じげもん長崎ばい

おそらく大学で地元を離れてから多方言化してしまったshinkiですが、無理矢理使ってみます。
長崎弁というよりも地元の小ヶ倉(こがくら)弁かな。




最近ばり寒かね。

あまりの寒さに12月に入ってから2回もカゼばひいて病院に通いよっとさね。ばってん、そこん病院の姉ちゃんにかわいか人のおっとさね。だいたいカゼで病院に行ったときは点滴ば打ってもらうとけどさー、あん時間のばりたまらんもんねー。

ばってん今年はホントねーいろいろあったばい。生まれて初めて忙しか一年ば過ごしたばい。あーそういえばさっきWILLCOMの姉ちゃんから、早う金ば払えって電話のあったとさね。オイはちゃんとしとっとに、連絡の行き違いってヤツばいね。バリ腹ん立つけんね。どがんなっとっとやー。ちゃんと仕事ばせんばさ。

う〜…お正月まで早うカゼば治さんばね。苦しか…。

ちなみに。写真は”冷凍皿うどん”さね。地元の法事では、ほとんどこいばっかいでっとさね。まあ、出前も多かとばってん…。

あ〜そうそう長崎の宣伝ばせんばね。

長崎はとにかく坂の多か街さね。斜面に平気で家の建っとる。だけん交通の便は悪かし、一向に発展せんとさね。最近は長崎も郊外型の街になりつつあっとけど…。
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ハマっ子じゃん!

ども、神奈川県横浜市在住のsakullaです。

前回のタツヤさんに続いて、東京都近郊にいるもんで、方言と言われても…ね。
思いつくのは語尾に「じゃん」をつけるのくらいかな。
けどこれも、もう横浜特有の方言じゃなくなってるし…なんかつまらん。

横浜といっても、私の住んでいるところは海からは離れてて、15年前までは山と森に囲まれたのどかな農村地帯だったけど。
バッサバッサと拓かれて、今じゃすっかり新興住宅地に様変わりして、区の人口の平均年齢が33歳まで下がってるような地区。

若い世帯が多いから、この時期になるとどこの家もイルミネーションで飾り付けがされてて、中には目を奪われて運転ミスして事故るんじゃないかってくらい、とんでもなく派手な飾りつけがされてるし。

ちなみに私はサンタクロースを信じていた記憶はない。
まあ、朝起きて枕元にプレゼントが置いてなかったら、サンタを信じる根拠はないわけで。
けど、プレゼントをもらえなかったかというと、そうではない。
うちにはクリスマスプレゼントの代わりに、年末プレゼントという奇妙なものがあって、なぜか25日以降に親からもらってたな。

そもそもクリスマスはイエス・キリストの聖誕祭。
なのに、メインはツリーとイルミネーションと、サンタの格好をしたアルバイトやクリスマス商戦に取って代わられてるのが現状。
そういうとこを僧侶の視点から見れば、この異様な盛り上がりを羨むことはない。

対して、お釈迦さまの誕生日は4月8日で、この日は「花まつり」と言われてる。
認知度の違いは明確すぎるほどあるけど、それはまだいろんな可能性があるってことだ。

だからといって、認知度を上げるために、例えば菩提樹のてっぺんに宝輪をつけたり(笑)、仏舎利に見立てた干菓子をばらまく(失笑)とか、そういうクリスマスとかバレンタインに対抗するような企画性の必要なものは、やらなくていいと個人的には思う。

ただ、父の日とか母の日とか、両親に感謝する日があるように、4月8日が肉親や、日頃お世話になってる人だけじゃなくって、すべての人や物に感謝するような「ありがとうの日」になればいいなぁなどと思ったりする。

この私が、本当にいろんなものに支えられているってことを思い出す縁とする日。

ある日突然、目の前に降って湧いて出たようなものは何一つない。
ボールペンの向こう側にだって、チョコレートの向こう側にだって、どんなものにも作る人がいて、その人の家族がいて、生活がある。
中には、その人たちの過剰な労働の末にあるものを、知らずに平然と使ったり食べたりしてることもあるだろうし。
それから原料も必要だし、自然や地球の恩恵も必要だ。
そういう、普段の生活で「あって当たり前」と思ってる物や人の、その先にある、ありとあらゆるつながりに思いを馳せて、一つ一つに「ありがとう」って思う日。

あえて、そういう日って決める必要はないかもしれないけど、何より私自身がきっかけがないと忘れてしまうから。
「縁起」というつながりを悟ったお釈迦さまの誕生日が、そういう当たり前に感じてるつながりへの「ありがとう」の心を育てる日になったらいい…てなことを横浜の片隅で、隣んちのイルミネーションを見ながら思うわけですわ。

え〜と、そういや方言だったね、テーマは……全然関係ないじゃんっ!


