お坊さんに聞いてみよう7(メリシャカメンバーのこたえ:sakulla)
- 2013年04月25日(木) 文:sakulla
- 仏声人語
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・生まれ変わったら何になりたいですか? (PN白状)
この質問で思い出したCMがある。
1年ほど前に放送されていた洋服ブランドのCMで、女優の宮崎あおいさんが独白した言葉がとても印象的だった。
よく「生まれ変わったらなんになる」って言うけれど、
私は、今度生まれ変わる予定はありません。
最初で最後の、生きている
セリフだったのだろう。
でも、とてもカッコイイ生き様だと思った。
お坊さんに聞いてみよう6(メリシャカメンバーのこたえ:ケンユウ)
- 2013年04月22日(月) 文:kenyou
- 仏声人語
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Q.どうしたら心を無にできるのでしょうか(PN桜文鳥)
心を「無」にする。これはとても難しいことだと思います。心を「無」にするというのは、心に起こる様々な作用を止めることです。それは眼で見たもの、耳で聞く音や言葉、鼻や舌で感じる匂いや味、身体を通して感じた感覚。これらの外からの刺激に対して、「良い/悪い」「好き/嫌い」などの判断を付け加えず、感情を動かさないこと。そんなことが可能であるのかどうかも、私にはわかりません。
仏教は、心を「無」にする教えであるというのは、ひょっとすると誤解であるかもしれないと、私は思います。仏教には「空」という言葉がありますが、これは「無」とイコールではありません。「空」というのは、言い換えれば「諸行無常・諸法無我」の教え。つまり、「すべては常に変化の中にあり、永変不変で自由自在な私の本質などというものはない」ということ。あるいは「様々な関係性の中で仮にたまたま成り立っているもの」ということです。
私たちは「私」という自己の存在をある意味絶対的なものとして認識していますが、そうではありません。細胞も常に生まれ変わり死に変わりをし続けていますし、心に思うことも千変万化していきます。決してひとところに留まることはありません。心を「無」にするというのは、ある意味では心を一つの状態に固定化しまうということです。「諸行無常」の道理の中で、そのような状態を保つことはできることなのでしょうか。仮に一時的に「無」の状態にできたとしても、また次の瞬間にはその状態はなくなってしまう。それが私の心というものであると思います。ですから、心を「無」にするということではなく、むしろ「心」は常に移り変わっているものであるという視点に立つことが、大切なのではないでしょうか。
Q.大切な人が亡くなったのですが、何年たっても忘れられません。忘れなくても良いのですが、「もう一度あいたいな…」という思いがこみ上げてきて悲しくなります。この思いをどういう方向にもっていったら良いですか?(PNさあや)
私も数年前に同級生を亡くしました。あまりに突然の死に、もう会えないという現実にはなかなか向き合えませんでした。またどこかで、ふっと再会できそうなことを、今でも想うことがあります。けれど、私の目や身体を通して、彼の存在を感じるということは、残念ながら、もう二度とできないのですよね。
でも私が出会った浄土真宗は、「南無阿弥陀仏」と称えるところに、またその彼と会うことができるということを教えてくれました。人と人として会うことは出来ないけれど、私の口から「南無阿弥陀仏」と称えるところに、「仏さま」となった彼のはたらきが、届いている。だから、「南無阿弥陀仏」と称えるところに彼の存在を感じることができるのです。このことを詠んだ、こんな歌があります。
「恋しくば 南無阿弥陀仏を称うべし 我も六字の うちにこそ住め」
その大切な人を想い、悲しくなったときには、手を合わせて「南無阿弥陀仏」と称えてみる。称えてもなにも感じ無いかもしれません。けれど、今まで口にしたことのないこの「南無阿弥陀仏」という言葉が出たとき、目には見えなくても、肌で感じることはなくても、「仏さま」となられたその大切な方のはたらきが至り届いている。私は、そんなように受け取っております。
お坊さんに聞いてみよう4(メリシャカメンバーのこたえ:るる)
- 2013年04月16日(火) 文:るる
- 仏声人語
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お浄土はいいところ?
