バングラデシュ?自転車。
- 2008年06月29日(日) 文:
- メリシャカな一枚
- -
バングラデシュにあった自転車。んと、どこで撮ったんだっけ!?
ゴンシキ日記5時間目
- 2008年06月28日(土) 文:
- ゴンシキ日記
- -
5/18
日曜。おだやかな休日・・・のはずだが。
今日はお晨朝の日。通常の講義はないのでお晨朝に参拝して今日は終わり。7時過ぎに終わりっていうのもビミョーな話。
ゴンシキは終わりだけど、今日は二か月に一度のお手伝いの日。
大学の准教授のお寺でお参りのお手伝いをしていて、岐阜まで行っている。京都から電車で約一時間半。
10件のお参りをして帰京。駅に着いたらすでに夕方六時。4時起きだけにながーい一日だったさ。
5/19〜5/21
21日まで親鸞聖人が生まれたことをお祝いする降誕会の法要が本願寺や日野誕生院(親鸞聖人が生まれたところ。京都市伏見区にある。)で行われているので、それに3日間参拝。
19日は日野誕生院に参拝。住宅地のなかにあって割と静かなところにあった。
田舎のお寺と同じくらいの敷地にゴンシキの生徒100人以上・一般参拝者50人(くらい)が入ると、野外にテントなのに蒸し暑くなるようなすし詰め状態に。
まぁ今日は正座ちゃうかったらから法要に集中できたのはよかったかな。
20日は昼から法要に参拝。今日の内容は変わっていて、読経というよりは会話形式で進んでいく。禅問答ってあるでしょ。師匠と弟子が教義について質疑応答していくやつ。
そんなのを行う。もちろん、普通の口調ではなくて、んー歌舞伎というか狂言というか、そんなかんじの口調でね。それを判断する役の人もいて終りに銅鑼のようなものを鳴らす。
読経でもそうだけど、声の出し方って大事だなーと思った。お経って音階があって、そのとおりに出せばひとまずはOK。
でも、それに加えてお経としてはありがたさや荘厳さも大事なんだよね。その読経の空間を演出するという意味では発声や同じ内容でも緩急って重要なことだと思うようになってきたよ。
まずは腹式での発声をマスターしないと・・・。
21日は音楽法要。電子オルガンにあわせて合唱のように歌っていく(読経していく)。伴奏が入ると普段のお経とは違って荘厳さが増すように思う。
これは関係のある高校の生徒も参拝していて、あんなに広い本堂がギュウギュウ詰め。底が抜けるちゃう!?と思ったのは僕だけだろうか。
午前中の音楽法要で一端終わり、昼からは自由参拝。雅楽の演奏・能の演舞・飛雲閣(京都の三大閣と言われている1つ。金閣銀閣に並ぶ三つ目。)でのお茶会と行事目白押し。
雅楽とお茶会だけ参加して、さぁ帰ろうと思ったら、大学の教授から連絡入り、すぐに大学へ。ゴンシキと大学の二重生活な気がするな。
5/22
相変わらず、御文章・礼讃・正信偈などの講義が坦々と続く。やれどもやれどもお経の本に載ってるものが終わりそな気配はない。
先生が最初に模範として称え、そして自分たちがそれに倣って称えていく。ホントどの講義でもその繰り返し。
でも、生活習慣としてのゴンシキ生活にはだいぶ慣れたし、周りのみんなも仲良くしてくれるので生活自体は楽しくなってきた。
入所前はあんなにイヤがってたのに・・・。
昼からの講義は「声明講讃」。これは実際本願寺や各お寺で称えているお経は聖典の中のどのお経なのかを学ぶもの。
1つの経典でも最初から最後までぜーんぶ称えないものが圧倒的に多い。部分的だったり、1フレーズのみ経典の中からpick-upしたものもある。
どこからどんな意味の言葉を称えているのかを知ることによって、それを伝えることもできるだろう。称えるココロモチも変わってくるだろう。
3月まで大学院にいたし、経典やフレーズは知ってるものは確かに多かった。
でも。
改めて称えていた文を読むと、同じような文は他にもあるのに、この部分をあえて称えることにしたのか考えると自分の世界に入ってしまいそうになっていた・・・。
意外とそんな時間嫌いじゃなかったりするんだな。
そして、とっても気がかりなことがある。
28日に第一回目の中間テスト。音痴キッスィは生き延びれるのか!