●神奈川県横浜市 (人口360万6650人)
●ちなみに観光名所だったマリンタワーと氷川丸は、本日25日をもって営業中止となりました。
  お疲れ様、そしてありがとう。

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恋愛至上主義〜クリスマスに坊主は思う〜

サクラさんの提案に答え、恋愛の良さについて肩を張って語りたいと思います。
恋愛至上主義という一つの立場に立って。(註:実際には恋愛至上主義者ではないです。)

結局のところ、恋愛とは、突き詰めて言えば「出逢い」だと思うのだ。
世界中に何十億という人がいて、二人が出逢ったことが恋愛である。

だから、そこには様々なご縁がある。一歩間違えば、一生逢えていない可能性だってあるのだ。

あの日あの時、あの場所で、すれ違わなければ、友だちに紹介されなければ、あの場所に行かなければ、あの別れがなければ、二人は恋に落ちなかっただろう。昔の歌詞みたいだけれど本当のことだ。

恋愛は出逢い。出逢いは一瞬だけれど、それは永遠を孕んでいる。そこに僕は仏教を感じる。
小乗仏教では時間は川の流れのようなものと説く。過去から現在に。現在から未来にさらさらと川の様に流れていく。過去は過ぎ去りもうない。未来はいまだ来たらずまだない。

しかし、大乗仏教で言う時間は違う。
○現在が過去を意味づけ、また未来を意味づける。また、未来が現在を意味づけ、過去が現在を意味づける。

つまり現在、好きな人に出逢えて良かったという思いがあるということは、過去に意味があるということになる。
どんなに辛く消し去りたい過去があっても、その過去が無駄にならず、むしろ現在に至る大切な思い出となる。
充実した現在があるから、未来を意味づけていく。また未来に目標、達されることが決まったのなら、今現在なすべきことが見えてくる。

大乗仏教で言う「時間」とは現在、それこそ「今」の出逢いに集約される時間の見方なのだ。

とすると、今好きな人との出逢いは、過去と未来に集約された今であり、
今好きな人との手と手の出逢い、唇と唇の出逢いは、人生の時間に垂直に立つ。

そこには過去も未来も含まれている。一瞬は永遠を孕んでいるのだ。

たとえ、いずれ不幸な別れ方をする恋愛でも、いずれ二人が一緒に生活しだして、お互いに退屈したり、億劫に感じたりするに堕する出逢いでも良いじゃないか。
その一瞬は何にも変えることが出来ない一瞬なのだ。
その一瞬のために生きてきたともいえる一瞬だ。

その様な一瞬を手にすることは難しいのかもしれない。しかし恋愛にはそれを生み出す不思議な力があるようにも思う。

だがしかし、ここで残念なお知らせがある。
人間同士の出逢いっていうものは、確かじゃない。それはお釈迦様が見出した真実。それはとても悲しいことだけれど。
別れるのに出会って嬉しいっていうのは、所詮気休め、誤魔化しでしかないのだ。
さっき言っていたこととは全く反対で恐縮だけれど。
別れや堕落を孕んだ出逢いって本当のであいだろうか?
それは実はエゴとエゴの出遭う一瞬でもある。
愛の反対は憎しみ、というより、愛と憎しみは表裏一体。憎しみの全くない愛は残念ながら僕たち人間の上には存在しない。

本当の出遇いっていうは、私と仏との間にしか存在しないのだろう。
ここに浄土真宗でいう「信の一念」という今の考え方があるのだが、それはまた別の話だ。

えーと。
すみません!恋愛至上主義の立場は残念ながらやっぱり無理でした。
皆さんのご意見頂戴したいです。

☆ ☆ ☆
クリスマスにメリシャカ!チスイです。
最近寮生活で仏教を勉強してきて、寮を出たら、妙にクリスマスイルミネーションが目に染みました。
ミニスカサンタに目を奪われます、目の保養しました。
凡夫です。
メリシャカ!

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マツモトキヨシ行くっぺ!

