独身のギモン への返信?
うちは結婚4年目になります。
子どもが先日1歳を迎えました。そんな私のお答え・・・・
●結婚と恋愛、違うものだといいますが、実際違いますか?違うとすれば、どこが違いますか?
全然違います。いや、違いました。
いやいや、違ってきます、ですね。
としさんもおっしゃっているように、恋愛感情がなければ結婚するのは難しいと思います。
でも、ただ一緒にいたいとか予想外に子どもを授かったからとか、そういう理由だけではそれも少し難しいんじゃないかと思うのです。
それはなぜかというと、結婚って生活だからです。
食べ物の好みが違っても恋愛はできますが、結婚するとちょっとめんどくさいことになります。
信じる宗教が違っても恋愛はできますが、結婚するとなるとちょっとためらったりします。
金銭感覚が違っても恋愛はできますが、結婚すると苦労します。
要は、価値観の問題ですね。
お寺の後継を考えると結婚に踏み切れない、ということと同じかもしれませんね。
好きじゃなきゃ結婚できないけど、好きってだけじゃ結婚できない…
「何があってもこの人と暮らしていこう」という覚悟の問題かと思います。
うちの母はこう言ってました。
でも、“その時”は「そんな細かいことはどうでもいい!!この人と一緒にいたい!!」って思えるのよね〜
それが若さであり恋愛のパワーよね〜と。
恋愛はふたりでするものですが、結婚は多くの場合、その他多数のひとたちが関わってするもの。
子どもを授かろうと思えば、さらに複雑になっていくもの。
だけど、深く進化していくようです。
先日、新聞に結婚と聞いて何を連想しますか?というアンケートが載っていました。
50代の女性の答えが一番気に入ったのでご紹介。
「鍋物」
最初は素材の味だけであっさりだけど、いろいろな物を加えることで濃くなっていく。
人としての経験が加わり、少しずつ人間として濃くなっていく。
子どもが独立すれば、“好みのもの”を入れて楽しめます。
さしずめ、恋愛は、甘いチョコレートのようなものでしょうか。
エネルギー源になったりほっと癒されたりするけど、食べ過ぎるとよくないもんね。
●どんな時にこの人と結婚してよかったと思いますか?
大事なところがわかりあえた時。ですね。
ニュースを見ていてとか、仕事でこんなことが問題になってね、とか話をすると、
同じ感想を持ったり、背中を押してくれたりします。
そういう時には、この人が伴侶でよかったと思います。
最近、子どもが朝起きた時に「うわーいい天気やね〜おひさまキラキラやで〜おひさまキラキラありがとーって言いや〜!
ぼくも元気です〜おひさまおはよーって」
と言ってるのを聞いた時、なんかすごーく感動しました。
この人が子どもの父親でよかった、と思ってさ。照。
●よく結婚は「忍耐」というけど、結婚してここは辛い、苦労する、ということはありますか?
ケンカしたときは辛いですよ〜逃げようがありませんから。笑。
うちはお互い負けず嫌いなので、正面衝突するとキツイです。
でも、他人と生活するってことで自分自身が気づいたり反省したり感謝したり・・・
自分だけの人生では経験できないことをさせてもらえるんだと思います。
そういう意味では忍耐かもしれないけど、それができるようになるのって、たぶんいいことなんじゃないかな。と。
●結婚して一緒に生活するということの魅力はなんですか?
重複しますが、たったひとりでは経験できないことを、味わうことができるってことでしょうね。
楽しいことばっかりじゃないけど、だからこそ楽しいんだと思うし。
守るべきものがあるってことや、守られているって思うことは、私の生き方の支えになる。
最終的に、一番大事なものが揺るがないってことだけで、強くなれる気がします。
家族が増えていくと、さらに家族のありようが変化していくので、毎日が繰り返しのようで全く違う新しいものであるというのも、魅力かもしれません。
しかし…この記事を書いている真っ最中に何度目かのけっこうな大きなケンカをしました…。
結局、私の気持ちの持ちようや表わし方が、家族の雰囲気に大きく影響するのです。
自分が自分が、、と思っていると、相手を責めたくなる。。
相手のことをまず慮ってみようと心がけると、言い方が変わってくる。
心がけ、というのは他人に強要されるものではないので、やっぱり結局は、「私」のあり方が問題なのだな。
こうやって、自分のことを顧みるチャンスを与えてもらえる環境に感謝します…
ダンナさまも、1歳になったわが子も、メリシャカのご縁も、本当にありがとう!!
そんな感謝の気持ちをお答えに付け加えたいと思います。
子どもが先日1歳を迎えました。そんな私のお答え・・・・
●結婚と恋愛、違うものだといいますが、実際違いますか?違うとすれば、どこが違いますか?
