お盆とモンスター
- 2009年08月12日(水) 文:kenyou
- 仏声人語
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皆さんメリシャカ。ケンユウです。
今年の夏はあまり夏らしくありませんが、気がつけばもうお盆の時期となりました。皆さんもお墓参りなどされたでしょうか?
さてこのお盆、という行事ですが、起源は「盂蘭盆経」というお経に由来すると言われております。
このお経に書かれておりますのは、目連尊者というお釈迦様のお弟子とお母さんのエピソードです。目連尊者は神通力に勝れたお弟子として有名だったのですが、ある時、亡くなった母親が、死後どうなっているかが気がかりになって、どこにおるのかを探ると、餓鬼道に堕ち、物を食べようとすれば口の前で燃え尽きてしまい、飢えに苦しんでおるという姿が見えました。それを見た目連尊者は、どうして自分に優しくしてくれた母が餓鬼道に堕ちておるのか悩み、なんとかして母を助けたいと、お釈迦さまに相談します。するとお釈迦様は、あなたの母親は、我が子が可愛いあまり、他の子どものことを全く考えず、あなたにばかり愛情をそそいだ。人に施さず自分勝手な愛情を持ったために、今餓鬼道におるのです、とおっしゃり、それを助けたいのであれば、雨季の、僧侶の安居(あんご)という修行期間が終わる日に、僧侶や人々に食べ物を施し供養しなさい、そうすれば、母も飢えの苦しみから救われるであろう、とおっしゃいました。
そのエピソードが元となって、今のお盆と言う行事が行われるようになったと言われます。今のお盆は、どちらかと言うと、先祖供養、亡くなった人に対して食べ物をお供えしたりお経をあげたり、という色が強いですが、元はいろんな人に布施をすることが始まりだったようです。
まあ、先祖供養についてや、死後に餓鬼道と言う苦しみの世界があるとか、死後苦しみの世界に堕ちた人を、生きている我々がどうこうできる、ということに関しましては、いろいろご意見もあろうかとは思いますが、それについては今回は置いておくとしまして、このお経が今の私たちに、何を伝えたいのか、ということを考えたいと思います。
これはあくまで私の味わい、でありますが、お釈迦さまが一番おっしゃりたかったことと言うのは、亡くなった人を救う術ではないように思います。そこではなく、目連尊者のお母さんが、我が子可愛さのあまりに、周りのことを全く顧みなかったという生き方、そういう生き方をしないでね、という所にあるのではないでしょうか。
近年、よくモンスター・ペアレンツという言葉を耳にします。我が子可愛さのあまり、学校や先生に無理難題を要求したり、とんでもないクレームをつけたりする親のことを指す言葉ですが、そういう親が増え、教育の現場で大きな混乱が起こっているそうです。
よく、クラスで劇などをする時に、我が子が端役や悪役であることが気に入らないという親が多く、何人もの子どもが主役を演じる、という話を耳にしますが、こういうことは、まさに目連尊者のお母さんと同じ、我が子可愛さのあまり、周りのことが全く見えなくなっている状態だと思います。
そういう、我が子さえ良ければ、自分さえ良ければ、後のことはどうなってもいいという心、その心こそが餓鬼という、あさましく醜い姿であります。しかし人はいろんな繋がりによって互いに支えあうことによって生きることができるもの。我が子が可愛いというのはわかるけれども、自分のことだけを考えるのではなく、周りのこともしっかり考えられるような生き方をして欲しい、ということがお釈迦さまがおっしゃりたかったこと、つまりこのお経の“胆”ではないかなと思います。
ま、まだ人の親にもなったことのない者がこんなことを言っても全く説得力に欠けるわけではありますが、このことは子を持つ親に限ったことではありません。ついつい自分勝手で独善的な考え方に陥ってしまい、周りの人のことが見えない、餓鬼と言うモンスターになりがちな私でありますから、お盆と言う機会に、お墓参りやお寺参りをし、亡き方を偲ぶと共に、自分のあり方と言うのも見つめていきたいものですね。
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