絵本「いのちのまつり」

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最近気になっている本。
というか、気になっているので買いたいと思っている本です。

これは、とあるお寺に遊びに行った時に見せてもらいました。

イノチのつながり。つながってるだけでなく、その大切さが伝わってくるそんな絵本・・・だったと思う。思う!?ちょこっと見ただけなので。

本の途中で折りたたみになっているページがあって、それを広げると自分を中心としてどれだけのイノチのバトンが受け継がれてきたのかを目で見て実感することができます。
イノチって不思議ですな。
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最後の一食

「この世であと最後に一食しか食べられないとしたら、何を食べたいか」こんな質問を友人からうけました。

皆様は何を想像なされますか?

私はその時に「鶏の唐揚げ」が頭に浮かびました。それとともに、小学校時代のなつかし話も一緒に思い出しました。

その出来事は、いま大人気の「がばいばぁちゃん」ではないですが、小学校4年生の運動会の時でした。当時私の学校の運動会では、校庭にシートをひいて家族で一緒にご飯を食べる習慣があったのです。いつも大きな弁当箱の中には、鶏の唐揚げがあったのです。当時、おいしいものは最後に食べるタイプだった私は、大好きな唐揚げを最後に食べようと楽しみにしていたのです。

最後の楽しみの前に手を綺麗にしてからと、トイレに行ってから唐揚げを食べようとしたのです。トイレからワクワクしながら戻ってみると、楽しみにしていた唐揚げが1つも残っていなかったのです。

ショックでした。今でもその時の状況は忘れられません。

それ以来、おいしいものは最初に食べるようになりました。それとともに、「鶏の唐揚げ」にして熱い思いを抱くようになったのです。

今回、同じ質問を友人たちにしました。
すると、みんなが一様に、幼少の頃に家族と一緒に食べたカレーライスなど懐かしの味なんですよね。つまり、思い出のつまった味なんです。「最後に何が食べたいか」といわれて、リッチなフランス料理を食べたいという人はいなかったのです。

「贅沢って何なのか」改めて考えさせられました。

本当の贅沢とは、家族や身近な人な気の置けない仲間たちと食べる「一杯のかけそば」ならぬ、その一時のホッコリとした笑顔なのかもしれない。

当たり前すぎて、気づきにくいのですが・・・

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彼岸寺リニューアル



仏教エンタメサイトの最大手「虚空山彼岸寺」がリニューアルされました。
外観がガラリと変わり、シンプルかつユーザービリティが向上しています。

新たなコンテンツとしては、
温泉愛好家のミュージシャン、サワサキヨシヒロ!さんによる「温泉道場」。歴史家の安藤優一郎さんによる 「江戸のお寺 浮世草子」など、彼岸寺ならではの連載。また、Q&A;形式の「おじいちゃんへの質問」や「そもさんせっぱ」ではより視聴者との距離が縮まり、彼岸寺住職の松本氏も「日日是好日」や「お寺の未来」で頻繁に顔を出す模様。近日開催予定の「仏になるための仏教講座」も楽しみです。
ますます目が離せませんね。
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ココロのスキマ

私は信じやすく、騙されやすい。
なので、とても疑い深い。

だから今回のテーマを知ったとき、「おいしい話には裏がある」という意味での「おいしい話」かと思ったたんだけど…どうやら私だけだったみたいだ。

そういう意味での「おいしい話」を考える時、最初に思い浮かんだのは笑いながら心の隙間を埋めてくれるセールスマンの喪黒福造さん。( 藤子不二雄A 『笑うせぇるすまん』 )

悩んでどん底にいる人や、追い詰められている人に、その悩みに合った商品を勧め与えては、相手の心の隙間を埋めてくれる。
それは、悩みを解消するどころか、人生を思い通りにできるほどの品で、使った人は舞い上がる。
けれど、そういうものには必ず「○○してはダメ」という条件がつくのがお約束。

なのに、使う人はその条件を守れずに、喪黒福造さんに奈落の底へ「ドゥーン」と落とされてしまう。

小さい頃、たまに見ていたこのアニメの内容に、どうして条件を守らないんだろうと不思議に思っていたけれど。
大きくなって、さまざまな誘惑に溢れた生活を知ってしまうと。
「あと少しだけ」「あと一回だけなら大丈夫」と、奈落に落ちていった人たちの心情が、よぉく分かってきたから情けない。