全然違います。いや、違いました。
いやいや、違ってきます、ですね。
としさんもおっしゃっているように、恋愛感情がなければ結婚するのは難しいと思います。
でも、ただ一緒にいたいとか予想外に子どもを授かったからとか、そういう理由だけではそれも少し難しいんじゃないかと思うのです。
それはなぜかというと、結婚って生活だからです。
食べ物の好みが違っても恋愛はできますが、結婚するとちょっとめんどくさいことになります。
信じる宗教が違っても恋愛はできますが、結婚するとなるとちょっとためらったりします。
金銭感覚が違っても恋愛はできますが、結婚すると苦労します。
要は、価値観の問題ですね。
お寺の後継を考えると結婚に踏み切れない、ということと同じかもしれませんね。
好きじゃなきゃ結婚できないけど、好きってだけじゃ結婚できない…
「何があってもこの人と暮らしていこう」という覚悟の問題かと思います。
うちの母はこう言ってました。
でも、“その時”は「そんな細かいことはどうでもいい!!この人と一緒にいたい!!」って思えるのよね〜
それが若さであり恋愛のパワーよね〜と。
恋愛はふたりでするものですが、結婚は多くの場合、その他多数のひとたちが関わってするもの。
子どもを授かろうと思えば、さらに複雑になっていくもの。
だけど、深く進化していくようです。
先日、新聞に結婚と聞いて何を連想しますか?というアンケートが載っていました。
50代の女性の答えが一番気に入ったのでご紹介。
「鍋物」
最初は素材の味だけであっさりだけど、いろいろな物を加えることで濃くなっていく。
人としての経験が加わり、少しずつ人間として濃くなっていく。
子どもが独立すれば、“好みのもの”を入れて楽しめます。
さしずめ、恋愛は、甘いチョコレートのようなものでしょうか。
エネルギー源になったりほっと癒されたりするけど、食べ過ぎるとよくないもんね。
●どんな時にこの人と結婚してよかったと思いますか?
大事なところがわかりあえた時。ですね。
ニュースを見ていてとか、仕事でこんなことが問題になってね、とか話をすると、
同じ感想を持ったり、背中を押してくれたりします。
そういう時には、この人が伴侶でよかったと思います。
最近、子どもが朝起きた時に「うわーいい天気やね〜おひさまキラキラやで〜おひさまキラキラありがとーって言いや〜!
ぼくも元気です〜おひさまおはよーって」
と言ってるのを聞いた時、なんかすごーく感動しました。
この人が子どもの父親でよかった、と思ってさ。照。
●よく結婚は「忍耐」というけど、結婚してここは辛い、苦労する、ということはありますか?
ケンカしたときは辛いですよ〜逃げようがありませんから。笑。
うちはお互い負けず嫌いなので、正面衝突するとキツイです。
でも、他人と生活するってことで自分自身が気づいたり反省したり感謝したり・・・
自分だけの人生では経験できないことをさせてもらえるんだと思います。
そういう意味では忍耐かもしれないけど、それができるようになるのって、たぶんいいことなんじゃないかな。と。
●結婚して一緒に生活するということの魅力はなんですか?
重複しますが、たったひとりでは経験できないことを、味わうことができるってことでしょうね。
楽しいことばっかりじゃないけど、だからこそ楽しいんだと思うし。
守るべきものがあるってことや、守られているって思うことは、私の生き方の支えになる。
最終的に、一番大事なものが揺るがないってことだけで、強くなれる気がします。
家族が増えていくと、さらに家族のありようが変化していくので、毎日が繰り返しのようで全く違う新しいものであるというのも、魅力かもしれません。
しかし…この記事を書いている真っ最中に何度目かのけっこうな大きなケンカをしました…。
結局、私の気持ちの持ちようや表わし方が、家族の雰囲気に大きく影響するのです。
自分が自分が、、と思っていると、相手を責めたくなる。。
相手のことをまず慮ってみようと心がけると、言い方が変わってくる。
心がけ、というのは他人に強要されるものではないので、やっぱり結局は、「私」のあり方が問題なのだな。
こうやって、自分のことを顧みるチャンスを与えてもらえる環境に感謝します…
ダンナさまも、1歳になったわが子も、メリシャカのご縁も、本当にありがとう!!
そんな感謝の気持ちをお答えに付け加えたいと思います。
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雨だって降るし、夜だって来る。
「仏になるための仏教講座特別編」のお知らせ
来る11月29日(土)17:00より、港区虎ノ門・光明寺におきまして、「仏になるための仏教講座特別編 チベット・ニューヨーク・ヒロシマ平和を紡ぐキャンドルナイト@光明寺」が開催されます。
当日は参加者全員で平和を願う法要を行った後、
9.11アメリカ同時多発テロをニューヨークのマンハッタンで実際に体験されたニューヨーク本願寺住職・中垣顕實(なかがきけんじつ)さんを講師に迎え、
ニューヨークで実践している平和活動や平和についての講演が行われます。
また、特別ゲストには中垣さんのご友人であるミュージシャン・原田真二さんによる平和を願うミニライブとともに、
本堂前のテラスではキャンドルアーティストとして世界で活躍するCandle JUNEさんによるキャンドルアートが展示されます。
イベントの最後には、上記3名のゲストと平和を語るトークの時間も用意されているとか。
東京近郊におられる方は、素敵なイベント&講演ですので、ふるってご参加ください。
詳しいインフォメーションは以下の通り。
******************************************************************************
「仏になるための仏教講座 特別編
チベット・ニューヨーク・ヒロシマ 平和を紡ぐキャンドルナイト@光明寺」http://www.higan.net/blog/feature/kouza/special/
●講師:中垣顕實さん(ニューヨーク本願寺住職)
●特別ゲスト:原田真二さん(アーティスト)
●キャンドルアート:Candle JUNEさん(キャンドルアーティスト)
■日時:2008年11月29日(土)17:00〜20:00(16:30より受付開始)
■参加費:無料(ニューヨーク本願寺へのカンパ受付)
■会場:浄土真宗本願寺派 梅上山光明寺
(東京都港区虎ノ門3-25-1 日比谷線神谷町駅徒歩1分)
■お問い合わせ:彼岸寺仏教講座係([email protected])
主催:IBA(超宗派仏教青年会)
協力:梅上山光明寺
講師・ゲストについての情報はコチラ。
当日は参加者全員で平和を願う法要を行った後、
9.11アメリカ同時多発テロをニューヨークのマンハッタンで実際に体験されたニューヨーク本願寺住職・中垣顕實(なかがきけんじつ)さんを講師に迎え、
ニューヨークで実践している平和活動や平和についての講演が行われます。
また、特別ゲストには中垣さんのご友人であるミュージシャン・原田真二さんによる平和を願うミニライブとともに、
本堂前のテラスではキャンドルアーティストとして世界で活躍するCandle JUNEさんによるキャンドルアートが展示されます。
イベントの最後には、上記3名のゲストと平和を語るトークの時間も用意されているとか。
東京近郊におられる方は、素敵なイベント&講演ですので、ふるってご参加ください。
詳しいインフォメーションは以下の通り。
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「仏になるための仏教講座 特別編
チベット・ニューヨーク・ヒロシマ 平和を紡ぐキャンドルナイト@光明寺」http://www.higan.net/blog/feature/kouza/special/
●講師:中垣顕實さん(ニューヨーク本願寺住職)
●特別ゲスト:原田真二さん(アーティスト)
●キャンドルアート:Candle JUNEさん(キャンドルアーティスト)
■日時:2008年11月29日(土)17:00〜20:00(16:30より受付開始)
■参加費:無料(ニューヨーク本願寺へのカンパ受付)
■会場:浄土真宗本願寺派 梅上山光明寺
(東京都港区虎ノ門3-25-1 日比谷線神谷町駅徒歩1分)
■お問い合わせ:彼岸寺仏教講座係([email protected])
主催:IBA(超宗派仏教青年会)
協力:梅上山光明寺
講師・ゲストについての情報はコチラ。
「songs of seven colors」 V.A.

