届かぬ言葉


「大人を頼りにしてください」
「力強く生きてください」
「素晴らしい人生を送ってください」

今から6年前、いじめ自殺の問題で、当時の東京都の教育長が出した緊急メッセージにあった言葉である。
これを同じ当時の東京都の教育委員は、心に届かぬ言葉として批判したという。



その批判については、私もまったくもって同感である。

大人を信頼できないから。力強く生きられないから。今が素晴らしくないから。
楽になれるという幻想を抱き、けど本当は一番楽じゃない道を選ばされたのではないか。

大人を頼りにしたいし。力強く生きたいし。素晴らしい人生を送りたいけど。
そこに差し出されるべき救いの手が与えられなかったが故に、何も見えなくされてしまったのではないか。

時同じくして読売新聞には、フランスの大学入学資格を得るための国家試験に出た問題についての記事が載っていた。

≪セーヌ川をきみが散歩していたら、若い女性が飛び込み自殺をしようとしている。
   これを言葉でひきとめなさい≫

この問題の後に、記事はこう続いてた。

「今、私たち日本人が、答案の作成を迫られている」

これは6年前に出された問題ではなく、それ以前から、そしてそれ以降も問われ続けていたはずの問題なのだろう。

答案の作成を迫られているのは、教育関係者だけではない。
助けを求めて伸ばした手を、時に見て見ぬ振りをされ、時に振りほどかれていた者に対して。
助けを求めて伸ばされた手を、時に見てみぬ振りをし、時に振りほどいていた者に対して。
何より、この私自身に対して出題された問題だ。

では、つながりの大切さを話してひきとめようか。
それとも、つながりを断つことの悲しみについて話そうか。

けれど、死のうと思った要因がいじめであったなら、その人は私以上につながりを断たれた悲しみを知ってるだろう。

それじゃあ、つながりを断たれた悲しみを知っていたとして、それと同じ悲しみを、大事な人にもさせてはならないと言ってみようか。

だけど、他の人のことを考えられる余裕がないから、死を選ばざるをえないのだろう。

どんな言葉も、相手の心に響くかどうかは分からないまま。
きっと、この答案に正解などはないのだと思う。

ただ、この出題された問題が、常に身近に現実のものとしてあることを。
潜んでいるのでも、隠れているのでもなくて、歴然とあることに気づくことを。
そして、その問題の答案を書き続け、人との関わりの中で書き改め続けることを。

他人の痛みに鈍感な私に、この問いが、そう呼びかけている。

ある日突然、最愛の家族4人の命を奪われた男性が、テレビの中で涙ながらに言葉を発した。

「うちには何もお宝はないけれど……4人が宝でした」

あなたの命は宝だと。
今、消そうとしている命は、あなたには辛いだけのものになったかもしれないけど。
あなたが生きてるその命を、宝だと言って泣く人がいることに気がついて。
あなたを宝だと泣く人を、「ごめんなさい」だけで置いてかないで。

その命を、一緒に生きている人がいるんだと。
だから命は宝なんだと。
そして、きっとあなたにも、宝だと思う命と出遇う縁があるんだと。

届かなくてもいい、無駄でもいいから伝えたい。

でもその前に、私自身がこの宝の命を大切にしているのか…、それが今問われているところだ。
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