モヤモヤの元
- 2009年05月13日(水) 文:kenyou
- 仏声人語
- comments(0)

皆さんメリシャカ。ケンユウです。
つい最近の話ですが、今年一番の落ち込みを経験しました。いや、そうは言っても、そんな大した事ではなく、どうしても行きたかったライブがあったのですが、その日がちょうど住職不在の日で、そこにお通夜のお参りができたために行けなくなってしまい、なかなか地方に来てくれないアーティストだったことと、初めてライブが見れるという大きな期待をしていたために、落ち込んでしまったわけです。
我ながらちっぽけな話であるなとも思うのですが、やはり私自身としては、楽しみにしていたライブに行けないということは非常にがっかりでしたし、かと言って、大切なご家族を亡くされたご遺族の気持ちを考えれば、そんなことで落ち込んでいる場合ではないし、僧侶として、私用よりも悲しみにくれるご遺族のためにお勤めさせていただくことが大事なことは分かっているのですが、けどやっぱり残念で、なんと言いましょうか、誰が悪いわけでもないですし、気持ちの持っていきようがなくて、モヤモヤとしてしまったわけです。
で、そういう悩みと言うか、辛いことに遭遇した時によく考えるのですが、自分は何で、こんなに辛かったり苦しかったりするんだろうか、その原因は一体何だ、ということに、気持ちの整理をつける意味でも、思いを馳せたりします。
それで最近分かってきたんですが、どうも、自分が辛い思い、苦しい思いをしているのは、自分自身の中に、ある誤った考え方があって、それが原因となっているんじゃないのか、という答えにたどりつきました。
その誤った考え方と言いますのは、「何でも自分の思い通りにしたい」という願望と、「何でも自分の思い通りにできるんじゃないか」という誤解です。
仏教では、私たち人間がもつ苦しみを、大きく八つ挙げています。それが四苦八苦と呼ばれるもので、生老病死に、大事な人でもいつか必ず別れねばならない愛別離苦、嫌な人にも遭わなければいけない怨憎会苦、欲しい物が手に入らない求不得苦、フィジカルとメンタルを通して感じる不快感、五蘊盛苦というものなんですが、そういう苦しみの原因も、上にあげた「願望」と「誤解」にあるんじゃないかなあ、と。
つまり、その誤解と願望が満たされた時は良いんですが、満たされない時に、苦しみが生じると言う仕組み。
ライブの件で言うと、"ライブ行きたい、けど行けない"という状況は、「自分の思い通りにできる」はずなのに、そうできなくなってしまった状況でありますし、「自分の思い通りにしたい」という願望も叶えられなくなってしまった状況であるために、私の心に、モヤモヤとしたものを生み出したわけです。
それと同じように、病や老いや死が苦となるのは、もちろん物理的に苦痛ということもあるでしょうけれど、何でも思い通りになるはずだし、思い通りにしたいと心のどこかで思っているのに、そうできない事柄であるために、とてつもない苦しみとなって来るのだと思います。
四苦八苦の他の苦しみもそうですし、仕事や人間関係や恋愛やお金に関する悩みや苦しみだって、同じような構造で生じるもので、何でも自分の思い通りになるし、思い通りにしたいというとんでもない「誤解」と「願望」が、心の奥底に、私たちの思考の基盤として存在しているから起こってくるんでしょうね。
仏教で言う煩悩って、そのとんでもない「誤解」と「願望」が正体なのかもしれません。
よく、自分にとって都合の悪いことが起こりますと、人や先祖や土地や神様や日にちや干支や星座などなど、なにかと自分以外の事柄のせいにしがちですが、そうなると腹立てたり、後悔の念で余計モヤモヤが増幅してしまいますし、逆に辛くても気持ちの遣り場がなくてモヤモヤしてしまう時もなかなかそれが収まりません。そういう時に、自分の物の考え方に問題がなかっただろうかと、今一度よく心を観察して考え直してみますと、ある程度気が紛れて、辛いことも飲みこめるようになるのでは、と思います。
もちろん、そんな簡単に辛いこと悲しいこと苦しいことがキレイさっぱり無くなるわけではないですけどね。想像を絶する悲しみ苦しみもありますし、なにより一番思い通りにならないのは自分の心だったりしますから…
それでも、一度試してみる価値はアリ、だと思いますよ。
コメント