日曜。おだやかな休日・・・のはずだが。
今日はお晨朝の日。通常の講義はないのでお晨朝に参拝して今日は終わり。7時過ぎに終わりっていうのもビミョーな話。
ゴンシキは終わりだけど、今日は二か月に一度のお手伝いの日。
大学の准教授のお寺でお参りのお手伝いをしていて、岐阜まで行っている。京都から電車で約一時間半。
10件のお参りをして帰京。駅に着いたらすでに夕方六時。4時起きだけにながーい一日だったさ。
5/19〜5/21
21日まで親鸞聖人が生まれたことをお祝いする降誕会の法要が本願寺や日野誕生院(親鸞聖人が生まれたところ。京都市伏見区にある。)で行われているので、それに3日間参拝。
19日は日野誕生院に参拝。住宅地のなかにあって割と静かなところにあった。
田舎のお寺と同じくらいの敷地にゴンシキの生徒100人以上・一般参拝者50人(くらい)が入ると、野外にテントなのに蒸し暑くなるようなすし詰め状態に。
まぁ今日は正座ちゃうかったらから法要に集中できたのはよかったかな。
20日は昼から法要に参拝。今日の内容は変わっていて、読経というよりは会話形式で進んでいく。禅問答ってあるでしょ。師匠と弟子が教義について質疑応答していくやつ。
そんなのを行う。もちろん、普通の口調ではなくて、んー歌舞伎というか狂言というか、そんなかんじの口調でね。それを判断する役の人もいて終りに銅鑼のようなものを鳴らす。
読経でもそうだけど、声の出し方って大事だなーと思った。お経って音階があって、そのとおりに出せばひとまずはOK。
でも、それに加えてお経としてはありがたさや荘厳さも大事なんだよね。その読経の空間を演出するという意味では発声や同じ内容でも緩急って重要なことだと思うようになってきたよ。
まずは腹式での発声をマスターしないと・・・。
21日は音楽法要。電子オルガンにあわせて合唱のように歌っていく(読経していく)。伴奏が入ると普段のお経とは違って荘厳さが増すように思う。
これは関係のある高校の生徒も参拝していて、あんなに広い本堂がギュウギュウ詰め。底が抜けるちゃう!?と思ったのは僕だけだろうか。
午前中の音楽法要で一端終わり、昼からは自由参拝。雅楽の演奏・能の演舞・飛雲閣(京都の三大閣と言われている1つ。金閣銀閣に並ぶ三つ目。)でのお茶会と行事目白押し。
雅楽とお茶会だけ参加して、さぁ帰ろうと思ったら、大学の教授から連絡入り、すぐに大学へ。ゴンシキと大学の二重生活な気がするな。
5/22
相変わらず、御文章・礼讃・正信偈などの講義が坦々と続く。やれどもやれどもお経の本に載ってるものが終わりそな気配はない。
先生が最初に模範として称え、そして自分たちがそれに倣って称えていく。ホントどの講義でもその繰り返し。
でも、生活習慣としてのゴンシキ生活にはだいぶ慣れたし、周りのみんなも仲良くしてくれるので生活自体は楽しくなってきた。
入所前はあんなにイヤがってたのに・・・。
昼からの講義は「声明講讃」。これは実際本願寺や各お寺で称えているお経は聖典の中のどのお経なのかを学ぶもの。
1つの経典でも最初から最後までぜーんぶ称えないものが圧倒的に多い。部分的だったり、1フレーズのみ経典の中からpick-upしたものもある。
どこからどんな意味の言葉を称えているのかを知ることによって、それを伝えることもできるだろう。称えるココロモチも変わってくるだろう。
3月まで大学院にいたし、経典やフレーズは知ってるものは確かに多かった。
でも。
改めて称えていた文を読むと、同じような文は他にもあるのに、この部分をあえて称えることにしたのか考えると自分の世界に入ってしまいそうになっていた・・・。
意外とそんな時間嫌いじゃなかったりするんだな。
そして、とっても気がかりなことがある。
28日に第一回目の中間テスト。音痴キッスィは生き延びれるのか!
