ウソつきのススメ!?
- 2009年04月13日(月) 文:kenyou
- 仏声人語
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皆さんメリシャカ。ケンユウです。
さて、今年もお釈迦様のお誕生日である4月8日、メリシャカの日を迎えたわけですが、4月にはもう一つ、面白い日が、ありますよね。
そう、その日とは、エイプリルフール。ウソをついても良い日、です。
最近はネットの普及もあってか、そのエイプリルフールを楽しもうと言う動きが盛んで、いろんなところで、まるでウソのセンスを競うかのように、いろんなウソが飛び交ったりしております。海外では、新聞にまでウソニュースが載るんだとか。
中にはウソか本当かわからないような巧みなものもあり、年度初めの日にちょっとだけ厄介だったりもするのですが、夢のあるウソや、ウソを楽しもうとする姿勢は、面白いものだと思います。
そんなエイプリルフール、皆さんもウソをついてみられたでしょうか?私も今年は、たまにはエイプリルフールにチャレンジしようと、某SNSサイト上の日記で、ウソをついてみようと試みたんですが、いざウソをつくとなると、結構難しいんですよね。
まず、エイプリルフールのウソですから、人を傷つけたりするものであってはいけないし、結婚しますとか、あまりにリアルすぎると言うか、なんか「ウソです」ってバラした後、自分が悲しくなるウソも面白くないし、そこそこ本当っぽくて、かつ夢があるセンスあるウソを、と思うと、なかなか思いつきませんでした。
まあ、幸い、私には「とある」ネタがあって、某テクノポップアイドルユニットがウチの寺にくる!なんて、普通じゃウソとバレバレなウソをついたのですが、諸事情により、上手くウソにかかってくれる人もいて、「やった!」とほくそ笑んだわけです(笑)
しかし、あんまり見事にそのウソに騙されるもんですから、喜んだのはいいものの、それがウソだと言い出しにくいと言うか、なんだかちょっと罪悪感を感じてしまいました。もちろん、エイプリルフールだと言うことで許していただけたとは思いますが、もしそれが、何でもない時についたウソならば、私は「ウソつき」のレッテルを貼られ、信用を無くしていたことでしょう。ウソをつくことは、それなりのメリットもあるかもしれませんが、それがウソだと判明した時のリスクは、大きいのです。
さてさて、仏教では、基本的にウソをつくことを善しとしません。基本的にウソは、人を欺くためのもの。人を傷つける、あるいは騙すことをことを目的としたウソもあれば、自分の体面を守ったり、自己防衛のためのウソ、あるいは逆に、人を傷つけないためのウソ、なんてものもありますが、真実とは異なることを口にするということは、人を欺く、ということです。そしてそのウソ、と言うものは、人を傷つけるだけではなく、ウソをついた側の心も乱します。エイプリルフールにウソをついた私のように、罪悪感に苛まれることもあるでしょうし、ウソをつく時には、心の中に、ネガティブなモノが必ず形成されます。それは、自分を良く見せたい、と言う思いであったり、相手を自分の思い通りにしたいという思いであったり、自分の欲望や、煩悩と呼ばれる冥(くら)い心の相(すがた)が渦を巻いて、そこからウソが作られるのです。そしてそのネガティブな要素は作られたが最後、消えることはなく、心の奥底に蓄積されていきます。ですから、ウソを一つつくたびに、心は汚染されていきます。
そしてさらに悪いことに、一つウソをつくと、そのウソがバレないようにと、またウソをつかねばならないことが、しばしばあります。ウソをウソで塗り固める、というやつですね。そうしますと、心の奥底に、どんどんと冥いものが蓄積されていきまして、ウソに対しての罪悪感などが、麻痺してきてしまいます。そうするとまたウソがつけてしまえるようになり、あらら、見事に負のスパイラルの完成、と相成るわけですね。
まあ、そうやってウソと言うものは、心を汚し、話すという行為をも汚すものですから、仏教では善しとしないわけです。
それを表すお釈迦様の逸話に、お釈迦様は、ウソをつかないことを徹底するために、約束事すらしなかった、と言われています。どういうことかといいますと、約束をしても、その約束が守れない場合、ウソを言ったことになるからです。今日とも知れず明日とも知れない我が身であり、未来がどうなるかなど決して予期できないのに、約束をするということは、ウソをつく種を植えるようなもの。ですから、お釈迦様は約束をされず、沈黙を持って了解された、と言われています。
と、それほどまでに仏教で避けられているウソであるのに、なぜタイトルが「ウソつきのススメ」なのかって?いや、ホントはウソはつかないほうが、いいんですよ、人のためにも、自分のためにも。けれど、ウソをついてしか生きられないのが私たち。心にもないお世辞やらキレイ事を言わねばならないこともあるでしょうし、心のままに言葉を発していては、いろいろといざこざも出てくるでしょう。ウソは人間関係を円滑にするために、ある程度は必要なものだったりします。また、口に出さなくとも、自分を良く見せたいと綺麗に着飾ったり、化粧をしたりするのも、ウソをつくのと、原理と言うか、心の作用のレベルで見れば同じもの。ですから、ウソなしに生きれないほど、ウソにまみれきっているのが、人の姿と言っても、過言ではないように思います。
そういう私であるから、せめて、自分がウソをついて生きているという自覚と言うか、ウソをつく時・ついた時に、「自分は今ウソをついている」という意識を持つこと、或いはウソをついた時に動く心の模様をじっくりと観察する、ということを心がけたいな、と思うわけです。
そういう意味で、エイプリルフールは格好の機会となるわけで、来年の話になりますが、ぜひ皆さんも一つウソをついて、自分の心が動く様をじっくりと観察し、煩悩とにらめっこしてみるのも、面白いかと思う次第でございます。
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