仏法をあるじとし、世間を客人とせよ

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タイトルは、蓮如さまのお言葉です。

普通の会社で働き、お寺で暮らしているわけではない私にとって、
いつも心にある言葉のひとつです。


仏法を主人とし、世間を客人とするということは、
「仏法を中心として世間を生きよ」という意味で、
ともすれば、真逆の生き方をしてしまいがちな私を戒めてくれます。

真逆の生き方とは、この世をうまく生きるための手段として
仏法を利用しようとするものであり、念仏を我欲を達成する手段とみなす生き方。

仏教を、何かよそのもの、非日常のもの、特別なものととらえてしまって、
自分の日常には関係ないととらえたり、自己中心的な考えになってしまったり、
そういう生き方も、真逆の生き方と言えるのかもしれません。


今、健康についてとても関心が高くなっていますよね。
メタボ健診が取り入れられたり、健康食品が人気だったり。
エコだロハスだ、マクロビだ、トクホだ、と。

それは、一体何のためなんだろう。。

もしもそれが単に、長生きしたい、病気になりたくない、
だって、もっともっとあれもしたいしこれもしたいんだもん、
お金もかけたくないし、年も取りたくない、キレイって言われたい、
若いって言われたい、人にみせびらかしたい…

自分の欲望を満たすだけのために、健康でありたいんだろうか?
健康ブームのそこが、すごく、疑問でした。


でも、最近やっとたどりついた結論。
健康に気を使うということは、もらったいのちを大事にすることなんだな。

いのちを、自分のものだと思えば、固執する。
死にたくない、長生きしたい、健康でいたい。
他人によく思われたい、人に見せびらかしたい。
ってね。

だけど、私のいのちは私のものじゃないですよね。
ずーーーーーーーーーーっと前から引き継がれてきて、
今、私という形をとっている、っていうか。。
で、もしかしたら未来にも引き継がれていくかもしれない、いのちなんですよね。

だからさ、預かったものを大事にする、みたいな感じなのですね。

なるべく身体に悪いものは摂らないでおこうとか。
身体が喜ぶものを食べようとか。
心がくたびれてしまうようなことはやめとこうとか。

決して、自分の欲望を満たすだけのためではない、健康への気の遣い方って、
確かにあるなぁ。

たぶんそれが、小さな「仏法をあるじとし、世間を客人とせよ」なんじゃないかなぁ。と。

いつも飲むビールを、糖質OFFのタイプに変えた、最近の私です。
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