心霊写真

もう少しであつ―い今年の8月の夏も終わろうとしております。夏好きな自分としては名残惜しいですが・・・。皆さん、ゾッとするような怖い経験はありましたか。霊園まで送ってくださいとお客さんを乗せたタクシー。「お客さん到着しましたよ」と後ろを振り返れば、シートの上が水びたし・・・など。私は、学生時代にボウリング場にて撮影したポラロイドのピース写真がありました。指が二本のはずが、三本に写っていたことを覚えております。その後はなにもありませんが。
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住職への道。ぁ畋任噌腓錣擦力続】

 お盆は地域によって異なる。7月のところもあるが、山口のうちは8月。1年で一番忙しい時でもある。8月の前半は、1軒1軒お参りにうかがう。猛暑日の中の法衣・・・とにかく「汗」。それしか思い出せない。多い日はスクーターで30軒以上のお宅にうかがった。
その時に「このたびはおめでとうございます」と声をかけてもらうこともあった。
えっと、弟の結婚のことか・・・(前回参照)!?と思って曖昧な返事をしていると、「11月に!」「あぁ継職法要のことですね。ありがとうございます!」
どうもまだ実感がないようだ。
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悪魔の証明

私は怖がりである。
それはもう、救いようがないほどのだ。

人によって怖いものは異なるだろうが、私の場合は怪談・お化け屋敷・ホラー映画・機嫌の悪い母親だ。

最後のは精神的なダメージだが、他のは日常生活に支障をきたすダメージを食らってしまう。

例えば、たまたま変えたチャンネルで、テレビの中から這い出る貞子さんを見てしまった。
声にならない悲鳴をあげ、即座にテレビを消したのだが、その日わたしはお風呂の蓋を開けることができなかった。
洗顔後、顔をあげて鏡を見ることができなかった。
ゆっくりトイレに入ることができなかった。
部屋を暗くして寝ることができなかった。

どれもこれも、どこかに貞子さんがいて、こちらを見ているかもしれないという妄想に苛まれた結果である。

僧侶が幽霊に怯えているというのも不可解な現象に思われるだろうが、怖いものは怖いのだ。
だが、だからといって幽霊を信じているかと聞かれたら、どちらでもないと答えるだろう。

なぜなら、私が怯えているのは自分の妄想だという自覚があるからである。
 
 
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愛と憎しみの日々2

 おはようございます、こんにちは、こんばんは。
しょーしんで御座います。

いや〜、暑いですね。

もう「暑い」を通り越して「熱い」と言っても良いんじゃないかというぐらいの記録的猛暑の中、皆様いかがお過ごしでしょうか。

ちなみに、僕が庵主をしております桜蓮寺は大阪の豊中にあり、豊中は先日「2日連続日本一暑い町」という記録を打ち立てた町です。

何でも日本一というのは良いものですね!!
あっぱれ!!

とは 全く思えません。

とにかく、口を開けば
「なんでこんなにあついんや!!」
と愚痴ばかり。

言ったところで気温が下がるわけでも無く、自分だってこの地球を温めてる張本人の一人なはずなんですが、言ってもしょうがないこと=グチというのはついつい口に出るものです。


さてさて、そんな暑い中で、僕が最近どう過ごしていたかと言いますと、7月25日に入籍した新妻とアツアツの新婚生活を送っておりました。フゥー!


まあ、アツアツと言っても、夫婦喧嘩のヒートアップ具合のことですけどね!!


