へと処置が重ねられていった。

出産から3日、脳内に直径5ミリ程度の出血が見つかる。
早産児の多くに見られる症状で、3日間様子を見て、広がっていなければ次第に消え、大事には到らないと言われる。
大事に到れば脳性マヒ、結果を待つしかない…それは地獄の3日間だった。
3日後、幸いにも広がっている気配はなく胸を撫で下ろすが、それでも出血したことには変わりなく、出血が運動野を司る箇所だったため、今後手足に麻痺が出る可能性は否定できないと、新たな重荷を背負うことになった。

上まぶたと下まぶたが完全に離れていない顔を見るたびに、早く産んでしまった事実を突きつけられ、自分を責める日々が続く。

「赤ちゃんはお母さんがもうこれ以上、苦しい思いをしなくていいように生まれてきてくれたんですよ」

私を慰めるように、担当の看護師さんが言ってくれた。
けれど、その言葉が私の心に届くことはなかった。
一ヶ月以上に及ぶ寝たきりの入院生活は、私にとって何ら苦痛ではなかったし、早産してしまうことの方が苦痛だったから。
早く生まれたくて生まれてきたんじゃないはずだと、私を思いやる言葉の全ては自分を責める言葉へと変換された。

だが、今にして思うのだ。

身動きの取れない生活をしていた私を、ただ見ているしかなかった家族のつらさがあったことを。
保育器の中で身動きしないように眠らされている我が子を見守るしかできなかった私の苦しみと同じように、私の両親は寝たきりの我が子を見守るしかなかった苦しみを抱き続けていたことを。

自分のことなら耐えられる苦しみやつらさがある。
けれど、その苦しみやつらさに耐えている大切な人を、そばで見続け支えなくてはならない人の苦しみやつらさがあるということを、あの時の私は考える余裕すらなかった。

我が子の苦しみに痛める心が親心。
我が子の苦しみが自分の痛みとなるのも親心。

チスイさんの日記にもあるように、阿弥陀さまはどれほどの痛みを抱き続けておられるのだろうと、思えば思うほど自然と手が合わさる。
そして、落ち着いてからではあるけれど、私がどれほど人の心を思いやることのできなかった人間であったかということに、気付かせてくれたのも阿弥陀さまの親心だった。

赤ちゃんが早く生まれてきたことにも、私にそのことを気づかせる「はからい」があったのだろうと思うようになったのは、つい最近のことである。

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個性

皆さんメリシャカ。ケンユウです。先月に続いて今月も世の徒然を撫で斬らせていただきます。

最近、と言う言葉をつけるまでもないですが、「個性」というものが重視されている現代。しかしその個性重視、ということがどこか歪なものになっていると感じることが無いでしょうか。
個性的、と言うことは、つまり人とは違うことととらえられ、人と違うことが個性的で素晴らしい、そう考えられる風潮があるように思います。そのため、多くの人が人と違うことを目指すことによって、いろんなことが多様化して参ります。かつては流行と言えば、一つの事柄をみんながみんな追随する、というものでしたが、現代の流行と言うものを見ておりましても、いろいろなジャンルと言いますか、同時にいくつもの流行が存在するように思います。そんな風に、個性が大事にされ、個性的と言うことがもてはやされることによって、文化が多様化していくと言うのは、素晴らしいことであるように思います。
ところが、その全く逆のベクトルも働いているように感じることもあります。個性的であることがもてはやされているため、多くの人がより個性的でありたいと感じます。しかし「少数になる」と言うことが怖い、と言うまた別の意識がはたらくためか、多様化・分節化したものの中身を見ていくと、どうもそこに繰り広げられているのは、画一化されたスタイルであったりするように感じられます。新しい流行に乗った、実に個性的なスタイルであるのに、なぜかみんな同じようになってしまっている。個性的でありたいはずなのに、一人は嫌だ、仲間が欲しい、そういった心境からそういった事が起こるのかもしれません。しかし、似た仲間、同類が増えてくれば、今度はより細部において自分はあの人とはここが違う、というようなことを主張したくもなる。これは日本人独特、なのかもしれませんが、実に複雑な心情であります。面白いものですね。