ども、ケンユウです。久しぶりにCDを紹介させていただきましょう。
今回紹介させていただくのは、エレクトロニカ、と呼ばれるジャンルのアーティストが一堂に会すオムニバスアルバム,「songs of seven colors」です。
エレクトロニカとは、電子音楽のことで、ダンス・クラブ系やロックを感じるものもあれば、静かで心地よいアンビエントなど様々にあるのですが、このアルバムは、そんな多種多様なエレクトロニカの世界を1枚に凝縮した作品集。
「七色の歌」というアルバムタイトルの通り、完全に機械だけを使って音を作ったり、ピアノやギターと言ったアコースティック楽器と機械音を組み合わせたり、自然の音や、街の雑踏なども取り込んだりと、14組のアーティストが、実に様々な手法を用いて、いろんな音色を奏でてくれています。そのキラキラした楽曲は、まさに虹のよう。
エレクトロニカ、アンビエント、なんて言われると、難しいとか、聞きにくいというイメージが持たれるかもしれませんが、どの楽曲もメロディーが美しく、ポップであったり、ジャズのようであったり、どこか懐かしさを感じるような音であったりと、すうっと、柔らかな風のように耳になじむ音楽ばかりです。
個人的には、美しく柔らかなピアノと弦楽器の音色に、浮遊感のあるエレクトロニカサウンドが絡むno.9の「After It」や、まるで宇宙に漂っているかのような気分を味わえるi am robot and proudの「One, Two, Three, Four, Five, Six, Seven」、夕暮れの海辺を想起させるharuka nakamuraの「Graf」がお気に入り。
読書の時や、日曜の昼下がり、夕暮れ時、眠る前の静かなひととき、そんなシチュエーションに合わせていただければ、きっと極上のリラックスタイムを味わえることでしょう。
エレクトロニカ好きにはもちろん、エレクトロニカと言う音楽に触れたことが無い方にも、是非聞いていただきたい1枚です。
zzz
安心 安心。
独身のギモン への返信?
結婚歴1年と数か月。
まだヨチヨチ歩きですが、独身への疑問に返信させてもらいます。
先に、環境によって考え方は大きく違ってくると思うので、ぼくの現在の状況を記しておくと、
妻、母、弟の4人でお寺暮らし。最近、子を授かったので、現在妻子は里帰り中。もうすぐ5人暮らしになります。
○結婚と恋愛、違うものだといいますが、実際違いますか?違うとすれば、どこが違いますか?
「恋愛」はふたりだけの世界で、「結婚」は家族や親族をはじめ、様々な人間関係の中に入っていく感じがします。そういう意味では、恋愛と結婚は別物だと思いますが、一方で、恋愛感情がなければ結婚を考えられないというのが、現代においては一般的ですよね。ぼくもそうでした。
その面から見ると、恋愛と結婚は同じだとも思います。正確に言うと、恋愛の先に結婚がある、ですね。ただ、恋愛感情は一定したものではないので、好きな時もあれば嫌いな時もある。結婚は、それを超えたところにあると考えています。
一昔前の話をおじいちゃんやおばあちゃんに聞いてみると、当時の結婚は家と家の結婚という考え方が強く、当事者のふたりは親の意向に従って結ばれる場合が多かったようです。
結婚当日に初めて顔を合わすという話も多々あって、ある方は、結婚式の当日に嫁ぎ先の村へ初めて行き、住所は知らされているけどハッキリとは家の場所がわからないので、道行く人に「○○さんの家はどこですか?」と聞いたそうです。教えてもらったとおりに道を行き、ようやくその家へ到着すると、旦那になる人はすれ違いであなたを迎えに行ったといいます。しばらく待っていると、玄関からガラッと戸の開く音がしました。そこに立っていたのは、さっき道を教えてくれた人でした。
そうです。その人が結婚相手だったのです。
当時の結婚は、恋愛感情云々ではないだけに、別れるという選択肢はなくて、実家に帰れば追い返されるという時代。現代の感覚からはなかなか想像しがたいことですが、ある意味、そういう結婚も道筋がハッキリしていていいようにも思います。恋愛感情だけの結婚では、どこかで息切れするんじゃないかな、と思っています。
●どんな時にこの人と結婚してよかったと思いますか?
