寄り添えなかったわたし!
皆さまボンジョルノ♪
長い間お休みしていてなんなのですが、わたくしチスイ10月5日に結婚いたしました。
実は二人の出逢いはこのサイト『メリシャカ』だったのです。
本当に不思議で有難いご縁でありました。
結婚にあたりまして、関係者皆様本当にありがとうございました。
そんな訳で私たちは先日、イタリアへ新婚旅行に行ってきました。
最初訪れた街はミラノだったのですが、そこで初っ端から喧嘩をしていまったのです。
新婚旅行に行くと言ったら、家族を始め皆口々に「けんかはしないでね」と言われていたのに。。。
日本以外どの国もそうなのでしょうが、イタリアも例に漏れず、スリがいたりして物騒な国でした。
ゴシック様式が美しいミラノ大聖堂の前で添乗員さんが言いました。
「この辺りは、スリや物売りがいます。特にカバンや財布に十分気をつけてください。特にハト豆を手にいきなり握らせて、後で法外な請求をする輩がいますから、毅然と断って下さい。」
僕は彼女と共に大聖堂から、写真を撮りに外に出ていきました。
ミラノの街は見るもの総て美しく、僕は写真を撮りながら、カメラをいじっていました。
その時、僕の目の前に、にぎり拳が「プリーズ」と言ってにゅっと突き出されたのです。
さっき、添乗員さんが言っていたハト豆売りです。
「ノーッ!!」と僕は毅然と?断り逃げました。
ハト豆売りの男はニヤニヤどこかへ行ってしまいました。
ほっとするのも束の間、また、どこからか男がやってきてハトの豆を僕に突きつけようとするのです。
「なんでだろう?僕ばっかり」と思っていると、彼女がこう言いました。
「なんかチスイくんにばかりハト豆売りがやってくるから、一緒に歩きたくなーい!」
なっなんだってー!!
彼女は冗談で言ったらしいのですが、僕はそこで腹が立ちました。そして彼女に怒ってきつく言いました。
「僕だってしっかり警戒しているじゃないか!なんでそんなことを言うんだよ!一緒に歩きたくないんだったら別々に歩こうか」と。
新婚旅行始まって間も無く、不穏な空気・・・。
その後なんとか仲直りし楽しい新婚旅行を終えましたが、なんとなくその時のことは、僕の胸の中にずっともやもやとして残っていました。
旅行から帰って、結婚式披露宴に来てくれた先輩と電話をしていたら、このようなことを言われました。
「ところでチスイくん、イタリアは物騒だと言うけど、スリとか遭わなかった?」
どうやら先輩は僕のことを心配してくれていたようでした。
「チスイくんはぼーっとしているから、イタリアに着いた瞬間にスリに遭うんじゃないかって、周りの人たちと話していたんだよ。でも、花嫁さんがしっかりしていそうだから、大丈夫か」
なっ、なんだってーー!!!!
長い間お休みしていてなんなのですが、わたくしチスイ10月5日に結婚いたしました。
実は二人の出逢いはこのサイト『メリシャカ』だったのです。
本当に不思議で有難いご縁でありました。
結婚にあたりまして、関係者皆様本当にありがとうございました。
そんな訳で私たちは先日、イタリアへ新婚旅行に行ってきました。
最初訪れた街はミラノだったのですが、そこで初っ端から喧嘩をしていまったのです。
新婚旅行に行くと言ったら、家族を始め皆口々に「けんかはしないでね」と言われていたのに。。。
日本以外どの国もそうなのでしょうが、イタリアも例に漏れず、スリがいたりして物騒な国でした。
ゴシック様式が美しいミラノ大聖堂の前で添乗員さんが言いました。
「この辺りは、スリや物売りがいます。特にカバンや財布に十分気をつけてください。特にハト豆を手にいきなり握らせて、後で法外な請求をする輩がいますから、毅然と断って下さい。」
僕は彼女と共に大聖堂から、写真を撮りに外に出ていきました。
ミラノの街は見るもの総て美しく、僕は写真を撮りながら、カメラをいじっていました。
その時、僕の目の前に、にぎり拳が「プリーズ」と言ってにゅっと突き出されたのです。
さっき、添乗員さんが言っていたハト豆売りです。
「ノーッ!!」と僕は毅然と?断り逃げました。
ハト豆売りの男はニヤニヤどこかへ行ってしまいました。
ほっとするのも束の間、また、どこからか男がやってきてハトの豆を僕に突きつけようとするのです。
「なんでだろう?僕ばっかり」と思っていると、彼女がこう言いました。
「なんかチスイくんにばかりハト豆売りがやってくるから、一緒に歩きたくなーい!」
なっなんだってー!!