さておき、その「個性」ということでありますが、どうも重視されているのはオリジナリティと言うか「人と違う」と言う部分であるように感じます。「人と私はここが違う。だから私は素晴らしい。その素晴らしさを認めてほしい」そういう意味合いで個性と言う言葉が使われていることが多いように思います。しかしよくよく考えてみますと、自分と同じ人間など、一人たりともいません。顔かたちも当然違いますし、経験してきたこと、考え方、好き嫌い、どれをとっても人と全く同じ、などと言うことはあり得ないでしょう。クローン技術で遺伝子的に自分と全く同じ人間を作り上げることができたとしても、生まれてから育つ環境が違えば、姿かたちも変わってくるでしょうし、クローンだからと言って、体験してきたことや記憶まで全く同じと言うことはないでしょう。人は最初っから、一人一人個性的なんです。
ところが、「人と違う」と言う部分にのみスポットが当たりがちであるために、人と同じ様であると言うことが忌避されたり、凡庸であると非難されたりする、そういう風潮が強いのではないでしょうか。教育の分野でも、それぞれの個性を伸ばす、というような事が言われたりしますが、どこか人と違うものを育てなければとか、人と違っていなければならないとか、そういう強迫観念のようなものがどこかあるように思いますし、社会においても、どこにでもいそうと言う人よりも、人とは違うものを持った人が良しとされるようなことが多いように思います。もちろん、人ができないことができたり、人より優れたところがあるのは長所と成り得るでしょうし、それが認められるの当然のことでありますが、「人と違う」と言う点ばかりが重視されると言うことに対しては、些か歪みのようなものを、私は感じざるを得ません。

個性を大切にすると言うことは、私はその人自身が大切にされると言うことであると思います。先ほども書きましたが、最初から人はそれぞれ違ったものを持っていますし、それぞれが個性的であります。にもかかわらず、個性と言うことが「人と違う」と言う部分にばかりスポットが当たるために、人と人とを比べ、「違い」にばかり注目し、その人自身が大切にされなくなってしまっている、そんな風に思うのです。

そしてもう一つ。個性を大切にすると言うことは、他の人を認めていくと言うことでもあると思います。それは、自分とは大きく違った趣向や考え方を持った人と出会った時、それが受け入れられずに避けたり、時には批判したりしがちでありますが、人と自分とは違っていて当然なのですから、その違いを互いに認め合って行けると言うこともまた、個性を大切にすると言うことであると思います。

人はそれぞれ違うもの。ですから無理に人と違っていなければならないと言うこともないでしょうし、人と違う部分があろうがなかろうが、本当はそんなことを気にする必要はないのかもしれません。それが、本当の意味で個性が大切にされる社会ということでしょうし、人と違わなければならない、という一種の束縛から意識を離してみることで、少し心が軽くなるのではないかなと思います。

赤い花は赤いまま、白い花は白いまま輝かせてくれる、それも仏教の教えの一つでありますから、ね。
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メリシャカLIVE2009 公式サイト発表

「メリシャカLIVE2009」at西本願寺聞法会館

12月26日 15:30開演

メリシャカ史上最大のイベントが開催されます。
現代ロック界を牽引するカリスマ、ZAZENBOYSの向井秀徳氏を迎えてのイベントです。

テーマはずばり「法話 meets MUSIC」


皆様、大変お待たせしました!いよいよ特設サイト公開です。
何はともあれご覧下さい!

■メリシャカLIVE2009公式サイト


僧侶は、町に出る。
年の瀬を迎える京都で、ついに法話と音楽が出会う!
僧侶とミュージシャン、さまざまなスタンスから想いを発信する表現者たちのコラボレーションで、 新しい何かが生まれる!?


MCに、もとジョビジョバで現在僧侶の木下明水氏が登場!
法話のゲストパネラーには布教使 福間義朝氏をお迎えします。

ちなみに12月26日はクリスマスの次の日。今年のメリクリの後はメリシャカでお会いしましょう!


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親という痛み

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最近、感動することがありました。
今まで生まれてきて一番の感動かもしれない。

10月3日午前8時12分、2908gで娘が誕生したのです。
その瞬間に立ち会うことができました。

赤ちゃんが泣き声をあげた瞬間、連れ合いも、僕も、連れ合いのお母さんも泣いてしまいました。
その瞬間を僕は生涯忘れないだろうと思います。
凡そ7時間の分娩は物凄い濃密な時間でした。連れ合いは本当によく頑張ってくれました。連れ合いに対する見方が今までと変わったと思います。凄いなと。そして有難うと。
また、世の中の母親の凄さを改めて思うのです。自分もこうして生まれてきたのかと思いました。

親というのは「痛み」を伴うものでした。親であるだけで感じる「痛み」があるのではないかと。
母親は子どもがお腹にいる間、前半はツワリで痛みを感じ、中盤はお腹を蹴られたり、張ったりして感じ、出産にあたっては陣痛の痛みを感じます。帝王切開に至っては切腹の痛みです。
僕は立ち会いはしましたが、何もすることができませんでした。ただ立ち尽くし状況を見守るだけでした。
助産師さんたちと途中「結局オリンピックは日本にならなかったですね。どこです?え?リオ」とか話しました。後で突っ込まれました。

