「他力本願でいこう2008」へ行ってきました。


先日、築地本願寺にて行われました、「他力本願でいこう!2008」へ行ってまいりました。お天気は、生憎の、雨。それでも、ライブ開始時間前から、たくさんの人、人、人。
なんだかお寺に若い人たちがたくさん来てくれてるのを見て、妙に嬉しくなり、私も本堂へ。
時間を少し過ぎて入ったのですが、本堂の中も、すでに多くの人が。トップバッターのサワサキヨシヒロ!さんのパフォーマンスも始まりました。
サワサキさんは、新ユニット、Naturally Gushingとしてのアルバムを引っ提げてのパフォーマンス。柔らかな光の粒のような音が、温泉のような温かな波紋となって、本堂の隅々まで伝わってゆきます。
心地よく、体がお寺と言う空間になじんだところで、「他力本願でいこう」開催の挨拶がなされ、いとうせいこう&POMERANIANS;≡が登場!「≡」という表記があることで、もしや、と思っていましたが、ラッパーのかせきさいだぁ≡も加わった、特別ユニットでのライブでした。
演奏の前に、「じゃあ、起立で」というMCがあり、スタンディングでライブ開始。ダブ・サウンドに乗せた、アツいライムの応酬で、会場はヒートアップ。そして最後には、念仏やお経をフィーチャーした「なんまいDUB」が! しかも、築地本願寺が誇る読経・声明のスペシャリスト、式務衆との、スペシャルコラボ!!!これは今回しか見られない、激レアなパフォーマンスでした。仏教のカッコよさが、ビシビシと伝わった気がします。




ライブ後は、セット転換とクールダウンを兼ねて、法話が。お寺でのイベントですから、これをきちんと聞かなくては、意味がありません。ご講師は、熊本の吉村隆真氏。とてもわかりやすく、仏教、そして浄土真宗の教えをお話ししてくださいました。

法話後は、 Hair Stylisticsこと、中原昌也さんのパフォーマンス。素人にはどうなってるのかわからない機械を繋ぎ合わせ、言葉では表せない音を生み出してゆきます。ノイズと音楽との、キワキワのところを、まるで綱渡りしていくかのような、そんな緊張感に満ちた、素晴らしいパフォーマンスでした。
中原さんの後、今度はすぐに、DE DE MOUSEのライブへと続きます。これまた、パソコンにシンセサイザーと、最新の機器を駆使してのパフォーマンス。エキゾチックでキラキラなエレクトロニカ・サウンドに、座っていても、自然と体が揺られます。軽妙なMCで、お客さんのハートをがっしり掴み、途中からは、みんなを立ち上げてのパフォーマンスに。曲も、グッとアッパーになり、本堂が、クラブかと見紛うほどの盛り上がりに。
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ゴンシキ日記8時間目

6/23
この時期になると、だんだん勤行の内容も難しくなっていく。・・・ということは節も難しくなるし、正座も時間も長くなるということ。
お経の文言は2行くらいしかないのに、一文字一文字についている節が長い!!例えば文字の「字」に節がついていたとしたら、「じーいぃ・・いーっいー・・」と母音の「い」を延ばしていくことによってその文字を発音していく。その発音も仕方も音程も長さも決まっているのでその通りにしないといけない。
しかも、まっすぐ伸ばすだけでなく、発音したまま半音上げたり下げたり、そういう上げ幅下げ幅まで決まっている。みんなで一斉に称えてぴったり合ってるかんじがするのはちゃんとそういう決まり事のなかに成り立ってるからなんやね。
真宗の声明はもともと天台宗で用いられていた声明の流れを汲んでいる。ただ、真宗の声明は天台のに比べると、簡略化されていたり、合理的になっていたりする部分もあるみたい。音痴キッスィには真宗の声明ですら難しいのに天台の声明なんて到底できないなぁ。


そして声明ってムズイよなーと思いながら勤行に集中しようとしても、時間がたつにつれて正座もつらくなっていく。

正座って一度足を組みかえると、そこからが地獄になる。正座をしたその足のままいると、しびれてくるが我慢はなんとかなる。
しびれを何とかしようとして組みかえると、しびれは緩和されるけど、緩和されるということは誤魔化されていた痛さが再発するということでもある。