一緒に笑える時や一緒に悲しむ時。ひとりじゃないことがうれしいです。
○よく結婚は「忍耐」というけど、結婚してここは辛い、苦労する、ということはありますか?
常に一緒にいると、当然ぶつかることもあるので、互いにムスッとした時はしんどいです。
妻の苦労は我が苦労、家族の苦労も我が苦労。逆もしかり。みんな連動しているので、不協和音を起こした時が忍耐期でしょうか。
●結婚して一緒に生活するということの魅力はなんですか?
ぼくの場合は独身生活が長かったほうなので、ひとりで気ままは続けられないと強く感じました。
重複になるけど、うれしいことがあれば、ひとりよりふたりのほうが何倍にもなるし、悲しい時は悲しさが少しは和らぐことでしょうか。それと、家庭を築いていく中で、自分にとってのベースが出来ることも魅力です。また、「自分のために」というのはなかなか持続するのは難しいけど、「妻のために、子のために」という大名目が与えられることは、大きな遣り甲斐に繋がります。大切な誰かのために、というのは、深くみると、自分のためですから。
なんて偉そうなことを書きましたが、子育て期間にも入っていない甘ちゃんの言うことなので、適当に聞き流してくださいね。もし来年同じ質問に応えたら、全く違うことを言っているのかもしれません(笑)。
お次は、メリシャカでは結婚歴の一番長いるるさんよろしく〜。
まだヨチヨチ歩きですが、独身への疑問に返信させてもらいます。
先に、環境によって考え方は大きく違ってくると思うので、ぼくの現在の状況を記しておくと、
妻、母、弟の4人でお寺暮らし。最近、子を授かったので、現在妻子は里帰り中。もうすぐ5人暮らしになります。
○結婚と恋愛、違うものだといいますが、実際違いますか?違うとすれば、どこが違いますか?
「恋愛」はふたりだけの世界で、「結婚」は家族や親族をはじめ、様々な人間関係の中に入っていく感じがします。そういう意味では、恋愛と結婚は別物だと思いますが、一方で、恋愛感情がなければ結婚を考えられないというのが、現代においては一般的ですよね。ぼくもそうでした。
その面から見ると、恋愛と結婚は同じだとも思います。正確に言うと、恋愛の先に結婚がある、ですね。ただ、恋愛感情は一定したものではないので、好きな時もあれば嫌いな時もある。結婚は、それを超えたところにあると考えています。
一昔前の話をおじいちゃんやおばあちゃんに聞いてみると、当時の結婚は家と家の結婚という考え方が強く、当事者のふたりは親の意向に従って結ばれる場合が多かったようです。
結婚当日に初めて顔を合わすという話も多々あって、ある方は、結婚式の当日に嫁ぎ先の村へ初めて行き、住所は知らされているけどハッキリとは家の場所がわからないので、道行く人に「○○さんの家はどこですか?」と聞いたそうです。教えてもらったとおりに道を行き、ようやくその家へ到着すると、旦那になる人はすれ違いであなたを迎えに行ったといいます。しばらく待っていると、玄関からガラッと戸の開く音がしました。そこに立っていたのは、さっき道を教えてくれた人でした。
そうです。その人が結婚相手だったのです。
当時の結婚は、恋愛感情云々ではないだけに、別れるという選択肢はなくて、実家に帰れば追い返されるという時代。現代の感覚からはなかなか想像しがたいことですが、ある意味、そういう結婚も道筋がハッキリしていていいようにも思います。恋愛感情だけの結婚では、どこかで息切れするんじゃないかな、と思っています。
●どんな時にこの人と結婚してよかったと思いますか?
一緒に笑える時や一緒に悲しむ時。ひとりじゃないことがうれしいです。
○よく結婚は「忍耐」というけど、結婚してここは辛い、苦労する、ということはありますか?
常に一緒にいると、当然ぶつかることもあるので、互いにムスッとした時はしんどいです。
妻の苦労は我が苦労、家族の苦労も我が苦労。逆もしかり。みんな連動しているので、不協和音を起こした時が忍耐期でしょうか。
●結婚して一緒に生活するということの魅力はなんですか?