- 2013年04月14日(日) 文:uritomo
- 仏声人語
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癌末期のおばあちゃんとお孫さんとのこんなやり取りについてだったそうです。
お孫さん「おばあちゃん、お浄土ってどんなところ?」
おばあちゃん「ええところやないかなぁ」
お孫さん「なんでわかるん?」
おばあちゃん「だってだれもかえって来てないやろ?」
この話を聞いてなるほどなぁ・・・・と納得しました。そして、私だったらなんて答えるだろうと考えました。恐らく、「そう聞かせてもらってるからだよ」と答えさせていただくようお育ていただいている様に想いました。自坊で仏さまの話をきかせていただきそう思わせていただいた今日の日でした。
お坊さんに聞いてみよう!3(釈 徹宗さんのこたえ)
- 2013年04月10日(水) 文:チスイ
- メリシャカデイ
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私たちが必ず出あっていく死別の悲しみについて、そしてお別れした方との関係について、深く考えさせられる内容でした。
「死」とは。
今の私は仮に和合した私、仮和合(けわごう)。生じたなら滅する、ごくごく当たり前のことで、悲しむべきことでなく、死が悲しいのは、死が分かって無いからと考える仏教もある。
実際にそう答えていた仏教者もいたけれど、日本の仏教はもっとウェットで、しがみついてはいけないと分かっても、やっぱりしがみついてしまう。そして、はかないからこそ愛おしいのです。
しがみ付いてしまう自分をどうすればいいのか。
仏教では「布施」が説かれます。
布施とは、「手から離すこと」であり「シェア」をすること。日頃からその手を離すトレーニングをしておく事が大切。いざという時に手を離すことができないと、どうしようもない状態で縛り付けられていることになる。そして自ら苦悩します。
自分から手を離し、シェアをすることも重要です。
フェアにシェアする事がこれからのキーワードです。
大切な亡き方は薫りとなって。
人が息を引き取った時に、その人の人生がただちに終わると考えるところは世界のどこにもありません。例えば人生の岐路にたった時、亡き方はどう判断しただろうかと思う薫りがします。
最後に…
「釈先生に質問です。好きな小説家は誰ですか?(PNピノ)」
筒井康隆と京極夏彦です。
釈 徹宗(しゃく てっしゅう)
1961 年大阪府生まれ。龍谷大学大学院、大阪府立大学大学院博士課程修了。学術博士。相愛大学教授。日本仏教学会理事。浄土真宗本願寺派如来寺住職。NPO 法人リライフ代表。お寺の裏にある一軒家で地域の認知症高齢者のためにグループホームを運営するなど、多彩な活動を展開する。著書は『宗教聖典を乱読する』(朝日新聞出版社)、『不干斎ハビアン』( 新潮選書)、『法然親鸞一遍』(新潮新書) など多数。
釈先生ありがとうございました。
今回でゲストのこたえは終わりです。
今回は、メリシャカLIVEでお世話になった方々にご登場いただきましたが、今年のメリシャカLIVEも計画中です!どうぞお楽しみに!!
お坊さんに聞いてみよう!2(元ジョビジョバ 木下明水さんのこたえ)
- 2013年04月09日(火) 文:チスイ
- メリシャカデイ
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Q1.明水さんは、以前ジョビジョバで活動されていましたが、当時活動する中で、何かかっとうやポリシーはありましたか?芸人さんて、破天荒なイメージがあるので。(PNたえこ)
A1.破天荒であろうと思い、いろいろやりました。「なんでもやるぜ、なんでもやれるぜ、あれ俺いま光っているぜ」とよく思っていました。
わりと自信家でした。わりとバカでした。変な人だったかもしれません。服装も言動も歩き方も変でした。
人の話は聞かない。適当な男でした。親友に『友達に紹介したくない友達一位』と言われました。『ハンドルを握らせてもアクセルは踏ませたくない男一位』に輝いたこともあります。『付箋を全てのページに挟むような男』と揶揄されたこともあります。原色の服が好きで『グリーンマントのピーマンマン』と言われたりもしました。
心が散り乱れた男だったので葛藤もありましたが、あれが本当の葛藤なのかどうかは分りません。寝たらスッキリするレベルの葛藤でした。真剣に悩むことも出来ない散り乱れた心だったのでしょうね。
