too fast to live
- 2009年09月11日(金) 文:kenyou
- シャカ斬り
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皆さんメリシャカ。ケンユウです。
9月に入りめっきり涼しくなりましたね。そして今週末、9月12日はお寺座です。私も一口法話のご縁をいただいて、楽しみでありますが、早くも緊張しております。さてさてどうなることやら…
さて、最近ちょっと思っていることをば少し。
近頃、「ファストファッション」なる言葉を耳にすることがありました。はてなんのこっちゃと思っておりますと、ハンバーガーに代表される「ファストフード」に見られる「ファスト」がファッションにくっついてできた造語で、最先端の流行を取り入れつつ安く提供する、外国系の衣料販売店が主流として展開しているファッションの形態、のようです。
ははー、なるほど、と思ったのですが、そういうファッションに関してだけではなく、最近いろんな物事の変化のスピードが、どんどん速くなってきているように感じます。
例えば、テレビに出ている芸人さんやら、去年は流行ったとされる流行語、あるいは音楽などなど、流行と言うのは流れて行くと書くように次々と移り変わってゆくものでありますが、それにしても、一年を待たず、半年、3か月ペースで物事の流行り廃りが変わっていくのは、あまりに変化の速さが激しすぎるように感じざるを得ません。
しかしなぜこうも変化のスピードが速いのか、と言うことを考えてみますと、「流行」ということが「経済」あるいは「消費」ということと大きく関わっているから、なんでしょうね。
今の私たちの社会を支える経済、というのは、消費によって成り立っています。消費ありきで物が生産され、もし生産されたものが売れなければ、大きな損害となってしまうわけでありますから、作ったものはあの手この手で売らなければなりません。そこで、流行と言うものと結び付けられて、流行っていますよ、だから買いましょう、というような風潮になっていくわけです。つまり流行と言うものを利用して、消費をどんどんと刺激しているのです。
流行、と言うと、自然発生的に生まれるものと思いがちですが、そういう事情があるわけですから、決して自然に生まれているものばかりではないでしょう。例えば、毎年流行色、というのが取り沙汰されますが、これはその年に自然発生的に流行った色ではなく、業界が今年はこの色を流行色にしましょう、という決定の下、毎年決められている、と言うようなことも聞いたことがあります。そして流行色に限らず、いろんな流行りと言うものが、消費者の側からの発信ではなく、企業の戦略として作り上げられているように思います。
そしてその流行の流布に使われる媒体がメディア、ですね。雑誌はもちろん、テレビなどでも大きく取り上げられることで、それが流行であると、私たちは錯覚してしまいます。そう思うと、メディアの持つ力と言うか、情報をある意味操作できるという力は恐ろしいな、と思ってしまいます。ですから、メディアが流す情報が全て正しいと信じるのではなく、情報を正しく選択する知恵と言うのが、必要なスキルとなってくるのでしょう。
と、ここから少し仏教らしいお話をさせていただきますが、このような流行と言うものを利用した、消費の刺激、というものは、今の経済を支えるために必要な行為であるのでしょうが、同時に私たちの欲望を強く刺激するものであります。
つまり手を変え品を変え、いろんな手立てでもって私たちの欲望を刺激することによって、消費行動へと向かわせ、企業は利益を得ているのです。
もちろん、そういう活動は正当なものであるでしょうが、一つ気をつけなければならないのは、欲望を刺激するということは、私たちに苦を生み出させている、ということでもあります。
新しいものが欲しい!となる刺激を与えることによって、私たちの心には必ず葛藤が生まれます。「今使っているものもあるけど…」とか、「予算がね…」とか、「これ持ってないと話題についていけなくなるかな」などなど、いろんな葛藤そして苦悩が生じ、さらに手に入らない場合は、不満足と怒りの心に悩まされるでしょう。
つまり、今の経済と言うのは、私たちの苦しみを代償にして成り立っていると言っても、過言ではないんです。
とは言え、社会や経済と言うものは、私たちが生きていくうえで必要なものであります。ですから、安い物や流行りの物を、作られた情報に流されて買ったりするなと言うわけでも、今の経済のあり方を全否定しているわけでもありません。私たちが生きていくうえで、いろんな物が必要になってきますし、逆に倹約倹約!我慢我慢!となってしまうのも、心に苦しみをため込むことに繋がりますからね。
しかし、強烈に欲望を刺激し、消費を促そうとする情報は、私たちの心に苦しみを生みださせる、いわば毒饅頭のようなものでありますから、目まぐるしく移り変わる、作りだされた流行と言う激流に流されるのではなく、また逆に必要以上に自分に我慢を強いるのでもなく、自分にとって本当に必要なものを吟味していくと言うことが、より、苦に悩まされない生き方であろうかな、と思います。
変化のペースがどんどんと加速していく現代でありますが、速すぎる流れや強烈に心を刺激する情報に身を任せるのではなく、そこから一歩離れて、慌てずゆっくりゆったりと、スローな生活を心がけるのが、仏教的な生き方であると言えるのでしょうね。