一度組みかえると、数分おきに組みかえることなり、見た目的には印象悪い結果となる。

要はいかに最初の正座の姿勢を保てるか、そこが勝負。

ゴンシキは正座を克服することも裏テーマの一つなんだなーと痛感する。だってさ、ゴンシキに行ってた友達はみんな正座強いもんなぁ。

7月に修了する頃にはある程度克服できてることをただただ願うだけ。





7/7
七夕。真宗の坊主の僕にはカンケーねぇや。

前日衝撃的なメールが届いていた。大学院ゼミの後輩のお父さんが亡くなって、今日が通夜とのこと。

昼間はゴンシキにて通常の講義のあと、ゼミの教授とともにお通夜へ。教授の運転で連れて行ってくれるなんてあんまりないことかもしれない。

お父さんはまだ50代の模様。末期がんだそうだ。ニュースで見かける誰かが亡くなったような他人事のようには到底思えない。

後輩は最近結婚してまだ乳飲み子くらいの子供がいる。その子を抱えながら参列者に挨拶していた姿は表現しきれない・・・。
そのお父さんはお寺に併設された空手道場も経営していらっしゃったので、参列者の半分くらいはイカツイ体型の方々。
その参列者の中の一人がこんなことを話していた。

「マジ信じられんわ。これから俺らどうやって生きていけばえぇんやろ。」

お父さんはみんなのココロの支えになっていたんやね。そう思われるお父さん、直接お話したことなかったけど人柄が伝わってくる。厳しいけど、愛情をもって接していたんやろうなぁ。

明日の昼間に葬儀が行われる予定だが、ゴンシキががっつりあるので行けない。いっそのこと休もうかな。






7/9
班別指導の日。
ゴンシキは基本的に班単位で行動している。勤行の実習とか掃除とか、何をやるにしても班ごとの行動。
その班ごとに一人の先生がみっちり指導してくださる講義である。
班別指導はその講義ごとに課題があって細かく指摘してもらえるので、緊張するけど楽しみでもある時間。

この日は初めて来られる先生。3時間のうち、はじめの1時間はいろいろ声明についてのお話をお聞きした。
声明の成り立ちや称える際に注意することなど、声明するうえでは役立つことばっかり。

今日の課題は節はもちろん、拍を正確にとりながら称えるもの。
もともと声明は西洋音楽のように拍にきちんとはめていくものとは違い、少々溜めて発声したり、息継ぎの関係で拍の通りにはいかないものが多い。
でも、今日のはちゃんと拍に合うかたちで息継ぎも拍の中で行わなければならない。
もともとエレクトーンをやっている僕としては拍の通りに行う方が音符を追いかける感じで性に合う。

順番にやっていって自分の順番に。

・・・。

「キッスィさんは拍や音の移り変わりは理解している。ただ、それだけでが声明とは言えない。称え方・・・称えっぷりも大切です。そのあたりを練習してみてください」
という指摘をいただいた。

それは的確そのもの!
自分の称え方は声は軽く聞こえがちなので、荘厳にというか重々しい雰囲気に称えることが求められているのは分かっていた。
それがなかなか実践できないのである。
野太い声にしようとしたら音程・節はずしそうでそのバランスがなんとも難しい。

正直、声明って天性のものもあるけど、本人の努力もかなりのウェイトがあるんだろうな。野太い声で音程も節もはずさずにできるようになるんやろうし。まぁちゃんと練習したらの話やけど。
声明は練習したらちゃんとそれだけの成果があらわれてくるものなんだろう、と思うようになってきた。
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親心

「這えば立て 立てば歩めの 親心」という川柳が昔からあって、
わが子の成長を願う親の気持ちを表したものだと言われます。
実際、親になってみて、ひとつひとつできることが増えると、「次は…」と思います。

もちろん、発達の見通しを持つことは大事だし、心配な部分があると子どもの成長を願う気持ちでいっぱい。
それに見合った、関わり方や危険への配慮も必要だし、しつけを見越した言葉かけなんてのも、大事な親の仕事です。


でも、この川柳、実は戒めの意味もあるんじゃないか、って思うんです。

成長を願うだけでなく、次々とこうなってほしいこうしてほしい、と思う…
それによってより多くのプレッシャーを与えているんじゃないか?
育児書やほかの子と比較して早いとか遅いとか思うばかりで、この子自身を見ていないんじゃないか?
子どものためと言いながら、実は親のエゴのため・楽するためだけになっていないか?
そして、親心には人それぞれ、みんないろんな親心があるってことを忘れ、
自分の子さえ、自分さえよければいいと、思っていないか?