「おいしい話」っていうのは、言い換えれば自分にとって「都合の良い話」ということだ。
その「都合のいい話」についてくる条件も、考えてみれば薬の箱の裏に書いてあるような使用上の注意のようなもの。
だけど、その使用上の注意が「自分にとって都合の悪い話」となる場合があって。
本来、守れば問題ないものなのに、なぜか守らず…いや、なぜか守れないで。
どうするかといえば、その都合の悪さを無視してしまったり、無理やり自分の都合よく捻じ曲げてしまう。

風邪気味で薬を飲んだあとに、車を運転したとして。
けど使用上の注意には、眠くなるから運転してはならないと書いてあるけど、大丈夫だろうと勝手に判断してしまう。
そうしてうつらうつらと眠くなり、前方不注意でガードレールにぶつかったとしたら…。

自分の過失を認める人もいるけれど。
なんで眠くさせるんだと、原因を見ないで薬のせいにして逆ギレする人もいるだろう。

自分にとって都合の良い部分だけをピックアップしておいて。
あとの都合の悪さは捻じ曲げて、挙句に都合の悪いもののせいにする。
それが、誰にとっての価値判断の末に出た良し悪しかを、考えることもなく。

とまあ、ようは自分にとってだけ「おいしい話」には気をつけてという話だ。
そこには必ず、条件があって、その条件を受け入れられない自分がいる場合もあるということ。

それから、もう少し視野を広げたら、全人類、全生物、全環境にとっての「おいしい話」という都合の良いことも、存在しないということにも、思い当たるかもしれない。(私も今、気がついた)

それが何故かということに、答えをくれるのが仏教だ。


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珍味

今回のコラムは、「おいしい話」と言う事ですが、
物を食べる事、味わう事、ということについては一度「シャカ斬り」の方で、「Gourmet」というコラムを書かせていただきました。
そこで書いた事を掻い摘まみますと、「おいしい」と感じる感覚は、純粋に味覚だけで味を判断しているのではなく、食材や調理法などの情報、そして人それぞれの経験を踏まえて、頭で判断していることもあり、実に曖昧で、怪しい感覚であって、にもかかわらず、下手に知識ばっかりを増やしてグルメを気取ると、おいしい食事であっても、なにかと難癖をつけたくなったりと、純粋に食べる事の喜びを味わえなくなってしまう。それよりも、食べると言うことは、命をいただくことであるのだから、食べる事自体に感謝しつつ、変に知識などに振り回されずに、素直においしいと喜べることが大切だ、と言うような事を書きました。

が、まあ、今回はそのことはさておき、折角の機会ですので、私がおいしいと思うものについて書きましょう。
私は北陸は石川県に住んでおりまして、北陸と言えば、魚介類がおいしいことで有名かと思います。確かに、地物のお魚は、季節によって様々にあり、新鮮でおいしいです。
冬になればカニやブリ、夏になればサザエやウニも採れますし、この時期は、ワカメなんかもおいしい時期です。
新鮮ですから、お刺身はもちろん、焼いても煮ても、おいしいものばかりです。

が、私が個人的に好きなのは、そんな魚介類の中でも、「珍味」と呼ばれる系統の食べ物。例えば、ナマコの卵巣を加工した「クチコ」、ナマコの内蔵を使った塩辛「コノワタ」、イカなどの塩辛、鯖をぬか漬した保存食「ヘシコ」などは、どれもなんとも言えずおいしいものだと思います。
その中でも、特に私が好きなのは、「イカの黒作り」と「ヘシコ」。「イカの黒作り」は、イカ墨を使った塩辛で、見た目は真っ黒で少々グロく、ちょっと生臭味があるけど、ゆずの皮が入っているものは、絶品!日本酒にも、焼酎にも、もちろんご飯にも合いますですよ。
そして「ヘシコ」は、薄く切ってそのままでお酒のアテになるし、炙ってお茶漬けにするのもまた最高に美味です。個人的には「ヘシコ」、賞味期限切れたほうが、熟成されるのか、旨味が増していて好きです。
ああ、想像しただけで、涎が・・・

まあしかし、おいしいと感じる感覚は人それぞれですし、上に挙げたのは、あくまで私がおいしいと感じるもの。
魚介類がダメな人もおられるでしょうし、珍味系の食べ物は、好き嫌いが分かれるところでしょう。
ですから無理に食べろ、おいしいと言え、とは申しません。
でもでも、今までこれらの食べ物が嫌いだった人も、なんとなくイメージで食わず嫌いだった人も、騙されたと思って、一口食べてみてください。
味覚って結構変わりますし、食べてみて、不味いと思えばもう食べなければいいですし、おいしいと感じれば、それは一つ、大きな喜びの発見ですしね。
ですから嫌いと思っていたものでも、今一度食べてみる価値はあると思います。