勝手に仏像紹介 その3
ども、ケンユウです。今回も、勝手に仏像紹介させていただいちゃいます。
今回ご紹介させていただく仏像は、京都市左京区黒谷にあります金戒光明寺の、「五劫思惟阿弥陀如来」です。
金戒光明寺は、浄土宗の開祖、法然上人が初めて草庵を結ばれたことを由来とした、由緒あるお寺で、御本尊は「阿弥陀如来坐像」です。さらに、遣唐使・吉備真備が彫ったとされる、「吉備観音」と呼ばれる重文指定された千手観音像や、運慶作と伝えられている、獅子に乗られた「文殊菩薩像」もご安置してあり、仏像好きにとっては、たまらないお寺であります。
しかし、そんな堂々たる仏さまがおられるこの金戒光明寺で、私がそれ以上にそそられたのが、そう、この「五劫思惟阿弥陀如来」なのです。
ただ、この「五劫思惟阿弥陀如来」、他の仏像とは違い、お堂の中にはご安置されておりません。ではどこにあるのか、と申しますと、境内の脇にあります、墓地、その階段脇に、墓石に混ざって、ひっそりとおられるんです。
石像なだけに、下手をすると、墓石にまぎれて、気付かないんじゃないかと思うほど。
しかし、そのお姿には、実にインパクトがあります。
写真が当にそのお姿なのですが、阿弥陀様のヘアースタイルがえらいことに!そう、アフロになっているんです!
なんで髪型がこんなドえらいことになっているのか、ということなのですが、
阿弥陀様がまだ仏となられる前、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)というお名前であったころ、仏となることを志され、どんな仏になりたいか、ということを考えられました。
そして、すべての衆生を救いたい!と思われ、そのためにはどうしたらよいを考え続けられて、その時間が五劫(※)という、とんでもない長い時間で、その間、一度も剃髪せずに坐禅し、思惟され続けたため、このような髪形になったと言われております。
パっと見た感じ、実にユーモラスなお姿なのですが、
この伸び放題の髪の毛に、それだけの長い長い時間、私たちのためにご苦労されたのだ、というメッセージが込められているんですね。
そして、この「五劫思惟阿弥陀如来」ですが、モデルとなった仏像が実はありまして、それは奈良の大仏で有名な東大寺の勧進所と、東大寺近くの五劫院というお寺におられるそうです。私はまだこちらの方はお目にかかったことがないので、機会あれば是非お参りしたいところなのですが、奈良のこの二体の阿弥陀様、勧進所の方は秘仏、五劫院は事前の申し込みが必要と、少々敷居が高くなっておりますので、もう少し気軽に「五劫思惟阿弥陀如来」に会いたいな、と思われる方には、金戒光明寺をお勧めしますよ。
今回ご紹介させていただく仏像は、京都市左京区黒谷にあります金戒光明寺の、「五劫思惟阿弥陀如来」です。
金戒光明寺は、浄土宗の開祖、法然上人が初めて草庵を結ばれたことを由来とした、由緒あるお寺で、御本尊は「阿弥陀如来坐像」です。さらに、遣唐使・吉備真備が彫ったとされる、「吉備観音」と呼ばれる重文指定された千手観音像や、運慶作と伝えられている、獅子に乗られた「文殊菩薩像」もご安置してあり、仏像好きにとっては、たまらないお寺であります。
しかし、そんな堂々たる仏さまがおられるこの金戒光明寺で、私がそれ以上にそそられたのが、そう、この「五劫思惟阿弥陀如来」なのです。
ただ、この「五劫思惟阿弥陀如来」、他の仏像とは違い、お堂の中にはご安置されておりません。ではどこにあるのか、と申しますと、境内の脇にあります、墓地、その階段脇に、墓石に混ざって、ひっそりとおられるんです。
石像なだけに、下手をすると、墓石にまぎれて、気付かないんじゃないかと思うほど。
しかし、そのお姿には、実にインパクトがあります。
写真が当にそのお姿なのですが、阿弥陀様のヘアースタイルがえらいことに!そう、アフロになっているんです!