どおもどおも、千葉県松戸市在住タツヤです。

「方言」魅力的な言葉ですが、私の住んでいる町は、江戸川を挟んで東京の隣に位置するため、東京のベッドタウン。
そのため、地域の言葉はあまりなく、基本的に東京弁(一般的に標準語)です。
千葉浦安にあるディズニーランドが東京ディズニーランドといわれるように、東京よりの傾向が強いです。

でも、千葉と言えば、まちゃまちゃ・木更津キャッツアイなど、独特なイントネーションを思い出させくれます。

千葉の方言の重要なポイントは、「ぺ」の使い方です。
【千葉県市原市HPより】

1、推量の「ぺ」
A:あんやろ うちに いっかな?
B:いるっぺぇ。

2、同意、同情の「ぺ」「ぺ」の次に「や」を付けると同意、 同情の意味に。
A:おめえに みやげ買ってきたぞ
B:そりゃ たけぇかったぺや

3、勧誘の「べ」
「ぺ」がにごると「べ」になり、さらに長く「べー」と使うと意思、勧誘の意味に。
A:サンプラザで映画を見るべー(映画を見よう)
B:そうすんべー(そうしよう)

というように、語尾の使い方で意味あいが変わっぺ。
まるで、古典の授業のようだが、昔の人たちが言葉を大切にしていたのがわかるっぺ。

ここで、千葉といえば、
ボビーバレンタイン監督の千葉ロッテマリーンズ。
ジェフユナイテッド市原・千葉。
八街産落花生。
でなんといっても、映画寅さんや、小説「野菊の墓」の舞台となった矢切の渡し。

このご時世、乗船料 大人 100円 で、情緒たっぷりの柴又・松戸間を手こぎ舟で運んでくれっぺ。

さらに、松戸市はマツモトキヨシ発祥の地。

千葉に来たら、マツモトキヨシで買い物するべ。


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クリスチャントゥデイ

「メリークリスマスは宗教的」 クリスマスから宗教色排除の声
米国でクリスマスの扱いをめぐって「宗教論争」が繰り広げられている。
 米国では、数年前からクリスマスシーズンのあいさつの言葉が従来の「メリークリスマス(Merry Christmas)」から「ハッピホリーデイ((Happy Holidays)」に移り変わりつつある。(「
christiantoday」より抜粋)

このニュース自体にも目に留まりましたが、
それ以上に気になったのは、これを発信しているサイト「christiantoday」。
この株式会社は、キリスト教関連報道メディア会社で、基本信条には「イエス・キリストの御言葉こそ真実であると宣べ伝えることを全業務の本拠とします。」とあります。
サイトのつくりも内容もしっかりしていてクオリティがとても高いです。googleニュースにも引っかかるので、いちメディアとしても認知されているということでしょう。これはスゴイことだと思います。仏教系ではここまでのサイトは今のところ見当たりません。在家仏教協会がスタンス的には近いと思うので是非がんばって欲しいですね。

では、もうひとつ気になったニュースを紹介しておきます。

米国のクリスチャン「礼拝よりも睡眠が好き」
米国のクリスチャンが礼拝よりも睡眠を好むことがわかった。米国キリスト教研究機関バルナリサーチが全米1005人の成人を対象として「最も好きな時間の過ごし方」について調査した結果、10人中7人が「心地よいベッドで寝ること」と答えた。
 米国人が好きな時間の過ごし方について、睡眠に次ぐ第2位が「友人と過ごす」(55%)、 第3位には「音楽鑑賞」(54%)。「教会の礼拝に出席する」(40%)は第4位につけた。(「christiantoday」より抜粋)


アンケートをどのように回収しているかにもよりますが、成人を対象にした質問で「教会の礼拝に出席する」が40%というのに驚きました。ここでは、宗教意識の減退を問題にしているように感じましたが、それでも充分にいるんですね。
睡眠に関しては、大半の若者は好きだと思うので、特に問題は感じません。

「最も好きな時間の過ごし方」
みなさんならどのように答えますか?
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海っ子。