知識や経験、見た目や好き嫌いという「とわられ」や先入観から離れる事。おいしく物をいただくための秘訣は、そこにこそあるのかも、しれません。
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「鯖街道」


みなさんどんなGWでしたか?カレンダー通り休みの方、みんなが休む時に働く方、GWなんてまったく関係のない方、いろいろでしょうね。
もう何年も会っていなかったご婦人(over 60's)に「相変わらず若いね〜。18、9くらいに見えるね〜。」と言われたキッスィです。さすがにウソっぽかったです。

食べ物って人間にとって生きていくためには不可欠なものじゃないですか。
でも、最近ではメタボリックという言葉もよく聞くようになりました。生きていくために必要な食べ物によって生きていくことがで困難になっていく。なんだかおもしろい(語弊あるかもしれませんが)現象だなーと思いました。
食べ物って同じものでもところ変われば調理方法も変わります。その地方独自の郷土料理はその土地でその食材の持ち味を生かした方法で調理されています。同じ食べ物・・・例えば魚介類だったら、海の近くではそのまま食べているものでも、内陸部では保存のきく調理されていたりして、その変わりっぷりに驚かされます。

鯖はその典型的な例でしょうね。

今住んでる京都からこの間、敦賀までふらっと行ってきました。JRの新快速電車が関西エリアから敦賀まで延長運転されるようになって、アクセスしやすくなりました。乗り換えなしで行けるのはそれはそれは魅力的です!
まぁ青春18切符が余ってたし、消化したかったのが一番かも・・・。

目的は日本海の海の幸。行きながら、福井の若狭地方から京都まで鯖街道って呼ばれてるんだよな、と思い出しました。
鯖街道・・・若狭の海で獲れた鯖に塩をまぶしたものを籠に詰めて背負い、夜を徹して京都へ向かう道はいつの頃からか「鯖街道」と呼ばれるようになったそうです。

鯖街道を調べていて気づいたことがあります。
鯖って“生き腐れ”と言われるほど腐りやすいから、それを防ぐために塩で日持ちできるようにして、京都の人たちにも新鮮とは言えないけれど食べてもらおう、という考え方なのかなと思ってたんです。
でも、鯖街道には“京は遠ても十八里”という言葉が街道沿いに残っているそうです。この言葉って京都は遠いとは言っても十八里(約70km)、たかが70kmでしょ!という意味合いだと受け取れるんです。ということは、なんとかしてこの鯖を新鮮な状態で京都の人に食べてもらおうという心意気を感じませんか!?だって、腐るのが早いなら海に近い地域だけで食べたらよい話で、それをわざわざ京都の人にも食べてもらおうとしたその気持ちに感服でした。
さらに調べると、一人の人が若狭から京都に運ぶのではなくて、宿場→宿場→宿場でリレー形式で運ばれていたとも書いてありました。

それが現在では京料理の中でも有名な鯖寿司になっていったんでしょうね。偶然にもGW中に京都の鯖寿司頂きました。竹の皮に包んであってご飯も凝縮したかんじで食べ応えのあるお寿司でした。冷蔵庫で数日は持つんですって。

京都で食べた鯖寿司もおいしいですけど、敦賀で食べた焼鯖寿司もこれまたおいしかったぁ!
京都のは熟成した感じだとすると、敦賀のは新鮮な鯖をすぐ焼いて寿司にしました、て感じです。焼き目が香ばしくてご飯も京都のに比べたらふわっとしてあっさりしています。

このような同じ食材でも違う調理。鯖街道がなければこれは実現しなかったことです。
写真のように線路がちゃんとあって行きやすい道筋ではないと思います。その険しい道を鯖というバトンでどんどん運ぶすがたは、運び屋さん(言い方まずかったでしょうか…汗)からすると、見ず知らずともいえる自分が生きていくために、一生懸命やってくださったことですよね。線路のようにずっと続く鯖街道を鯖というイノチの源をバトンとして自分にまで至る。支えられてでしか生きていないんですね、人間って。



若狭⇔京都の鯖街道とは違う鯖街道が今あるんだって。

ノルウェー⇔日本
ノルウェーから鯖を輸入してて、この日本への空路を「現代の鯖街道」と呼ぶこともあるそうです。グローバル化してるとはいえ、それも現実だろうねぇ。
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祖母のカレー