なんで髪型がこんなドえらいことになっているのか、ということなのですが、
阿弥陀様がまだ仏となられる前、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)というお名前であったころ、仏となることを志され、どんな仏になりたいか、ということを考えられました。
そして、すべての衆生を救いたい!と思われ、そのためにはどうしたらよいを考え続けられて、その時間が五劫(※)という、とんでもない長い時間で、その間、一度も剃髪せずに坐禅し、思惟され続けたため、このような髪形になったと言われております。
パっと見た感じ、実にユーモラスなお姿なのですが、
この伸び放題の髪の毛に、それだけの長い長い時間、私たちのためにご苦労されたのだ、というメッセージが込められているんですね。
そして、この「五劫思惟阿弥陀如来」ですが、モデルとなった仏像が実はありまして、それは奈良の大仏で有名な東大寺の勧進所と、東大寺近くの五劫院というお寺におられるそうです。私はまだこちらの方はお目にかかったことがないので、機会あれば是非お参りしたいところなのですが、奈良のこの二体の阿弥陀様、勧進所の方は秘仏、五劫院は事前の申し込みが必要と、少々敷居が高くなっておりますので、もう少し気軽に「五劫思惟阿弥陀如来」に会いたいな、と思われる方には、金戒光明寺をお勧めしますよ。
(告)天台声明and節談説教
- 2008年06月23日(月) 文:
- シャカレポ
- -
築地本願寺での天台声明・節談説教のご案内です。
本願寺築地別院が火災により現在の地に寺基を移転してから350年。
それを記念して本願寺築地別院にて開催されます。
★日時
平成20年7月6日(日)
午前の部10:00
午後の部14:30
★講演
魚山声明「妙法念仏作法」
水原夢江師(導師)、京都大原魚山声明23師
節談説教「此去不遠」
廣陵兼純師
精進料理「聖人御在世の味」
長島 博氏
声明の源流・魚山声明、古き良き時代の雰囲気を醸し出すお説教・節談説教、親鸞聖人ご在世当時の食材を使うという食で時代を感じるお食事
という今までにはない、眼耳鼻舌身意と身体全体で親鸞聖人を感じ、お慕いする企画となっております。
詳細はこちらをご覧下さい
↓
http://kotobuki-p.co.jp/nenbutsunogenryu.htmlhttp://kotobuki-p.co.jp/nenbutsunogenryu.html
是非、興味のある方はご参加ください。
一 魚山声明
天台宗の慈覚大師円仁により伝えられた声明は魚山声明といいます。
今回おつとめされるのは「如法念仏作法」
水原夢江師(82、兵庫県・寶林寺前住職)を筆頭に、京都大原魚山声明を今に受けつぐ23人の僧侶によってお勤めされます。ちなみに、この声明は昭和8年まで浄土真宗本願寺派でも勤修されていたものです。
二 節談説教
浄土真宗独自の言葉で、高座の説教師が抑揚とリズムをつけて法話をする独特の形式をさします。この説教の形は、後に落語などの演芸につながったとも云われています。講師は節談説教第一人者の廣陵兼純師(71、石川県・真宗大谷派満覚寺住職)です。
三 親鸞聖人ご在世の頃の食事
今回はこの公演にあわせ、親鸞聖人御在世の頃の食事を再現した、貴重なお弁当も用意されます。
このお弁当は築地本願寺日本料理「紫水」料理長の長島博氏(62)が文献を元に再現するもので、五穀米や煮染めといった伝統的な食材を使った貴重な味となりそうです。
お食事についてはチケットが必要です。
連絡先 築地本願寺日本料理「紫水(しすい)」まで。電話03(3544)0551、
本願寺築地別院が火災により現在の地に寺基を移転してから350年。
それを記念して本願寺築地別院にて開催されます。
★日時
平成20年7月6日(日)
午前の部10:00
午後の部14:30
★講演
魚山声明「妙法念仏作法」
水原夢江師(導師)、京都大原魚山声明23師
節談説教「此去不遠」
廣陵兼純師
精進料理「聖人御在世の味」
長島 博氏
声明の源流・魚山声明、古き良き時代の雰囲気を醸し出すお説教・節談説教、親鸞聖人ご在世当時の食材を使うという食で時代を感じるお食事
という今までにはない、眼耳鼻舌身意と身体全体で親鸞聖人を感じ、お慕いする企画となっております。
詳細はこちらをご覧下さい
↓