ぼくの場合は独身生活が長かったほうなので、ひとりで気ままは続けられないと強く感じました。
重複になるけど、うれしいことがあれば、ひとりよりふたりのほうが何倍にもなるし、悲しい時は悲しさが少しは和らぐことでしょうか。それと、家庭を築いていく中で、自分にとってのベースが出来ることも魅力です。また、「自分のために」というのはなかなか持続するのは難しいけど、「妻のために、子のために」という大名目が与えられることは、大きな遣り甲斐に繋がります。大切な誰かのために、というのは、深くみると、自分のためですから。
なんて偉そうなことを書きましたが、子育て期間にも入っていない甘ちゃんの言うことなので、適当に聞き流してくださいね。もし来年同じ質問に応えたら、全く違うことを言っているのかもしれません(笑)。
お次は、メリシャカでは結婚歴の一番長いるるさんよろしく〜。
農日記?秋野菜編
- 2008年11月20日(木) 文:
- 仏声人語
- -
今年4月から始めた農園。
夏野菜では、たくさんの収穫がありました。
トマト・ナス・キュウリ・ズッキーニ・・・
カラスに狙われたり、さまざまな苦労がありましたが結構楽しかったです。
そして、第二弾9月から始めた秋野菜。
秋野菜と言えば、葉ものが中心となります。
キャベツ・白菜・ブロッコリー・レタス・・・
これが苦戦中です。
秋は夏のように水をあげる心配はあまりありません。
そうかといって、しばらく何もせずに野菜を見に行くと、青虫くんに葉っぱが食べられていました。
どこから出てくるのか、毎日毎日何十匹の青虫くんが登場します。
もう葉っぱは穴だらけ。
どうしようかと悩んでいると、知人がアイデアを紹介してくれた。
焼酎、酢、唐辛子、ニンニク、唐辛子
これらを混ぜ合わせ、葉っぱに直接散布。
トウガラシ、ニンニク等は虫が嫌いだそうで、葉っぱから虫がいなくなるそうです。
しかし、だれがこんなことを試したのだろうか。
昔、おばあちゃんの知恵袋といったが、先人の知恵なのだろう。
疲労回復にはバナナがいい。
二日酔いには柿を食べる。
風邪にはネギがいい。
歴史の中で培われてきた知恵から生まれてきたもの。
農園をやっていて思うことは、全く思い通りにいかないなぁ。
なんで?なんで?の連続です。
先人たちも同じ問題を抱えていた。
そして、インターネットがない時代、身近なものでの解決法を模索した。
その集大成が、おばあちゃんの知恵袋なのだろう。
改めて、その教科書をひもといてみたいと思う。
夏野菜では、たくさんの収穫がありました。
トマト・ナス・キュウリ・ズッキーニ・・・
カラスに狙われたり、さまざまな苦労がありましたが結構楽しかったです。
そして、第二弾9月から始めた秋野菜。
秋野菜と言えば、葉ものが中心となります。
キャベツ・白菜・ブロッコリー・レタス・・・
これが苦戦中です。
秋は夏のように水をあげる心配はあまりありません。
そうかといって、しばらく何もせずに野菜を見に行くと、青虫くんに葉っぱが食べられていました。
どこから出てくるのか、毎日毎日何十匹の青虫くんが登場します。
もう葉っぱは穴だらけ。
どうしようかと悩んでいると、知人がアイデアを紹介してくれた。
焼酎、酢、唐辛子、ニンニク、唐辛子
これらを混ぜ合わせ、葉っぱに直接散布。
トウガラシ、ニンニク等は虫が嫌いだそうで、葉っぱから虫がいなくなるそうです。
しかし、だれがこんなことを試したのだろうか。
昔、おばあちゃんの知恵袋といったが、先人の知恵なのだろう。
疲労回復にはバナナがいい。
二日酔いには柿を食べる。
風邪にはネギがいい。
歴史の中で培われてきた知恵から生まれてきたもの。
農園をやっていて思うことは、全く思い通りにいかないなぁ。
なんで?なんで?の連続です。
先人たちも同じ問題を抱えていた。
そして、インターネットがない時代、身近なものでの解決法を模索した。
その集大成が、おばあちゃんの知恵袋なのだろう。
改めて、その教科書をひもといてみたいと思う。
戦争と平和
皆さんは、好きな人に告白する、という経験はおありでしょうか?私は何度かあるんですが、その中で、後から考えると、相手の女性に上手く告白せざるを得ないシチュエーションを作られて、私が告白した、と言うよりも、告白させられたな、と思うことがあります。もしかすると、男性の中には同じような経験をした方がおられるかも、しれません。
で、その告白させられる、ということ。相手に上手く乗せられた、と言う感じもありますが、向こうから告白された、とは違うわけです。水を向けられたとはいえ、告白したのはこちら側。だから、告白されたのか、告白したのかで言えば、告白させられたは、告白した、になるわけです。
いきなりいったい何の話や、と思われた方もおられるかもしれませんが、日本は侵略国家ではない、と言うことを某空幕長が論文で発表し、話題にもなりましたよね。私も論文読んでみましたが、日本は中国に侵略したのではなくて、中国のコミンテルンやアメリカの行動によって、そうせざるを得ない状況におかれた、と言うような主張がなされていました。けど、日本の固有の領土に侵略を受けたから反撃したのではなくて、中国の領土内に、日本が軍を進めたんですよね。理由はどうあれ、その時点で、侵略、となってしまう気がいたします。第一次世界大戦もそうですけど、オーストリアが、皇太子をセルビア人に殺された、と言う理由でセルビアに侵攻しています。これが侵略行為とみなされ、世界大戦の火ぶたが切られることになったわけですから、盧溝橋事件が、日本が仕掛けたのか、中国共産党の謀略なのかは定かではないですけど、結果、日本が軍を進めた。それはやはり、侵略とみなされても、仕方ないでしょう。軍を進めた側が侵略じゃないと主張したって、進めてこられた側にすれば、侵略に受け取られるでしょうし。
それと、告白させられた、というのが、一緒じゃないかなと思って、冒頭の文章があるんですが、告白させられたのは、告白されたのではなくて告白したことになるわけですから、戦争に関しても、進軍せねばならない状況にされたから進軍した、というのは、侵攻を受けているのではなくて、侵攻したことになるんじゃないかな、と。そうなれば、その行為は当然、侵略、となるわけです。
