余白
- 2013年08月17日(土) 文:uritomo
- 仏声人語
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暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
私は、お盆のこの時期は、いつの年もバタバタとしている気がします。
もしかすると、夏生まれなので、生命力がいつもに増してこぼれ出す時期なのかもしれません。
そんな時期には、私は周りの人、特に親しい人への対応が丁寧ではないことに、あとから気づき、よく一人反省会をしています。
そんな時に「余白」って大事だなぁと思うのです。
その余白とは、例えば日常の中でどれだけ自分が忙しくても「ありがとう」を伝えることであります。
喧嘩をした時に「私にも非があったんじゃないだろうか」と見返すことでもあります。
空を見上げて、綺麗だなと思うことや、風にまじる季節の香りを楽しむことでもあります。
そして、何より、そう考えている自分が完全ではないという「余白」が私には必要だと思っています。
「ジョハリの窓」という言葉を聞かれたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
ジョハリの窓では「私」という存在が大きく分けて四つに分けられるそうです。
①自分が知っていて、他人も知っている自分
②自分は知っていて、他人も知らない自分
③自分は知らなくて、他人が知っている自分
④自分は知らなくて、他人も知らない自分
この四つ目は、誰もが知らない自分ではありますが、この存在を知ることにより「自分が知り得ない自分」がいるということを知ることができます。
ここの部分はよく宗教が担う部分とも例えられます。
そんな、自分も知らない自分がいるという「余白」が出来た時、私は少し楽になります。
忙しさの中で自分を見失う、なんて思っていたけど、そもそも自分で自分のことすらよく分かってなかった自分だったと気づかせてもらうのです。
そして、そんな時に、そんな私をすべてお見通しで、願い、働きつづけてくださっている仏さまのお話を聞かせてもらっていることを有難く思うのでした。
私は、お盆のこの時期は、
もしかすると、夏生まれなので、
そんな時期には、私は周りの人、
そんな時に「余白」って大事だなぁと思うのです。
その余白とは、例えば日常の中でどれだけ自分が忙しくても「
喧嘩をした時に「私にも非があったんじゃないだろうか」
空を見上げて、綺麗だなと思うことや、
そして、何より、そう考えている自分が完全ではないという「
「ジョハリの窓」
ジョハリの窓では「私」という存在が大きく分けて四つに分けられるそうです。
①自分が知っていて、他人も知っている自分
②自分は知っていて、他人も知らない自分
③自分は知らなくて、他人が知っている自分
④自分は知らなくて、他人も知らない自分
この四つ目は、誰もが知らない自分ではありますが、
ここの部分はよく宗教が担う部分とも例えられます。
そんな、自分も知らない自分がいるという「余白」が出来た時、
忙しさの中で自分を見失う、なんて思っていたけど、
そして、そんな時に、そんな私をすべてお見通しで、
もっと仏教の勉強をしたいな・・・と思う今年の夏でした。
どうか、良い夏の終わり、秋の始まりを過ごされますように。


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