http://kotobuki-p.co.jp/nenbutsunogenryu.htmlhttp://kotobuki-p.co.jp/nenbutsunogenryu.html
是非、興味のある方はご参加ください。
一 魚山声明
天台宗の慈覚大師円仁により伝えられた声明は魚山声明といいます。
今回おつとめされるのは「如法念仏作法」
水原夢江師(82、兵庫県・寶林寺前住職)を筆頭に、京都大原魚山声明を今に受けつぐ23人の僧侶によってお勤めされます。ちなみに、この声明は昭和8年まで浄土真宗本願寺派でも勤修されていたものです。
二 節談説教
浄土真宗独自の言葉で、高座の説教師が抑揚とリズムをつけて法話をする独特の形式をさします。この説教の形は、後に落語などの演芸につながったとも云われています。講師は節談説教第一人者の廣陵兼純師(71、石川県・真宗大谷派満覚寺住職)です。
三 親鸞聖人ご在世の頃の食事
今回はこの公演にあわせ、親鸞聖人御在世の頃の食事を再現した、貴重なお弁当も用意されます。
このお弁当は築地本願寺日本料理「紫水」料理長の長島博氏(62)が文献を元に再現するもので、五穀米や煮染めといった伝統的な食材を使った貴重な味となりそうです。
お食事についてはチケットが必要です。
連絡先 築地本願寺日本料理「紫水(しすい)」まで。電話03(3544)0551、
昨日のあなたへ(Re:明日の自分へ)
- 2008年06月22日(日) 文:
- 仏声人語
- -
後頭部協力:n氏
明日の自分へ
- 2008年06月20日(金) 文:
- 仏声人語
- -
「祝婚歌」 吉野 弘
ふたりが睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気づいてるほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだとうそぶいているほうがいい
ふたりのうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったり
ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
ふたりにはわかるのであってほしい
『贈る歌』(吉野 弘著,花神社)より「祝婚歌」全文を転載
(吉野弘氏のこの作品のみ著作権の発生なし)
……自分で祝って自分で戒めてたら世話ねぇな。
ふたりが睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気づいてるほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだとうそぶいているほうがいい
ふたりのうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったり
ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
ふたりにはわかるのであってほしい
『贈る歌』(吉野 弘著,花神社)より「祝婚歌」全文を転載
(吉野弘氏のこの作品のみ著作権の発生なし)
……自分で祝って自分で戒めてたら世話ねぇな。
なぜお寺へ行くのか?
先日、京都へ行きました折、ある有名なお寺へと、足を運びました。
私の場合、仏像が好きなので、仏像を見に、お寺へ参拝しよう、といつも思うのですが、ちょうどその日は日曜日、観光で有名なお寺、ということもあって、老若男女、たくさんの方がお参りに来られておりました。
賑わっているなあ、うらやましい、と思ったり、もうちょっと静かに参拝したかったな、なんて勝手なことを思っていたのですが、本堂前でお香をあげたり、そのお寺には、牛の石像があって、その牛が口にくわえている石の球を回すと、勝負運が上がる、なんてことがあるらしく、そこにたくさんの人が並んでおられました。
また、本堂の脇には、お坊さんの木造があり、その木造、もし体に悪いところがあるとき、その自分の悪い部分と、木造の同じ場所を撫でると良くなる、というようなこと言われているようで、そこにも何人かの方が並ばれており、その木造もよく撫でられたのか、頭やひざ、腰の部分が、つるつるになるほどでした。
そういう光景を見ていて、ふと、思ったのですが、みんな、何をしにお寺まいりをしているんでしょうか?
