理想
- 2009年05月22日(金) 文:とし
- 仏声人語
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お寺に入ってはや10年以上。
今年は36歳になる年で、初老が視界に入ってきた。
お坊さんなりたての頃は、「こんなお坊さんになりたい!」とか「こんなお坊さんにはなりたくない!」などと、頭の中でいろいろ考え、理想を膨らますだけ膨らませて、それとはかけ離れた自分ともがく日々。また、いろんな人からのいろんな期待に、応えるべきか応えざるべきかと悩み、聞き流す柔軟性もない。いざ応えようと思った時も、その力がなく無力さに泣くこと多し。
「期待されているのは有難いこと」とは言うものの、期待に応える術のない者には耐えがたい苦痛。そんな悶々とした想いは、死ぬまでずっとループし続けるものだと思っていた。
が、ふと気付いてみると、そういう想いが今はだいぶ薄れている。
どこかに置き忘れたのか、感性が鈍ったのか、自己防衛が働いているのか、今は忘れているだけで、ある日突然ダムが決壊したように溢れ出てくるのか。
それは正直よくわからないが、自分の考えは知らない間にだいぶ変化している。
今はただ、与えられていることを少しずつこなす日々を送っていて“やりたいこと”と“やりたくないこと”、という選択はなるべくしないように心がけている。
やりたいと思ったことをやれたとしても、一緒に喜べる人がいなければ、やりたくないことに変わっていくこともあるし、やりたくなかったことをやってみると、意外に人が喜んでくれて、やってよかったと思うこともある。
つまりは、自分の場合、関わった人が笑顔になるかどうかがとても大きく、自己満足で完結出来るものは何も持っていない。
20代は思考と悩み、
30代は行動と苦労、
40代は、自分の方向を定めて力の入れどころを明確に。
「仏法には、明日と云う事はあるまじき」
とは聞かされているものの、理想の40代に向けて今を生きたい。
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