どうも蓮淳です。
今回のテーマは「方言」。
あ、ちなみに出身は福井県の高浜町といって、いっちばん福井の西にあります。
ほぼ京都との県境で、残念ながら強烈な福井弁ではありません…
でも、福井弁って文字にするとかなり分かりにくい気がします。
福井ではだいたい真ん中あたりで区切って東を嶺北、西を嶺南と
呼んでまして、私の生まれ育った町は嶺南地方にあたります。
敦賀とか小浜、っていうと知ってる方も多いのでは??
その嶺北と嶺南でも方言が少し違ったりして、一概に福井弁はこれ!とは
言い切れないところがあります…
なので、今回は私が育った町、嶺南でももっと西の地方を若狭と
呼んでますが、その若狭の方言について書いてみたいと思います。
とりあえず、「〜とる」って使いますねー。
知っとる、やっとる、聞いとる、見とる、言うとる・・・などなど。。
あと京都でいう「〜してはる」とおんなじ表現で「〜しとんなぁる」とか…
例えば、
私な〜京都に引越してからチャリ買ったんやけど〜、かわいさにつられて
小さいタイヤの買うてしもたんや〜。ほしたらな、毎朝な〜普通のチャリの
人にぬかされるんや〜。こっちはこんなに必死にこいどんやで〜?
ほんで最近な、寒いからかしらんけどな、キーって音がするねん。
かなり迷惑なくらいなるねんで!オイルさしたほうがええんやろかなあ?
ほんまに朝えらいしな、普通のチャリ買おうか思とんやってー。
・・・・・・と、こんな感じでしょうかね。
そうそう、地元では「しんどい」→「えらい」っていいます…

ま、方言についてはこの辺にして、わが町のちと自慢を!
とにかくお魚がおいしい!につきますね!!
もちろんずっと日本海が広がってて、山もあり、自然大好きっ子って感じです。
夏は関西から海水浴にくる観光客でわりと栄えたりして、昔は夏だけは
異国にいるような気分でわくわくしたこと覚えてます。
あと、関西ではわりと有名らしいですが、福井は公衆トイレが非常に多いのです。
しかも大きくて、きれいなんです。
帰省するたびに、あれ、ここトイレあったっけ??って思うくらい!
ここだけの話、ウワサですけど、原発があるからお金をたくさんもらってて、
使い道もあまりなく、トイレばっかり作ってる…とか
それから、意外に知られてないかもしれませんが、お寺が非常に多い。
もちろん宗派問わず。かなりお寺めぐりはオススメですよ!
昔は興味なかったような場所でも今行ってみるとなかなか楽しい場所も多いです。
そうそう、最近では湖西線が敦賀まで伸びて来やすくなりましたので
機会があればどうぞ来てみてください!


★福井県大飯郡
★人口は…分かりません!
★目玉:遠浅の海、道の駅、ゆっぷる、うりわりの滝、さばのへしこ、小鯛の笹付け、原発

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タイムマシン

年末の掃除で出てきた本の紹介。
4488607055メリシャカSF特捜隊のshinkiです。今回は、チョイと古めのSF小説で1895年に発表されたH.G.ウェルズの『タイムマシン』です。古いうえに原本は洋書なのですが、ちょっと現代人には分かりにくい言葉回しな一冊です。

紀元802701年に到達した時間旅行者は、エロイとモーロックという二元化された人種の存在する世界で色んな出来事を体験する訳ですが、最近では、2002年にワーナーブラザーズが製作したリメイク映画にもなって…これは不評だったらしい(笑)。でも個人的には好き。

まあ、タイムマシンで有名な映画といえば『バックトゥザフューチャー』ですが、2002年映画版『タイムマシン』のおもしろい所は、自分の過去を変える為のヒントを未来に求めたという点でしょうか。

個人的に、昔からSF作品が大好きなのですが、SF作品には壮大なテーマがある訳で、たまにハリウッドなんかで映画化されるとその特殊技術などに注目が集まりすぎてテーマが影に隠れがちになります。だからこそ”フィクションは現実世界への選択肢”なんですね。得るものもあれば失うものある現実に何を道すじとして生きるのか。

そんな壮大なテーマを教えてくれる名作『タイムマシン』。
お正月のゆったりした時間に観たい一作品です。
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LOVE ME

ども、ご無沙汰です。
ちょっと忙しくて、愛だの恋だの考える余裕がないくらい涸れてたんだけど、なんとなく見た落書きで目が覚めた。

LOVE ME

たまたま入ったファーストフードのテーブルに、ちっちゃく書かれてた。
「私を愛して」なんてイイ歳こいた女が言うとナマナマしいけど。
書いた人には、もしかしたら切実な思いがあったのかもしれないし…私の切実な思いとも重なるわけで。

恋と愛の違いは何かって聞かれたら。
「恋」は見返りを求めないもので。
「愛」は見返りを求めるものっていうのが私の自論。

そもそも仏教で考えられてた「愛」っていうのは、人間の根源的な欲望のこと。
喉の渇いた人が、もっともっとと激しく水を求めるような衝動的な欲望。
満たされるまで求め、けどいくらそそがれても満たされない欲望。
それが愛。