彼女は冗談で言ったらしいのですが、僕はそこで腹が立ちました。そして彼女に怒ってきつく言いました。
「僕だってしっかり警戒しているじゃないか!なんでそんなことを言うんだよ!一緒に歩きたくないんだったら別々に歩こうか」と。
新婚旅行始まって間も無く、不穏な空気・・・。
その後なんとか仲直りし楽しい新婚旅行を終えましたが、なんとなくその時のことは、僕の胸の中にずっともやもやとして残っていました。
旅行から帰って、結婚式披露宴に来てくれた先輩と電話をしていたら、このようなことを言われました。
「ところでチスイくん、イタリアは物騒だと言うけど、スリとか遭わなかった?」
どうやら先輩は僕のことを心配してくれていたようでした。
「チスイくんはぼーっとしているから、イタリアに着いた瞬間にスリに遭うんじゃないかって、周りの人たちと話していたんだよ。でも、花嫁さんがしっかりしていそうだから、大丈夫か」
なっ、なんだってーー!!!!
僕は吃驚しました。僕は自分は旅行ではしっかりとスリ対策はしているつもりだったのに、周りの友達からは「チスイ=スリに遭い易い」だったのです!!驚愕の事実に僕の膝は打ち震えました。
電話の後、連れ合いの彼女にその話をしますと、彼女は「そりゃあ、スリや物売りがいっぱいいる危ない場所で、デジカメに夢中になったり、ニヤニヤと口を開けて景色を見渡したりしていたら、そういう人たちは寄って来るわよ」
どうやら彼女は、僕が逆切れしたから、その後何も言いませんでしたが、さり気なく僕のカバンやポケットに気をつけていたそうです。全然気がつきませんでした。彼女は毎晩泥のようにぐっすり寝ていたのは自分だけではなく、僕がスリに遭わないように常に気を張ってくれていたからだったようです。
僕はと言えば、彼女のカバンやポケットを注意してみたことは、この旅行で一度もありませんでした。
僕は、どちらかと言うと彼女の横顔ばかり「かわいいなぁ」とニコニコ眺めていたのです。
僕は結婚式の披露宴や二次会で、皆さんの前で「彼女を精一杯幸せにします」と宣言しました。
その言葉に嘘はなく、僕はこの結婚にあたって生涯彼女に寄り添っていこうと決意していました。
しかし、どうでしょう。
寄り添われていたのは僕の方だったのです。
その上、僕はと言えば、彼女の忠告に耳を貸そうとせず自分が否定されているように感じ、逆上してしまっていたのでした。
「寄り添う」「幸せにする」
言葉にすれば綺麗に聞こえる、正しいことであっても、実際に実行するのは難中の難であったのです。
まさに、言うは易し、行なうは難しです。
先輩と彼女の話を聞いて驚き、恥ずかしくてたまりませんでしたが、そんな中、陰ながら支えてくれていた彼女に頭が下がった出来事でした。
結婚について、僕は甘い理想や夢を持っていて、その中で自分は連れ合いの彼女に対しても、よくやっていると思っていました。
しかし結婚してから、この出来事だけにとどまらず、僕自身口では「相手に寄り添う」とか言っていながらも、自分のことだけしか考えていないことが本当にたくさんあると気付きました。
いや、気付いたと思っているのも自分の中だけで、本当には全然気付いてないことの方が多いのでしょう。
人間とはどこまで言っても自己中心と、僕自身僧侶として法話では説きますが、仏教で言われている「どこまで言っても自己中心な存在」とは自分自身の力では決して気付かれないものであるのかもしれません。