「ポリシーあったっけ?」と考えてみましたが、まともなものはありませんでした。
今も心は散り乱れたままです。そんな私をおすくいになる仏さまがおられる。今はそれだけでいいのです。それがうれしいのです。阿弥陀さまがおすくいになる。
Q2.人は何のために生きるのでしょうか?(未だに、わかりません)(PNくろちゃん)
A2.あなたが何のために生きているのかは知りません。わかりません。ただ、私が何のために生きているのかは知りました。
いいでしょ。うらやましいでしょ。素敵でしょ。あれ俺いま光っているでしょ。
じゃあどんなステキな人生を送っているかというと、まあこんなもんです。
好き嫌いもなおらず、心はもやもやしっぱなし、夏には冬がいいなぁと思い、冬には夏がいいなぁと思う。「このセーターどうしよう買おうかな買うまいかな」とか、「わっ!この新譜すてき!」とか思いますわなそりゃ街に出ると。
新製品が出るたびに「7インチタブレットにするか10インチタブレットにするかそれが問題だ」とどうでもいいことで苦しみます。スマホに機種変更した友人に「メールと電話と時計だけでしか使ってないならもうそれはただの携帯だ」と悪態をつきます。
時には妻に「おざなりとなおざりって一緒?」とか聞きますし。「あれ?おりざり?ざおりく?りべりおん?」とか、「ダンデライオンって何だっけ?」とか意味ないことを言いますわね。それでGoogleで検索します。そのうちポンデリングが食べたくなります。
一日三食忘れることなく食べ、「美味い!」とか言いながらビールのんで寝て起きて食べて寝て起きて。
そんなこんなしているうちに月日は流れ、年齢を重ね、辛い別れも経験するでしょう、立ち直れないことも沢山あるでしょう、やけ酒をあおることも。しかし腹は減る、眠くなる、笑って泣いて、怒りに振り回され、病に苦しみ、陰口を叩かれることもあり、くだらないアダナもつくでしょう。『グリーンマントのピーマンマン』とか。
まあ、なんだかんだ言ってやがて死にます。若くして死ぬかもしれません。「もうそろそろいいんじゃない」と息子から言われるくらいまで長生きするかもしれません。まあ必ず死にますわね。
その時に「こんなはずじゃなかった」と言って死ぬかというと、そうではありません。
「ああーよかったーありがたい人生であった」と言って終わります。阿弥陀さまがご一緒の人生でした。
あの『むんにゃむんにゃ』と聞こえるお経にはですね、私をおすくいになると説いてある、阿弥陀さまがご一緒だと説いてある、帰る世界がある、それはお浄土であると説いてある。お経は他人のことが説いてあるのではない、私のことが説いてある。
何のために生きているのか?教えに出遇うためでありました。お浄土で仏に成るのです。
くだらない私の日暮らしがそのまま仏道になる。ありがたいですね。お念仏よろこぶ日々はありがたいです。阿弥陀さまがご一緒です。
Q3.死ぬのがこわいのですが…死んだら私はどこへいくのでしょうか?(PNさな)
A3.私はお浄土へ意気揚々と帰っていきます。ちなみに私も死ぬのはこわいですですよ。大好きな家族もいる。そりゃあこわいし出来るだけ長く一緒にいたい。
しかし、いき先は知っております。お浄土参りです。お浄土参り間違いないと私が思っているから間違いないのじゃないです。阿弥陀さまが間違いなくすくうと仰せくださる。だから間違いない。
阿弥陀さまにまかせております。
「なんかちょっとうれしい」と言って火曜に死んだらイオンに行くかというとそうではありませんね。何曜日に死のうが、いくつで死のうが、病気だろうが事故だろうが、お浄土参り。
阿弥陀さまは私のくるしみもかなしみもご存知です。そんな私をおすくいになる。阿弥陀さまが私をお浄土で仏に成す。南無阿弥陀仏。
あなたがどこへいくのか、知りません。ただね、あなたをおすくいになる阿弥陀さまがもうすでにあなたをお求めなのです。阿弥陀さまが満ち満ちてくださっています。この世界は苦しみ悲しみが多いですが、かならずすくうと仰せになる阿弥陀さまのお慈悲が満ち満ちた場所です。
笑っていても泣いていても私は阿弥陀さまのお慈悲の中。
お念仏よろこぶ人生はありがたいです。「南無阿弥陀仏」はそのままが阿弥陀さま。名前の仏さま、声の仏さま。我が耳に南無阿弥陀仏と聞こえてくださる仏さま。阿弥陀さまがご一緒です。