ただそうすると、侵略を行ったのは、日本だけじゃありません。某空幕長も論文の中で書いてますけど、欧米列強の植民地化の行為は明らかに侵略です。にもかかわらず、日本だけが侵略国家と呼ばれるのは、確かにおかしい。それは納得できます。ただ、他の国が侵略しているのに侵略国家とされず、日本だけが侵略国家の汚名を受けているのはおかしいから、日本も侵略国家ではないと主張するのは、どうかな、と思います。これは逆に言えば、日本の侵略を認めていることにもなりますしね。そうじゃなくて、日本が侵略国家ならば、欧米だって侵略国家である、と主張するのが、まっとうだと思います。某空幕長の主張していることは、ある強盗が捕まったとして、その強盗が、「ほかにも強盗してるやつがいるだろ?そいつらが強盗として捕まっていないなら、俺が罪に問われる筋合いはない」と言っているようなものじゃないでしょうか。そう思うと、やはり某空幕長の論には、無理がある気がします。
もちろん言いたいことはわかります。あの戦争を起こしたことを当時の政府、日本の過ちだと、卑屈に考えすぎるのは、疑問の残るところです。そもそも、どの戦争であれ、いろんな判断の過ちが積み重なって行われるものであるし、とりわけあの戦争だけが過ちとは言えないと思います。また、歴史を否定したり、隠したり、自分たちの都合のいいように解釈していくというのは、過去を顧みるどころか、過ちを繰り返しかねない、愚かな行いです。起きた事実をそのまま受け止め、過ちを犯したならば反省し、謝罪すべきところは謝罪し、そこから次に向けてどうすべきか考えることが、歴史を振り返ることの意義なんですから。戦争というものは様々な原因が重なって起こるもの。けれど、日本が軍を動かしたことは間違いありません。それを侵略と呼ばれるのは当然のことです。いろんな理屈をつけても、それは揺るがないことでしょうし、その真実から目を背けていては、日本のこれからのあり方についても、軍事についても、平和についても、キチンと考えてはいけないでしょう。
と、長々と書きましたが、こんな人の揚げ足とりみたいなこといつまでも書いてても仕方ないですよね。物事にはいろんな見方がありますし。というか、全然仏教っぽくないんで、ちょっとだけ仏教のお話もしたいと思います。
で、その告白させられる、ということ。相手に上手く乗せられた、と言う感じもありますが、向こうから告白された、とは違うわけです。水を向けられたとはいえ、告白したのはこちら側。だから、告白されたのか、告白したのかで言えば、告白させられたは、告白した、になるわけです。
いきなりいったい何の話や、と思われた方もおられるかもしれませんが、日本は侵略国家ではない、と言うことを某空幕長が論文で発表し、話題にもなりましたよね。私も論文読んでみましたが、日本は中国に侵略したのではなくて、中国のコミンテルンやアメリカの行動によって、そうせざるを得ない状況におかれた、と言うような主張がなされていました。けど、日本の固有の領土に侵略を受けたから反撃したのではなくて、中国の領土内に、日本が軍を進めたんですよね。理由はどうあれ、その時点で、侵略、となってしまう気がいたします。第一次世界大戦もそうですけど、オーストリアが、皇太子をセルビア人に殺された、と言う理由でセルビアに侵攻しています。これが侵略行為とみなされ、世界大戦の火ぶたが切られることになったわけですから、盧溝橋事件が、日本が仕掛けたのか、中国共産党の謀略なのかは定かではないですけど、結果、日本が軍を進めた。それはやはり、侵略とみなされても、仕方ないでしょう。軍を進めた側が侵略じゃないと主張したって、進めてこられた側にすれば、侵略に受け取られるでしょうし。
それと、告白させられた、というのが、一緒じゃないかなと思って、冒頭の文章があるんですが、告白させられたのは、告白されたのではなくて告白したことになるわけですから、戦争に関しても、進軍せねばならない状況にされたから進軍した、というのは、侵攻を受けているのではなくて、侵攻したことになるんじゃないかな、と。そうなれば、その行為は当然、侵略、となるわけです。
ただそうすると、侵略を行ったのは、日本だけじゃありません。某空幕長も論文の中で書いてますけど、欧米列強の植民地化の行為は明らかに侵略です。にもかかわらず、日本だけが侵略国家と呼ばれるのは、確かにおかしい。それは納得できます。ただ、他の国が侵略しているのに侵略国家とされず、日本だけが侵略国家の汚名を受けているのはおかしいから、日本も侵略国家ではないと主張するのは、どうかな、と思います。これは逆に言えば、日本の侵略を認めていることにもなりますしね。そうじゃなくて、日本が侵略国家ならば、欧米だって侵略国家である、と主張するのが、まっとうだと思います。某空幕長の主張していることは、ある強盗が捕まったとして、その強盗が、「ほかにも強盗してるやつがいるだろ?そいつらが強盗として捕まっていないなら、俺が罪に問われる筋合いはない」と言っているようなものじゃないでしょうか。そう思うと、やはり某空幕長の論には、無理がある気がします。
もちろん言いたいことはわかります。あの戦争を起こしたことを当時の政府、日本の過ちだと、卑屈に考えすぎるのは、疑問の残るところです。そもそも、どの戦争であれ、いろんな判断の過ちが積み重なって行われるものであるし、とりわけあの戦争だけが過ちとは言えないと思います。また、歴史を否定したり、隠したり、自分たちの都合のいいように解釈していくというのは、過去を顧みるどころか、過ちを繰り返しかねない、愚かな行いです。起きた事実をそのまま受け止め、過ちを犯したならば反省し、謝罪すべきところは謝罪し、そこから次に向けてどうすべきか考えることが、歴史を振り返ることの意義なんですから。戦争というものは様々な原因が重なって起こるもの。けれど、日本が軍を動かしたことは間違いありません。それを侵略と呼ばれるのは当然のことです。いろんな理屈をつけても、それは揺るがないことでしょうし、その真実から目を背けていては、日本のこれからのあり方についても、軍事についても、平和についても、キチンと考えてはいけないでしょう。