他からの働きかけによってのみ気付かされるのかもしれません。
もっと言えば阿弥陀様こそがこの、私を自己中心的な存在と見抜き、そのような私をなんとかして救わねばならないと阿弥陀様の側が私に寄り添って下さっているのです。
しかし、少なくともその様なことを考えさせていただいたのは新婚旅行の僕にとって苦い出来事がなければなかったことです。
そのような僕に対し寄り添って見守ってくれた彼女には、
ありがとう。これからもよろしくね。
と言いたいです。
長文読んでくださった方、グラッチェ! (←これが言いたかった)
電話の後、連れ合いの彼女にその話をしますと、彼女は「そりゃあ、スリや物売りがいっぱいいる危ない場所で、デジカメに夢中になったり、ニヤニヤと口を開けて景色を見渡したりしていたら、そういう人たちは寄って来るわよ」
どうやら彼女は、僕が逆切れしたから、その後何も言いませんでしたが、さり気なく僕のカバンやポケットに気をつけていたそうです。全然気がつきませんでした。彼女は毎晩泥のようにぐっすり寝ていたのは自分だけではなく、僕がスリに遭わないように常に気を張ってくれていたからだったようです。
僕はと言えば、彼女のカバンやポケットを注意してみたことは、この旅行で一度もありませんでした。
僕は、どちらかと言うと彼女の横顔ばかり「かわいいなぁ」とニコニコ眺めていたのです。
僕は結婚式の披露宴や二次会で、皆さんの前で「彼女を精一杯幸せにします」と宣言しました。
その言葉に嘘はなく、僕はこの結婚にあたって生涯彼女に寄り添っていこうと決意していました。
しかし、どうでしょう。
寄り添われていたのは僕の方だったのです。
その上、僕はと言えば、彼女の忠告に耳を貸そうとせず自分が否定されているように感じ、逆上してしまっていたのでした。
「寄り添う」「幸せにする」
言葉にすれば綺麗に聞こえる、正しいことであっても、実際に実行するのは難中の難であったのです。
まさに、言うは易し、行なうは難しです。
先輩と彼女の話を聞いて驚き、恥ずかしくてたまりませんでしたが、そんな中、陰ながら支えてくれていた彼女に頭が下がった出来事でした。
結婚について、僕は甘い理想や夢を持っていて、その中で自分は連れ合いの彼女に対しても、よくやっていると思っていました。
しかし結婚してから、この出来事だけにとどまらず、僕自身口では「相手に寄り添う」とか言っていながらも、自分のことだけしか考えていないことが本当にたくさんあると気付きました。
いや、気付いたと思っているのも自分の中だけで、本当には全然気付いてないことの方が多いのでしょう。
人間とはどこまで言っても自己中心と、僕自身僧侶として法話では説きますが、仏教で言われている「どこまで言っても自己中心な存在」とは自分自身の力では決して気付かれないものであるのかもしれません。
他からの働きかけによってのみ気付かされるのかもしれません。
もっと言えば阿弥陀様こそがこの、私を自己中心的な存在と見抜き、そのような私をなんとかして救わねばならないと阿弥陀様の側が私に寄り添って下さっているのです。
しかし、少なくともその様なことを考えさせていただいたのは新婚旅行の僕にとって苦い出来事がなければなかったことです。
そのような僕に対し寄り添って見守ってくれた彼女には、
ありがとう。これからもよろしくね。
と言いたいです。
長文読んでくださった方、グラッチェ! (←これが言いたかった)