木下 明水(きのした めいすい)
伝説のコントグループ『ジョビジョバ』メンバー。お寺の跡取りとして生まれるが「お坊さんをやる自信がありませんので」と俳優・芸人・作家業に。ところが2005年「仏教が大好きになりました、笑いの事がわからなくなりました」とお坊さんに…。法話したり研鑽したり。人に甘く、嫁に甘く、犬にも甘く、自分にはちょっとだけ厳しい。
メイスイさん、ありがとうございました。
お坊さんに聞いてみよう!1(彼岸寺 松本紹圭さんのこたえ)
- 2013年04月08日(月) 文:チスイ
- メリシャカデイ
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今年も昨年同様、昨年のメリシャカLIVEの時に頂いた質問に対して、お坊さんたちが精一杯お答えしていきたいと思います。
ライブサイトに皆さまからの、お坊さんへの質問をどどーんとあげています。こちらも併せてご覧下さい。http://ms-live.net/ たくさんのご質問をお寄せ下さり、本当に感謝いたします。
ゲストお一人目は、メリシャカLIVE2012の、パネルディスカッションにもご出演頂きました、彼岸寺開基・未来の住職塾塾長 松本紹圭さんです。
Q1.何事にも受身な自分、自分から発信する力が欲しいです。(PNるー子)
A1.自分から発信する力をつけるためには、「受け身」であることはとても良いことです。今の「受け身」が、人の顔色を見ながら周囲に合わせて行動するというレベルなのであれば、もう一歩「受け身」姿勢を前進させて、人の顔色を見るのではなく、人の心の声を聞くようにしてみましょう。みんなの願いが聞こえてくれば、自ずとやさしい発信ができるようになりますよ。
Q2.清濁合わせ飲む とよく言われますが、濁りが多すぎるこの世の中、どうすれば気持ちが静まるでしょうか?(PN23)
A2.「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。」という言葉が歎異抄にあります。この世の濁りが多すぎるのは、今に始まったことではありません。気持ちを静めたいときはぜひ、お寺へお参りして、念仏をともに称えましょう。
松本紹圭(まつもと しょうけい)
東京大学文学部哲学科卒業。浄土真宗本願寺派光明寺僧侶。超宗派仏教徒のウェブサイト『彼岸寺』設立、お寺の音楽会『誰そ彼』、お寺カフェ『神谷町オープンテラス』運営。仏教界のトップランナーの一人として注目される。2010年、南インドのIndian School of BusinessでMBA取得。2012年、若手住職向けにお寺の経営を指南する「未来の住職塾」開講。著書に『おぼうさん、はじめました。』『"こころの静寂"を手に入れる37の方法』『脱「臆病」入門』など。
今年、世界経済フォーラム(ダボス会議)「ヤング・グローバル・リーダーズ2013」に選出される。
松本さん、ありがとうございました!
『拝、ボーズ!』出てきた。
- 2013年04月07日(日) 文:チスイ
- 仏声人語
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また、フェイスブック、ツイッターでは、毎年恒例のキッスィさんの「メリシャカ」写真がアップされていますよ!
さて、先日憧れのラジオ、バラエティ法話番組『拝、ボーズ!』にご縁あって出演させて頂きました。
パーソナリティの天野こうゆうさんは、メリシャカライブを応援して下さって、この数年は見に来て下さっています。
今回は、今年5月24日〜26日に尾道で行うお寺イベント『お寺でフェスタ!』の告知も共に出させていただいたのです。岡山県西部、広島県東部の若手僧侶の会『備龍会』の40周年の記念イベントで、テーマが「お寺×アート×尾道」です。ハナレグミ・ユザーン、ハンバートハンバートもご出演いただけるのです!

さて、超絶話術の持ち主、真言宗のお坊さん天野こうゆうさん、桂米裕師匠(桂米朝のお弟子のお坊さん)の12年続いた番組に出るということで、正直大変びびっていました。
歯に衣着せぬトーク、圧倒的な存在感にびびり、また、お二人は真言宗さんで、ラジオ局のある岡山県倉敷市も真言宗の檀家さんが多い地で、浄土真宗僧侶の僕はちゃんと話せるだろうかと不安でした。

結果、宗派の違う僧侶の私を、とても温かく迎えて下さって、生でお二人のお話が聞けて、興味深い内容のラジオでした!