と、長々と書きましたが、こんな人の揚げ足とりみたいなこといつまでも書いてても仕方ないですよね。物事にはいろんな見方がありますし。というか、全然仏教っぽくないんで、ちょっとだけ仏教のお話もしたいと思います。
結婚ラッシュの波に乗り切れていない。
結婚ラッシュの波に乗り切れていない。
花の独身キッスィです。三十路超えて花なんて言ってる場合ではありません・・・。リアルに崖っぷちのキッスィです。
最初に言っておきます。結婚観というより、愚痴です。
ここ数年、もうそれはそれは結婚・出産ラッシュ。
年賀状に「家族増えました」とか「二人になって初めての正月です」。
正直、もう見飽きました(関係者の方ごめんね)。
4月から披露宴5つ、結婚パーティ2つ。お祝い貧乏とは僕のことです。これからもあといくつかある予定。
で、まわりが結婚していくのを見ながら、「人は人。僕は僕。結婚したい時が適齢期。」と言ってはいろんなところからツッコミにのらりくらりとかわしてます。
この前なんて、母親から「ずっと京都いるのにまったくものにならないんではねぇ・・・」なんてイヤミ言われましたよ。さくっとスルーしましたけどね。
「諦」はあきらめる=明らかに見る。るるさんも書いてますが、それは僕も同じ。ただ、独身の僕は相手に対してとか、子供に対してとかではない。今の自分に対して・・・。
ほぼ結婚は諦めかけている。モテナイことが明らかに見えてくる。そんな現実。
今は好きな時に好きなものを食べて、飲みに行きたい時に飲みに行く。
そんなことをしている僕には自由がなくなり、制限されることが全く想像つかないんです。
おそらく、おそらくですよ。その制限されることが幸せだったり、楽しさ・安らぎを感じれる、そんな相手だったら結婚したいはずなんです。
でもまだそのような方に出会ってないから、結婚なんてのはな、墓場なんだ。我慢と試練の日々なんだ。と決めつけてしまっているんでしょうな。
人間てのは1つの側面からしか見ることができない悲しい生き物ですね。その代表がこのキッスィかもしれません。
こんなこと言っておきながら深層心理では結婚したがってるはずです。結婚に無関心というよりは「墓場でしょ」とか言って反発してますから。
反発ということは、それがいつしかさらに180度反発して結婚サイコーてことにもなる可能性も秘めているわけです。
ま、それはいつになることやら。
この場を借りて誤りたいことがあります。結婚間近だったFくん。結婚が近いとはつゆ知らず「結婚ってさー、人生の墓場でしょ!」と言ってドン引きさせたらしいですね。
あれはホンマごめんなさい。反省してます。
花の独身キッスィです。三十路超えて花なんて言ってる場合ではありません・・・。リアルに崖っぷちのキッスィです。
最初に言っておきます。結婚観というより、愚痴です。
ここ数年、もうそれはそれは結婚・出産ラッシュ。
年賀状に「家族増えました」とか「二人になって初めての正月です」。
正直、もう見飽きました(関係者の方ごめんね)。
4月から披露宴5つ、結婚パーティ2つ。お祝い貧乏とは僕のことです。これからもあといくつかある予定。
で、まわりが結婚していくのを見ながら、「人は人。僕は僕。結婚したい時が適齢期。」と言ってはいろんなところからツッコミにのらりくらりとかわしてます。
この前なんて、母親から「ずっと京都いるのにまったくものにならないんではねぇ・・・」なんてイヤミ言われましたよ。さくっとスルーしましたけどね。
「諦」はあきらめる=明らかに見る。るるさんも書いてますが、それは僕も同じ。ただ、独身の僕は相手に対してとか、子供に対してとかではない。今の自分に対して・・・。
ほぼ結婚は諦めかけている。モテナイことが明らかに見えてくる。そんな現実。
今は好きな時に好きなものを食べて、飲みに行きたい時に飲みに行く。
そんなことをしている僕には自由がなくなり、制限されることが全く想像つかないんです。
おそらく、おそらくですよ。その制限されることが幸せだったり、楽しさ・安らぎを感じれる、そんな相手だったら結婚したいはずなんです。
でもまだそのような方に出会ってないから、結婚なんてのはな、墓場なんだ。我慢と試練の日々なんだ。と決めつけてしまっているんでしょうな。
人間てのは1つの側面からしか見ることができない悲しい生き物ですね。その代表がこのキッスィかもしれません。
こんなこと言っておきながら深層心理では結婚したがってるはずです。結婚に無関心というよりは「墓場でしょ」とか言って反発してますから。
反発ということは、それがいつしかさらに180度反発して結婚サイコーてことにもなる可能性も秘めているわけです。
ま、それはいつになることやら。
この場を借りて誤りたいことがあります。結婚間近だったFくん。結婚が近いとはつゆ知らず「結婚ってさー、人生の墓場でしょ!」と言ってドン引きさせたらしいですね。
あれはホンマごめんなさい。反省してます。
ゴンシキ日記10時間目(最終回)
- 2008年11月19日(水) 文:
- ゴンシキ日記
- -
7/25
全体のまとめの講義と大掃除。この時点ですでに合否判定は決まっている。生殺しのようだ・・・。
四月の初めからお世話になった勤式の掃除。
みんなと仲良くなったのにこれで離ればなれになる人もいる。不合格でこれで修了する人もいる。自分もそうかもしれない。
そう思うと、4月からの4ヶ月は中身濃かった気がする。
毎日ずっと顔合わすので、イヤでも仲良くなるし、情もわく。あと一週間延長ってできないのかな。
7/28
全員でお晨朝参拝と修了式。
4時起きもフツーにできるようになっていた。これも4ヶ月の成果かな。
修了式では修了証授与、皆勤賞・精勤賞授与などが行われた。
修了証を代表で受け取る人はその中でトップだったってことだよな。「Kスケ」すげー。
いつもの講義の場所に戻ってみんなに修了証をもらう。100人近くいて皆勤は30人ほど。精勤も含めたら50人以上に。
これって半分以上の人はほとんど出席しているということだよね。
ちなみに僕も修了証も頂いた。そして皆勤賞も。なんとか皆勤で出席できたのも仲間がいてこそだろうな。
みんなよく頑張った!