人間の欲望にはきりがない。
そこを自覚した上で、ひとりひとりのその時その瞬間の、“この子”の成長を喜べているか?

そういう意味合いもあるんじゃないかな、って。



真宗では、阿弥陀仏のことを「親」と表現することがある。
いつも子どものことを思って見守ってくれる、見捨てないでくれるという意味合いがあるのですが、
自分が親になってみて感じます。

親だけど、親であればある程、執着や欲や優越感に劣等感、増すと思います。
自分の子を守ろうとしたり、かわいく思うあまり、他人のことを考えられなくなっているのではないか、と自問自答です。


阿弥陀仏のことを親さまと言う時、自分が親であることとは全く違うな…と感じます。

私の思い通りに行かないと、イライラもする。
子どもだって、思い通りにならないと泣くし、不機嫌になる。

私も子どもも一人の人間だから、人格があってそれぞれの年齢の“思い”がある。
その思いに添いあった関係性を築けるかどうか。

最近は子どもを“作った”“作る”なんて表現をする人が多いけれど、粘土細工じゃあるまいし、
作るものではないと思います。
子どもは、親の所有物ではないし、自分の願いを投影する対象でもないと思う。


人間の親心は、、、なかなか難しい。


…最近、夜泣きに悩んでいる、私です…。ああ、眠たい…。

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戦争と平和

オリンピックが始まり、テレビはオリンピック一色ですが、
平和の祭典であるオリンピックの裏で、中国国内ではテロと思われる事件が多発し、
また、グルジアでは、戦争が起こってしまいました。
何とも言えず、悲しいことです。

そんな中、こんなニュースを見つけました。
「ロシアとグルジアの選手、銀と銅で仲良く表彰台に」

今戦争状態にある、ロシアとグルジアの、女子射撃の選手が、
ともに銀・銅メダルに輝き、その表彰台にて、互いに抱き合いキスをして、健闘をたたえ合い、固い握手を交わしたとか。
この二人は、かつてはともにロシア代表にも選ばれた選手で、友達でもあったそう。
人と人の友情・繋がりには、国境も民族も関係ないだろうのに、
一部の人たちの利害のために、国だ、民族だと理由をつけて、争いが起こり、大切な命が失われ、
人と人の関係が壊されてゆく。

彼女たちの握手は、
そんな戦争の愚かさを、
そして友情、人の繋がりの素晴らしさを、訴えているように感じられた。

メダル争いやすごい記録を期待して観戦するのも楽しいですけど、
スポーツ、そしてオリンピックの素晴らしさは、結果だけじゃなくて、
国や民族を超えて、
たくさんの選手が努力し競い合いながらも、互いの健闘を讃え合える、
こういうところにもあるんでしょうね。

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ゴンシキ日記7時間目

6/4
今日は旧跡参拝の日。京都市内にある真宗にゆかりのある場所を一日かけて廻るというもの。
本願寺第八代に蓮如上人っていう方がいはったんやけど、その方が晩年を過ごした山科別院、親鸞聖人が往生された(亡くなられた)角坊別院、その亡くならはったあと、親鸞聖人の娘である覚信尼さんがお墓(これがのちに本願寺の元になる)を作られた崇泰院などを訪ねた。

十数年ぶりにバス旅行をして、小学生の時は乗り物酔いが激しかったことを思い出したよ。必ず前から三列目くらいに座ってたような・・・。
乗り物酔いって強くなるんかな。

それとも・・・大人になるにつれて鈍くなってくるんかな。






6/7−6/8
ゴンシキの講義自体はないけど、友人の結婚式出席のために鹿児島へ。
京都から行くのに飛行機で行くべきか、新幹線で行くか迷ったけど、新幹線で行くことに。
飛行機で乗ってる時間(伊丹⇔鹿児島)は1時間半くらいだけど、伊丹空港まで行く時間・鹿児島空港から市内への時間を考えると新幹線とそんに時間は変わらないことに気づいて、それやったら近くの京都駅から乗れるし鹿児島中央駅まで行けて移動が便利やし新幹線にしよう!

