偏った平らな足
- 2009年09月17日(木) 文:sakulla
- 仏声人語
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さて、出産直後のこと。
分娩台から降りようとするのだが降りられず焦る。
早く赤ちゃんに会いたいという気持ちはあるのだが、体が動かない。
切迫早産で入院してから、1ヶ月以上寝たきりで、トイレも食事も寝たままだった。
体を起こすのに必要な筋肉が、すべて削ぎ落とされて、できるのは寝返りだけ。
頭を起こそうにも、頭の重さに首が据わらず、ガンガンと頭痛に襲われる。
なんとか分娩台の上に座ると、今度は肺が圧迫されて息苦しく、吐き気までもよおしてきた。
そして全ての力を出し尽くし、気合を入れて立とうとするが、膝に力が入らない。
一歩踏み出すことが異様なほどに難しい。
車椅子に移るだけなのに、何十分もかかってしまう。
どうやら寝た状態が続くと、人は歩き方を忘れるようだ。
足をどうやって前に出すのか、どの部分から地に着けたらいいのか、考えながらじゃないとバランスが取れない。
赤ちゃんに会いたいのに、一人では座れず、立てず、歩けない歯がゆさが辛かった。
次の日から廊下で歩く練習をしていたが、なかなか自然な歩き方を思い出せない。
なんでこんなに歩けないのかと、ベッドの上で足の裏をみると、あるはずの土踏まずがなくなっていた。
綺麗に真っ平らな偏平足。
「おお、とうとう悟っちゃったか?」
思わず呟いたが、そんなわきゃない。
仏の身体には、見てすぐに分かる32の特徴と、微細な80の特徴がある。
これを総じて【三十二相八十種好(さんじゅうにそう・はちじっしゅごう)】という。
この三十二相の一つ目に挙げられているのが、足の裏が平らで安定してる様、つまりは偏平足を表す「足下安平立相」だ。
仏さまの足の裏がまっ平らなのは、「慈悲の平等」を表している。
ちなみに、仏像の眉間の上にあるイボのようなものも、三十二相の一つ。
白毫(びゃくごう)といって、白い毛が丸まっている状態なので、イボではない。
身体が金色なのも、パンチパーマなのも、見えないけど歯が40本なのも、全部三十二相に因っていて、その特徴の一つ一つに私たちを救わんとするための意味がある。
対して私の偏平足は、誰をも救うことのない、無慈悲の象徴。
新たな命を前にして、未熟児という現実に対する不安を隠せず、泣き崩れて嗚咽をもらす同じ口で、不手際な対処を重ねた看護師や医者への憎悪の言葉を吐き散らす。
悟ることなどできないことは、自分が一番分かっている。
因果の道理を説き、縁って起こるこの世界の繋がりを説く仏さまの教え。
仏さまが歩くと、人々の心に仏縁の華を咲かせ、その偏平足の足跡からは枯れた大地にも華が咲くと言われている。
だが私は、この平らな足で修羅の道を歩んでいた。
そのことに気付くのは、まだまだ先のことだった。
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