しかし、そんな中で気付いたこともあります。

今日書きたいのは、喧嘩ばかりしてしまう情けない夫が気付いた小さなことです。

世間の多くの仲良し夫婦にはくだらないことに見えるかも知れませんし、多くの経験豊富な先輩夫婦から見れば笑われてしまうようなことかもしれません。

しかし、仲良くしたいけど、なかなか出来ない僕等のような新米夫婦がもしかしたら何処かにいるかも知れませんから、恥を忍んで書いてみたいと思います。

かなり長文です。



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余白

 暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

私は、お盆のこの時期は、いつの年もバタバタとしている気がします。

もしかすると、夏生まれなので、生命力がいつもに増してこぼれ出す時期なのかもしれません。

そんな時期には、私は周りの人、特に親しい人への対応が丁寧ではないことに、あとから気づき、よく一人反省会をしています。

そんな時に「余白」って大事だなぁと思うのです。

その余白とは、例えば日常の中でどれだけ自分が忙しくても「ありがとう」を伝えることであります。

喧嘩をした時に「私にも非があったんじゃないだろうか」と見返すことでもあります。

空を見上げて、綺麗だなと思うことや、風にまじる季節の香りを楽しむことでもあります。

そして、何より、そう考えている自分が完全ではないという「余白」が私には必要だと思っています。

「ジョハリの窓」という言葉を聞かれたことがある方もいらっしゃるかもしれません

ジョハリの窓では「私」という存在が大きく分けて四つに分けられるそうです。

①自分が知っていて、他人も知っている自分

②自分は知っていて、他人も知らない自分

③自分は知らなくて、他人が知っている自分

④自分は知らなくて、他人も知らない自分


この四つ目は、誰もが知らない自分ではありますが、この存在を知ることにより「自分が知り得ない自分」がいるということを知ることができます。

ここの部分はよく宗教が担う部分とも例えられます。

そんな、自分も知らない自分がいるという「余白」が出来た時、私は少し楽になります。

忙しさの中で自分を見失う、なんて思っていたけど、そもそも自分で自分のことすらよく分かってなかった自分だったと気づかせてもらうのです。

そして、そんな時に、そんな私をすべてお見通しで、願い、働きつづけてくださっている仏さまのお話を聞かせてもらっていることを有難く思うのでした。

もっと仏教の勉強をしたいな・・・と思う今年の夏でした。

どうか、良い夏の終わり、秋の始まりを過ごされますように。




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争い無き世を願って

8月6日は広島に原子爆弾が投下された日でした。そして今日8月9日は長崎に原爆が投下された日です。6日の朝、テレビで広島の平和記念式典を見ておりますと、広島市長の平和宣言が読まれておりました。その中で、被曝によって差別や偏見という辛い経験をし続けなければならなかった被爆者の現実についても語られ、放射線の恐怖が、人の醜さや残忍さをも引き出してきた、と市長は語られました。けれどそれは決して過去のものではなく、今も同じような現実があるように感じられます。
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君と僕とアミダ様の法話「宿借」

現在、お盆参り中だが、晩になると妙に読書したくなる。夏休みには本屋で文庫フェアをしているので、ついつい買って夜更かししてしまう。そして次の朝眠すぎて自分の首を絞めることになる。

最近、道尾秀介に嵌っていて、直木賞受賞作『月と蟹』を読んだ。
海辺の町、小学生の慎一と春也はヤドカリを「ヤドカミ」と呼び神様に見立て、願い事をしていく。無邪気な儀式ごっこはいつしか切実な祈りに変わり、母のない少女・鳴海を加えた三人の関係も揺らいでいく。

少年時期の自分を取り巻く環境に対しての無力感。友人関係恋愛関係の「どうやっても上手くいかない」感じ。寄る辺なさが描かれていて、胸に沁みた。

この物語に出てくる「ヤドカリ」は最も重要な役を担う。

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傷だらけの人生。からの、恢復

 最近の私の周りでの会話のキーワードに、「支援者の支援」ということがあがってきます。
その中で、二次受傷という大事な概念があるといいます。

二次受傷とは、「外傷体験を負った人の話に耳を傾けることで生じる被害者と同様の外傷性ストレス反応」と定義されます。
大きく傷ついた被災者や被害者の話を聞くことで、聞いたほうも傷つくというもの。

症状としては、
「被害者の語りが繰り返し頭の中で再生される」
「クライエントが描写した外傷体験がフラッシュバックや悪夢として体験される」
「夜道を歩くのが怖くなり、小さな物音に敏感になる」
「家族の安全を極度に心配する」
「配偶者や恋人と親密な関係を維持できなくなる」
「支援者としての適性を疑うようになる」などなど。


どういう傷つき方をするか、には様々なものがあると思いますが、
自分の体験で言いますと、

「津波の話を聞いた後、夢の中で自分の体験として再現される」
「ご飯を食べられることや家族団らんでいることに罪悪感を感じる」
「無力感に苛まれ、いたたまれない」
「今、拠って立っている位置がわからなくなり、誰かにすがりたいと感じる」
「ささいな発言が自分への批判に思えてしまう」
「身近な人に対して攻撃的になる」
「繰り返し繰り返し、過去の夢を見る」

こんなことを繰り返しながら、家族や仲間や出会った人たちに支えられ、
そして徐々に慣れながら、今日があります。
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