子の知らぬ親心
- 2009年10月17日(土) 文:sakulla
- 仏声人語
- comments(2)

チスイさんの明るい出産報告とは真逆の出産記録も4回目。
未熟児は、正確には【低出生体重児】という。
基本的に出生体重が2500g以下の赤ちゃんを総称していうのだが、その中でも体重によっての区分がある。
私の母子手帳には、【超低出生体重児】と記入されている。
この表現で、私の産んだ赤ちゃんがどれだけ小さかったかを察していただけると有り難い…世の中には我が子の出生体重を言いづらい親もいるということだ。
超低出生体重児が後遺症もなく成長する確率は40%。
私が出産した週数での生存率は60〜70%。
その現実を前に、近親者以外への出産報告ができなかった。
私が赤ちゃんに会えたのは、分娩から3時間が経過した後だった。
誕生と同時にNICUに運ばれ、既に緊急処置が終わっており、保育器ごしの対面となる。
小さな口に人工呼吸器が入れられて、小さな手足には幾つもの点滴の針が射されていた。
無数の管に繋がれて、身動きすらできない痛々しい我が子の姿に、謝るしかできない。
本来なら、この在胎週数で感じなくても良かったはずの痛みを受けさせている申し訳なさに、できることなら、もう一度お腹の中に戻してあげたいと願い、泣いた。
次の日から、面会に行くたびに新たな症状と、その治療法の説明を受け続ける。
点滴は7種類に増え、未熟児貧血のための輸血や黄疸に対処するための光線治療など、次から次へと処置が重ねられていった。
出産から3日、脳内に直径5ミリ程度の出血が見つかる。
早産児の多くに見られる症状で、3日間様子を見て、広がっていなければ次第に消え、大事には到らないと言われる。
大事に到れば脳性マヒ、結果を待つしかない…それは地獄の3日間だった。
3日後、幸いにも広がっている気配はなく胸を撫で下ろすが、それでも出血したことには変わりなく、出血が運動野を司る箇所だったため、今後手足に麻痺が出る可能性は否定できないと、新たな重荷を背負うことになった。
上まぶたと下まぶたが完全に離れていない顔を見るたびに、早く産んでしまった事実を突きつけられ、自分を責める日々が続く。
「赤ちゃんはお母さんがもうこれ以上、苦しい思いをしなくていいように生まれてきてくれたんですよ」
私を慰めるように、担当の看護師さんが言ってくれた。
けれど、その言葉が私の心に届くことはなかった。
一ヶ月以上に及ぶ寝たきりの入院生活は、私にとって何ら苦痛ではなかったし、早産してしまうことの方が苦痛だったから。
早く生まれたくて生まれてきたんじゃないはずだと、私を思いやる言葉の全ては自分を責める言葉へと変換された。
だが、今にして思うのだ。
身動きの取れない生活をしていた私を、ただ見ているしかなかった家族のつらさがあったことを。
保育器の中で身動きしないように眠らされている我が子を見守るしかできなかった私の苦しみと同じように、私の両親は寝たきりの我が子を見守るしかなかった苦しみを抱き続けていたことを。
自分のことなら耐えられる苦しみやつらさがある。
けれど、その苦しみやつらさに耐えている大切な人を、そばで見続け支えなくてはならない人の苦しみやつらさがあるということを、あの時の私は考える余裕すらなかった。
我が子の苦しみに痛める心が親心。
我が子の苦しみが自分の痛みとなるのも親心。
チスイさんの日記にもあるように、阿弥陀さまはどれほどの痛みを抱き続けておられるのだろうと、思えば思うほど自然と手が合わさる。
そして、落ち着いてからではあるけれど、私がどれほど人の心を思いやることのできなかった人間であったかということに、気付かせてくれたのも阿弥陀さまの親心だった。
赤ちゃんが早く生まれてきたことにも、私にそのことを気づかせる「はからい」があったのだろうと思うようになったのは、つい最近のことである。
コメント
- るる
- 2009/10/18 9:24 PM
るるさん、どうか気になさらないでください。
私も生まれつき腰骨の異常があり、小さい頃にレントゲンを撮られ続けていたため、子供ができない身体になってしまっていたらと母が心を痛めていたことを、妊娠を報告した日に知りました。
ですが、私の涙は、子供のことを思って流すのと同時に、ハンデを背負うかもしれない子と共に生きる自分のために流すものでもあったのだと思うのです。
るるさんのお母さまや私の母のように、親としての純粋な涙ではありませんでした。
私も生まれつき腰骨の異常があり、小さい頃にレントゲンを撮られ続けていたため、子供ができない身体になってしまっていたらと母が心を痛めていたことを、妊娠を報告した日に知りました。
ですが、私の涙は、子供のことを思って流すのと同時に、ハンデを背負うかもしれない子と共に生きる自分のために流すものでもあったのだと思うのです。
るるさんのお母さまや私の母のように、親としての純粋な涙ではありませんでした。
- sakulla
- 2009/10/23 9:52 AM






私も流産した時、母が泣いてくれたことを思い出しました。
「私があんたを子どもができない身体に産んでしまったかもしれない」と。
親とはこうしたものなのか、と深く感じた体験でした…。