9月に入りめっきり涼しくなりましたね。そして今週末、9月12日はお寺座です。私も一口法話のご縁をいただいて、楽しみでありますが、早くも緊張しております。さてさてどうなることやら…
さて、最近ちょっと思っていることをば少し。
近頃、「ファストファッション」なる言葉を耳にすることがありました。はてなんのこっちゃと思っておりますと、ハンバーガーに代表される「ファストフード」に見られる「ファスト」がファッションにくっついてできた造語で、最先端の流行を取り入れつつ安く提供する、外国系の衣料販売店が主流として展開しているファッションの形態、のようです。
ははー、なるほど、と思ったのですが、そういうファッションに関してだけではなく、最近いろんな物事の変化のスピードが、どんどん速くなってきているように感じます。
例えば、テレビに出ている芸人さんやら、去年は流行ったとされる流行語、あるいは音楽などなど、流行と言うのは流れて行くと書くように次々と移り変わってゆくものでありますが、それにしても、一年を待たず、半年、3か月ペースで物事の流行り廃りが変わっていくのは、あまりに変化の速さが激しすぎるように感じざるを得ません。
しかしなぜこうも変化のスピードが速いのか、と言うことを考えてみますと、「流行」ということが「経済」あるいは「消費」ということと大きく関わっているから、なんでしょうね。
今の私たちの社会を支える経済、というのは、消費によって成り立っています。消費ありきで物が生産され、もし生産されたものが売れなければ、大きな損害となってしまうわけでありますから、作ったものはあの手この手で売らなければなりません。そこで、流行と言うものと結び付けられて、流行っていますよ、だから買いましょう、というような風潮になっていくわけです。つまり流行と言うものを利用して、消費をどんどんと刺激しているのです。
流行、と言うと、自然発生的に生まれるものと思いがちですが、そういう事情があるわけですから、決して自然に生まれているものばかりではないでしょう。例えば、毎年流行色、というのが取り沙汰されますが、これはその年に自然発生的に流行った色ではなく、業界が今年はこの色を流行色にしましょう、という決定の下、毎年決められている、と言うようなことも聞いたことがあります。そして流行色に限らず、いろんな流行りと言うものが、消費者の側からの発信ではなく、企業の戦略として作り上げられているように思います。
そしてその流行の流布に使われる媒体がメディア、ですね。雑誌はもちろん、テレビなどでも大きく取り上げられることで、それが流行であると、私たちは錯覚してしまいます。そう思うと、メディアの持つ力と言うか、情報をある意味操作できるという力は恐ろしいな、と思ってしまいます。ですから、メディアが流す情報が全て正しいと信じるのではなく、情報を正しく選択する知恵と言うのが、必要なスキルとなってくるのでしょう。
と、ここから少し仏教らしいお話をさせていただきますが、このような流行と言うものを利用した、消費の刺激、というものは、今の経済を支えるために必要な行為であるのでしょうが、同時に私たちの欲望を強く刺激するものであります。
つまり手を変え品を変え、いろんな手立てでもって私たちの欲望を刺激することによって、消費行動へと向かわせ、企業は利益を得ているのです。
もちろん、そういう活動は正当なものであるでしょうが、一つ気をつけなければならないのは、欲望を刺激するということは、私たちに苦を生み出させている、ということでもあります。
新しいものが欲しい!となる刺激を与えることによって、私たちの心には必ず葛藤が生まれます。「今使っているものもあるけど…」とか、「予算がね…」とか、「これ持ってないと話題についていけなくなるかな」などなど、いろんな葛藤そして苦悩が生じ、さらに手に入らない場合は、不満足と怒りの心に悩まされるでしょう。
つまり、今の経済と言うのは、私たちの苦しみを代償にして成り立っていると言っても、過言ではないんです。
とは言え、社会や経済と言うものは、私たちが生きていくうえで必要なものであります。ですから、安い物や流行りの物を、作られた情報に流されて買ったりするなと言うわけでも、今の経済のあり方を全否定しているわけでもありません。私たちが生きていくうえで、いろんな物が必要になってきますし、逆に倹約倹約!我慢我慢!となってしまうのも、心に苦しみをため込むことに繋がりますからね。
しかし、強烈に欲望を刺激し、消費を促そうとする情報は、私たちの心に苦しみを生みださせる、いわば毒饅頭のようなものでありますから、目まぐるしく移り変わる、作りだされた流行と言う激流に流されるのではなく、また逆に必要以上に自分に我慢を強いるのでもなく、自分にとって本当に必要なものを吟味していくと言うことが、より、苦に悩まされない生き方であろうかな、と思います。
変化のペースがどんどんと加速していく現代でありますが、速すぎる流れや強烈に心を刺激する情報に身を任せるのではなく、そこから一歩離れて、慌てずゆっくりゆったりと、スローな生活を心がけるのが、仏教的な生き方であると言えるのでしょうね。
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