私が小学生の頃、母親が保育士として働いていたため晩ご飯はいつも祖母が作ってくれていました。
その日の晩ご飯はカレーライスでしたが、祖母がカレー粉をケチったのか、水を入れ過ぎたのか、とっても薄いしゃびしゃびなカレーでした。私が「カレーうすいよー。しゃびしゃびだよーおばあちゃん。何これー」とブツブツ文句を言いながら食べ始めた次の刹那、隣にいた母からバチーンと!とビンタが飛んできました。そして「文句があるなら食べなくてよろしい」と食事を下げられました。
母にしてみれば、当然食べ物に文句を言う態度は厳しく躾けなければいけないという思いがあったでしょう。それとこれは勝手な想像ですけど、姑の作った食事に対して息子がブツブツ言っているという状況は、息子を通じた姑批判ととられかねないという危機感が母にはあったのかもしれません。
とはいえ、そのビンタのおかげか、今では食べ物の好き嫌い無く何でも残さず食べられる習慣が身に付き、母と祖母には感謝しています。
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LOVE plants compilation vol.3

LOVE plants compilation vol.3

このCDは、「LOVE」をテーマにした、コンピレーションアルバム。
いろんなアーティストが、「愛」に溢れるオリジナル曲、カヴァー曲を奏でます。
 
このコンピレーションで、個人的にグッと来るのが、スティールパンの音色。
Panorama Steel Orchestraが、「さらばジャマイカ」から「星に願い」を、スティールパンで濃密に演奏し、
Pan Cakeの「SOUTHERN KIDS」は、暖かく軽快で、南国のリゾートを感じさせてくれます。
他の曲も、実に温かみがあって、ピースフル。
アン・サリーの「夜来曲」は懐かしさに溢れ、
湯川潮音がカヴァーする「The Water is Wide」は涙が出そうになるほど美しく、
最後を飾るハナレグミの「Oi」は、アコースティックギターのみで弾き語られるシンプルな曲だけど、
言葉にできない「愛」を、飾らない言葉で、優しく、でも切なく歌い上げる、珠玉のラブソング。名曲すぎます。


仏教って、「愛」というものを、どこまでいっても満足を知らない心、渇愛と言ったり、人を愛する事も、自分を満たす為のものと考えたり、「愛」というものを一つのとらわれとして否定しがちだけれど、
そうであったとしても、自分以外の人を大事に想える気持ちって、すごく素敵だし、いいものだな、なんて、温かい気持ちにさせてくれる、そんな音楽が詰まった、名盤です。

麗らかな午後にも、すこし寂しい夜にも、部屋でも、野外でも、どんな時間、場所で聞いても心に染みるこの1枚。是非皆さんも聞いてみてください。
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笑顔の味

1番幼い頃の思い出の中で、大好きだったメニューがあります。
「手羽先の塩焼き」
「餃子」

これが、何より好きだった。

手羽先の持って食べる部分に、“こども新聞”(広告だと思う)を巻きつけるのが、私と弟の仕事でした。
そして、餃子を包むのも子どもの仕事。
オーソドックスな形だけじゃなく、両端を折りたたんで「かばん」にしたりね〜。
おおむね、上手にひだをつけられない子どもたちの作品は、水餃子用でしたが。

このメニューは、たいがい日曜日の献立でした。
なので、父も母も家にいて、早い時間から、みんなで巻き巻きするわけです。
味が好きとか言うよりは、たぶん、いただきますに至るまでの過程が楽しかったんだと思います。
それと、自分が関わって作った、という達成感ね。

父が準備の時間に居間にいて。母もゆったりご飯を作っていて。
けんかばっかりしていた弟とも、仲良く作業ができた。
笑顔のたくさんある、時間だった。

だから、このメニューが本当に、好きだったんだな。


長じるごとに、酒飲みの血を確実に引いていることが次々と発覚していくわけで、

2・3歳時、何が食べたいかと聞かれ「やきにくー」
5・6歳時 スーパーでおねだりするのは、「いとよりの塩焼き・春菊の白和え」
初めて作った料理 「焼き茄子としめじのお吸い物」
10歳時  父が焼いていた、いかの丸焼きを見て、「ポン酢と七味よね」
11歳?夏休みの自由研究 「鶏のさばき方」

という・・・おおよそ子どもではないような子どもになっていくわけですが。

今も、「父の作ったおでん」と「母の茶碗蒸し」に勝るものはない、と思っているけれども、
笑顔がいちばんつまった「手羽先の塩焼き」と「餃子」は、私にとって特別なおいしい思い出かな、と思います。

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