7/28 夜
謝恩会。
先生方も来てくれはって楽しく会が進む・・・。
はずがない。
体育会系のノリが主流を占めるゴンシキの人たちが穏やかに「飲む」。そんな言葉は辞書にないんだろうな。
三十路超えてこんなにビール飲んだのは久しぶり。実はビールが得意ではないので、勢いにマカセテ飲んでしまった・・・。
何人かつぶれている人いたんやけど。大丈夫やったんやろか。
明日は半年ぶりに法話をする機会を頂戴している。そんなに飲んでる場合ちゃう!!!
自分の合否も気になるところやけど、まずは明日の法話に備えねば。
7/29
法話させてもらうのはゴンシキ同期のお寺。
法話の間の休憩のときに友達には合否の結果が!
「合格」
う、うらやましい。
自分の合否が気になる7/30。
母親から携帯にメールが届く。「ゴンシキから書類届いてるよ」
続きがある。
「お父さんが勝手に開けて合格確かめちゃった。おめでとう!」
ん゛??自分の手で開封したいから開けないで!ってあれほど言っといたのに。
まぁ合格してたからいいとしよ。
今回、仲良かった人も何人か不合格になっている。大手を振って喜ぶという気持ちにはなれない。どうせやったらみんなで合格になりたかったな。
【さいごに】
ゴンシキ日記読んでもらってありがとうございました。
ゴンシキは拝読・作法を主に習うので、音程だけ取れればいい、という当初の思いとは全く違う心境である。
その拝読するココロまでも習うのがゴンシキというところなんやろう。と思う。
最初の10日は慣れないせいか、すごく苦痛だったけど、だんだん仲間にも恵まれてすごく楽しく過ごせることができた。
練習するというのも大切。
もっと大切なのは、それを共有する仲間がいること。
なんでも独りでできるものではない。仲間がいてこそのゴンシキである。その仲間に出会えたことがまずうれしく思う。
全体のまとめの講義と大掃除。この時点ですでに合否判定は決まっている。生殺しのようだ・・・。
四月の初めからお世話になった勤式の掃除。
みんなと仲良くなったのにこれで離ればなれになる人もいる。不合格でこれで修了する人もいる。自分もそうかもしれない。
そう思うと、4月からの4ヶ月は中身濃かった気がする。
毎日ずっと顔合わすので、イヤでも仲良くなるし、情もわく。あと一週間延長ってできないのかな。
7/28
全員でお晨朝参拝と修了式。
4時起きもフツーにできるようになっていた。これも4ヶ月の成果かな。
修了式では修了証授与、皆勤賞・精勤賞授与などが行われた。
修了証を代表で受け取る人はその中でトップだったってことだよな。「Kスケ」すげー。
いつもの講義の場所に戻ってみんなに修了証をもらう。100人近くいて皆勤は30人ほど。精勤も含めたら50人以上に。
これって半分以上の人はほとんど出席しているということだよね。
ちなみに僕も修了証も頂いた。そして皆勤賞も。なんとか皆勤で出席できたのも仲間がいてこそだろうな。
みんなよく頑張った!
7/28 夜
謝恩会。
先生方も来てくれはって楽しく会が進む・・・。
はずがない。
体育会系のノリが主流を占めるゴンシキの人たちが穏やかに「飲む」。そんな言葉は辞書にないんだろうな。
三十路超えてこんなにビール飲んだのは久しぶり。実はビールが得意ではないので、勢いにマカセテ飲んでしまった・・・。
何人かつぶれている人いたんやけど。大丈夫やったんやろか。
明日は半年ぶりに法話をする機会を頂戴している。そんなに飲んでる場合ちゃう!!!
自分の合否も気になるところやけど、まずは明日の法話に備えねば。
7/29
法話させてもらうのはゴンシキ同期のお寺。
法話の間の休憩のときに友達には合否の結果が!
「合格」
う、うらやましい。
自分の合否が気になる7/30。
母親から携帯にメールが届く。「ゴンシキから書類届いてるよ」
続きがある。
「お父さんが勝手に開けて合格確かめちゃった。おめでとう!」
ん゛??自分の手で開封したいから開けないで!ってあれほど言っといたのに。
まぁ合格してたからいいとしよ。
今回、仲良かった人も何人か不合格になっている。大手を振って喜ぶという気持ちにはなれない。どうせやったらみんなで合格になりたかったな。
【さいごに】
ゴンシキ日記読んでもらってありがとうございました。
ゴンシキは拝読・作法を主に習うので、音程だけ取れればいい、という当初の思いとは全く違う心境である。
その拝読するココロまでも習うのがゴンシキというところなんやろう。と思う。
最初の10日は慣れないせいか、すごく苦痛だったけど、だんだん仲間にも恵まれてすごく楽しく過ごせることができた。
練習するというのも大切。
もっと大切なのは、それを共有する仲間がいること。
なんでも独りでできるものではない。仲間がいてこそのゴンシキである。その仲間に出会えたことがまずうれしく思う。