本来、仏教というのは、自分の欲望の素となる、自己中心的な思い、「煩悩(ボンノウ)」というものを無くしていきましょう、自分の心を乱す様な行いはやめて、心を正す行いをしましょう、というのが、一番の基本となる教え。ですからお寺も、本来は、その煩悩を抑え、心を正してをしていく場であるはずです。
ところがどっこい、お寺で見た光景は、まるでそれとは正反対。
いろんな願を掛けたり、勝負運が上がりますようにとか、もう煩悩丸出しというか、普段よりも激しく燃やしているんじゃないかと、思うほど。
もちろん、人それぞれ、深刻な悩みを抱えているでしょうから、切実な願い事を、仏さまに対して行うことは、駄目なこと、悪いことだ、と全否定するつもりはありません。ただ、お寺というところは、自分勝手な欲望を叶えるためにお願いをし、煩悩を盛んに燃やし、心を乱していく場所ではありません。
それとは反対で、自らの普段の生き方を振り返り、煩悩にまみれた、自分勝手な生き方・考え方を改め、正していこうとする場であるはずです。
ですから、ただ自分勝手なお願いをするだけではなくて、心静かに、自分自身と向き合い、自らあり方を問い、心を正していくことを、せめてお寺に参拝するときくらいは、して欲しいな、と思うわけです。
ただでさえ、普段は「ジブン」を撒き散らして、人のことは顧みずに、自分の陣地を広げ、囲うことばかりに心を砕き、自ら心を乱す生活をしているのですから、ね。
ま、私も人のこと言えた義理ではないですし、そういう人の欲望・煩悩をわざわざ掻き立てるようなことを、お寺の側がしているというのも問題なのかな、とも思うのですけど。
私の場合、仏像が好きなので、仏像を見に、お寺へ参拝しよう、といつも思うのですが、ちょうどその日は日曜日、観光で有名なお寺、ということもあって、老若男女、たくさんの方がお参りに来られておりました。
賑わっているなあ、うらやましい、と思ったり、もうちょっと静かに参拝したかったな、なんて勝手なことを思っていたのですが、本堂前でお香をあげたり、そのお寺には、牛の石像があって、その牛が口にくわえている石の球を回すと、勝負運が上がる、なんてことがあるらしく、そこにたくさんの人が並んでおられました。
また、本堂の脇には、お坊さんの木造があり、その木造、もし体に悪いところがあるとき、その自分の悪い部分と、木造の同じ場所を撫でると良くなる、というようなこと言われているようで、そこにも何人かの方が並ばれており、その木造もよく撫でられたのか、頭やひざ、腰の部分が、つるつるになるほどでした。
そういう光景を見ていて、ふと、思ったのですが、みんな、何をしにお寺まいりをしているんでしょうか?
本来、仏教というのは、自分の欲望の素となる、自己中心的な思い、「煩悩(ボンノウ)」というものを無くしていきましょう、自分の心を乱す様な行いはやめて、心を正す行いをしましょう、というのが、一番の基本となる教え。ですからお寺も、本来は、その煩悩を抑え、心を正してをしていく場であるはずです。
ところがどっこい、お寺で見た光景は、まるでそれとは正反対。
いろんな願を掛けたり、勝負運が上がりますようにとか、もう煩悩丸出しというか、普段よりも激しく燃やしているんじゃないかと、思うほど。
もちろん、人それぞれ、深刻な悩みを抱えているでしょうから、切実な願い事を、仏さまに対して行うことは、駄目なこと、悪いことだ、と全否定するつもりはありません。ただ、お寺というところは、自分勝手な欲望を叶えるためにお願いをし、煩悩を盛んに燃やし、心を乱していく場所ではありません。
それとは反対で、自らの普段の生き方を振り返り、煩悩にまみれた、自分勝手な生き方・考え方を改め、正していこうとする場であるはずです。
ですから、ただ自分勝手なお願いをするだけではなくて、心静かに、自分自身と向き合い、自らあり方を問い、心を正していくことを、せめてお寺に参拝するときくらいは、して欲しいな、と思うわけです。
ただでさえ、普段は「ジブン」を撒き散らして、人のことは顧みずに、自分の陣地を広げ、囲うことばかりに心を砕き、自ら心を乱す生活をしているのですから、ね。
ま、私も人のこと言えた義理ではないですし、そういう人の欲望・煩悩をわざわざ掻き立てるようなことを、お寺の側がしているというのも問題なのかな、とも思うのですけど。