京都から博多。そして博多からリレーツバメで新八代へ。そしてすぐ目の前に停まってるツバメにのって鹿児島中央駅へ。乗り換えはあるけど、座ってるだけやからのんびりできてよかったー。寝てるとあっという間。

ユキくんおめでと。お幸せに。






6/18
二回目の中間試験。
やるって聞いた時に、中間試験って一回だけちゃうの?と思わず突っ込みそうになったよ。
この日は声明と礼讃が実唱テストの範囲。

今回も試験会場は4つ。試験を待つ間のあのいやーな緊張感。もう帰りたいよ。
実唱はどこが出たのか、ということがマコトシヤカに流れる。ホンマこれに振り回されるんだよね。一番にその情報に飛びついたりしちゃったりもして、大人気ないったらありゃしない。

もちろんペーパー試験もある。過去問は前回までのものはあったけど、今回のための過去問はないんだよね。
完全実力か!?

凹みまくってこの日は終わり。

後日、試験の結果が・・・。ここではとても言えへんわ。




6/21
人生初の一日で二つの披露宴出席の日。
12時京都(大学院同期)にて、夕方5時東京(メリシャカメンバーsakullaさんの披露宴)の予定。

12時からの披露宴に出たけど、早退させてもらって、いそいで京都駅へ。
ちなみにこの日はメリシャカメンバーのタツヤ氏も同じ行動。

タツヤ氏は時間ないのに、のーんびりしてるもんやから、こっちがヤキモキしてもうた。それくらいのマイペースさも人間必要かもね。

せっかく東京行ったのに、滞在4時間。だって明日はお晨朝出勤日(泣)
新幹線の最終で帰ってきて、睡眠3時間で4時起き。そんなんで体力大丈夫なんやろか・・・。

ワッキー・sakullaさん結婚おめでと。幸せになるんやで。


今回あんまりゴンシキ関係ないことになってもうたな。まぁ普段ゴンシキに行きながらこんなこともやってます!っちゅうことで。
って披露宴出席くらいしかやってないか。。。自分の結婚はいつになるんやろ。
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農日記?水不足編

こんにちは、毎日暑い日が続きますね。

私の住んでいる千葉県松戸市では、梅雨明けから雨らしい雨はなく。
気温30度を超える快晴・快晴・快晴の毎日です。
夏好きな私にとっては最高の季節でありますが。

そんな中、やっと雨が降りました、天の恵みです。といっても、雷雨ですが。


(潤った畑)

しかし、これほど雨がうれしいなと感じるのは初めて。

それは、農園のトマトやきゅうりの水不足が心配だったからです。

野菜の成長には水分は不可欠、雨が降らないと、栄養が行き届きません。


(水不足のトマト)

以前、水菜を植えた時のこと。

早く成長をして欲しいと朝晩の水掛けは欠かさず行っていたのですが、数日忘れてしまいました。
気がつけば、水菜が枯れていたのです。

オッと。

水不足だろうと、いつもより多めの水をかけました。
しかし、枯れたまま、一向に元気になりません。

農園の師匠に聞いてみると、水不足になってから水を注いでも遅いとのこと。

水不足だから水、という発想は×
毎日、欠かさず水をかけて下さいと。

最近思います。
植物の状態がわかる体温計のようなものはないだろうかと?
そんなものはないですよね。

植物も動物と同じで、常に相手の気持ちを考えることが大事なんですね。

まずは、相手を知ることです。
水分、日光、肥料の頒布の頻度等々。

また、ひとつ勉強になりました。



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よーじやとコラボ。



哲学の道の真ん中にあるよーじやにて
勝手によーじやとメリシャカのコラボ実現!

よーじやさん、ありがとうございます
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