例えば好きな人には好かれたい。
けど、その人に好きと言われても安心はできない。
その好きを、ずっと続けてもらいたいから。
ずっと愛されてる実感が欲しいから、そう言ってもらいたいし、態度で示して欲しい。
見返りを求めるように、愛した分だけ愛して欲しいし、それこそ死ぬまで愛して欲しいわけだ。

だけど、これが逆の立場だったら結構ウザイ…かもしれない。
人の気持ちは変わるもの。
同じことをずーっと考え続けることができないように。
同じ思いを変わらず抱き続けることはできない。
もし、ずっと好きだと思っていても、その好きがいつも同じ好きではないはず。

すべては、縁にふれ、一瞬一瞬で生じては滅して変化を繰り返す。
同じままではいられない。
だから、ちょっとしたキッカケで、好きな人を嫌いになることもある。
ずっと同じじゃいられない、移ろいゆくのが現実、これが常ならぬ無常。

とまぁ、愛し愛されるのは大変なことだ。

自分の欲望を相手に向けるということは、相手の気持ちを思い通りにしたいっていうことでもあるわけで。
人の気持ちなんて、相手のどころか、自分のさえも思い通りにできない、だから苦しいし。
愛が満たされ続けるかどうかもわからないから、やっぱり苦しい。
それに、ずっと同じ気持ちでいられないことも、やっぱり悲しいし苦しい。

そういうことが分かってんのに、それでも苦しむことを選んで、「私を愛して」って叫び続けてる私は…。
結局、夢見る乙女(失笑)…じゃなくって、道理を見失った煩悩のカタマリだってことなんだろう。


…なんか、こういう結論に辿り着く時点で、やっぱ涸れてんだね、私…。
誰か、恋愛の素晴らしさを私に説いてくれ。

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ネットと信仰

おぼうさんではないメリシャカメンバー、ゲレーロです。

読売新聞online版にこんな記事がありました。
「ネット参拝は是か非か、初詣で前に揺れる神社界」と言う記事
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061216it04.htm
リンク切れになる可能性もあるので、全文掲載させてもらいます。

ネット参拝は是か非か、初詣で前に揺れる神社界

 初詣でシーズンを前に、インターネット上で「参拝」「祈願」ができたり、お守りやお札を販売したりする試みを巡って、神社界が揺れている。

 全国約8万か所の神社を管理・指導する神社本庁(東京)は、「ネット上に神霊は存在しない」と、今年初めて自粛を求める通知を出した。しかし、導入している神社からは「神社に親しみを持ってもらえる」「遠方の人の助けになる」との声もあり、本庁では頭を抱えている。

 地元で「安産の神様」として知られる高知県南国市の新宮神社。ホームページで「インターネット参拝」を選ぶと、「ネット記帳」の欄が表示される。願い事を書き込み、「私のお願いをよろしく」というボタンをクリックすると、神社に電子メールが送信され、無料で祈願してもらえる。

 森国英夫宮司(64)は「遠隔地でお参りできない人にも神社を身近に感じてもらえる。メールがきっかけで、直接参拝につながる例も多い」と話す。正月には毎年、全国から数十人のネット参拝者がいるという。

 ほかにも、メールを受けて有料で祈願し、後日、お札などを郵送する「ネット祈願」や、ネット上でお守りやお札を買える神社も、数年前から登場している。

 こうした動きに、神社本庁は今年7月、「信仰の尊厳を損ないかねない」と、全国の神社に自粛を求める異例の通知を出した。本庁の瀬尾芳也調査課長は「神霊は神社という場所や空間に鎮座するもので、足を運んでもらうのが基本。ネットの有効性は認めるが、仮想的、疑似的な側面が広がりすぎると、本来の信仰の形が崩れる」と説明する。

 だが、通知後も推進派は少なくない。10月からネット上でのお守り販売を始めた東海地方の神社の宮司は「地方の小さな神社にとってネットは有力な手段。ネットだから心がこもっていないとは言えないはず」とし、メールでの祈願を受け付ける関東地方の神社の宮司も「海外から『お守りを分けてほしい』というメールも来る。営利目的ではなく、信仰の尊厳を傷つけているとは思わない」と話す。