思い通りにはならんのだよ、人生は
生老病死、思い通りにいかないのが人生である。
人生は苦だ、とお釈迦様が説かれたわけだが。
たった6ヶ月の赤ちゃんも、日々思い通りにならない人生を生きているんだな、と思う。
要求がうまく伝わらない。
自分の身体がうまく動かせない。
おなかはすくし、お尻は気持ち悪いし、抱っこされたいし。
でも“苦”と同時に、喜びも与えられるからこそ、様々な感情やコミュニケーション能力がつくんだろうとも思う。
人はどうやって、そういう“欲”と“知恵”との折り合いをつけていくんだろう。
それを導くのは親の役目だなぁ。
しかし、親も人なので、子ども以上に思い通りにならない日々なのである。
ダンナにいらいらしても、子どもの世話にため息をついても、無理にでも笑顔やら優しい言葉を作り出したりするわけで。
母親は、気楽に一緒に昼寝をしているわけではないのであるよ。
しかしどっちにしても、何事も思い通りになるわけじゃないってことは事実だな。
それをうまく整理したり克服したり、回避したり解決したり。
そういう知恵を養えたらいいなぁ。
親子ともども。
人生は苦だ、とお釈迦様が説かれたわけだが。
たった6ヶ月の赤ちゃんも、日々思い通りにならない人生を生きているんだな、と思う。
要求がうまく伝わらない。
自分の身体がうまく動かせない。
おなかはすくし、お尻は気持ち悪いし、抱っこされたいし。
でも“苦”と同時に、喜びも与えられるからこそ、様々な感情やコミュニケーション能力がつくんだろうとも思う。
人はどうやって、そういう“欲”と“知恵”との折り合いをつけていくんだろう。
それを導くのは親の役目だなぁ。
しかし、親も人なので、子ども以上に思い通りにならない日々なのである。
ダンナにいらいらしても、子どもの世話にため息をついても、無理にでも笑顔やら優しい言葉を作り出したりするわけで。
母親は、気楽に一緒に昼寝をしているわけではないのであるよ。
しかしどっちにしても、何事も思い通りになるわけじゃないってことは事実だな。
それをうまく整理したり克服したり、回避したり解決したり。
そういう知恵を養えたらいいなぁ。
親子ともども。
ゴンシキ日記4時間目
- 2008年06月09日(月) 文:
- ゴンシキ日記
- -
今回はお見苦しい内容含みます。食事時の方はご遠慮いただいた方がよいかも、です。
5/12
月曜日。週明けで行きたくないなぁ・・・とは思わないけど、若干憂鬱なかんじ。
というのも今日はお晨朝の日。月曜の朝から4時起きだよ。ふぅ。
しかーも、体調がよくない!
昨日、ちょっと早めの夕飯で5時頃食事を取った。それからお晨朝のことも考えて10時頃寝たものの、どーしても胃もたれが治らず寝付けない。
てか、胃もたれというよりも気持ち悪い!
11時。我慢できなくなってトイレに駆け込む。
そして・・・何時間も前の食事をぜーんぶ吐いてしまう。
ということがあったからだ。
ほとんど口にできずお晨朝。終了後に何か食べないと、と思いコンビニでスープを購入。
お昼もチョコレートをちょっと食べただけ。
講義中には胃がキリキリ痛むし、どうしたらええの??誰か教えてくれ〜(-"-)
5/14
胃の調子はだいぶよくなった。やっと食べれる!
ということで、お昼は定食をたべることに。
やっぱり日本人やね。味噌汁に白いご飯、サバの味噌煮はサイコー!
本当の最悪はこれからだった。
食後、急にお腹がキューっと痛くなる(別にシャレのつもりではない)。ここ数年味わったことない痛さ。普段は便秘気味な自分としては我慢ならない痛さ。
ゴンシキでは決まった時間に休憩はない。休憩まだ?休憩まだ?と自問自答する。てか、休憩になかなか入らない先生に殺意すら・・・。
家に帰ってからも何回トイレに行ったか分らんよ。
5/15
相変わらずお腹の調子が悪い。食べてもすぐ体を通過してしまうかんじなので、スポーツドリンクを少しずつ飲むのがやっと。
熱もないし、動けることは動ける。
ということで、登校。
だんだん、だんだん、脱水症状で意識が朦朧としてくるのが自分でも分かってくる。もう講義は過ぎるのを待つだけの時間。
講義終了後、ソッコー帰宅→近くの病院に行くことにした。
診療まで30分くらいあったからアパートでちょっと寝たけど、全然回復しない・・・。
病院行って10分ほどで呼ばれる。早めに行って正解!
