【告知】9月2日BDK主催「問われる仏教 応える仏教」

 平成24年9月2日(日)東京芝にある仏教伝道教会にてシンポジウムが開催されます。テーマは、「問われる仏教 応える仏教」。さまざまな宗派の僧侶の方々によって、仏教の可能性を探求するシンポジウムです。

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堂脈行って来た。

広島在住のアーティストで僧侶でもある二階堂和美さんのイベント「堂脈vol.7」に行って来た。
堂脈とは、二階堂さんの人脈でゲストを呼んでやるイベントなので「堂脈」なんだって。最初なんのこと!?と思ったけど納得。


場所は広島駅の次の駅、横川駅すぐそばの横川シネマ。通な映画ばかりを上映しているいわゆる単館映画系である。


7回目の堂脈、今回はフェスティバルFUKUSHIMA!とのコラボ。
震災の後、ありのままの福島を見つめることから始め、福島で生きていく希望を持って、福島の未来の姿を考えてみたい。という趣旨のもと、福島内外の有志によってプロジェクトFUKUSHIMA!が結成された。このプロジェクトはフェスティバルを通して福島の姿を、全世界へ向けて発信している。

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【告知】8月26日チャリティー雅楽演奏会@福島県矢吹町(無料です)

明日、平成24年8月26日(日)福島県矢吹町にて第二回東日本大震災復興応援チャリティー雅楽演奏会を開催致します。

昨年の雅楽演奏会では好評を頂き、今回はさらにパワーアップ。東京芸術大学講師の新谷恵先生(篳篥・箏)、 元東京芸術大学講師の伊崎善之先生(笛・琵琶)が演奏をして下さいます。さらには、花栗雅楽会、桔梗雅楽会、そして天真寺雅楽会。素敵な雅楽演奏会になること間違いなしです。

どなた様もぜひご来場下さい。 以下ご案内です。 
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届かぬ言葉


「大人を頼りにしてください」
「力強く生きてください」
「素晴らしい人生を送ってください」

今から6年前、いじめ自殺の問題で、当時の東京都の教育長が出した緊急メッセージにあった言葉である。
これを同じ当時の東京都の教育委員は、心に届かぬ言葉として批判したという。


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ネコの都合と私の都合

ウチには今、ネコが4匹います。ちょっとしたネコカフェ状態です。母も私も、婿に行った弟もネコが好きで、知り合いから子猫をもらってきたり、母や私になついてきた野良猫を飼ったり、家の前で捨てられていた子猫を世話するうちに情がうつって、いつの間にか4匹になっていました。

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騙されるな

皆さんには、忘れられない言葉というものがあるでしょうか。

大学4回生、私は就職活動をしていました。

自分自身というものが本当に分からなくて、不安で、焦って、自分を自分自身ですら見放しそうになっていました。

しかしそれでも、面接日は迫ってきます。

自分ですら認められていない自分を評価され、自分の居場所なんてどこにもない気がして、不安の中で身動きがもうとれなくなっていました。

そんなときにこんな詩を贈ってもらったのです。

 

騙されるな ビートたけし 

 人は何か一つくらい誇れるもの持っている


 何でもいい、それを見つけなさい
 

 勉強が駄目だったら、運動がある
 

 両方駄目だったら、君には優しさがある
 

 夢をもて、目的をもて、やれば出来る
 

 こんな言葉に騙されるな、何も無くてもいいんだ
 

 人は生まれて、生きて、死ぬ
 

 これだけでたいしたもんだ

 

何度も、何度も読み返しました。


このままの私でいいのだと受け入れられている気がしてなんとも言えない安堵感を覚えました。


それから時が経ち、ご縁があって仏教を学び始めて、ひとつの疑問が生まれてきました。


ありのままを認めてくれるビートたけしさんの詩は本当に素晴らしい言葉です。


しかし、「生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ」で終わらないのが仏教、真宗の教えです。


生まれて、生きて、死ぬだけでは私は、きっといつまでも生死を繰り返すなかで、居場所探し、自分の力だけを頼りに不安から完全に抜け出すことはないでしょう。


しかし、そんな私を救いの目当てとされる阿弥陀様がいらっしゃる。


そう思うと不安の中も安心して歩みを進めていけると思うのでした。


そして、そんな気づきのきっかけを与えてくれたビートたけしさんの言葉はやはり、今も私にとって忘れられない言葉です。

 

 

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君と僕とアミダ様の法話11「アサガオと感謝」

 江戸時代の俳人、加賀の千代女さんは仏教的な俳句を多く読まれた。

代表作は夏の句「朝顔に釣瓶とられてもらい水」だ。
この句の意味は「朝、井戸水を汲もうとすると、井戸の釣瓶縄に朝顔のツルが巻きついている。そこで朝顔を切ってしまうのは可哀そうと、そのままにして近所から水をもらった」というもので、千代女さんの朝顔に対する「慈しみ」を感じさせる俳句として親しまれている。

しかし、先日ある住職さんから、この俳句の新たな見解、味わいを聞かせていただいた。

「想像して見てください。あなた、本当に近所に水を貰いに行きますか?」

「うーん?」と考えていると住職さんはこうおっしゃった。

「近所に一度水を貰いに行ったら次の日も行かないといけませんよ?夏中朝顔は咲き続けます。ずっと近所にもらい続けることになりますよ。」

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行って帰り

僕が幼少の時、今は亡き祖父がよく言っていた言葉がある。

それは出かける時のこと。
「行ってきます」と言うと、大抵は「行ってらっしゃい」と声をかけると思う。 

うちの祖父は違った。
「行ってきます」と言うと「行って帰り」という言葉で元気に送り出してくれたのである。
 
私が幼少期のころこの言葉をかけられると、なんだか妙に安心し出かけていった記憶が有る。



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僧侶の本分。

最近、他宗の方とお話することが増えて、何度目かの自問自答をしています。
「読経には(人を援助する方法として考えるなら)意味がない」
「仏法を説いても人は救えない」
「人が幸せになれるなら、どんな方法でもありだと思う」

いずれも、人の苦しみのど真ん中でそれを対象に活動されている、他宗の方から聞いたお話。

僧侶の本分って、何だろう。

仏法を説くこと?
葬儀や法事をとりおこなうこと?
念仏者を育てること?
ご法儀を広く伝えること?

では、それは、何のためにすることだろう?







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お母さんはいつも一緒にいるよ

 大津市のいじめ問題以降、いじめに関するさまざまニュースが報道されている。ニュースに報道されないだけで、今いじめで苦しんでいる人は限りない。また、いじめと言っても、いじめをする人、いじめられる人、いじめを見ている人、親、教師・・・さまざまな関わりがある。先日学校の教師とお話をしたが、昔の学校の様子とは違うという。ある女性の先生が、たばこを吸っている生徒を叱ると、生徒にグーで殴られたということがあるだと。先生は目上の人、尊敬すべきものという価値観が、現在は薄れつつあるのだという話だった。そんな中、朝日新聞では、「いじめと君」というコーナーで著名人が「いじめられている君へ」「いじめている君へ」「いじめを見ている君へ」と言葉が紹介されている。(2006年の記事も読むことができます)http://www.asahi.com/special/ijime/

 

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