 これまでも、病人などには電話や手紙でお守り、お札の販売を受け付ける神社は多く、「手紙はよくてメールはダメというのはおかしい」という意見もある。本庁では、研究を重ね、来年にはネット利用の指針か報告書を出す方針だ。

 井上順孝・国学院大教授(宗教社会学)は「お札だって木や紙に印字したモノであり、どこに神聖性を見いだすかは受け手の判断によっても変わる。技術は日々進歩し、一律の統制は難しいが、指針を作るなら、『尊厳とは何か』という視点を踏まえつつ、現場の神職や氏子の意見も取り入れるべきだ」と話している。

(2006年12月16日14時32分 読売新聞)


ま、仏教業界のお話ではありませんが、信仰という点では同じだと思われます。
紹介した/.の記事(スラッシュドットと読む。コアなPC、ネット関連にまつわるニュース紹介。多数が参加できるblog?)の記事によると、投稿者が調べた結果、曰く
「調べてみると 神社オンラインネットワーク連盟という組織があり、結構な数の神社が自前のWebページを用意しているようだ。」とのこと。
紹介先の場が場なだけに、もっと肯定する人が多いのかと思ったら、否定派もいました。

どうなんでしょうか?
これに関していえば、誤解を恐れず書くと
うちにある神棚、お札、お守りなどと何が違うのか?それは形が違えど一神教の宗教でも同じですよね。
信仰っていうのは心の中にあるものではないのか?だから場所はあまり関係ないのではないだろうか。
だから私は否定をしませんが、これに関してみなさんはいかがお考えでしょうか?神社とはそもそも考え方が違う!と一蹴しないでお願いします。まぁ若い一僧侶が意見すると…っていうのもあって、コメントしにくい立場かもしれませんが。
また、仏教として考えたとき、どう考えますか?
私の疑問からいうと仏教も同じになりますが...
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しましまにしまっしま

ども、ケンユウです。
なんかぁ、今回は方言でコラムを書いてみまっしま、って言われたしぃ、ちょっと書いてみようと思うんやけどぉ、石川の方言って、実はあんまりよくわかってないげんて。
んなダラ(※註1)な事あるかいやっ、て思うかもしれんげんけどぉ、なんか、広島とか京都とか、方言の強いところに住んどった事もあったさけぇ、ちょっとわすれてしもたんやって。
けどぉ、よく思うのがぁ、これは福井に近い加賀の方だけなんかもしれんのやけどぉ、ちょっと言葉の終わりが揺れるような気がすんげん。
ほしてぇ、命令形とぉ、疑問系の語尾にもちょっと特徴があると思うんや。
疑問系は、語尾に「け」をつける事が多くて、「今何してるの?」は「今なんしとん(が)け?」とか、「これは安いんですか?」なら、「これ安いんけ?」となる感じかなあ。
命令形は、最後に「ま」をつける事が多くてぇ、「書け」なら「書けま」とか、「行け」なら「行けま」とか。ほんで、たぶん他の県の人が聞いたらビックリすると思うのが、「しねま」って言葉じゃないかなあ、と思うわ。
よくお母さんが子どもに向かって、「はよしねま」とか言うんやけどぉ、これ別に「早く死ね」って言うとんじゃなくて、「早くしなさい」って意味なんやわ。ちょっとまぎらわしいさけ、加賀のほうに来た時に「はよしねま」とか言われても、ビックリせんといてや。
あとよく使われるのが、「○○したら?」って言うのを、「○○しまっし」って言うんやけど、
それ使ったちょっと面白い言葉があって、「しましまにしまっしま」っていうのがあるんやわ。まああんまり使う事無い言葉やけど、「縞々にしたらいいんじゃない」くらいの意味になるんかな。

方言についてはこのくらいにしてぇ、石川県についてちょっと書くわ。
石川って言うとぉ、すぐ思いつくのが金沢やと思うんや。兼六園もあるしぃ、最近21世紀美術館って言う理屈な(※註2)形した美術館もできたさけ、全国的にも有名やし。
でも他にもいいとこもあって、能登のほうも海も山もキレイやし、加賀のほうには温泉もいくつかあるし、いっぺん金沢以外のところにも来てみねいね。

特にウチの町は、山中温泉って言うて、加賀のほうにある温泉町なんやけど、自然豊かで、山がきれいやし、特に秋の紅葉とか、深緑の頃、鶴仙渓って言う川沿いの遊歩道とか、てんぽに(※註3)きれいになるさけ、いっぺん来てみて、温泉浸かってゆっくりしていきねーね。

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