争い無き世を願って
- 2013年08月09日(金) 文:kenyou
- 仏声人語
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8月6日は広島に原子爆弾が投下された日でした。そして今日8月9日は長崎に原爆が投下された日です。6日の朝、テレビで広島の平和記念式典を見ておりますと、広島市長の平和宣言が読まれておりました。その中で、被曝によって差別や偏見という辛い経験をし続けなければならなかった被爆者の現実についても語られ、放射線の恐怖が、人の醜さや残忍さをも引き出してきた、と市長は語られました。けれどそれは決して過去のものではなく、今も同じような現実があるように感じられます。
そして、人の醜さや残忍さを引き出すのは原爆に限った話ではありません。戦争というものもまた、人の恐ろしい部分を引き出すものであるでしょう。「非人道兵器」と呼ばれる原爆は戦争によって落とされたわけですし、最近テレビやネットで散見する従軍慰安婦にまつわる問題もまた、戦争によって人の恐ろしい部分が表れ、引き起こされたものであると思います。広島市長は原爆を「絶対悪」であるとおっしゃられましたが、戦争こそ、人の狂気を呼び起こす「絶対悪」と呼ぶに相応しいものであるはずです。
「仏説無量寿経」というお経の中には、「兵戈無用」という言葉が出てまいります。仏さまが歩かれ、教えが広まった国には、軍隊も武器も必要なくなる。そんな言葉です。しかし、現実はそんなに簡単なものではありません。美しい理想を掲げて、声高に「戦争をなくせ、軍隊をなくせ、武器をなくせ」と自分の外に向かって叫んでも、実現はとても難しいことであると思います。もちろんだからと言って何もしないのではなく、広島市長がおっしゃるように、お互いに疑心暗鬼に陥らないように、対話でもってそれを実現に向けていく努力は大切です。話せば分かる、という楽観的な視点ではなく、分かり合えないからこそなおさら、対話し、争いのない道を選択していかなければならないのでしょう。
そして私にも一つ、できることがあります。それは、仏さまが歩かれるところというのは、他でもない私のところであると受け取ることです。理想を世界へと向けることも大切ですが、そのま前にまず自分の心にその理想を求めること。そして私のところに暴力が必要ないものとなることが、争いのない社会への第一歩となっていくのではないでしょうか。
多くの人が狂気に踊らされ、共に傷つけ合い、恐怖と悲しみの連鎖を生み出す戦争が、一刻も早く無くなることを願って。 南無阿弥陀仏
「仏説無量寿経」というお経の中には、「兵戈無用」という言葉が出てまいります。仏さまが歩かれ、教えが広まった国には、軍隊も武器も必要なくなる。そんな言葉です。しかし、現実はそんなに簡単なものではありません。美しい理想を掲げて、声高に「戦争をなくせ、軍隊をなくせ、武器をなくせ」と自分の外に向かって叫んでも、実現はとても難しいことであると思います。もちろんだからと言って何もしないのではなく、広島市長がおっしゃるように、お互いに疑心暗鬼に陥らないように、対話でもってそれを実現に向けていく努力は大切です。話せば分かる、という楽観的な視点ではなく、分かり合えないからこそなおさら、対話し、争いのない道を選択していかなければならないのでしょう。
そして私にも一つ、できることがあります。それは、仏さまが歩かれるところというのは、他でもない私のところであると受け取ることです。理想を世界へと向けることも大切ですが、そのま前にまず自分の心にその理想を求めること。そして私のところに暴力が必要ないものとなることが、争いのない社会への第一歩となっていくのではないでしょうか。
多くの人が狂気に踊らされ、共に傷つけ合い、恐怖と悲しみの連鎖を生み出す戦争が、一刻も早く無くなることを願って。 南無阿弥陀仏
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