宮・商、自然にあい和す

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どもどもご無沙汰してます、ケンユウです。
ちょうどお彼岸を迎えました今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
何やら暖かくなったかと思えば、また気温が下がったりと、寒暖の差が激しい日が続いてますので、体調崩されたりしておられないでしょうか。

さて。いきなりこんなこと書くのも何なんですが、今月初めに、ウチの祖父が84年の生涯を終え、往生の素懐を遂げました。
なんとかお葬式も終えて、ようやく気持ちも、バタバタしていたのも、落ち着いてきたのですが、人一人見送る、ということは、なかなかに大変であるということが骨身にしみるとともに、お葬式と言う儀式の大切さと言うか、意義を、改めて感じたりもしておりました。

というのも、お葬式にたくさんの親せきがお参りに来てくださったのですが、そこで祖父についての、いろんな話を聞かせてくれました。私にとって祖父は、じいちゃん、と言うイメージしかなかったのですけれど、私が生まれる以前のこと、僧侶としての姿、お寺の住職としての姿を、親戚の話から聞かせていただいて、祖父がウチのお寺に婿に来てから、見知らぬ土地で様々な苦労をしながらも、教化活動に一生懸命取り組まれたことを、今更ながら知りました。お葬式と言うのは、故人をただ見送るだけではなくて、そうやって、生前の功績と言うか、生き様を語り合って、その人の歴史に思いを馳せ、自分の生き方へとフィードバックさせていくことも大切なんだろうなと、改めて考えさせられました。

そして今回、祖父の葬儀にてもう一つ感じたことは、お経をあげる、ということの素晴らしさ、です。
今回祖父の葬儀では、ウチはお寺の親せきが多いのと、あとは近くの地域のお寺さんに来ていただいたこともあって、30人ほどのお坊さんが集まっての読経となったのですが、さすがに30人が声を出すと、すごい迫力なんですよね。
それに、ご門徒さんの中にも、一緒にお経を読める方がおられたりして、まさにお経の合唱、というような感じでした。
しかも、一人一人声が違うし、微妙に音の高さが違ってきたりすることもあるんですけど、それがまた微妙なハーモニーとなって聞こえてきて、一緒にお勤めさせていただきながら、思わず肌が泡立って、涙が止まらなくなりました。大切な家族を亡くした悲しみ、と言うのももちろんありましたが、半分は、そのお経を聞いての感動の涙だったように思います。

「仏説無量寿経」というお経の中に、「清風、ときに発りて五つの音声を出す。微妙(みみょう)にして宮・商(きゅう・しょう)、自然(じねん)にあひ和す。」という一説があります。仏さまの国、浄土において清らかな風が吹いて、それが五つの音を奏で、東洋の音階で、不協和音となる「宮」と言う音と、「商」と言う音であっても、それが互いに妙なる和音となる、という意味なのですが、不協和音となる音同士であっても、互いに邪魔をすることなく溶け合って、美しい音色となる、それが仏の世界なのだということが示されてあります。
今回祖父の葬儀で、30人ものお坊さんと、ご門徒の方とが声を揃えて読経をしたのも、声は一人一人違ってはいるけれど、その声が一体となって、すばらしいハーモニーを生みだしたのを聞いて、そのことを、ふと思い出しました。
きっと、声を出したのが4,5人であったならば、声の違いが際立ったりしたのでしょうけれど、たくさんの人が声を揃えたことで、ホントは不協和音に聞こえるかもしれない、一人一人違う声であっても、美しいハーモニーになったのではないかと思います。

とは言え、ふつうのお葬式でなかなかそれだけお坊さんが揃うことはありません。しかし、お葬式のお勤めは、お坊さんだけがするものではなくて、お参りに来られた皆さんができるものでもあります。
最近お葬式と言うものはいろいろと簡略化されることが多いように思いますが、普段人と人とがぶつかりがちな私たち。せめて大切な、縁ある人を送らせていただく時くらいは、声を一つに、心を一つにして、亡くなった方のことを思いながら、一緒にお勤めできるような、そんなお葬式ができるようになれば、きっとお葬式も、もっと感慨深いものになるように感じました。

その辺、お寺さんも、お経の本を配ったりと、色々と工夫してみるのもいいかもしれませんね。
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