生まれたら生まれたで、お母さんは夜寝られないから寝不足だし、赤ちゃんの体調に一喜一憂します。体力も精神力も削ぎ取られてしまう。赤ちゃんにやる母乳の為に、胸が張る痛みもあるのでしょう。
親は「痛み」を伴うのです。子の痛みが、そのまま自分の痛みと見ていくから、どうにも、やりきれない程に切ない痛みを感じずにはおられないのでしょう。sakullaさんの日記にも見られます。
赤ちゃんはそのことを覚えてはいない。実際、僕は自分が赤ちゃんの頃の記憶はないのです。
「親の心、子知らず」そのものです。

ところで、浄土真宗では阿弥陀さまのことを「親様」と呼ぶ歴史があります。真実の親様は阿弥陀さまだよと言われます。
阿弥陀さまとはあらゆるいのちを、「我が一人子」として見て下さる存在です。そこにはどれ程の痛みが伴われたのだろうか。

娘に生まれてきてくれてありがとうと言いたいです。子どもと親の年齢は同い年という。関係性として、僕はあなたによって親とならせていただいたのです。
ともに成長していきたいとつとに思う。ともに阿弥陀様の一人子として。

そして、プロフィール更新。
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おしつけの善意

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誰かに、「〜〜してあげる」と言われたこと、ありますか?
私のことを思って、私のために、っていうスタンスで「〜〜してあげるよ」と。

言われたら、違和感を感じるのは私だけでしょうか?
私は、あまのじゃくでしょうか?


善意だということは分かっています。
でも、そこに(私っていいひとでしょ?こんなにあなたのことを思っているのよ)という“自分に酔ってるオーラ”が漂っている気がするのです。

あまのじゃく?

そしてさらには、(こんなにしてあげたんだから、あなたも私に何かしてくれなきゃ)といわれそうな未来を予感してしまうのです。

・・・あまのじゃく?笑。


親が子どもに「ほら、おむつかえてあげるよ」と言うのとは全く違うのですよね。
だってそれは、善意ですらないですもんね。

善意のおせっかい。
おしつけの、善意。

自覚がないほど、他人にとって苦痛であります。
でも、自覚がないから、言ってもきっと傷つけてしまうでしょう。

〜〜してあげたい、という思いはとても素敵だと思うし、心が豊かで優しいんだと思う。
「〜〜してあげている私ってスゴイ」という感情があることも、決して否定しません。
「私がこんなにしてあげてる」という優越感を感じられることも事実。

だって、誰だって他人によく思われたいものね。
他人より優れていたいものね。


だけど、自分のそういう欲望に、しっかり気づいているかいないか。
それも認めたうえで、含んだことを自覚したうえで、他者のために何をするか。
どういう言葉がけをするか。

それが、人の琴線にふれるような言動かどうかの、違いかもしれない。


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携帯電話の使い方

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先日、携帯電話をいじっていると、画面が暗くなった。

まだ数年しか使っていないのに、壊れてしまったかと、
数日後ドコモショップに携帯電話を持っていった。

待つこと30分、フロントのお姉さんに携帯電話が壊れた旨、そして症状は画面が暗くなったと伝えた。

すると、お姉さんは微笑みながら電話壊れていませんよ。
ここのボタンF8を押すと、周りの人から画面がみられないように曇るんですと。
私もつられてに笑ってしまった、というか笑わずにはおれなかった。
まさしく、穴があったら入りたい心境です。

学生時代に携帯電話の販売員をしていた私としてはがっくし。
10年前はポケベルから携帯電話への移行期間で、電話をかけることが大きな喜びだった。
携帯電話を選ぶときの基準はデザイン重視でした。
今はインターネット・テレビ・・・数え切れない機能が備わっている。
ドラえもんのポケットから出てきそうな機能が満載。

逆に今は、多機能ではなくシンプルな電話をかけるだけの携帯電話も販売されている。
皆様、ポメラってご存じですか?
ポメラとは持ち運びに便利な携帯型ワープロ。
これも単純にワープロの機能だけ。

メリシャカ

今更ワープロという声が聞こえてきそうだが、これが便利。
いつでもどこでも文章がつくれます。ちなみに、今も電車の中でポチポチ文字を打ち込んでます。
パソコンの機能が複雑化していく中で、この文字を打ち込むだけという機能が人気があるようだ。

パソコンにしても、携帯電話にしても、テレビが見られたり限りない機能がある。
しかし、使用する機能は限られている。というか使用できる機能といったほうがいいか。
その中で自分はなにが必要なのか、自分で考えて使う時代になったようだ。
あれもこれもついていた方が便利だという考えから、自分にとって必要なものは何だろうか考える。

仏教では、少欲知足という言葉がある。

欲を少なくして足ることを知るということは、
少ないもので我慢することだけではなく、持っているものの魅力を最大限に引き出すことなのだろう。

まずは、携帯電話の説明書を読まなければ。
周りにあるものを見直してみようと思う。
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