何も無駄にはさせない在り方 〜 仏教とyogaと私 〜
- 2014年10月14日(火) 文:uritomo
- 仏声人語
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小さな秋をまちで見かける季節となりました。
皆様どのような日々をおすごしでしょうか。
とあるご縁で、最近私は「仏教とyogaってどんな関係があるんだろう」ということをひっきりなしに考えております。
現時点で、行き着いたことは「何も無駄にはさせない在り方」がそこにあるということでした。
yogaは仏道の修行のひとつで心と身体の統一をはかるものとも、うっすら学ばせていただくこともあったのですが、自分とつながったところではリアルにはなかなか想像がつきませんでした。
私はヨガインストラクターとは名ばかりで、日常の中でそんなに頻繁にyogaをすることはありません。
しかし、たまに身体が悲鳴をあげているなぁ…と感じたら、すぐさまyogaに身体を預けます。
yogaに出会う前、私の中で痛さやだるさはただの苦痛であり、痛みであり、なくなってほしいものでした。
しかし、yogaと出会ってからは忌むべき「身体の悲鳴」は違う意味も持つ様になりました。
yogaをしながら「あぁ、こんだけ身体に無理をかけてたんだなぁ。身体だけではなく、心も随分酷使していたんだなぁ」なんてことに気づかされます。
また、痛みがあるからこそ、普段は当たり前になっている「普通に過ごせること」への有り難さを教えてもらいます。
そう感じていくと、忌むべきはずだった「身体の悲鳴」は、無理を無理と感じ取れていない自分への、有り難いことを勝手に当たり前にしていた私への「こえ」だったことにも気づかされるきがするのです。
そして、仏教もまたそんな側面があるように思うのです。
見たくないものや都合の悪いこと、悲しいこと、つらいことはおこらない方が勿論いいです。
しかし、私たちの人生で全くそのことに、であわないというのは無理な様にも思います。
だからこそ、そんなつらいおもい、悲しいおもいを「つらさ」「悲しさ」だけでは決して終わらせない、何も無駄にはさせない、あり方がそこにあるような気がするのです。
「仏教とyogaと私」私が言葉にさせてもらうにはとっても大きなテーマですが、大事に、大事に考え続けていきたいと思います。
