お坊さんに聞いてみよう7(メリシャカメンバーのこたえ:sakulla)
- 2013年04月25日(木) 文:sakulla
- 仏声人語
- comments(0)
・生まれ変わったら何になりたいですか? (PN白状)
この質問で思い出したCMがある。
1年ほど前に放送されていた洋服ブランドのCMで、女優の宮崎あおいさんが独白した言葉がとても印象的だった。
よく「生まれ変わったらなんになる」って言うけれど、
私は、今度生まれ変わる予定はありません。
最初で最後の、生きている
セリフだったのだろう。
でも、とてもカッコイイ生き様だと思った。
生まれ変わりに関連して、輪廻の思想に話を移す。
仏教(インド)の輪廻については、昨年の質問でkenyouさんが説明されているので、そちらに丸投げすることにしよう。
→ http://ryogwanji.jugem.jp/?eid=735#sequel
生まれ変わったらと考えるとき、当然のように人間に生まれ変わることを前提として話すものだが、説明にもあるように、輪廻の先が人間に固定されているわけではない。
それは、お釈迦さまが人間に生まれることがいかに稀なことであるかを喩えて、
ガンジス河の砂の数 = ありとあらゆる生命体の数
手のひらいっぱいにすくった砂の数 = 人間に生まれたものの数
としたことからも、よくわかる。
ガンジス河の全長が2506kmだといえば、この比喩がとんでもないことを表しているのを察していただけるだろうか。
命をいただくことは、とてもとても稀なことだ。
そのうえ、人としての命をいただくことは、有り得ないほど稀なことだという喩えである。
だが、さらにお釈迦さまはこれにもう一つの比喩を加えられた。
指の爪にすくった砂の数 = 人に生まれたことの尊さに気づくもののの数
これは人間が他生物より優れているとか、人間が一番尊いとかを表しているものではない。
「なぜ生まれたのか」「なぜ生きるのか」
そう自らに問いかけながら、やがて命に限りがあることを自覚していく。
人生に意味を求め、あらゆるつながりの中に生かされていることに気づき、感謝と喜びを見出していく。
そのような生き方に目覚めていく仏の教えに出遇えるということ。
それが人間に生まれたことの尊さだということだ。
無い物ねだりの願望ではなく、今の人生を捨て去りたくて、祈るように生まれ変わりを切望する人もいるだろう。
それでも、私たちは死ぬために生まれたのではなく、必ず死にゆくことを受け入れながら、次の人生ではなく、この人生を生きていくために生まれてきたことを忘れないで欲しい。
そうすれば、いつか数限りない命がある中で、人として、この私として生まれたことに喜びを感じるご縁に出会えるかもしれない。
爪の上の砂の数のうちに入るご縁の種は、生を受けた瞬間に植えられているものなのだから。
そういえば、質問に答えるのを忘れていた。
私は人間に生まれ変わる予定はありません。
自らの愚かさに何度も捨て去りたいと思わずにはいられなかった、この最初で最後の人生を生き切って、お浄土へ仏となって生まれさせていただきたいと思います。
コメント





