『納棺夫日記』を読む

仏声人語のバナー

ケンショウです。

 映画「おくりびと」がアカデミー賞・外国語映画賞を受賞し、大きな反響を呼んでいる。メディアではあまり触れることのない「死」をテーマに、ユーモアを交えた映画だそうだ。私が「だそうだ」というのは、まだ映画を見ていないからだ。
 この映画の「おくりびと」には原作といわれる本がある。それは、富山県で納棺夫をされていた青木新門さんの『納棺夫日記』である。主演の本木雅弘さんがこの本を読んで、いたく感動されたらしい。しかし、完成した映画を鑑賞した青木新門さんは「宗教色がない・死者をどこにおくるのか描かれていない」との理由で原作者とされることを拒んだそうだ。
 私はその話を聞いて、映画「おくりびと」より青木新門さんの『納棺夫日記』の方が気になり、本屋へと足を運んだ。本屋には、「おくりびと」フィーバーでメインの陳列棚に渋い装丁の『納棺夫日記』が沢山積まれていた。手に取り、裏表紙の解説の文を読むと「著書は宮沢賢治や親鸞に導かれるように・・・」と書いてある。ますます興味がわき、足早に帰路につき直ちに読み始めた。
 すらすらと3時間ほどで読み終えたが、久々に名書に出会えたと思う。この本をモックン(本木雅弘)が読んで感動したのかと思うと、とても嬉しい気持ちになった。
 
 3つの章で構成されていて、なかでも第3章「ひかりといのち」は、親鸞のとかく重くなりがちな教義的な内容を、巧みな文章力で読みやすく書かれている。 
 また、我々の現代社会についての死のとらえ方も鋭く記している。
”死を忌むべき悪としてとらえ、生に絶対の価値を置く今日の不幸は、誰もが必ず死ぬという事実の前で、絶対的な矛盾に直面することである。”
”現代人の不幸は、自らの死を見つめて生きていないところにある。”
”〈生〉にのみ価値を置く今日の我々は、自分だけは変わらないとする我執のため、この〈無常〉という言葉も死語に近い状態である。”

 
 青木さんは、一方で現代の既成仏教教団にも苦言を呈している。私が日頃から思っていることと重なっていたので、「うんうん」頷きながら読み、僧侶としての自分の立場を考えさせられた。

 仏教では、「いのち」を生死であらわす。私達は、いのちというと生きることの「生」ばかりを気にして生きていないだろうか。一人で生まれ、一人で死んでいく。この事実を私達は分かっているのにも関わらず、身近な方が亡くなっても自らの死を意識することは少ない。 
 青木さんは、そんな中で親鸞聖人・お釈迦様が出合われた「ひかり」を通して、自らの死生観に「ひかり」が出合うことを描いている。
 青木さんは、「ひかり」に出合うことを本の中でこのように記している。
”ひかりに出合うとは、生への執着がなくなり、同時に死への恐怖もなくなり、安らかな清らかな気持ちになり、すべてを許す心になり、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれ出る状態となる。” 
 
 私はこの本を読んで、青木さんが、実際に納棺夫の体験を通して「ひかり」に出合い自らの死を見つめて生きながらも、我々凡夫が捨てきれない生に執着してる生々しい姿を感じた。そして、「ひかり」に救われていくありがたさを感じ、多くの人に「ひかり」の教えを伝えていくご縁づくりをしていかねばと、まさに「喝!」を入れられた。
 
 『納棺夫日記』。
 カバンに入れておき、いつでも読みたい本の一冊となった。  



 さて、気まぐれ東京写真ですが、今回は東京のさくらの名所、新宿御苑に行った時の写真です。
桜も綺麗ですが、桜と他の樹木との自然のコントラストには感動すら覚えました。


Tweet
TWITTER+SHAKAMUSIC
チケット予約はこちら
新しい記事
月別アーカイブス
エディター
とし
twitter メリシャカサイト用mixiロゴ.gif メリシャカサイト用facebookロゴ.gif

お問い合わせ
メルアド.gif