秋の読書感想文 『すべてがFになる』


私は数字の計算が大っ嫌いである。

小学生の頃、授業中に終えられなかった二桁同士の割り算のプリントを居残りで解いていたときのこと。
頭の中がグチャグチャになって目が回り、だんだんと気持ち悪くなってきて泣いてしまったことがあった。
「泣いても問題は解けません」
先生からもっともらしい注意を受け、私は吐き気を堪えながら下校時間までプリントと向き合った。

中学でも同じ症状に悩まされたため、中一のときに数学教諭だった担任に質問した。

「なんで数学を勉強しなきゃいけないの?」

この吐き気を受け入れるだけの理由が欲しかったのだと思う。
だが、記憶力の良い私がその時の先生の返答を覚えていないということが、高校卒業まで続いた吐き気への答えなのだろう。

 『すべてがFになる』

昨日から始まったフジテレビのドラマだが、原作は同名の小説である。
原作者の森博嗣氏はこの小説を書いた当時、現役の国立大学工学部の助教授だった。

文系の中でも現代語文にのみ特化した私が、理系人の書いた理系小説を手に取ったのは、装丁のシンプルな美しさと殺人要素があったからだ。
だが読んでみると、電子メールと言っていた時代にあって、コンピューター用語を含めよく分からない概念も出てきたが、それだけに少し頭が良くなったような勘違いを与えてくれる面白い作品だった。

何より、言い方が最上級に悪いが、命の使い方が恐ろしく効率的で、論理的な思考に基づく殺人は、理解できないことこそが健常な思想である安心を私に教えてくれた。
 


さて、このシリーズの『冷たい密室と博士たち』に、過去の自分を彷彿とさせる会話が出てくる。

数学が何の役に立つのかと学生に聞かれたらどう答えるか、と尋ねられた工学部助教授は、こう切り返す。

「何故、役に立たなくちゃあいけないのかって、きき返す」

「だいたい、役に立たないものの方が楽しいじゃないか。音楽だって、芸術だって、何の役にも立たない。最も役に立たないということが、数学が一番人間的で純粋な学問であることの証拠です。人間だけが役に立たないことを考えるんですからね……」

「そもそも、僕たちは何かの役に立っていますか?」

衝撃だった。
何が衝撃かって、中一のときの「なんで」と聞いた質問自体が「どう役に立つか」という回答を望んでいたことがだ。
だからだろうか、このセリフを読んで、なんだか肩の力が抜けたような気がした。

質問してから数年目にして、やっと答えのようなものに出会えたのだが、このとき既に大学の仏教学科生だった私は、残念ながら数学から解放された後だった。

だが、その仏教学科の授業中、また似たような場面に遭遇する。
ある学生が先生にこう質問したのだ。

「仏教を学んで何か役に立つんですか?」と。

先生はこう答えた。

「仏教は役に立つ、役に立たないという二元論から離れたところにある宗教です。役に立つか立たないか、正しいか誤りか、良いか悪いか、それは人によって社会によって時代によって、それぞれの持つ主観によって変わってしまう、とても曖昧なものです。そこに真理はありません。そんな曖昧なものを頼りにして導き出されたものは、自分の都合の良いものしか残りません。仏教は二元論にとらわれず、そしてとらわれながら生きる私たち全てを受け入れる『ゆとりの宗教』なのです」

学んだものは役に立たなければ意味はないと心のどこかで思っていた。
計算ができなくて、テストで悪い点を取り続けて、自分はダメな人間だと評価されたと思っていた。

私はずっと、とらわれていたのだろう。
とらわれるがゆえに、思うままに生きられない。
思い通りにならないがために、苦しみが生じる。
自分が苦しかったことに、自分を苦しめていたことに、ようやく気づけた瞬間だった。

人生、割り切れないことばかりで、唯一の正解もないし、解より余りのほうが多いことだってざらにある。

それを排除するのではなく、受け入れていく「ゆとり」。
そこに楽しみが生じるのだろう。

「役に立たなくたっていいじゃあないか」



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