日曜に吐いたこと、昨日から下痢が止まらないこと、それでほとんど食べていないこと、普段は便秘なこと、病状を伝える。
病状は急性腸炎。何かの原因で腸が異常な活動をしているとのこと。
「ほとんど食事取れていないし、点滴しておきましょう」
なんと3年ぶりの点滴。点滴受けてると、フラフラしていた意識がはっきりしてくるのが分かる。頭がしゃきっとなるかんじと言ったらいいのかな。
薬は腸の動きを抑えるものと、整腸剤。
薬も飲んだし、やっと食べても大丈夫やろ。まぁ手始めにうどんかな。このくらいから始めないとまた調子悪くなってもイヤだしな。
今週に入ってまともに食事していなかっただけに、うどんだけでそれはそれは満腹。相当胃袋ちっちゃくなってるんやなぁ。
今日は焼肉小倉優子に行く予定やったのに、さっすがに無理。せっかく誘ってくれた後輩君、ごめんなぁ。来週にはちゃんと行けるから・・・。
5/12
月曜日。週明けで行きたくないなぁ・・・とは思わないけど、若干憂鬱なかんじ。
というのも今日はお晨朝の日。月曜の朝から4時起きだよ。ふぅ。
しかーも、体調がよくない!
昨日、ちょっと早めの夕飯で5時頃食事を取った。それからお晨朝のことも考えて10時頃寝たものの、どーしても胃もたれが治らず寝付けない。
てか、胃もたれというよりも気持ち悪い!
11時。我慢できなくなってトイレに駆け込む。
そして・・・何時間も前の食事をぜーんぶ吐いてしまう。
ということがあったからだ。
ほとんど口にできずお晨朝。終了後に何か食べないと、と思いコンビニでスープを購入。
お昼もチョコレートをちょっと食べただけ。
講義中には胃がキリキリ痛むし、どうしたらええの??誰か教えてくれ〜(-"-)
5/14
胃の調子はだいぶよくなった。やっと食べれる!
ということで、お昼は定食をたべることに。
やっぱり日本人やね。味噌汁に白いご飯、サバの味噌煮はサイコー!
本当の最悪はこれからだった。
食後、急にお腹がキューっと痛くなる(別にシャレのつもりではない)。ここ数年味わったことない痛さ。普段は便秘気味な自分としては我慢ならない痛さ。
ゴンシキでは決まった時間に休憩はない。休憩まだ?休憩まだ?と自問自答する。てか、休憩になかなか入らない先生に殺意すら・・・。
家に帰ってからも何回トイレに行ったか分らんよ。
5/15
相変わらずお腹の調子が悪い。食べてもすぐ体を通過してしまうかんじなので、スポーツドリンクを少しずつ飲むのがやっと。
熱もないし、動けることは動ける。
ということで、登校。
だんだん、だんだん、脱水症状で意識が朦朧としてくるのが自分でも分かってくる。もう講義は過ぎるのを待つだけの時間。
講義終了後、ソッコー帰宅→近くの病院に行くことにした。
診療まで30分くらいあったからアパートでちょっと寝たけど、全然回復しない・・・。
病院行って10分ほどで呼ばれる。早めに行って正解!
日曜に吐いたこと、昨日から下痢が止まらないこと、それでほとんど食べていないこと、普段は便秘なこと、病状を伝える。
病状は急性腸炎。何かの原因で腸が異常な活動をしているとのこと。
「ほとんど食事取れていないし、点滴しておきましょう」
なんと3年ぶりの点滴。点滴受けてると、フラフラしていた意識がはっきりしてくるのが分かる。頭がしゃきっとなるかんじと言ったらいいのかな。
薬は腸の動きを抑えるものと、整腸剤。
薬も飲んだし、やっと食べても大丈夫やろ。まぁ手始めにうどんかな。このくらいから始めないとまた調子悪くなってもイヤだしな。
今週に入ってまともに食事していなかっただけに、うどんだけでそれはそれは満腹。相当胃袋ちっちゃくなってるんやなぁ。
今日は焼肉小倉優子に行く予定やったのに、さっすがに無理。せっかく誘ってくれた後輩君、ごめんなぁ。来週にはちゃんと行けるから・・・。
和風庭園。
- 2008年06月04日(水) 文:
- メリシャカな一枚
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GWに後輩と行った哲学の道。その途中にある「よーじや」敷地内の庭でメリシャカってみました。
ここはカフェも併設しているところで、グッズだけでなく、落ち着いた雰囲気でお茶もできます!
ここではコーヒーとよりも抹茶って感じですな。(勝手なイメージ)
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